伍
「たしかに、ひとつの考えとしては面白いかもしれませんが、こちらもそれを踏まえて調べたことはあります。失踪していた息子の篤が現れ、父親を殺した……しかし場所が場所だけに、そのような話になればすぐに誰かが気付いていたはずです」
瑠璃に卜部輝一の刀を見せてもらってからしばらく経ってのことである。
警視庁福嗣署にある『岡山県**村刀鍛冶師焼死体事件』の捜査本部に戻った大宮と葉月は、偶然そこにいた椎名に、瑠璃の言葉について裏付けを取っていた。
「殺されたのはあくまで村の中。木を隠すなら森の中とはいうけど、人がまばらな村の中で今まで失踪していた人間が現れただけで大騒ぎになっているでしょうからね」
「ですが、お聞きした卜部輝一の作品を売っただけで借金を返済したという話ですが、いったいどれくらいの価値だったんですか?」
葉月にそう聞かれ、椎名は懐に入れている手帳を取り出した。
「えっと、たしか古刀などの骨董品を鑑定している人から聞いた話では、卜部輝一の作品で、鞘や柄に装飾がほどこされており、匂切れや刃毀れ、刃染みなどの傷みがなく、刀身に曇りのない綺麗な状態のもので彼の全盛期である五十代ごろに作製された太刀ならば、最低でも一〇〇〇万で取引がされていたでしょうと」
「…………えっ?」
大宮と葉月は、それこそ想像もしていなかった値段に言葉をうしなう。
「それじゃぁ、息子の借金取りに無償で渡したと云われている刀って、売れば借金どころか倍のお釣りがきていたということですか?」
「そうでしょうね。ですがどうも……すこしおかしなところが」
「どうかしたんですか?」
「いえ、それを聞いたのは今回こちらで合同の捜査をお願いする前からで、卜部輝一が息子の借金の返済に、自分の作品を鑑定書とともに無償で渡したとされているのですが、それを売り飛ばしたという報告はないそうなんです」
「つまり、その刀はまだ借金取りが持っていると?」
葉月の問いかけに、椎名はうなずいた。
「おそらく、価値があがることを見込んで売っていないのでしょう。借金の担保でもありますからね」
「息子の借金については?」
「それからてんて連絡がなくなったそうです」
「いちおう借金の返済にはあたっているってことか」
椎名はすこしばかり表情を曇らせる。
「どうかされたんですか?」
葉月がそうたずねるや、椎名はハッとしたように嘆息をもらす。
「今回の事件とは関係ないかもしれないと思い、あまり調べてはいなかったのですが、こちらに犯人と思われる人間がいるという情報をもらい、調べ直した事件があったんです」
「僕の捜査方針は、ちいさなことでも大きな手がかりになるなんです。どんな事件だったんですか?」
大宮がそう口にする。
「今から三十年ほど前、東京に拠点をおいたカルト宗教が不法に刀剣を売買していたという事件があったんです。その事件は証拠が見つかり、すぐにお縄となったのですが、その刀に卜部輝一の作品があったそうなんです」
それを聞くや、葉月は怪訝な表情を見せる。
「三十年前ってことは、爺様がまだ警察にいたころだ」
葉月がそれを口にした時、椎名は唖然とした目で葉月を見つめた。
「黒川……? も、もしや……あなたは黒川拓蔵という刑事となにかご関係が?」
「……っ? 黒川拓蔵は私の祖父ですけど?」
そう応える葉月に、椎名はさらに言葉をうしなう。
「な、なんてことだ……こんな偶然があるのか?」
呆然とした声で椎名は葉月を見やった。
「え、っと……どうかされたんですか? まさか爺様、岡山県警にご迷惑を?」
葉月が申しわけないといった表情でたずねる。
天真爛漫な黒川拓蔵ならばありえないことではないと思ったからだ。
「ご迷惑だなんてとんでもない。わたしは一度彼にお会いしたことがあるのです。岡山に逃げた殺人犯を追っていたそうで、犯人はすぐに捕まったんです。まだ新人だったわたしが勤めていた交番が捜査本部になりました。黒川さんも捜査に加わっており、よくわたしに声をかけてくれたりしてくれたんです。中でも卜部輝一のことをよく聞かれていましたよ」
「なぜ卜部輝一のことを?」
「なんでも彼とは若いころに会っていたらしく、お孫さんの出産祝いに匕首をこしらえてもらったそうなんです」
それを聞いて、瑠璃が言っていたもう一本がそれなのだろうと、大宮と葉月は直感する。
「拓蔵さんのことはおいといて、こちらに逃げたとされている人間に心当たりは?」
「ええ。ですのでそちらにご協力をお願いしたんです。犯人でないにしろ、重要参考人として連行しないといけない人物を目撃したという情報があったものですから……」
「もしかして、こちらで見つかったというのは……卜部篤だったんですか?」
椎名はゆっくりとうなずいた。
「どうも納得がいきませんね」
椎名と別れたあと、刑事部にある自分の机に戻った葉月は、ノートPCを起動させ、ジッとモニターを見つめた。
「発見された卜部篤がそのことを知らず、まだ逃げているということがかい?」
部下の婦人警官に声をかけ、コーヒーを淹れてもらっている大宮が、葉月の愚痴にたいして相槌を打つ。
「いえ、そうじゃなくて……父親が借金の肩代わりをしたというのなら、それを本人に連絡が行っているはずです。ですが、いまだに実家に戻っていない。つまりまだ逃げているということになります」
「たしかに考えとしてはそうかもしれない。しかし三年も失踪していたとなれば、誰も連絡先を知らないはずだ」
「それならどこに塒を? 三年も失踪していたとして、ホームレスになっている可能性はあるでしょうが、三四歳の若さなら目立ちますし、生活保安課に情報がきていたはずです」
葉月は重ねられた紙の束に手を伸ばし、一番上から一枚の紙を手に取ると、それを大宮に渡した。
「ここ数年で目撃や市民から情報があったホームレスの一覧です。さきほど警視庁のデータベースで調べてみましたが、三十代のホームレスについては書かれていませんでした。それから警察庁のほうでも東条刑事にお願いして調べてもらっています」
それを聞いて、大宮はあきれた表情を見せる。
「なんかやりかたが拓蔵さんに似てきてないか? 利用できるものなら神様すら利用しそうだね」
「それはちょっと心外です。東条刑事は快く了解してくださいました。表向きは今担当している事件についての目撃証言を確認するということになっていますが」
葉月は言い返すように笑みを浮かべた。
「だけどその情報もない。ネカフェ難民については?」
「それも考えられますが、お金が尽きればなにもありませんからね。それにほとんどが会員制ですから、住所に違和感を覚える場合があります」
「現住所が岡山で頻繁に出入りしていたら、それはそれで不審だろうからね」
「出張でたまたま入ったならわかりますけど、毎日来店していたとすれば、なにかあったのではないかと勘付きますから」
葉月は刑事部を見渡し、ある人物がいないことに違和感を覚える。
そしてスマホを取り出し、岡崎に電話をかけた。
「あ、岡崎さん? 今どちらに?」
「……と、飯塚と一緒に岡山県警のかたと聞き込みをしているよ。こっちの土地勘がないと入り組んだ場所もあるからね」
――土地勘か……
葉月は岡崎の話を聞きながら、ふと思ったことがあった。
「あの、犯人が自分を知っている人間がすくない地域に逃げたとして、ずっとそこに潜伏しますか?」
「うーん、どうだろうね。昔、成形手術をした殺人犯が時効まであとすこしのところで捕まったという事件があったけど、それはまだ時効が十五年だった時の話だ」
はてな……と、葉月は怪訝な表情を浮かべる。
「えっと、卜部篤が借金をしていて、それに対して逃げているわけですけど……それって時効もあるんですか? やっぱり」
「えっと、どうだったかな? 卜部篤はサラ金から金を借りているわけだから、業者からということになる。そうなると約五年の時効がある」
岡崎は一度言葉を止め、「ただし成立は厳しいがな」と続けた。
「えっと、どういうことですか?」
「そもそも金融会社に金を借りた時点で、その人物の住所なり、勤めている会社なり調べあげられている。支払いの時効が迫れば、支払督促の申し立てがあって、確定判決までの手続きがされる。その時効が十年だ。最初の時効が五年。その時効を加えれば十五年になるからね、とてもじゃないが借金に怯えて生活できるとは思えん」
「ですが、夜逃げとかありますよね。ドラマとかで」
「最近、そういうのは見ないけどね。実際は住民票で移転先を調べるから、住所も変更できない。変更できないということは仕事に就けないということだ」
岡崎の口調が、まるで体験したような言い回しだったため、葉月はそのことで聞き返した。
「……十八年くらい前かなぁ、忠治と皐月ちゃんの結婚式に招待された時のことなんだけど、懐事情があまり芳しくなくてね、結婚祝いにいくらか包んだんだ。ついでに次の給料まで日にちがだいぶあったからその生活費を加えて五万ほど借りていたんだよ。で、捜査とかで忙しくて返済する暇もなくてさ、一年くらい経った時に金融機関から連絡があってね。いや忘れていた俺が悪いんだけどね」
ゲッソリとした岡崎の口調に、葉月は思わず「なんかごめんなさい」と謝った。




