陸
「よっ、ほっ、はっと……」
時はすこしさかのぼって、大宮と葉月が福嗣署に戻った後の、稲妻神社の拝殿。
「はい、ひぃ、ふぅ、へぇ、ほぉ」
毘羯羅が暇つぶしにと、自分の影から召喚している木偶人形を使って雅に襲いかかっており、それを雅はすんでのところで攻撃を避けていた。
というよりは、避けることのみを許されている。
「それじゃぁ、こんなのはどう?」
毘羯羅は指を鳴らす。木偶人形は関節をはずし、部品がバラバラになる。
「あれ? もう終わりッスか? ようやく身体が暖かくなってきたのに」
「どうせ後で皐月がお土産に作ってきた水ようかんが食べられるんだから、もうちょっと暖かくしてあげるわよ」
不敵な笑みを浮かべながら、毘羯羅はもう一度指を鳴らした。
「……っ!」
途端、雅はうしろへと一蹴で跳び下がった。
すると雅のいた場所に向かって、バラバラになっていた木偶人形が完成した状態で現れ、手刀を突き刺した状態で飛び上がっていく。
「すこし私のことを言っておこうか? 私の名は毘羯羅。十二神将は子の神。北部を守護すると同時に、破壊の女神カーリーの化身――」
スッと毘羯羅は手を挙げる。「――暗闇にはご注意を」
ちいさく笑みを浮かべると同時に、毘羯羅の姿が消える。
すると、雅の周りどころか、拝殿すべての電気が消えたかのように、いや、闇にのまれたかような暗闇に堕ちる
「…………っ」
雅は、周りを一瞥するだけで動こうとはしない。下手に動けば相手の思うつぼである。
するとなにかから押される感触がしたと同時に、ビタンッという強く倒れこまされた。
「くっ!」
雅は翻筋斗打つように虚空を蹴り上げる。しかしまるで暖簾を押すという言葉のとおり、なんの感触もなかった。
「ほぉらぁっ!」
今度は毘羯羅の声が聞こえた。腹部に蹴り落とされ、雅は仰け反る。
「ほらぁ、ほらぁ、ほらぁ」
毘羯羅の声が闇の中に響きわたる。声がどこから聞こえているのかわからず、雅はころがるようにできるだけ動き回っていた。
「若雷の荒魂よ。祓いたまへ清めたまへ」
雅は体内の八雷神のひとつを左腕に呼び出し、その仄かな光で拝殿の中を照らした。
「……っ!」
が、そこに毘羯羅の姿がない。ハッとした表情で天井を仰いだ。
ズズズと、足元でなにかを感じ、雅はそちらへと目を落とす。
そこには、顔を半分だけ、床から出している毘羯羅が、大きく笑みを浮かべ、雅を見つめている。
そして雅の足首をつかむや、毘羯羅は影から飛び上がり、天井に叩き込んだ。
「がはぁっ!」
雅は気を失うように床へと落ちていく。
が、それに対する衝撃はなく、ゆっくりと、しぼんだ風船が風に乗って落ちるように、雅は落とされた。
「っと、冗談はここまでにして」
毘羯羅は雅の元へと歩み寄り、ジッと彼を見下ろした。
「じょ、冗談でこれッスか?」
床に落ちた衝撃よりも、天井に叩きこまれたさいの激痛に、雅は言葉を失う。
「だ、大丈夫? 雅くん」
拝殿の隅で様子を見ていた皐月が、心配した表情で雅に声をかけた。
「ってて……やっぱ神様相手だとキツいッスね」
雅は頭を抱えながら立ち上がる。
「っと言っても、皐月たちと弄んでいたときとくらべて、そんなに力出してないんだけどなぁ」
毘羯羅は不服そうに雅を観る。
――力を制御できているとしても、せいぜい集中して出すことができるのはひとつだけか……。
毘羯羅はスッと二、三歩下がると、指を鳴らし、木偶人形を呼び出す。
しかしその木偶人形は先程の、平均男性の身長ほどの身丈ではなく、二メートルを超える大男である。
「ちょっとこれには特殊でね。妖怪を罰する力でない以上、触れることも、壊すこともできない」
木偶人形はゆっくりと雅に近づき、拳を振り下ろした。
「なぬぅっ!」
雅はすんでのところで避けるが、木偶人形は回し蹴りでそれを塞ぐとともに雅を拝殿の壁に叩きこむ。
それを見て、皐月はさほど驚きもせず、雅へと目を向けた。。
「鳴雷の荒魂よ、祓いたまへ浄めたまへ」
雅は壁を支えにして飛び上がり、左足に巻き付いた雷の蛇を木偶人形の脳天に叩き込んだ。
「……っ?」
雅は木偶人形を見上げた。まったく傷がついておらず、地上に降りた雅を見下ろしている。
「すこし本気を出したほうがいいわよ? あんたが抑えこんでるもうひとつの力でね」
毘羯羅の言葉に反応し、木偶人形は両手を頭上に重ね、ひとつの拳骨をつくりあげ、雅に振り下ろした。
「……オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ」
ある仏の真言を唱えるや、雅は拳を構えた。
「おらぁっ!」
その拳を振り下ろされた木偶人形の拳にぶつける。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ……」
両手拳を高速に繰り出し、落ちてくる巨大な拳を叩き壊していく。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ……オラァッ!」
木偶人形の巨大な拳は跡形もなく砕け散り、その瓦礫の中をかきだし、雅は木偶人形の頭部に拳を叩き込んだ。
ズシンと凄まじい音が拝殿の中で響きわたる。
「……毘羯羅、もういいかな? そろそろ雅くんアルバイトの時間だろうし」
そう言われ、雅は息を整えつつ、腕時計を見やった。時間は午後四時を過ぎている。
「っと、言われるまで気づかなかった。そんじゃぁありがとうございましたぁ」
雅は頭を下げ、拝殿をあとにした。
雅が拝殿を出て行ったのを目で追いながら、皐月は毘羯羅を一瞥する。
「さっきの真言だけど、高山さんのだよね?」
毘羯羅はその問いかけにうなずいてみせた。
「雅の体内には母親から譲渡された八雷神が宿ってる。でも通常ではその鬼を呼び出すのも一度につき一匹だけみたいね」
その言葉に、皐月は怪訝な表情を見せる。
「どういうこと? 彼の体内になにかがいるということはなんとなくわかっていたけど、鬼ってどういう?」
「まぁ、これはあんたには先に説明したほうがいいだろうね。雅の母親である大竹……いや桜野鈴歌が誰の子を孕んでいたのかなんとなくね。彼女がなにと関係しているのかを考えるとちょっと引っかかる部分があるのよ」
毘羯羅は、それこそ遠くを見る。
「大竹……鬼……鈴歌――あれ?」
皐月はくびをかしげ、考えをめぐらせる。
「彼女を助けた時、妖怪が鬼絶神子って言っていたけど――それって私たちみたいになにか力を持っていたからだよね? 彼女が雅くんを身籠っていたにしても、かなり抵抗していたみたいだし」
「あぁ、なんだそんなこと? 彼女、鈴鹿御前の子孫で、あんたや朧みたいに、妖怪を罰していた一族の末裔だった子よ」
毘羯羅が至極当然のことを話すかのように首をかしげた。
「……えっと?」
「どういう因果か、初代の鈴鹿御前に惚れた大嶽丸が数百年の時代をこえて、桜野鈴歌に惚れたのよ。まぁ彼女がそのことに気付かなかったというわけではないけどね」
「なにか理由があったということ?」
妖怪と人間(といえるかどうかは今は伏せるとして)のあいだに産まれた雅を心配しながらも、皐月は話を続けさせるように聞き返した。
「たぶんね。それから摩虎羅が調べていたことだけど、十一年前に起きた幼稚園の送迎バス転落事故とすこし関わってるんじゃないかって……その事件で生き残ったのは雅と同園児の女の子だけ。しかもその事故について警察はなにも調べようとしていない。それだけでもおかしいでしょ? 事故の原因とか調べるはずなのにそれがまったくされていなかった」
「上が止めているということ?」
「そう考えるともっともらしいんだけど、それでも亡くなった家族が黙っていないでしょ? でも……誰も訴えていない。これが一番の謎みたいなのよ」
「とにかく、なにかそれに関して動きがない以上は、摩虎羅も高山さんも打つ手がないということだね」
皐月はちいさく嘆息する。毘羯羅も同様にあきれた表情を見せていた。
「まぁ鬱蒼とした話はここまでにして、湊をどうしようかしらねぇ」
毘羯羅は頭をかきながら、先日、能力を開花させた港のことについて、母親である皐月に意見を求めた。
「私は自分が好きだったことがそのまま能力になってるから、湊もそれでいいんじゃないかな。要はイメージだから……信乃みたいに中二病じゃないだけまだいいよ」
「あはは、それは私も思ったわ。難しい漢字を並べてさぞご満悦だったでしょうね。燕と書いて燕なんて、漢字にくわしくても使わないわよ。しかもなにを思ったか漢字三文字じゃないと収まりがつかなかったみたいだからね」
ケラケラと毘羯羅は高笑いする。
「あんまり本人がいないからって笑うことじゃないと思うよ」
皐月は苦笑を浮かべつつ、うしろに視線を向けた。
「大丈夫大丈夫、あの子、今じゃ病院で忙しいだろうから」
毘羯羅は破顔するほどに笑みをこぼす。
「一刀・砕細流とかねぇ……あれ?」
刀を振り上げるような仕草をしながらも、人をからかうような仕草の毘羯羅は、ふと皐月以外の気配を感じる。
その気配は物言わぬ恐怖を孕んでおり、毘羯羅はゆっくりとうしろを振り返った。
「壁に耳あり障子に目ありっていうよね? 相手がいないと思って陰口を言っても、どこかで聞いているかもしれないんだから気をつけたほうがいいわよ」
肩まで伸びた黒髪の女性が、拝殿の入り口によりかかりながら毘羯羅に向かって笑みを浮かべていた。
「し、信乃?」
毘羯羅は逃げ腰になり、その女性……鳴狗信乃を一瞥する。
「な、なんで?」
どうして信乃がいるのかがわからず、毘羯羅は呆然としている。
「別にめずらしくないでしょ? さっき鳴狗寺で病気の仔犬がいるってメールがあったから診に行っていたのよ。その帰りに皐月と湊ちゃんが稲妻神社にいるって皐月からメールがあったからね。病院に戻る前にちょっとうかがったわけ」
信乃はそう説明しながらも、ジッと毘羯羅を見やった。
「それはそうと人が隠しておきたい闇をなに話してるのよ?」
「え、っと……そうだ、信乃って刀に詳しかったわよね?」
毘羯羅は、それこそ逃げるように話題を変えた。
「……いちおう執行人になった時に色々とどういうのがあるんだろうかって調べたことがあるけど、それがどうかしたの?」
「もしかして卜部輝一が作製した刀も、噂には聞いていたりしない?」
「いや、名前くらいは聞いたことはあるけど、皐月が二刀だったから、それに対抗して佐々木小次郎の物干し竿にしてたからね」
信乃はためいきをつく。
「そうじゃなくても、彼の作品はいいんだろうけど、ここ三年の作品は見るに耐えないお粗末なものだったみたいね。居合いや模造刀としてはいいんだろうけど……まぁ息子に跡を継がせようとしていたみたいだけどね」
それを聞いて、毘羯羅は怪訝な表情を見せた。
「ちょ、ちょっと待って? 信乃……今なんて言った?」
「へっ? いやだから息子に跡を継がせようと」
「そこよっ! 忠治さんと葉月が卜部輝一が殺害されたことについて岡山県警の人と合同捜査をしてるの」
それを聞くや、信乃は怪訝な表情を見せる。
緊迫した皐月の表情からただことではないことはわかったのだが、いかんせん皐月の声が聞こえないため、毘羯羅がかわりに皐月の話を口伝した。そして皐月にも先ほどまで信乃と話していたことを口伝する。
「ちょっと待って、たしかに二年前に卜部輝一が亡くなったって、刀剣に詳しい人から聞いたことはあったけど、それがなんで忠治さんや葉月ちゃんと合同で調べているの? あれって事故じゃないの?」
「『……事故? でも葉月たちが聞いた話では殺されたって』」
皐月は大宮と葉月から聞いた、今回の事件の概要を信乃に説明した。
「いや、おかしいでしょ? ちょっと考えればすぐに気付くんじゃない?」
「えっと、ちょっと整理しよう。まず事件当日の朝五時から五時半までの三十分、卜部輝一は実家を出ている。その時は目撃証言もあったらしいから、この時はまだ生きていたということになる。そして午後八時をすぎたころ、家から五百メートル先の作業場まで行っていて、それ以降の目撃証言がない――」
毘羯羅は困惑した表情で皐月と信乃を見渡しながら話す。
「それから……」
「はいストップ、もういいわ。皐月、警察がアリバイ証言として注意しているところはなにか覚えてる?」
信乃の言葉を毘羯羅に口伝され、皐月はちいさくうなずいた。
「『えっと、家族間のアリバイ証言』」
「それってさぁ、犯人が嘘をついていてもいなくても、アリバイはないよなものよね?」
「『で、でも……葉月が聞いた話では最初に遺体が発見された工場を見たという人の証言では――』」
皐月はハッとした表情を見せる。
「言ったよね? 身内内での証言はアリバイにならないって。それって家族じゃなくて弟子や知り合いもそうなるのよ。それに卜部輝一を最後に見たのはその義娘の麗白って人だけでしょ? アリバイなんていくらでもつけるじゃない?」
「『だけど、警察だってバカじゃないよ? そんなことしたらすぐに怪しまれるに決まって――』」
皐月は息をつまらせるほどに困惑した表情を見せる。
「皐月、彼が今まで作り上げた刀剣は売られていないものもあるけど、それでも鑑定書があればかなりの大金よ。それを売れば所有者のもとにお金が渡るとはいえ、それを盗み取った人間だっていたんじゃないかしら?」
信乃の言葉を毘羯羅に口伝されるや、皐月はちいさくためいきをついた。
「『毘羯羅、温羅が朧のために鍛錬した片手打ちのことは知ってる?』」
「知ってるわよ。いちおうこの神社に祀られているからね。あの刀、今でだったら一〇〇〇万はいくんじゃない?」
「『弥生姉さんが産まれた時に打ってもらったってやつは?』」
「それに関しては私の見分で言わせてもらうわ。大体三百万はあるんじゃないかしら」
皐月はそれを聞くや、スマホを取り出し、Rineを起動させた。
『いま大丈夫?』
皐月が書き込んだ文字が、ちょうどスマホを見ていた葉月の画面に映し出される。
『大丈夫だけど、どうかしたの?』
『ちょっと気になったことがあるんだけど、今調べている事件について、卜部輝一を家族以外の人が最後に目撃したのはいつなの?』
『事件当日の午前五時から五時半だよ』
『それ以降は?』
『岡山県警の人からの報告では目撃証言はなかったそうだよ』
それはものの五秒だった。
『もしかして皐月お姉ちゃん、その目撃したっていう証言も嘘だって言いたいの?』
『可能性としてはね』
皐月は、毘羯羅から聞いた信乃の証言を葉月に伝える。
『ちょっと思ったことがあるんだよ。さっき岡崎さんと話してたんだけど』
葉月はその時のことを皐月に伝えた。
『借金は卜部輝一が自分の刀を譲渡したことで返しているはずだし、信乃がさっき話していたことだけど、すでに家には戻っていたってことになるんじゃ?』
『でもその目撃証言がない』
『……すこしおかしなところがない? 弟子が最初に見た時、工場のたたらに火が灯っていたとしても、人が骨になるまで誰もそこに入らなかったの?』
皐月が打ち込んだチャットに、葉月はアッと声を上げる。
『もし、誰も殺していないとしたら、火葬を勝手にすることって、死体遺棄と同じだよね?』




