肆
瑠璃に案内された雅たちは、呆然とした表情で稲妻神社の北部にある宝物庫を見上げていた。
その宝物庫の扉にはセキュリティーがほどこされており、最初にキーボードパネルによる英数字八文字のパスワード、次に指紋センサー、目の虹彩スキャン、音声認識など、何重にもおよぶセキュリティーチェックがおこなわれ、ようやく扉が開いたのは、扉を開けはじめてから五分後のことであった。
「なにこの厳重管理。というか、お母さんしか宝物庫を開けられないの?」
どこその機密資料を管理している銀行より厳しいのではないかと、聖子は苦笑を浮かべる。
「そうでもないですよ。こんなことをしなくても裏に回れば特殊な鍵で施錠されていますから。ただその刀がこちらがわのほうに保存されていますからね」
「それでもこれはかなりスゴイッスよ」
「それじゃぁ取りに行きますから。みなさんは拝殿のほうに行ってください」
そう言われ、雅たちは怪訝な表情を見せる。
「ここで待つことはできないんですか?」
「あぁ、パスワードを見られている可能性がありますから、その変更をしないといけないんですよ」
瑠璃はそう伝えると、宝物庫の中へと入っていった。
そうじゃなくても、それ以降に何重もチェックがあるのだから、パスワードだけわかっても意味がないのでは?
と、瑠璃以外の全員が思った。
拝殿に入った雅たちは、瑠璃が現れるのをジッと待つ。
「お待たせしました」
そう拝殿への階段を上がり、中に入った瑠璃は、手に持った片手打ちを雅たちの前に置いた。
特に鞘や柄に装飾が施されておらず、鍔もつけられていない簡素なものだった。
とてもじゃないが、これが卜部輝一の作品だとは誰も思わない。
「葉月、卜部輝一の作品にはかならずあるものがほどこされていましたね」
「えっと、なかごに『阿曽媛』という文字が銘打ちされているそうです」
瑠璃はそれを聞きながら、鞘にほどこされている目釘を、目釘抜きといわれる道具で、それを抜き取る。
次に刀を鞘から抜くと、左手で柄頭を棟のほうから握り、右手の拳で軽く左手首を打つ。
すると柄の中に入っていた|なかごがゆるみだし、さらに二、三回ほど手首を打っていけば、自然と|なかごが抜けていく。頃合いを見て、右手で|なかごをつかみ、柄から抜き取った。
「ほら、ここを見てください」
瑠璃は抜き取った刀身の|なかごを大宮たちに見せる。
そこにはたしかに、卜部輝一の作品であるという『阿曽媛』という文字が銘打ってあった。
「たしかに卜部輝一の作品に間違いないでしょうけど、でもどうしてこんなのが?」
葉月がくびをかしげる。
「それはまぁ、彼女に聞いてください」
瑠璃は柄の中に|なかごを元に戻していく。
「……彼女?」
雅は険しい表情を浮かべ、拝殿の天井を一瞥した。
「……っ! そこに誰かいるんッスか?」
天井に向かって雅はそう問いかける。
「ちょっと雅先輩、そんなところに人がいるわけ」
あきれた表情を見せながら、紗姫も天井へと視線を向ける。
そして、この神社の主祭神を見つけるや、アッと声をあげた。
天井の出っ張りに腰を下ろし、雅たちを見下ろしていたのは、長い白髪の女性であった。――彼女こそ、この稲妻神社の主祭神で、五穀豊穣の神である宇迦之御魂神。またの名を荼枳尼天という。
荼枳尼天が現れたことに気付いた秋玲と聖子は、荼枳尼天に向かってあらたまるように膝をつき、頭を伏せる。妖姉妹は妖狐であり、荼枳尼天は狐を神使としている。いくら一緒に住んでいるとはいえ、主従の関係だけはしっかりと重んじていた。
その荼吉尼天はスッと、木の葉のように音もなく地上に降り立ち、雅と紗姫を見据えた。
「めずらしいね、ダキニが人の前に姿を見せるなんて」
湊がそう荼枳尼天に声をかける。
「ちょ、ちょっと待て? 湊、この人のこと知ってるのか?」
雅と紗姫が混乱したように湊と荼枳尼天を見渡す。
「まぁ、湊は拓蔵の曾孫だからね、私を知ってるくらいわけないでしょ?」
荼枳尼天はそう雅と紗姫に視線を向ける。
「荼枳尼天、瑠璃さんが言っていたことだけど、もしかして卜部輝一って妖怪じゃないの?」
皐月がそうたずねる。その声は荼枳尼天にも聞こえており、彼女はちいさくうなずいてみせた。
「えっ? っと、雅先輩、紗姫さん、どういうこと?」
皐月の声が聞こえていない大宮と葉月、そして湊は怪訝な表情で皐月と雅、紗姫、荼枳尼天を見た。
「あら? 葉月と忠治はまだ気付いてなかったの? 今瑠璃が見せた業物は卜部輝一……温羅が朧のために製作した片手打ちよ」
それを聞くや、大宮と葉月は唖然とした表情を浮かべていた。
「はぁ、やっぱりそうか……なんでうちにそんな宝刀があるのかと思ったけど、朧が関係してるとなんか納得しちゃうね」
皐月は、納得したと同時に、またかといわんばかりに不服な表情で荼吉尼天を見据えた。
「あぁっと、あの……朧って誰ッスか?」
雅がそう皐月にたずねる。
「若い時、私も今の雅くんや湊と同じで、人間に悪いことをしたり、人に取り憑こうとしている妖怪を罰する執行人だったの。で、その朧っていう女の子は、私や葉月、湊のご先祖さまに当たるのよ」
それを聞いて、湊たちは目を点にする。
「まぁ、あの子の場合は、妖怪を地獄に送るというより、妖力をあるていど自分の中に封じて、妖怪が悪さをしないようにしていたけどね」
「それじゃ、かなり強かったってことッスか?」
荼吉尼天は、それこそ訝しげな表情を浮かべる。
「それはどうかしら。あの子を鬼の子だのなんだのっていう流言飛語に踊らされた福嗣村の人間たちに殺されているから、やっぱり人間だったのは間違いないけど。でも不思議とあの子は力を封じられている妖怪たちからはある程度は畏愛されていたわね」
荼吉尼天は遠目でそう語る。
「……瑠璃さん、畏愛ってなんスか?」
雅が耳打ちをするように、瑠璃に問いかける。
「畏愛というのは、その人をうやまいながら親しむという意味ですね。つまりその人の立場や性格を尊敬したり、うやまったりしつつ、親しみを深めていくということです」
「それじゃぁ、その朧って女の子は、妖怪から親しまれていたってことッスか?」
雅は目をおおきくひらき、荼吉尼天に視線を向けた。
「まぁね。あの子の場合は、相手が妖怪でも人間でも、態度は一緒だったと思うわよ。だから相手が妖怪でも畏れなかった。この町にいる妖怪たちは彼女を人間とは思わなかったみたいだけど」
「だけど、この刀が、まだ朧が生きているころに作られたとしたら、もう百年以上前の話になるよ?」
葉月の質問に、荼枳尼天はさほどめずらしくもないといった表情でうなずいてみせる。
「そりゃぁそうよ。だって卜部輝一は岡山に暮らしている刀工でしょ? それが自分の暴走を抑制し、力を封じた朧に感謝し、あの子が持てるくらいの片手打ちを作ったのは、至極当然のことだとは思うけど?」
「ちょ、ちょっと待って? あの荼枳尼天さん、話が見えてこないのだけど?」
大宮が慌てた表情で荼吉尼天に詰め寄る。
「いやだから……その卜部輝一の正体が温羅って今説明したわよね? もしかしてあんたたち、温羅の話とか知らないの?」
キョトンとした目で荼吉尼天はそう言う。
「温羅の話?」
「あぁ、まぁ……雅たちにわかりやすく説明するとももたろうっておとぎ話があるでしょ? あれのモデルになった逸話ね」
「――も、ももたろう?」
その名詞を聞くや、湊は怯えるように肩をすぼめた。
「どうしたんだ湊、なんか顔が真っ青なんだけど?」
雅と紗姫は、湊のただならぬ怯えに言葉を失う。
「ももたろうこわい……ももたろうこわい……ももたろうこわい……」
と、まるでトラウマが再発したかのように、湊はその場にうずくまった。
「だぁきぃにぃ……?」
皐月はそれこそ食ってかかるように荼吉尼天を睨みつける。
「あ、もしかして、まだももたろう怖いの?」
荼吉尼天は湊に向かって「ごめん」と口にするや、焦りを見せた。
「湊がまだ三歳くらいの時、お正月の里帰りに帰って、その手伝いで忙しくてかまってやれなかった時に、あんたと聖子ちゃんが湊を見てくれてたのは感謝してるよ。でも、私が持ってきていた桃太郎の絵本を読まないで、芥川龍之介のやつを読んだから、湊は今でも桃太郎って聞いただけで、そのときのこと思い出しちゃうのよ」
皐月はそれこそ、本当に神仏すらぶん殴る勢いで文句を述べる。
「えっと……」
雅と紗姫は、自分のスマホを取り出し、『芥川龍之介 桃太郎』と検索した。
すぐに作品の文章が載せられたサイトへのリンクが表示され、そこにアクセスする。そしてひととおり文章を流すように読んだ。
そして文章を読み終えると、顔を震わせる。
話の概要を噛み砕いて説明すると、桃から生まれた桃太郎が、おじいさんとおばあさんに拾われたところまでは特に変わりはない。
しかし桃太郎は仕事が嫌で、なかば自分勝手な理由で鬼退治を思い立ち、黍団子をネタに犬猿雉を従え、楽土である鬼ヶ島を制圧する。
そのさい、犬は鬼の若者を噛み殺し、雉は鬼の子どもをクチバシで突き殺し、猿は鬼の娘を陵辱してから殺す……という、残虐な方法で鬼たちを苦しめていた。……という内容である。
「……これを三歳の子どもに読み聞かせるって、どんだけ鬼なんスか?」
雅と紗姫は、湊を憐憫するように頭を抱えた。
「いやだってねぇ、ただ単に桃から生まれたももたろうが、犬猿雉をお供にして、鬼を退治してめでたしめでたしじゃおもしろくないでしょ? ここはちょっとこういう話もあるっていうのを」
「それはそれでいいんだけど、よりによって一番トラウマを作るやつを読み聞かせなくてもいいでしょう?」
皐月は、荼枳尼天にぐうの音も出させないほど険しい目で睨みつけていた。
「とまぁ、話を温羅のことに戻すとして、やつが刀鍛冶だというのにはちゃんとした理由があるのよ。温羅が統治していた鬼ノ城周辺は製鉄が盛んだったから、刀剣や金槌、釘といった鉄製品を作製していたのよ。それが理由かどうかは知らないけど、吉備……昔の岡山の人たちが都に助けを求めて、崇神天皇が孝霊天皇の息子である吉備津彦命を成敗に使わせたの。あとはまぁ一般的に知られているももたろうと大差ないから端折るわね」
皐月の威圧感から逃げるように荼吉尼天は言う。
瑠璃はその話を聞きながら、大差どころか、かなり違いますけどねと、ツッコミを入れようと思ったのだがやめた。
「で、その温羅という鬼は、吉備の外から飛来して吉備に住み着き、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点とし、一帯を支配したと言われているのよ」
「あれ? それじゃぁ別に悪い鬼ってわけでもないんスね」
「そうね。ただ温羅の伝承では、ほとんど吉備津彦……桃太郎に倒されたということになっているけど、場合によっては戦ってはいないという説もあるのよ」
「どういうこと?」
湊と紗姫は、荼枳尼天の言葉の意味がわからず、キョトンとした目で彼女を見た。
「温羅は製鉄技術を伝えるために渡来したと言われているのだけど、それって人を不幸にさせるためじゃないわよね? 瑠璃、その刀の刃文を見せてあげてくれない?」
荼枳尼天がそうお願いすると、瑠璃は鞘に収めていた刀をふたたび抜き、その刃文を皆に見せた。
「鋒部分の刃文が揺れたようにつけられているでしょ? これは蝋燭帽子といわれている刃文で、備前ものによく見られるのよ」
「備前って今の岡山だから、彼が伝えた作品でもあるというわけですか?」
「そういうことになるわね。それで雅と紗姫だっけ? その刀を見せられて、なにか感じることはない? なんだったら持ってみてもいいわよ」
そう言われ、雅は瑠璃から「気をつけて」と言われながら、その片手打ちを渡される。
刀は片手打ちと呼ばれるだけに、片手でも楽に持てるほどの重さしかないのだが、それとは違う、まるでそれ以外のなにかが重りとなって雅のてのひらにのしかかった。
それがなにかわからず、雅は喉を鳴らし、額には油汗が出ている。
「なんかわかんねぇッスけど、この刀を見てると怖いって気持ちになるッスね」
雅は恐る恐る、瀬戸物をあつかうように、その刀を今度は紗姫に渡した。
そして紗姫も、しっかりと刀を見つめる。
「美術品として見たらスゴイ高価なものだってわかりますけど、これを使って人を殺すとか、切り裂くとか……それってこれを作った温羅って鬼を裏切るみたいな」
紗姫は自分でもなにが言いたいのかわからず、刀を瑠璃に返した。
それを見ながら、荼枳尼天は、どうして雅と湊、そして紗姫が、妖怪を罰する執行人として選ばれているのかを納得する。
妖怪を地獄に送検するということは、その妖怪の罪を咎めるということになる。
たとえ赦されないことだったとしても、相手を尊重することは人間の世界と同様であり、罪を憎むことが、そしてそれを恐怖することが、執行人として最低限の条件であった。
「そうね。道具というのは使いようによっては衆生を簡単に殺めることができる凶器となる。温羅は製鉄技術を人間に伝えた。でもその道具をどう使うかは人間が決めることだからね」
「現代刀と呼ばれる今の刀は、文化庁から製作承認を受け、日本古来の伝統鍛法を伝えるために作製される刀ですからね。つまり根本的なものはその技術を後世に伝えることと、その刀剣の完成度を、その刀剣の魅力をどう伝えるかという、美術観点からきています。人を切る道具を作っているというわけではないんですよ。そうじゃなくても、道具というのは人の生活をよりよくするために作られたものですから、人を傷つけるだけの道具なんて、そもそも作られてはいけないんですよ」
瑠璃は説法をするように、雅たちに伝えた。
荼枳尼天たちの会話を耳にしながら、大宮はふと違和感を覚える。
「その卜部輝一が温羅だったとして、殺された卜部輝一はどうなんですか?」
「あぁ、朧が生きていたころにその刀を打ったのは、正真正銘温羅なのは間違いないけど、卜部輝一はその温羅の子孫だったと考えるといいわね。なにせ温羅の妻とされている阿曽媛は人間だからね。その子孫が今も生きていたと考えると、さほど珍しくはないでしょ」
荼枳尼天はそう説明しながら、視線を雅に向けた。
それを見て、瑠璃と皐月も、同様に雅に視線を向ける。
「えっ? えっと、どうかしたんスか?」
雅は、どうして皐月たちが自分を見ているのかわからず、ギョッとしたように皐月たちを見渡した。
「……なんでもないわ。とにかく忠治と葉月が調べている事件の被害者である卜部輝一が人間であることは間違いないわよ」
「でも、あの片手打ちは朧が生きていたころの作品でしょ? それがどうして卜部輝一の作品だって言えるの?」
葉月がそう荼枳尼天にたずねる。
「温羅の技術が伝えられた刀工の血筋は、かならずと言っていいほど『阿曽媛』という文字が銘打ちされるの。まぁそれだけなら多くの偽物も出るけど、本物はさっき雅と紗姫が恐怖したように、物言わぬ畏れと魅力があるのよ」




