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姦~妖華絢爛~  作者: 乙丑
第四話・否哉
35/67

 波渡崎の取り調べが終わったその日の午後五時、葉月はT大学の前に立っていた。

「…………」

 行き交う学生たちの中、小池が校門を出て行く。

「小池さん」

 葉月はゆったりとした声色で、小池に声をかけた。

「……刑事さん?」

「ちょっといいかしら?」

 そう訊かれ、小池はうなずいた。

「ここではあれだから、近くの公園でもいいかしら?」

「……は、はい」

 小池は周囲を見渡す。同じ大学に通っている人間たちが小池に視線を向けていた。


 公園のベンチに坐ると、葉月はちいさくためいきをついた。

「あの、なにかあったんですか? 宗方先輩を殺した犯人がわかったとか……」

「ええ。こっちは()()()()()()()()()()という証拠が欲しいのだけどね」

「あははは、やっぱり警察は私がやったと思ってるんですね。そりゃぁそうですよ、宗方先輩が殺された時間、私は実験室にいたんですから」

 まるで諦めたような小池の声に、葉月はすこしばかり苛立つ。

「そうやって、やってもいないことを認めるんだ。九年前、万引きで捕まった時も」

「……っ! な、なんでそのことを?」

「ごめんね。私、九年前は少年事件課っていう、少年犯罪を取り調べる部所にいたの。だからあなたのこともある程度は知ってる」

「そうですか……刑事さんも私がやったと思ってるんですね」

「そうは言ってないよ。そもそもやっていないことって言ったよね? 私はあなたがやったとは思っていない。その証拠に、あなたは仲間から見張っているようにと言われ、化粧品売り場の前を見ていた。だけどそんなことをしたって、今は防犯カメラがあるし、万引きGメンだって店を徘徊している。あなた一人が見張っていてもね」

「…………」

「そして真犯人はあなたと合流したのち、あなたのバッグに盗んだ化粧品を忍ばせ、一緒に店を出た。防犯ブザーがなるのは当たり前で、それを問い質された時、あなたはなにもしていないと言った。でもバッグから盗難品が出てくる。身に覚えのないものがね」

「………………」

「さらに当時の警備員や店の店長は、あなたを()()()()犯人だと決めつけていたみたいね。しかもそれを実行した真犯人も、自分たちは商品を見ていてあなたと離れていた。だからあなたがやったところを見ていないと言えばいい――」

「け、刑事さんもそうだと考えているんですか? 私がやったって」

 ジッと葉月を見つめる小池の目を見て、葉月は喉を鳴らす。

 その目は子どもが大人を信用していない蔑んだ眼だった。


「私はあなたがやっていないと信じてる。なにせ防犯カメラに映っているあなたはそこから動いていなかったし、仲間が擦れ違ってる時にあなたのバッグを扱っていたという証拠があったからね」

「だ、だったらそれを証拠として」

「でもね、あなたは……ううん、あなた自身がもっともやってはいけないことをしてしまった。だからこの決定的な証拠も意味がなくなってしまうのよ。たとえあなたがやっていない。知らなかったと後で言ったとしてもね……」

「やってはいけないこと……」

「当時の聴取資料を改めて読んだの。そしたらあなた、『()()()()()()()()』って言ったみたいね」

「――――」

 小池は言葉を失う。周りの大人たちに詰め寄られ、自分がやったと思い込まされ、それから逃げるように嘘を言ったのだ。

「たとえその後にあなたがやっていないという証拠が出ても、警察は犯人が自供したという決定的な嘘の事実があるかぎり、あなたがやっていないということにはできないのよ」

「で、でも私は昔からこんな気持ちの悪い顔だし、犯人と思われてもしかたがないですよ」

「たしかに見た目はそうかもしれないけど、あなた自身は違うよね? 仲間を助けるために嘘を言った……なんてことはないだろうけど」

 小池は葉月の様子を見て、怪訝な表情を見せた。

 先程から葉月はジッと小池を見ており、目をそらさない。

 まっすぐ、相手の目を見て話をしていたからだ。

「け、刑事さんは怖くないんですか? こんな醜い私の顔を見て、気持ち悪いとか死ねとか思わないんですか?」

「どうして?」

「どうしてって……普通考えてこんな顔をした人間が目の前にいたら気持ち悪いじゃないですか?」

「そう? 私は見慣れてるからちっともそう思わないけどね。というか一回見て驚くのは致し方ないことだけど、だからってその人を気持ち悪いとは思わないわ。気持ち悪いって思うのは、人を傷付けているのに、平然とした顔でノウノウと生きている人間よ」

 葉月は小池の肩に両手を置き、自分の額で小池の額に触れた。

 その時に見せた葉月の目は、しっかりと小池を抱きしめている。

「…………」

「ほら、気持ち悪くなんてないし、こうやって触れることだってできる。それに私、ちいさい時から人とは違うなにかをよく見ていたから」

 葉月は小池から顔を離した。

「だからあなたを担当した刑事はこう思ったんじゃないかしら。あなたを犯人にしてしまったのは自分たちだって、事件を早く終わらせたいがために、幼いあなたを犯人としてしまった。あなたが嘘を言っているという決定的な証拠を探そうともせずにね」

 葉月はそう言うと、うしろを振り返った。

 そこには群岡が立っており、震えた表情で小池を見つめている。


「す……」

 群岡は言葉を発しようとしたが、思い留まってしまう。

 いや、彼は言いたいのだ、謝罪を。十年間、小池を苦しめていたことに対して……自分たちの不甲斐なさを認めなければいけない。

「どうして大人って自分がやったことを素直に認めないんですかね? 彼女を苦しめていたのは自分たちだってわかっているのに、たった一言謝るだけなのに、長すぎるんですよ、そのたった一言を言うまでが」

 葉月はあきれた表情でその場を後にする。

 葉月が抜けたことで、その場には群岡と小池だけが残る。

 二人のあいだに何秒もの、いや何時間、何年もの時間が経とうとしていた。

「……すまなかった」

 口火を切ったのは、群岡であった。

「すまなかった璃奈ちゃん。キミを犯人にしてしまったのは、キミを犯人だと決めつけてしまったのはこの私だ。私はキミがやったという、キミが犯人だと自供したことを信じてしまったっ! 決めつけてしまったっ! 店の防犯カメラが、キミがやっていないという証拠があったのに、私はキミの自供や仲間の供述を最優先にしてしまったんだ。許してくれ……許してくれ――」

 群岡は跪き、額を地面に擦りつける。

「刑事さん……遅すぎるんですよ。もっと早くに言ってくれれば……私は――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()のに」

 小池は崩れるように、泣いた。


 それからしばらくして午後六時になろうとしたころ、葉月は稲妻神社に来ていた。

「それじゃぁ、その小池璃奈さんも共犯だったってこと?」

 夕食を御馳走になりながら、その礼として葉月は今回の事件を噛み砕いて瑠璃たちに説明していた。

 その食事には、境内の草むしりで来ていた雅や、その手伝いで一緒に来ている紗姫、そして遊びに来ていた湊も一緒だった。

「彼女は九年前の事件をネタに、宗方から脅されていたみたい。あの時間、つまり彼女が実験室に入ったとき、波渡崎が殺人を実行した。彼女はそれを目撃し、彼を実験室から逃していたみたい。実験室の防犯カメラに映されていたけど部屋の中は真っ暗だった。だけど一回だけなにかが発光したのが見えたの。多分それがスタンガンを通して、銅線に電気が走った証拠だと思う」

 葉月は傷心した表情で言う。まさか嘘が本当だとは、夢にも思っていなかったからだ。

「ひでぇ話ッスね。そういうのを傷に塩を塗るっていうんでしたっけ?」

 雅は憤慨の表情を見せる。

「でも、こうなってしまったのも彼女の心の弱さが招いたことでもありますけどね。葉月から写真を見せてもらいましたし、雅くんはその人に直接会っているようですが、感想はどうでした?」

 瑠璃にそう訊かれ、雅は首をかしげる。

「感想はって、特になにもありませんけど?」

「見た目が気持ち悪いとか、喋りかけたくないとかは?」

「いやいや、そんなのちっともなかったッスよ。成り行きで救急車に同伴しましたし、病院で彼女が点滴を受けている時もずっと一緒にいましたよ。大学で電気工学の実験をしているって話は聞いてましたし、ちょうどオレの母さんが入院している場所だったから、看護師さんたちもオレのこと知ってましたからね」

「彼女……小池さんの連絡先は?」

「いや、彼女は一人暮らしだったみたいで、住所は教えてもらえませんでしたけど」

 葉月はそれを聞いて、すこしばかり顔を俯かせた。

「なにかあったみたいですね」

 瑠璃にそう訊ねられ、葉月はうなずいてみせる。

「群岡さんから聞いたんですが、小池さんは警部補……忠治さんが見に行ったという交通事故の加害者だったんです。被害者が彼女の顔に驚き、道路に背中から飛び出してしまい、それを擦れ違った車のボンネットに引っ掛けてしまい轢き殺されてしまった。彼女は驚いてその場を後にしていますけど、放り捨てた傘が決定的な証拠になったみたいです」

「……そうか、小池さんは店に入ったとき、寒くて声が出なかったんじゃない、怖くて声が震えていて、救急車を呼べなかったんだ」

「人を二人も殺してしまった。偶然とはいえ彼女はそう思ったんでしょうね」

 瑠璃は葉月を見つめる。葉月はちいさくうなずいた。


「あなたたち、すこしいいですか?」

 瑠璃は聖子に視線を向けた。

「実は今回の事件をアニラにも聞いていたんですが、小池璃奈さんの顔のアザや傷は、まだマシなほうだったんだと思いますよ」

「こ、こんな顔なのに、まだマシだって言うの?」

 紗姫が驚いた表情で口を滑らす。

「紗姫さん、いくら冗談でも言っていいことと悪いことがありますよね?」

 隣に坐っている湊が、睨むように言い放つ。

「ご、ごめんなさい。で、でも瑠璃さん、彼女がまだマシだってどういう意味ですか?」

 瑠璃は紗姫の問いかけを答えるように、聖子に「例のものを」と言った。

「でもお母さん。これはさすがにこの子たちには刺激が強いんじゃ」

「だけどこういうこともあることを彼らは知るべきなんですよ。厚顔無恥にはなってほしくないですからね」

 聖子はわかったとうなずき、テレビの電源をつけた。

 そしてインターネットが接続できる状態にして、ある写真を見せた。


 それを見るや、雅と湊、そして紗姫の三人は絶句した。

 そこに映されていたのは、顔の損傷が激しく、いや、もとからそれがないとしか言い様がない、崩れた顔の少女が映された写真だった。

「る、瑠璃さん? これってCG? こんなのほんとうにいるの」

 湊と紗姫は震えた表情で瑠璃を一瞥する。

 その瑠璃はしっかりと湊たちを見つめてうなずいた。

「彼女は実在している少女ですよ。彼女だけでなく、同じように顔の整形が生まれつき整っていない、身体の一部が欠如したり、奇病をもって産まれる乳児が、この世には手にあまるほどいるということです」

 瑠璃は淡々と説明する。雅たちは少女の顔から目を背けたくても背けられなかった。

 このように生まれてくる子どももいる。

 生まれつき顔に、身体に欠点を持って生まれてくる子どもがいる。

 その事実を突きつけられ、なにも言えなかったからだ。

 小池璃奈の顔のアザや病気もそのひとつではないか。

 自分と違うから嘲笑い蔑視する。貶す。虐げる。

 それがどんな、まったくもって無意味な愚行なのだと、雅たちは知らされた。

「このような乳児は遺伝子の突然変異と見られています。今では羊水の時点で染色体の異常を調べることができますが、そんなのができるようになったのは、まだ百年くらい前なんですよ。というかそんなことで宿った命を簡単に捨ててしまう人の気持ちがよくわかりませんけどね」

「でもその子の将来を考えて産まなかったという考えだってあるんじゃ?」

「たしかにそれも一理ありますが、だからといって殺していいということにはならないんですよ。私はあたらしい命が母親の胎内に宿ったという時点で、そこにひとつの命があると思っています。つまりその生命が産まれぬまま堕ろすことも、殺すことと同じ意味を持つんです。産まれた時に死ぬ乳児だっています。でも親に看取られて地獄に流されるのなら、私はそちらのほうがまだ幸せだと思っています」

 瑠璃は秋玲に視線を向けた。

「えっとね、イザナキとイザナミって神様は知ってるかな? その二人が最初に産んだとされる神が『蛭子神(ひるこしん)』っていうんだけど、形がそれこそままならない崩れた状態で産まれたの。哀れに思った二人は、産まれた蛭子神を海に流した。それが次第に七福神の恵比寿として知られるようになったの。漢字では『蛭子(えびす)』とも書くからね」

「インド神である大黒天、毘沙門天、弁天。中国の神である布袋、福禄寿、寿老人、そして日本の神である恵比寿。この七柱の神が集まったものが七福神で、唯一日本の神なのは恵比寿だけですからね。つまり、全知全能の神であろうと、こういった存在は生まれるということなんですよ。今の写真の少女だって、そのひとつの例に過ぎません」

 雅たちは自分たちがどれだけめぐまれているのか。

 今回の事件で、それがどれだけ僥倖(ぎょうこう)なことだったのかを、間接的に知ることとなった。

「当たり前を幸せだと思えないことが不幸なのかもしれませんね。その当たり前を夢見ている人だっているんですから」


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