弐
事件が起きた翌日、七月十五日のことであった。
昨夜の大雨がうそだと言わんばかりに空はカラッと晴れ渡っている。
「あっと、テーブルはそっちに設置して、クロスはきちんとしてね」
そう聖子は、稲妻神社の神主であった黒川拓蔵の十回忌をとりおこなうため、その準備の手伝いをしていた雅と紗姫に指示を出していく。
「テーブルの上に今日来る予定の弔問客のリストが置いてあるから、お客が来たら確認していって」
「わかりました……って、結構来るんですね。三十人くらい」
パラパラっと弔問客が書かれた帳簿を見ながら紗姫は聖子を一瞥した。
「それだけお父さんが慕われていた証拠でもあるんじゃないかな。告別式……神道だと『神葬祭』っていうんだけど、その時は馴染みのある人だけで百人くらいは弔問に来てたから」
「っても、あの家にこんなに多く人が入れるとは思えませんけど」
「それはほら、拝殿を使えばいいし、今でも盆と正月、知り合いが集まる時は拝殿を使ってるからね」
聖子はそう言うと、遊火が放った陰火が彼女に耳打ちをする。
「……わかった。二人とも私は拝殿の方を見てくるから後はよろしく」
二人にそう伝え、聖子は拝殿の方へと去っていった。
「それにしても……」
紗姫はチラリと稲妻神社の入り口を見渡す。
そこには私服姿の男性が数人、二人一組に別れて、まるで周囲を監視しているような動きをしていた。
「あの人達って……なんでしょうか?」
そう紗姫が雅に聞こうとした時だった。
「すみません、もう帳簿の受付はしてますか?」
一人の黒スーツを身にまとった男性が雅たちの前に現れ、そうたずねてきた。
「すみません、受付は十二時前後からとなっているんですが」
雅は腕時計を確認すると、針は十一時四五分をさしていた。
「そうですか。いや知り合いから伝言がありまして、今日は急な用事ができて来れそうにないとのことでして、かわりにこちらに来た次第なんです」
「代理というわけですか。それでしたらその人のお名前をお教えいただけますか」
雅は特に気にもせず、目の前の男性にそう聞き返した。
「榊原絆といいます」
それを聞いて紗姫は帳簿を開いていく。
あいうえお順に並べられており、簡単に見つけることができた。
「あ、たしかに『榊原絆』という人の名前がありました」
「それではこちらにその人のお名前とあなたのお名前を書いてくれますか?」
雅は目の前の男性に出席簿の記入をうながす。
「わかりました。玉串も一緒に大丈夫でしょうか」
――玉串? 普通は焼香だと思うんだけど。
雅は疑問に思いながらも、
「紗姫、瑠璃さんに大丈夫か聞いてくれるか?」
と紗姫を一瞥した時だった。
「あら? 純くんじゃないですか。早々に来てくれたのは嬉しいですが、まだ坊主も来ていませんよ」
母屋からいつもより重苦しい黒の礼服を着た瑠璃が、下駄をカランコロンと鳴らしながら雅たちの元へと歩み寄ってきていた。
「瑠璃さん、今年も父に連絡をしてくださってありがとうございます」
瑠璃から純と呼ばれた男は、それこそ礼儀正しい姿勢で頭を下げた。
「あなたがこちらに出向いたということは、彼の部下との抗争が冷戦していると思ってよろしいのでしょうか?」
「えぇまぁ親父はもう引退してますし、オレとしては無駄なことだと思っていますから、そろそろ終わらせたいとは思っていますが、やはり一度火がつくとなかなか消えませんで……あ、これは父からです」
そう言って、純が渡したのは香典であったが、妙に分厚かった。
それを受け取るや、瑠璃はジッと純を見つめ、
「いくら拓蔵が現役時代にあなたの父親を暴力団から脱会させる手助けがあったという恩があるとはいえ、彼はただの一般人ですよ」
香典の包みを開き、そこから一万円札だけを抜き取った。
「……やはり今年も受け取ってくれませんか」
わかりきったことと言った表情で純は苦笑いを見せる。
「当たり前です。ただの十年祭に、いくら神社としての経営不振で建物が傷んでいたとしても、百万もの大金を受け取ることは私の良心が許しくれませんからね。それでなくても回忌のたびによくそんなお金を用意できますね。こちらとしては送り返す手間もありますし、最悪そこで見まわっている警官に捕まりますよ」
瑠璃は玄関先で待機している男たちを見据えて言った。
「け、警察? なんでそんなのが?」
「あれ? もしかしてキミたちは拓蔵さんのことをしらないのか?」
恐懼している紗姫の言葉に、純は怪訝な表情で首をかしげた。
「いや、結構すごい人だってのは聞いてますけど」
「あぁあの人はすごい人だよ。多分あの人にお礼がしたいって人はオレの父さん以外にもかなりいたんじゃないか。とはいえ今の奴らはその人の怖さを知らないだろうけどな」
純は瑠璃から押し返された香典を手にしながら、
「それはそうと神社の維持費も大変じゃないんですか?」
と瑠璃を見ながらたずねた。
「なんでしたらこちらから支援金を」
「あなたが真っ当な仕事をしていればお願いしてますけどね」
瑠璃は純からの厚意をやんわりと断った。
「それにこれだって、榊原絆さんから拓蔵に対しての気持ちとして受け取るんです。あなたの組にいる経理担当にもそう言っておいてください」
――あくまで拓蔵さんの知り合いとしてか……
と、純は諦めた表情で瑠璃に頭を下げた。
「あれ? 榊原って……もしかしてニュースで言ってた分裂した組員と抗争しているという指定暴力団?」
「ええ。その初代組長だったのが榊原絆。彼の父親ですよ」
瑠璃が茶会に出すような、特に気にもしていない話をするように言った。
「いやいや……それってかなりヤバイんじゃないんですか? いくら拓蔵さんが警察官だったとしても、ここまでフレンドリーに家族の人が来ますか?」
「うーん、おどろくのも無理はないね。ただオレも親父から拓蔵さんの話を聞いてはいたし、実際会ってみてこの人にはどうあがこうと勝てないなって思ったよ」
純はカラカラと笑い出す。
「どういう意味ですか?」
「親父はもう歳もいっていて昔の面影はもうないんだが、現役の時はかなり無茶していたみたいでね、刀傷なんてのもよく作っていたみたいなんだよ。で、その時に現役時代の拓蔵さんが親父を捕まえてさ、脱会したらもっと面白いものを教えてやるって言ったらしいんだよ」
「面白いもの……ですか?」
「あぁ、親父はどういうわけか腕だけは相手から傷をつけさせなかったんだ。それを知ってだろうね、拓蔵さんは親父に竹細工の職人になれって言ったんだよ。親父結構細かい作業好きだったらしくて、別にそういう話を周りの人間にはしていなかったらしいんだ。それなのに拓蔵さんは親父の怪我の経緯を見ただけで言い当てたらしい」
純はそれこそ昔話を語るように言い始めた。
純が言うには当時暴力団組長となって五年ほど経っていた榊原絆の元に、ひとつの身に覚えがない事件が起きていた。
構成員の一人が別の組と競合して薬の売人をしていたという事件である。
昭和気取りの昔気質であった榊原純は、その組員の行いに激怒し、さらには然るべき処置をしたのである。
ただし然るべき処置といっても殺人することを秘密裏におこなったのではない。
榊原絆が主導して薬を売ったとして、一緒に刑務所へと自首したのである。
「その時にちょうど別の事件の整理をしていた拓蔵に目をつけられ、まず榊原絆が薬をしていないということをひと目で見ぬいたようですしね」
「そんなことってできるんスか?」
「普通はできないでしょうね。ただ薬を売っていたということは売人自身もやっていた可能性がある。真犯人である構成員はものの二、三日で薬が切れて半狂乱していたにもかかわらず、榊原絆にはそのような形跡がなかった。さらに言えば尿検査の結果、彼は白だったとわかったんです」
「拓蔵さんがその時親父の指を触れただけで細かい作業、小物を作るのが妙に好きだってことに気付いたんだ」
「あっと、どういうこと? なんでちょっと触れただけでそんなことが分かるんですか?」
紗姫が首をかしげるように瑠璃を見据えた。
「雅くんは接着剤をつけた部品を一定の場所に置こうとした時、手が震えたりしませんか?」
「ちいさい時に高山さんに見てもらいながらプラモ作ったことがありますけど、たしかに指先が震えるからそれを止めるのに変な力が入って……っ!」
雅はアッと声を上げる。
「もしかしてその時に指が硬くなるから」
「普段手を使う人というのは、自然と肉刺みたいなものができるんです。肉刺ができた場所によって普段その人がどの部分を使っているのかがどことなく分かるんですよ。手のひらならば掴むことに力を入れている人、剣道や鉄棒、重量挙げの選手によくできますね。手を握った時に出る骨が硬くなっている場合はボクサー、指先が硬い場合はギターなど弦楽器を抑えて硬くなっている。榊原絆さんの場合は指の腹が硬くなっていましたから、細かな作業をしているのではないかと推測したのでしょう」
たったそれだけでよくそこまでわかるなと思いながら、雅は純を見据えた。
「お母さん燈花さんがって、純さんいらっしゃったんですね」
母屋の玄関から弔問客受付のテーブルまでの道筋を、秋玲は弔問に来ていた純を見つけるや笑みを浮かべた。
「なにこの空気、なんか二人が恋人同士みたいな」
「そ、そんなことないよ? ただちょっと知り合いなだけで」
あたふたとする秋玲を見ながら、
「それで秋玲、私になにか用事があったんじゃないんですか?」
と片目をつむりながら、あきれた表情で瑠璃はたずねた。
「っと、そうだった。燈花さんが用事があるって」
それを聞いて、瑠璃は怪訝な表情を浮かべる。
「それにしても白ねぇもちょっと純さんが来ただけで慌て過ぎだよ」
クスクスと含み笑いを浮かべながら姉を見据える聖子に向かって、
「そ、そんなことないよ? この前だって子安神社の境内を掃除する時に連絡したら、忙しいのに組員の人たち総出で手伝ってくれたし」
それこそ正体である狐の耳と尻尾を出しかねないほどに慌てふためいた。
「私情で組員総出って、それは現組長の威厳としてはどうなんですかね? 純くん」
瑠璃は苦笑を見せながら純を一瞥する。
「あれ? でも今の榊原組の組長ってかなり歳を取った人って記憶があるんですけど?」
首をかしげながら、紗姫は瑠璃と純を交互に見据えた。
「まぁ表向きはそれで間違ってませんよ。ただおおやけに出ている組長である斎藤雄山は榊原絆を慕っていたことと、純くんがまだ三十もいっていない若造だったこともあって、組員以外はあまり知られていないんです」
「ゲームのラスボスを倒したら、実は裏ボスがいて、その部下が真のラスボスでしたみたいなオチですか?」
雅は怪訝な表情で、いつの間にか純の近くを陣取っている秋玲を見据えながら瑠璃に聞き返す。
「私自身はあまりゲームをしないほうですが、まぁそういうことになりますね」
ちいさく笑みを浮かべながら、瑠璃はうなずいてみせた。
「ところで瑠璃さん、神社の周りにいる警官はどうして見回りなんてしているんですか? 榊原さんがそういう家柄の人だということはわかりましたけど、これ言ってしまうとけっこう海外のスターが来たくらいの警備なんですけど」
紗姫が瑠璃にそうたずねるや、
「あぁオレみたいなヤクザもんが来ることもあるからな。まぁ拓蔵さんを慕っている元ヤクザやその舍弟が拓蔵さんの告別式の時に押しかけてしまってな、その時あまりにも集まりすぎたから、『死者を思うて集まってくれたことには感謝しますが、だからといって周囲の人たちに迷惑をかけるということは、その人にも迷惑をかけていることと同意なのですよ』って瑠璃さんに咎められたんだよ。それでオレの組が代表として来ているってわけさ」
純は苦笑を浮かべるように説明する。
「といっても、百人分集めた香典も、今年も普通に一人分でしか受け取ってもらえなかったが」
「あれ? そういえば榊原さんの名前を探してる時になんか聞き覚えのある名前があるなって思ったんですけど」
紗姫は思い出すように首をかしげる。
「どんな名前?」
「えっと……たしか『芦部伸三』って名前がありましたけど」
「『芦部伸三』? それって今の総理大臣と同じ名前だけど」
「まさかぁ、あの『芦部伸三』がこんな古い神社の神主の知り合いなわけないじゃないですか」
クスクスと表情をゆるめる紗姫を一瞥しながら、
「お母さん、言わなくていいの? その本人だって」
と秋玲は瑠璃に耳打ちした。
「知らぬが仏という言葉がありますから言わないほうがいいでしょう。それに拓蔵の知り合いのことで今更おどろきはしませんけどね。それに彼も国会で忙しいでしょうから代わりのものが弔問に来るでしょう」
そう応える瑠璃は、燈花から呼ばれていたことを思い出すや、母屋へと入っていった。
第一期、第二期と拓蔵の若いころや現役で刑事をやっていたころに知り合った議員は挙って総理大臣になってますが、本人にとってはただの飲み友達くらいにしか思ってません。ただしおおやけの場では空気を読んで敬語は使っていますけどね。相手がヤーさんでもその態度にさほどの大差はありません。
長いものに巻かれないのが黒川の血です。




