肆
交通事故の発生と、大宮と葉月、岡崎が事件の相談を瑠璃にしてから二日が経っていた。
「それでは、あの事故は故意によるものだと?」
ちょうど福嗣署近くの公園で、昼食をとっていた大宮は、交通課の群岡に先日の事故について話を聞いていた。
「えぇ、運転手以外にその時間、その道路線を走っていた人や、聞き込みでわかったことなんですけどね、どうも女性が傘も差さずに走っていたのを何人かの運転手が目撃していたそうなんです。それで指紋検出で警察のデータベースを調べましたところ、ある女性が一人浮上してきたんですよ」
群岡はそう言うと、ふところから一枚の紙を取り出した。
「名前は小池璃奈。二十歳というべきでしょうか」
「いうべき? 年齢がわからないんですか?」
「それがどうも、今はマイナンバーがありますから、産婦人科で出産された子どもはそれが割り振られていますよね?」
子どもが生まれて七日までに現住所の役場に届け出をしなければいけないという義務は、この時代でも適用されている。
「それがなかったということは、彼女は他の場所で出産されたということでしょうか?」
「そういうことでしょうな。戸籍上二十歳ということになっていますが、実際の年齢はわからんのです」
それを聞きながら、大宮はジッと小池の顔写真を見ていた。
「被害者とこの女性の接点は?」
「いえ、今のところわかりませんな。それから事件当時、道路の監視カメラを調べましたところ、被害者を轢いた車は時速三十キロだったようです。速度規制をかけられていましたから安全運転していたんでしょう」
「そうなると、やはりこの小池という女性が……」
「おそらく。しかし私は彼女がやったとは思えんのです」
「思えない? それはいったいどういうことですか?」
群岡の言葉に、大宮は首をかしげた。
「実は彼女、このように皮膚が火傷で垂れており、目元にコブのようなものができているでしょう? これはその……両親の虐待によるものなんですよ。実は九年前に一時期少年事件課に所属していましてね。その時に彼女と会っているんです」
群岡は、それこそ大宮から視線を逸らすように遠い目をする。
「彼女は万引きで補導されましてね。十歳というあまりの幼さから親に連絡をしようとしたのですが、連絡が取れんかったのです。いや取れるはずもないでしょう。彼女が教えられた電話番号はデタラメだったんですから」
「……見捨てられていたということですか?」
大宮がそうたずねると、群岡はちいさくうなずいた。
「私は、あの時見せた彼女の目が今でも忘れられません。あの時、私に向けられたあの子の目は、子どもの、無垢な少女の持つ瞳の色などではなかった。あの目は『どうせ小父さんたちも私を虐めるんでしょ?』という、自分たち警察を蔑んだ眼だった」
「その後、彼女は?」
「知り合いの児童相談所に連れて行き、保護施設に預けました。彼女が十八歳ころ、T大学に合格して一人暮らしをしていることを、去年知りましたが、まさかこんなことになっていようとは」
群岡は大宮の隣に腰を下ろすと、頭を抱えるように俯いた。
「大宮警部補、事件についてちょっと話が……群岡さん?」
公園に入り、大宮を探していた葉月が、その隣に群岡がいることに気付くや、すこしばかり驚いた表情を大宮たちに向けた。
「久しぶりじゃな葉月ちゃんや。ほほ、今は刑事じゃったか?」
群岡がそういうように、葉月は以前少年事件課に所属していたため、群岡は葉月の上司であると同時に、教育係でもあった。
「群岡さんもお久しぶりです。今は交通捜査課で班長をなされているようで」
葉月は群岡に対して敬礼する。
「大宮くん、私はすこし失礼するよ。だがもし彼女が犯人だとしたら、私がもうすこし彼女を見ておればよかったのかもしれん」
群岡はスッと立ち上がり、その場を後にした。
それを大宮と葉月はジッと見送っていく。
「……っと、そうだ葉月ちゃん、話というのは?」
そう呼ばれ、葉月はハッとする。
「あ、はい。先日出された瑠璃さんからの宿題ですが、事件当時被害者に恨みを持っていたと思われる三名がわかりました」
葉月は大宮の隣に座り、バッグからタブレットを取り出した。
「一人は山岡和雅、三十二歳。T大学准教授。同大学に勤務している女性教師との不倫をしていたところを、宗方に写真で撮られたことがあったと本人から供述を得ています。ただ彼は事件当時、神奈川の科学シンポジウムに出ていたらしく、午後一時から六時までそちらにいたようです」
「瑠璃さんからは『被害者の死亡推定時刻前後に殺害現場周辺、もしくはその部屋を出入りしていて怪しいとされる人間』という条件が出されている。そこはどうだったんだい?」
「はい。それで調べたところ山岡は午後二時から四時までの二時間のあいだ、席を外しているという証言を、当時そのシンポジウムに参加していた人から得ています。それからその時間、大学にいたという学生が山岡を目撃したという証言も得られました」
「そうか。二人目は?」
葉月はそう言われ、タブレットの画面をスワイプさせる。
「二人目は波渡崎孝和、十八歳。被害者と同じT大学に通う一年生です。彼は去年高校時代、宗方と出会い……その……」
「どうかしたのかい?」
「じょ、女性や少女をナ、ナンパして――」
葉月の言い淀んだ言葉にあきれた大宮は、タブレットの画面を覗きこんだ。
そこには『波渡崎は宗方と共謀し、女性や少女をナンパし、ホテルや自室に連れ込んで、不法AVの撮影をしていた』と表示されている。
「あぁ、そういうことか。恥ずかしいのはわかるけど」
「いえ、恥ずかしいんじゃないんです。こんな卑劣なことをして平然としている犯人のことを考えると、虫酸が走って苛立たしいと想っていただけですから」
葉月の、般若のような表情を見て、大宮は無駄な心配だったかと頭を抱えた。
「事件当時、波渡崎は実験の準備の手伝いで呼ばれていたそうです。大学の防犯カメラでは実験室に波渡崎が入ったのは午後三時となっていますが、出たのはすこしした、午後三時五分頃でした。それからも何度か入っていますが、詳しいことは後で説明します」
「わかった。三人目は……」
大宮がそうたずねた時だった。
「…………先ほど、警部補が群岡さんと話していた女性です」
「――小池璃奈さん……か?」
そう聞き返され、葉月はうなずいてみせる。
「事情はまだわかりませんが、防犯カメラで事件当時前後……被害者の死亡推定時刻前後に実験室の出入りでは彼女がもっとも近いんです。そのあと波渡崎が実験室に入り、慌てた様子で外に出てきています。おそらくその時に遺体を発見したんだと」
葉月はタブレットをスワイプさせ、表計算の画面に変える。
「防犯カメラで午後三時から五時のあいだを調べると、まず先ほど言ったとおり、波渡崎が午後三時から午後三時五分まで、実験室を出入りしていて、それから十分後の午後三時十五分に戻ってきています。それから午後三時二五分頃に山岡が実験室の前を通っていますが、部屋に入った様子はありませんでした。そして午後三時五五分に小池が実験室に入り、午後四時五分に実験室を後にしたまま戻ってきていません。そして午後四時十分に波渡崎が実験室に入り、遺体を発見したということになります」
「そうなると、今のところもっとも怪しいのは小池璃奈さんか……」
大宮はそう考えると、ふと瑠璃の言葉を思い出し首をかしげた。
「それにしても、いったいなんの実験をしていたんだろうか?」
「どうやら、害獣退治用に制作された微弱電流の柵の実験だったようです」
「それって、たしか農作物の周りを囲むようにして建てて、それに電気を流すやつだったな……それなら触れれば感電してしまう」
「近くには五十万ボルトもの電流を流すことができる機械がありますから、犯人はそれを使ったということになりますね。普通はイノシシなどの害獣がそれに触れれば、驚いて逃げてしまいますから」
「あぁ、だがどうも腑に落ちないな」
大宮は首をかしげ、唸るように言う。
「どうして犯人はわざと千枚通しで被害者の胸を刺したんだ? しかもちょっとしか刺していない。それこそ脅しで使ったとしか思えないな」
「被害者の身体には、電気による負傷も外見からは見られませんでしたからね。月さんからの報告では最初に言ったとおり心臓に火傷の痕はなかったみたいです」
葉月が説明をしていると、大宮の携帯が鳴り出す。
大宮はそれを手に取り、確認を取ると、『わかった。その時間に迎えに行くよ』と文字を打ち込み、画面を消すや、携帯をポケットにしまった。
「誰からだったんですか?」
「皐月からだよ。今日は遅くなりそうだから迎えに来て欲しいっていうRineでのメールだ。多分、前から言っていた仕事だろうね」
大宮の言葉に、葉月は首をかしげた。
「仕事? 皐月お姉ちゃん、なにかやってるんですか?」
「湊が高校に入ったあたりから活動を再開したみたいだけどね。皐月は『製菓衛生師』と『パティシエ』の資格を持っているし、僕と結婚してから湊がお腹に宿るまでの二年間は、福岡の製菓衛生師養成施設に通ったり、お店で製菓の手伝いや担当をしていたようだしね。今日の依頼は、どうやらアレルギー体質の子どもにも安心して食べさせられるお菓子の簡単な作り方を教えるそうだ」
「でも皐月お姉ちゃんって人の声が聞こえないのに、よく依頼を受けましたね? たしか湊ちゃんが生まれてからは子育て優先だったし、人の声が聞こえないから、もうやっていないとばかり思ってました」
「いや、唖者用の、打ち込んだ文字の音が出るボイスボードがあるから、それを使ったり、手話をもちいて生徒に説明をしているみたいだし、生徒や助手の声は遊火ちゃんが口伝しているようだから大丈夫みたいだよ」
それを聞いて、葉月は大宮を見遣る。
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ……皐月お姉ちゃんも暇してるんだなぁと思って。いくら扶養家族手当が出ているとはいえ、やっぱり湊ちゃんの学費とか大変でしょうから」
それを聞いて、大宮は頑張って警部に昇格しようかと思ったのだが、
「これ以上偉くなると、盆正月の集まりどころか、家族団欒の食事すらできなくなりそうだからなぁ。それに今でもあまり偉いこと言える立場でもないしね」
と苦笑を浮かべた。




