参
「堺真魚の近辺に男性の線がなかった?」
『八重楽生礼』というちいさな料亭で昼食を取りながら、大宮は岡崎と飯塚が現場周辺の聞き込みについての報告を聞いていた。
「はい。部屋の両隣に暮らしている住民に話を聞きましたが、彼女の部屋に異性が出入りしていたという様子はなかったようです」
「だけど初動では男性の線があったと」
「それがどうも意味が違っていてね。たしかに男の出入りはあったようなんだけど、近くに住んでいる兄が様子を見に来ていたみたいなんだ。これなら男の線とはいわないだろう?」
「まぁたしかに家族という意味で捉えるとしたら、兄ならその線がなくなりますね」
葉月はマカロニとポテトのサラダを箸でついばみながら、くびをかしげる。その表情はなんとも納得のいっていないといったものだった。
「その兄については?」
「堺將、二八歳、N金融に勤めているようです。現場近くの一軒家に住んでいて、奥さんと子ども二人の四人家族ですね」
「妹の拒食症に関しては?」
「それはまだ、なにせ今知ったことですから。ただ様子を見に行っていたということから、妹の病気については知っていたと思います」
「それじゃぁ午後の活動についてだが、岡崎と飯塚巡査は堺將が勤めているN企業に行って事件当時のアリバイを本人に聞いてくれ。葉月ちゃんは僕と二人で堺真魚の拒食症を診ていた病院の方を調べてみるよ」
大宮がそう命じると、葉月たち三人は「了解しました」とうなずいた。
それから二十分後の午後二時のこと、大宮と葉月は堺真魚が通院していた『木枝総合病院』のロビーに訪れていた。
「すみませんこういうものですが」
葉月は受付をしていた女性事務員に、警察であるという身分証を見せた。
周りには入院や通院の患者がいたため、自分たちが警察官だと知られては、病院でなにか遭ったのではないかと考えてしまい不安を促してしまう。そうならないためにも、できるかぎり秘密裏に活動しなければいけなかった。
『こちらで堺真魚さんが通院していたようですが、担当医をお呼びすることはできますか?』
と書かれた紙を看護師に見せた。
「すこしお待ちください」
事務員は内線電話で、その担当医を呼び出す。
「はい。わかりました。それではそうお伝えします」
電話を終えると、事務員は
「それでは応接室のほうへとご案内します」
淡々と、まるでマニュアルのように事務員は受付から出てくるや、大宮と葉月を病院の奥へと案内した。
「失礼します」
大宮は応接室のドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開ける。
部屋にはさほど物珍しくもない、二人座れるくらいのソファが対面するようにふたつ並べられており、そのあいだにガラス製のテーブルが置かれていた。
そのひとつに、白髪交じりの初老の男性が坐っており、大宮と葉月はその男性の胸元に目をやった。『精神科 因幡享』と書かれている。
「受付の方から連絡は受けております。堺真魚さんの担当医をしていました因幡享と申します」
そう言うと、因幡は立ち上がり、大宮と葉月に頭を下げた。
「お忙しい中ご足労頂きありがとうございます。あまり時間を食わせませんので」
「おや、そうですか? ではなにか事件の解決に?」
因幡は怪訝な表情で大宮と葉月を見ながら、ソファに坐り直した。
「堺真魚さんがお亡くなりになった……いや殺されたことに関してはご存知だったようですね」
「ええ、今朝のニュースで。彼女お腹を刺されていたようですね」
「はい。因幡先生が被害者とお会いになったのは?」
葉月がそうたずねると、因幡は白衣のポケットからちいさな、A6サイズのスケジュール帳を取り出し、ページを捲っていく。
「えっと、今日は――」
「二〇三四年六月十二日です」
「あぁ、そうだそうだ。えっと真魚ちゃんが最後に病院に来たのがいつだったか……」
因幡はページをめくり、その日のスケジュールを探していた。
「あの、すこし気になったことが、どうして患者のことをちゃん付けしているんですか?」
「あぁすみません。彼女とはかれこれ五年以上通院しているんです」
「五年ですか?」
堺真魚の年齢は二二歳。その五年前から通院していたとなれば年齢は十七歳になるため、担当医がそう親しみやすく言っていた可能性がある。
逆に言えば自分の身体に敏感になっていた時期でもあり、葉月は午前中、刑事部所で月から聞いていたことを思い出していた。
「精神科というのは目に見えて治るものではありませんし、拒食症は一種のうつ病でもあります。なので本人が治ったと思ったり、仕事が忙しくなって来れなくなったというのもありますね」
「では、彼女と最後にあったのは?」
「ええ。それが……」
因幡は顔を困惑の色に変えた。
「書かれていないということですか?」
そう大宮が聞くと、因幡は素直にうなずいてみせた。
「すみません、そのスケジュール帳をお見せいただけないでしょうか」
「こ、これは他の患者の名前も書かれている。見せるわけには」
「なら病院の受付に問い合わせて、彼女が通院したのがいつだったのかこれから聞きに行きますけど?」
葉月がそうたずねるや、因幡はしかたがないといった表情で、そのスケジュール帳を葉月に渡した。
葉月はそのスケジュール帳を目で追っていく。その中に堺真魚の名前はなかったが……、ところどころに『Liebe』という文字が、カレンダーの日付の横に書かれていた。
「たしかに堺真魚さんの名前は記入されていませんね。ということは今年はまだ来ていなかったということですか?」
葉月はスケジュール帳を大宮にも見せる。大宮も葉月と同様にスケジュール帳に目を通し、堺真魚の名前がないことを確認する。
それと同時に、ひとつの違和感を覚えた。
「ええ。今年どころか去年については一度来たくらいで……社会人になってからは週一だったのが月一、三ヶ月、半年と来る間隔が長くなってきました。去年に至っては一度話をしただけです」
「その時、彼女はなにを?」
「いえ、一人暮らしをやっていて、その世間話をしたくらいでしたね。彼女初めてだったみたいですから、健康管理とかどうしたらいいのかとかね」
「よく覚えていらっしゃいますね」
「診断書にその時のことを書いていますからね」
「拒食症に関しては?」
「すこし食欲を促す薬を服用させてはいますが、いかんせん去年一度来たくらいでしたから現在服用しているとは」
「薬を飲むのはあくまで本人の意思……ということですね」
大宮の問いに、因幡はうなずいて答えた。
大宮と葉月が病院から駐車場へと向かっている時だった。
「あぁ、わかったありがとう。それじゃぁそのまま尾行してくれ」
大宮は電話先の岡崎にそう命じると、電話を切った。
「やっぱり堺將に動きがあったみたいですね」
「事件当日、六月十一日の昼十時前、妹の部屋の前を堺將の車……ホワイトパールのセダンが走っているのを見ている人がいたと、アニラさんから報告をあったそうだ。今、岡崎に尾行のさい、一人になったところで本人に確認をとってくれと命令をした」
大宮は車の運転席に乗り、葉月は後部座席に乗り込んだ。
「それからすこし気になることがあるから、これから堺將の家に行く」
それを聞きながら、葉月はうつむき、黙りこむ。
「どうかしたのかい?」
「今、もっとも怪しいのは兄の堺將です。でも発見されたのは事件があった午後八時、帰宅した隣住民の話で、隣の部屋から悪臭がした」
「そこが不思議なんだ」
「……っ?」
「被害者は死後七時間経っている。そうなると隣住民が帰宅した午後八時ころなら殺されたのは午後十二時から一時になる。だけど今の時期は死体が腐敗しやすいとはいえ、たった七時間でそうなるだろうか」
「外でなら考えられますけど、家の中で発見されていますから……隣部屋の住民はどのような証言を?」
「アニラさんたちからの報告だと、酸味の強い臭いだったと
――酸味?
葉月はそれを聞いて、これまでのことを思い出していた。
被害者の冷蔵庫には一人暮らしにしては多すぎる作りおきされた料理。
犯人はテレビやタンス裏のホコリすら掃除するほどの几帳面かつ臆病な性格。
そして隣人住民の証言による、堺真魚の部屋から漂ってきた酸味の強い臭い。
「警部補、すこしよろしいですか? ちょっと本部に戻ってほしいんです。堺將のご家族に事件当日のことをお聞きしたいのはわかりますが、すこしばかりお時間を」
「なにか気になることでもあったのかい?」
「月さんに聞きたいことがあって、もし私の考えが間違っていないならの話ですが」
「…………それは確実に犯人を特定できることなのかい?」
「それはわかりません。でも気になるんです」
「女性の勘というわけか……」
「あ、いや勘ってわけじゃなくて、確信があるわけじゃないですけど、なにか喉に魚のほねが引っかかったみたいに、取れそうで取れないんです」
「…………っ」
「あ、あの、警部補は私たちの班長です。班長の命令に従うのが部下の勤めでもありますから」
葉月は申し訳ない表情で言った。
「――それで気になることというのは」
「えっ?」
「そんなに驚くことじゃないだろう? 君も事件の解決という意味では幼い頃から手伝ってくれている。犯人を赦せない。そして引っかかることがあるとそれが気になってしかたがない。君も拓蔵さんと同じだということさ」
葉月はバックミラーに映された大宮を見る。
そこに映っていたのは、相手の話をしっかりと聞き入れ、その人の、葉月の目をまっすぐ見ていた。
「わかりました。それじゃぁひとつだけ……私が気になっているのは、堺真魚の部屋の中でお酢がばらまかれていたかです」




