伍
「ごちそうさま」
六月十二日午後七時になろうとしていた時、夕食を食べていた湊はちいさく手を合わせた。
それを対面している皐月が不安そうに見つめる。
「湊さまよろしいんですか? あまりお召しになられていませんが」
不安げな表情で遊火がそうたずねる。湊の前に並べられた茶碗の中は半分残っており、ふたつあったコロッケはひとつ食べただけで、塩コショウで和えたポテトサラダは一口も箸が付けられていない。
「大丈夫。ちょっと帰りに買い喰いしたからかな」
遊火はそれを皐月に伝えた。
皐月はジッと湊を見つめるだけでなにも言わない。
「それじゃぁ、あたしお風呂に入ってくるね」
湊はそう言うと、スッと椅子から立ち上がり、リビングを出て行こうとした時だった。
「…………」
「あ、湊さま。今日のお弁当は? まだ返してもらっていませんが」
遊火が皐月の言葉を口伝する。
「そうだった。後で持ってくる」
その言葉を発した時、湊の表情に翳りがあったことに、皐月は違和感を覚えた。
湊がリビングを出て行くと、皐月は食べ終わっていた自分の茶碗に、湊が残したご飯を入れ替えた。
「遊火……湊、今日の朝ごはんも食べてなかったわね」
「はい。私もなにかあったんじゃないかって心配で」
遊火は困惑した表情で皐月を一瞥する。
「あの子がお風呂に入ってる時、ちょっと隠れて見てくれない?」
そう言われ、遊火は首をかしげた。
「ちょっと気になってね。まぁ取り越し苦労だったらいいんだけど」
皐月は湊の残飯を食べながら、ジッとリビングのドアを見つめた。
「ママさん、はいお弁当」
弁当箱が入った小袋を手に持って、湊がリビングに入ってくる。
「『あ、テーブルの上に置いていてほしい』と言ってました」
「そう? それじゃぁ今度こそお風呂入ってくるね」
湊はさほど気にしていない表情で弁当箱をテーブルに置くや、風呂場へと消えていった。
皐月はそのお弁当箱に手をのばし、手に取るや険しい表情を浮かべる。
そしてお弁当箱の中を見るや、自分の予想が当たっていたことに苛立った。
湊のお弁当箱の中身が、半分残されていたからだった。
「湊がご飯をあまり食べていない?」
その晩、午後十一時。帰宅してきた大宮に、遊火が皐月の言葉を口伝していた。
「それが今日のご飯をほとんど食べていないんです」
「まぁ反抗期じゃないかなぁ。というかようやくかとも言うべきか」
大宮はしみじみと言う。これまで一度も、これといった思春期における反抗期があったことがなかったからである。
「そんな悠長なことじゃないですよ。突然ご飯を食べなくなったなんておかしいじゃないですか?」
遊火がそんな大宮の態度に苛立ち、問いただした。
「だけど、ご飯を残すくらいの反抗は可愛いものだ。まだ無視とかはしていないんだろう?」
「たしかにそれはありませんでしたけど」
「だったら気にかけるだけにしよう。あの子にも親に反抗したいという気持ちがあるということさ」
大宮は椅子に座り、コップを持った手を口に持っていく仕草をしながらそう言い放った。
それを見て、皐月はキッチンの方へと入っていった。
「皐月さまはどうなんですか? 忠治さまと同じ意見なんですか?」
そう訊かれ、皐月はすこし考えてから、遊火に言い返した。
「遊火ちゃん、皐月はなんて?」
「もしかしたら、なにかやってるんじゃないか……ですか?」
遊火がそう聞き返すと、皐月はうなずいた。
「なにかやっている? それってなんだい?」
大宮がそうたずねると、皐月は遊火に夕食の後にお願いしたことをたずねた。
「あ、湊さまお風呂から上がるとすぐに体重計に……あっ!」
「もしかして、ダイエットしていたということかい?」
遊火が大宮の言葉を皐月に口伝する。
皐月はちいさくうなずいた。
「だけど、ダイエットするくらい太ってるかな?」
「女の子は男性が思ってる以上に体重に気を使っていますからね。でもそんなに太ってませんでしたよ」
「こういうことを聞くのはどうかと思うけど、何キロだったんだい?」
「えっと五六キロでした」
「五六キロか……そんなに太っていないじゃないか。まったく気にし過ぎなんだ。すこし太ってるくらいがちょうどいい」
大宮は皐月を見遣る。
「そういえば月さんが言っていたけど、葉月ちゃんや皐月たちって、ダイエットとかしたことってあったのかい?」
その問いかけを、遊火が皐月に口伝する。
皐月は応えるように首を横に振った。
「まぁ皐月は高校を卒業して、あんたと一緒に福岡のほうに行くまでは、私との朝練と部活で適度に運動していたし、瑠璃と遼子が健康を考えて料理を作っていて太るなんてことはなかったわよ。それに、姉妹三人ともむちゃくちゃな食べ方をしてなかったし、睡眠時間もちゃんととっていたからね」
現れた毘羯羅がそう大宮たちに説明した。
「そうか。ところで毘羯羅さん、どうかしたんですか?」
「あぁ、そうだった。忠治、ちょっといいかしら?」
毘羯羅は皐月に視線を向ける。
「皐月たちには聞かれたくないことなのかい?」
「そうじゃないんだけど、忠治個人の話だからね。まぁ本人が聞かれていいなら話すけど」
「別に構いません。話してくれませんか?」
大宮はジッと毘羯羅を見据えた。
「それじゃぁ話すけど、あんたの班に所属している飯塚カスミについてだけどね……あんたんとこの波夷羅が夜叉に調べ直させたら、地域指導課にいたあと、二年だけ公安のほうにいたみたいね。ただそのあいだの経歴が全部なくなっているみたいで、表向きは母親の介護で抜けていて、再試験を受けたみたいよ」
「公安に? そんな話は聞いてませんし、刑事部長が知らないというのはどういうことですか?」
「それがわからないから、今こうして警鐘を鳴らしてるのよ。とにかく飯塚カスミには気をつけるしかないわね。それにあんたのところに入ったのも人事部がやったことだから」
毘羯羅はそう伝えると、今度は皐月に目をやった。
「もうひとつ、これは皐月というか湊に関わるんだけどね。そろそろあの子たちを私たちのほうで任せてもらっていいかしら?」
皐月は毘羯羅をまっすぐ見つめる。
「大丈夫よ。今のところ妖怪を懲らしめるという点なら雅が最適だし、あのふたりはどちらかと言うと、希望や海雪みたいに補助にまわしたほうがいいだろうしね。ただ湊や紗姫にその覚悟があればだけど」
「あの、いったいなんの話ですか?」
大宮が困惑した表情で毘羯羅を見る。
「なにをって、最近起きてる人間がやったとは思えない事件に関してよ」
「それと、湊がいったいなんの関係が?」
「まぁ、これはあくまで保険での話だし、私だって大事な湊を危険な目にあわせたくないわ。だけど……可愛い可愛い愛娘が黒川家の血を通わせている以上は覚悟しておきなさい。これは朧の時代から続いているような、因縁みたいなものだから」
それを聞いて、大宮は険しい表情を浮かべつつも、顔をそむけるようにうつむいた。
いや、大宮はウズウズと気付いていた。初めて逢った時の皐月を知っている以上、黒川家が妖怪と深く関わっていくことを、そしてそれが自分の娘である湊にもつながっていくことを…………。
「毘羯羅、調べてもらったことだけど、雅くんのお母さんって」
「あぁ、大竹鈴歌のこと? 今はこの近くにある警察病院で入院してるわね。大丈夫よ、看護師に私たち十二神将の夜叉を、何人か忍ばせているから」
「そうじゃなくて、どうして雅くんの苗字が違うのよ?」
「いや、そっちが正しいのよ」
「――正しい?」
皐月は毘羯羅の言葉を聞くや、首をかしげた。
「大竹鈴歌。本名は桜野鈴歌。あんたに助けてもらったころ、ちょうどあんたが高校を卒業する直前の時だから、十八年前になるわね。それから三ヶ月後に雅が生まれて十七年経っているわけだから、現在三八歳になるわ。雅は父親不明で産んだことになっているみたい」
「その父親については?」
「これに関してはまだなんとも。ただ摩虎羅が人間とか妖怪とか関係なしに探偵業をやっているから知っていると踏んで聞いてみたんだけど、彼女もそれは知らないっていうのよ。雅が一足先に執行人をしていたことは知っていたくせに」
毘羯羅は頬をふくらませる。
「高山さんはなにか知っているってことか……」
「そういうことになるわね。以前の、崇徳天皇のこととかも知っていて私たちに隠していたところがあったし……まぁとにかく、私からの報告は以上」
そう言うや、毘羯羅は姿を消した。
「皐月は妖怪が悪さをしているということに気付いていたのかい?」
大宮の言葉を遊火がかわりにたずねた。
「『妖怪がやったことかどうかはわかりませんけど、先日の羯磨という、福嗣高校の生徒が谷から突き落とされた事件は覚えていますか?』」
「あ、ああ……あの事件は結局どうやって殺されたのかが理解できない事例ということでお宮入りになって……まさか」
大宮は目を多き見開き、震えた表情で皐月を見やった。
「『まだ可能性としてですし、あの死に方はヘリコプターで突き落とされない以上は無理じゃないですか?』」
そう皐月の言葉を遊火を通して聞いた大宮は、その日、ヘリコプターがその現場周辺に飛んでいたという報告を受けていないと、遊火を通じて皐月に言い返した。




