陸
翌日、六月十三日(火曜日)午前九時五十分。
大宮班は総出で、六月十一日に堺將の家族がやってきたとされるデパートの駐車場に集まっていた。
「できるだけ簡略に。従業員なら見かけているだろうし、防犯カメラにも映っているはずだ」
「問題は堺將が何時に来たかということだな」
岡崎は視線を葉月に向けた。
「子どもたちの話だと、父親と合流したのは映画が終わってからとのことだったので、おそらく十二時を過ぎてからだと思います」
葉月の言葉に、飯塚が怪訝な表情で「どうしてそう言い切れるの?」と聞き返した。
「このデパートにある映画館は別の会社が管理しているわけではなくデパート全体の営業開始にならないと入れないようになっています。このデパートの開店時間は朝の十時。それから隣接している立体駐車場から入ったとしても、チケットなどを買う時間がありますから、映画が上映されるのは十時三十分前後と見ていいと思います。それからお兄ちゃんのほうがアニメ映画を見ていたといってくれまして、その映画を調べたら上映時間が百分でしたので、それを加えれば」
あの時、お兄ちゃんのほうは時間を気にした様子はなかった。それは妹も同様である。
そう考えると、兄妹は、時間を忘れて映画を見ていたということになる。
楽しいことほど時間は早く過ぎ、嫌なことほど時間は遅く感じてしまう。だからあの時、正しい時間が言えなかったのだと、葉月は考えていた。
「すくなくても十二時直前か、すこし過ぎているということか」
岡崎がそう言うと、葉月はうなずいてみせた。
「子どもたちは父親が午前中は仕事で来れないと母親から聞いていたでしょうから、さほど疑ってはいません。そうなると目撃された堺將の車を運転していたのは母親のほうだったということになります」
「子どもたちは映画を見たあとに昼食を取ろうとレストラン街に来ている。そこで父親と合流した。被害者である妹の堺真魚の部屋からこっちまではそんなに離れていない。自転車で三分もかからないくらいだからね」
「ただ車は使わないでしょうね。いちおうタクシー会社にも問い合わせてはみますが、いかんせん顔を覚えているかどうかわかりませんし、足がつくと思って利用していないとも考えられます」
アニラがそう大宮たちに言う。不特定多数の人間が乗り降りするタクシーで、よほど常連か、利用客に忘れられないほどの特徴がないかぎり、覚えているということは難しい。人間の記憶力というのは曖昧なことこの上ない。
「それにいつ利用したのかというのもわからないしね」
「とりあえずアニラさんたちは映画館のスタッフに、岡崎と黒川巡査はレストラン街の各店舗のスタッフに、堺將が六月十一日の昼時に来ていたかの聞き込みを、僕と飯塚巡査は管理室に行って店内の防犯カメラを提供してもらえるようお願いするよ」
大宮からそう命じられ、葉月たちが「了解」とうなずくと同時に、デパートは開店した。
……それから一時間後。大宮班の面々はデパートに隣接している駐車場に集まり、聞き込みを大宮に報告していた。
「子どもたちが映画館に入ったのは、黒川巡査長の想像どおり、六月十一日の午前十時十分とのことでした。それから十分後に映画を上映。モギリをしていたスタッフから証言を得てきました。ほかのスタッフにも確認を取りましたが、同様の返答でしたよ」
「それからレストランのほうですが、妹がお子様ランチを食べたという証言があったので、それを提供している家族向けの店を中心に調べてみました。すると事件当日の午後十二時四十分ごろに家族四人で食事をしていたと、その時間ホールスタッフをしていた店員から証言を得られました」
「映画が終わったのは大体十二時ごろだから、それまでどこにいたのかしら?」
アニラが首をかしげるように葉月に目をやる。
「どこかで時間を潰していたんじゃないでしょうか? と言っても、私たちが調べているのは堺將のアリバイですから」
「それなんだけどね、管理室で防犯カメラの映像を見せてもらえたんだけど、どうも気になることがあるんだ」
「……気になること?」
大宮の言葉に、葉月たちは首をかしげる。
「堺將がデパートに入ったのは午前十二時前だったんだけど、彼は電話をしていたわけでもなく、二階にある書店に向かっていたみたいなんだ」
大宮からの報告を聞くや、葉月たちは怪訝な表情で彼を見据える。
「別におかしいことはないんじゃ? 待ち合わせ時間を決めていて、それまでのあいだ時間を潰していたと考えれば」
「そう考えていたんだけど、どうも違っていてね。その書店の店員に聞いてみたら、本を立ち読みしていたが、特になにかを買うという様子はなかったようだ……」
大宮は腕を組み、唸るように首をかしげる。
「時間を潰していたのなら、とくに怪しいところはないですね」
飯塚が然程興味のないといった表情で言い返す。
「……なんか引っかかるなぁ」
それとは対照的に、葉月は不服な表情で大宮を見た。
「引っかかる? 時間を潰していたんならそれでいいんじゃないの?」
「それならそれでいいんですけど、堺將がデパートに入った時間がすこし引っかかって、その時間に店に入ったのなら、直接映画館のほうに行ってもいいんじゃないかって」
「なにか読むものでもあったんでしょうよ」
「――そうなのかなぁ」
葉月は納得のいかない表情で皆を見渡した。
「ところでなんの本を読んでいたんですか?」
「ビジネス書が陳列された棚のところにいたけど、本のタイトルまではわからなかった。書店のスタッフによると株取引に関する本だったみたいだよ」
「それは確認したんですか?」
岡崎にそう訊かれ、大宮と飯塚はうなずいてみせた。
「とくに変わったものではなかったね」
「といっても、もう事件から二日経っているわけだし、今更調べてもなにをしようとしていたのかわかりませんからね」
「そうだね。死亡推定時刻は午後十二時から一時のあいだ……あいだに?」
大宮は目を見開き、葉月と岡崎、アニラの三人を見据えた。
その三人もハッとした表情を浮かべている。
「どうかされたんですか? 四人して鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
四人の呆然としている顔を見るや、飯塚は片眉をしかめる。
「葉月ちゃん、今日、もう一度だけ堺將の子どもに会ってきてくれないかい? アニラさんも同伴をお願いします」
そう命じられ、葉月とアニラは「わかりました」と言う。
「岡崎と飯塚巡査は僕といっしょに、もう一度書店の防犯カメラをチェックしてほしい」
岡崎は「了解しました」と言ったが、飯塚はどういうことかわからず、「どういうことですか?」とたずねてしまう。
「他のみんなは本部に戻って、堺真魚の死因を月さんから確認してきてほしい」
班員たちが一斉に敬礼する。
「あ、あの……大宮警部補? いったいどういうことですか? それに死因は刺殺によるものでは?」
大宮はすこしばかり困った表情を見せる。
「納得がいかないのはわかる。だけど犯行時間を考えると、彼が目撃されていないことがある意味不思議なんだ」
その言葉に、飯塚はさらに顔を歪ませた。
「バカバカしい。彼が犯人だと思いますよ」
「それじゃぁ聞きますけど、仮に犯人が堺將だったとして、どうやって誰からも見つからずに部屋を後にできたんですか?」
葉月がそう飯塚に詰め寄る。
「そりゃぁ窓からでしょ? 現場は一階だったからね。大の男だったら無理じゃないでしょ?」
「だけど鑑識や機動の話では、すべての鍵が閉められていたと報告があります」
「運が良かったんでしょ? 誰もアパートの前にいなかったんじゃない?」
「そうじゃないんですよ。遺体が発見されたのは隣部屋の住民が帰宅してはじめてわかったんです。殺害されて七時間後、現場から酸味の強い悪臭がしたのが通報のきっかけになっています。それならどうしてもう隣の住民がそれに気付かなかったのか。それはその時はまだなにも、気になるほどの臭いがしていなかったということになります。そんな強い悪臭がするなら、だいぶ前から干されていたことになるんじゃないんですか?」
「どっちの部屋もそれに気付かなかったんじゃないの?」
「いや、隣人が自室の窓を開けた時に、風で臭いが漂ってきたと考えると、その時間まで誰も気付かなかったのかが納得いくんですよ。隣人が帰宅するまで誰も気付かなかったわけですから」
「だけど犯人は玄関から出ているのよ? どうやって誰にも気付かれずに出て行くのよ」
飯塚がそう葉月を威嚇した時だった。
「やめないか。たとえば犯人が普段から部屋を出入りしていたと考えれば、隣人が部屋を出て行ったことを気付いていても、然程珍しいものではないと思い気に留めていなかった。それにその時運良く誰もいなかったとしたら、まぁこれはさすがに無理な話ではあるがね」
大宮は啀み合っている葉月と大宮を止めるように口を挟んだ。
「あの大宮警部補? 書店と聞いて、ちょっとこんな話を思い出したんですが、麻取から少年たちのあいだで麻薬取引の話が持ちだされたんです。その時、図書館を使った謎解きみたいにして、ある本のあいだに取引が書かれた紙切れを挟んでおくんです。その紙切れには麻薬の取引や条件が書かれていて、それを確認したら、今度はその紙切れの角を折ったりして印を点け、指定された番号が貼られた本に挟んでおくんです。あまり借りられない本や、館内でしか読めない図鑑なんかによく挟まれていたみたいです」
「それは少年事件課にいたころに聞いた話かい?」
大宮にそう訊かれたが、葉月は応えるようにうなずいた。
「少年事件課に所属している警官は少年犯罪を取り締まりますけど、あくまで子どもの安全と保護や指導が優先されます。麻薬の取り締まりは麻取の仕事ですから、私たちは少年たちがやっていたということで、少年育成課と共同で捜査をしてました」
「つまりその可能性もあるということか。昔からネットでの取引はあったけど、あえてアナログな方法で取引をやっていたという可能性もあるということか」
葉月のうなずきを見るや、大宮はすこし考えてから「わかった。それじゃぁ堺將が読んでいた本を次に読み、それに気付いた人がいるということになる。そしてそれが何だったのかということになるわけだ」と言った。
「甘いんですね? いくら彼女が奥さんの妹だとしても、これはゲームじゃないんです。そんな事件と関係のない話まで調べるんですか?」
「甘くはないさ。可能性があるならその可能性を否定しない。それが僕のやり方だ。急がばまわれという言葉だってあるだろ? もしもそういうことが考えられるとしたら、それを麻取に報告しないといけないからね」
大宮の言葉を聞きながら、飯塚は納得のいかない表情を見せたが、「わかりました」と愚痴をこぼすようにうなずいた。
その日の、午後四時のことである。
福嗣高校の部活棟にある吹奏楽部の部室では、野球部の夏の甲子園予選が近づいて来ているため、試合で演奏する楽曲の練習をしていた。
そんな中、トランペットを構えている湊の表情は気怠く、瞼は半分閉じようとしていた。
「大宮さん、集中して」
部長である忍野が、そう葉月に指導する。
「あ、す、すみません」
湊は大声で返事をする。そしてトランペットを構え、強い力で息を吹き出した時である。
…………なにかが崩れるように切れた。
「……っ? 大宮さん?」
ガラガラとなにかが崩れる音が演奏する音をかき消した。
湊が椅子から転げ落ちるように倒れたのである。
「み、湊さま?」
練習を見ていた遊火が蒼白した表情で悲鳴をあげた。
その呼びかけに湊は一切の反応を見せず、部室には不穏な空気が漂っている。
「誰か彼女を保健室にっ! それから先生は親御さんに連絡を」
そう忍野に言われ、顧問である葛城という女性教師がギョッとした表情を見せた。
「わ、わかったわ。あなたたちは自主練をしていてちょうだい」
葛城は男子部員を一人呼びかけ、湊をパイプ椅子に座らせるや、葛城は背凭れのほうを、男子部員は前を背負うかたちで持ち上げ、一回にある保健室へとゆっくり搬送した。
遊火はそれを深憂の表情で見送る。
――そうだ、もしかしたら紗姫さまか雅さまがまだ学校にいらっしゃるはず。
そう思った遊火はいてもたってもおられず、その場から消えるように、自身を構成している火の玉を学校中に散りばめた。
それから三十分経ってのことである。
失神から目を覚ました湊は、あまり見覚えのない天井がぼんやりと見え、どこだろうかと視線を右往左往させた。
「お、気がついたみたいだな?」
覚えのある声が聞こえ、湊はそちらへと視線を向けた。
「み、雅先輩?」
朦朧とした目で、自分を心配そうに見ている雅に目をやる。
「おう、気分はどうだ? それにしてもビックリしたぜ。遊火の声が聞こえたと思ったら、湊が倒れたって聞いてさ」
雅はそう言うや、隣で同様に湊を診ていた紗姫を一瞥する。
「紗姫さんも来てたんだ」
「ええ。ライバルが倒れて喜んでやるほどバカじゃないからね。やっぱり心配くらいはするわよ」
憎まれ口を叩く紗姫を見ながら、湊はあきれた表情で「なんのライバルだか」と苦笑を浮かべた。
「運ばれている最中、意識はありましたし、お母さんの話を聞くかぎり、連日食事をあまりとっていなかったことによる栄養失調と貧血によるものかと思います」
閉められたカーテンの先から保険医の声が聞こえ、話の内容から母親が来ているのだろうと湊はわかった。
「皐月さん、湊のやつ目を覚ましたッスよ」
カーテンを開け、雅がそう声をかけた。
「ちょ、ちょっと雅先輩、皐月さんは人の声が聞こえないんですから!」
と、紗姫が止めるように注意する。
「っと、そうだった」
雅は困った表情を浮かべ、皐月を見るや、言葉を失う。
その皐月は娘が無事だったことに安堵した表情ではあったのだが、それも一瞬のことで、そこには無表情の能面を被ったような、見ようによっては恐ろしい顔が浮かんでいた。
皐月は保険医に手話で、湊たちと会話すると伝える。
そして雅たちに近付くや、ジッと湊を見つめた。
「雅くん、紗姫さん……湊、こんな倒れるほど無理なダイエットしないといけないくらい太ってるかな?」
皐月にそう訊かれ、雅と紗姫は湊を一瞥した。
「いや、そんなことを言われて太ってるっていうほどじゃないッスけどね?」
「私も、太ってるかって言われるとそうでもないんじゃないかなって。いやこれは別に相槌を打ってるとかじゃなくて、素直な感想ですから」
と、雅と紗姫は湊の容姿について感想を述べる。
「紗姫さん、湊から学生証を借りてくれない?」
紗姫はそう言われ、湊にそれを説明した。
「……みたいだから、学生証を見せて」
遊火を通じて会話を聞いている湊は、観念したようにためいきをつくや、スカートのポケットから学生証を取り出し、それを紗姫に手渡した。
紗姫はそれを確認すると、学生証に付いているQRコードをスマホで読み取り、四月に行われた身体測定のデータ欄を見た。
「えっと、身長が一五八センチ。体重が五四キロ……」
それを聞くや、皐月の眉尻がピクリと動いた。
「遊火、昨日お風呂場で湊が体重計に乗った時に見たのは、たしか五六キロだったよね?」
そう訊かれ、遊火はうなずく。
「五六キロって、ニキロ太ったくらいですよね? そりゃぁ気にしないわけじゃないだろうけど……でもそれくらいだったらちょっと食事とかを気をつければいいんじゃ? 食事制限するのだって限度があるわよ? 倒れたりなんてしたら元も子もないじゃない」
紗姫は湊を見る。その湊は俯いて、誰の顔も見ようとしない。
いや、見れなかった。俯く手前、一瞬だけ見た母親の顔に、心配してくれているのだと理解していたからだ。
それと同時に、柳眉を逆立て、ジッと湊を睨んでおり、反論すら赦されていなかった。
「『こんのばかぁあああああああああああっ!』」
まるで局地的に雷が落ちたかのように、その場にいる全員が一斉におののき、目を瞑った。
言葉は聞こえずとも、皐月の怒気に、湊の全身はビリビリと電気が走ったように震わせる。
皐月の声が聞こえている雅、紗姫、遊火は、それこそ見たことのないほどに立腹している皐月の、夜叉の如き激しい形相に、なにも言葉が思い浮かばずにいた。
「『ニキロなんてねぇ、湊くらいの女の子からしてみたら誤差なのよ、誤差っ! いいっ? ご飯を食べたらお腹が膨らむ。水分を取ればその分体内に水が溜まって体重が増えるの。でもそれは体脂肪が増えるわけじゃないし、おしっこをしたりすれば減る一時的なもの。それじゃなくても浮腫や生理によっても体重は増減するけど、結局は一時のものだから気にするだけ無駄なの。ろくに運動もしないで太ったんならダイエットしないのかって促すけども、そんなことで体重を気にしすぎて、ご飯をちゃんと食べないで身体を壊すくらいなら、太ってくれたほうがこっちは安心するのよっ! もしかしたら、その心の空きに入り込んだ妖怪に取り憑かれたんじゃないかって、本気で心配したんだからぁっ!』」
皐月の怒りは、声が聴こえていない湊を叱っているのだと、湊は遊火を通じて訊かずとも感じていた。
それだけ、皐月が湊に対して、形相を険しくさせるほどにキレるということがなかったのだ。
雅と紗姫が呆然とした表情で湊と皐月を交互に見据えた。
「で、でも……やっぱり痩せてるほうが……」
「思うんだけどよ、湊が思ってる痩せるってのは、見た目か? それとも体重か?」
雅が怪訝な表情で湊に訊ねる。
「た、体重です。……五〇キロ切るくらい」
「いや、さすがにそれは――あんた自分のスタイル考えてる? さっきも言ったけど、太ってるなんて冷やかしとかじゃなくて、素直に思ってないわよ。さっき先生と皐月さんが話しているのを聞いてるわよね? ご飯をちゃんと食べて、適度に運動するだけでも違うんだから、それに現実をちゃんと理解しないとただのバカよ」
湊は紗姫を睨むように見つめたが、紗姫はそれに怯むことなく、「いい? 無理なダイエットをして成功したってねぇ、結局はリバウンドをして最初の時以上に太るのが現実なの」と言葉を続けた。
皐月はちいさくためいきをつくと、湊に紙袋を手渡した。
「ママさん、これは?」
「…………」
「まぁ開けてみろってさぁ」
笑を浮かべている雅にそう言われ、湊は怪訝な表情で紙袋の中を見るや、言葉を失う。
そこに入っていたのは、ちいさいお弁当であった。
湊はお弁当箱と皐月を交互に見渡す。
「皐月さま、先生から連絡を受けて、急いで作ったって言ってました。おそらく倒れたと聞いた時に、栄養失調によるものだろうとすぐに気付いたみたいです。それだけ気を使っていたということです」
湊はそれを聞きながら、お弁当箱のふたを開けた。
そこにはおにぎりがふたつ入ってるだけである。
ただし普段のお弁当と違い、まだ作ってまもないためか、おにぎりは暖かいままだった。
「……いただきます」
湊はそれを一口含んだ。口の中にしょっぱい塩の味が広がる。
久しぶりにちゃんと食べている母親の料理に言葉を失う。
それと同時に、母親を普段見せないほどに激怒させるほど心配させたことを申し訳なく思い、涙が止まらなくなっていた。
「ごめんなさい。ママさん……ごめんなさい」
皐月にその声は聞こえなかったが、湊の真摯な表情を見るや、彼女の頭を優しく撫で、もう怒っていないと雅たちに口伝をお願いした。




