参
福嗣駅近くのコンビニでは、午後八時を回ろうとしていたが、店の中に人が一人もおらず、それこそ閑古鳥が泣き喚いていた。
「…………ひぃまぁだぁ」
と、店番をしていた雅が、カウンターに手を乗せて項垂れていた。
「まぁ、これだけ雨が降っているとお客さんも来ないだろうね。今日は売上期待できないかも」
上司である栗川がためいきをつきながら、そう雅に声をかける。
「さすがにこれってゲリラ豪雨じゃないッスか? ただでさえ客の出入りが朝と夕方くらいしか期待できないのに、このままじゃ完全に赤字。弁当は賞味期限切れて廃棄処分、いっそのこと安売りしましょう。スーパーみたいに割引したほうがいいッスよ」
「そんなことをすると違反だからね? さすがに店長が捕まっただけでも本社から目をつけられているのに、悪いことをこれ以上やると最悪店を潰されかねないから」
苦笑を浮かべながら、栗川はそう雅に注意する。
「最近だと、またセッチエムマーケットが派閥を広げているみたいだし、うちみたいなのは売上が伸び悩めば、すぐに土地ごと買収されるからね。そこだけはさすがに阻止したいかなぁ」
栗川の言葉が終わると同時に、店の自動ドアが開き、一人の、大学生ほどの女性が店の中に入ってきた。
「らっしゃいま……せ……」
雅がいつもどおりの明るい声で入ってきた客に声をかけたが、入ってきた女性の姿を見るや、言葉を失った。
女性は激しい雨に打たれたようにズブ濡れとなっており、走ってここに来たのだとすぐにわかった。
しかし、その女性の顔を見るや、雅と栗山はさらに言葉を失う。
その顔はまるで何者かに殴られたようにコブができており、火傷で皮膚が爛れていた。
「…………」
その女性は言葉を発するが、まるで息を吸っては吐くだけで、言葉が聞こえない。
「あ、あのお客さま? なにか御用でしょうか?」
「……それより栗川さん、事務所からタオル持ってきてくれないッスか? それと暖かいココアを――代金はオレが払っておきますから」
雅にそう言われ、栗川はすこしためらいながらも、言われたとおり事務所に入って、タオルを持ってくるや、それを女性に渡す。
そしてカウンターに設置されたコーヒーサーバーのココアをタンブラーに注ぎ、それを雅に渡した。
「ほら、ちょっと熱いッスから気をつけてください」
雅は女性の口元にタンブラーの飲み口を持っていく。
女性はそれに自分の唇をゆっくりと近づけ、流れこむココアの暖かく甘い味を喉に通していく。
しばらくして、女性はゆっくりと雅に手を添えた。
「落ち着いたッスか?」
雅にそう訊かれ、女性はうなずいてみせた。
「み、雅くん警察に連絡しましょう」
栗川がそう言うや、女性はハッとした表情で「ま、待ってください」と悲鳴にも近い大声を上げた。
「なにかあったんスか? それにその顔、誰かに襲われたんじゃ?」
「……いいえ、これは元からなの」
雅は栗川に視線を向ける。
「あの、それだったら名前だけでも教えてくれないッスか? ここで会ったがなにかの縁って言うじゃないッスか」
雅の屈託のない笑を見て、女性は呆然とする。
「どうかしたッスか?」
「あ、あなた……私の顔を見てなんとも思わないの? 怖いとか気持ち悪いとか」
女性は震えた声でそう訊ねる。
「そりゃぁちょっとビックリしたッスけど、だからって今はそう思わないッスよ?」
雅は頭にハテナを作るように首をかしげる。
「…………こ」
「『こ』?」
「こ、小池璃奈。それが私の名前、T大医学部の二年生よ」
「T大ッスか? すげぇ頭いいんスね」
「……信じるの? こんな顔でT大に通ってるなんて嘘をついていると思わないの?」
「いや、だからなんでそうなるんスか? 人は見た目で九割判断されるみたいッスけど、だからってその人の人格まで否定することじゃないッスよ」
雅がそう言った時だった。
女性――小池璃奈は、まるで糸が切れた操り人形のように、その場に倒れた。
「ちょ、大丈夫ですか?」
雅は小池の肩を抱き、大声で呼びかける。
「きゅ、救急車」
栗川は店に出るや、公衆電話で一一九をかけた。
この時代において、公衆電話の設置数は今に比べればかなりの数が減らされている。しかしコンビニエンスストアにおいては公衆電話を置くように義務つけられていた。
これはある誘拐事件で、誘拐された少女が犯人の目を盗んで逃げ出し、持っていた小銭を使って、公衆電話から母親に連絡を入れ、無事に保護されたという実例があったからである。
「はい、火事ですか? 救急ですか?」
「救急です。クラインストア福嗣駅前店の中で女性が倒れてしまいまして、気を失っています」
「わかりました、至急向かわせます」
電話先のオペレーターがそう告げ、電話が切られる。
救急車がコンビニ前に到着したのは、連絡してから五分後のことだった。
「……っ」
ゆっくりと小池は目を覚ますと、雅と栗川はホッとした表情で彼女を見下ろす。
「あ、気がついたッスか? 今ちょうど救急車がきたところだから、安静にしていたほうがいいッスよ」
「……救急車?」
小池は雅の顔を覗き、言葉を失った。
そこには、彼女が生まれてからずっと誰にも向けられたことのない、人を心配する表情だった。
「きみ……変わってるね?」
「すみません、救急隊のものですが、患者は?」
救急隊が片手にストレッチャーを持って店に現れる。
「あ、この人です。今気がついたッスけど、まだ頭が混乱してるみたいで」
「わかりました。大丈夫……こ、これはひどい怪我だ。い、いったいここでなにがあったんですか?」
救急隊員の一人が、小池の顔にある醜態を見るやそう言いざるを得なかった。
「いや、多分それとは関係ないみたいッスよ。身体が濡れていたってことは外で雨に濡れて体温が下がって、さらに店に入った時に冷房で体温が急激に下がってヒートショックに近いことが起きたんだと思います。さっきココアを飲ませたんスけど、それで心が落ち着いて、気を失ったんじゃないッスかね」
「なるほど、それじゃぁ同伴の方を、ご家族に連絡をしないといけませんので」
「…………っ」
雅はジッと栗川のほうに目をやった。
「はぁ、わかったわ。もう今日は上がりでいいわよ。ただし今日働いた時間分しか時給はないからね」
栗川はあきれた表情で言う。
「どうせ反対したって、行くでしょうし」
「ありがとうございます。それじゃぁオレが同伴します」
「わかりました。それじゃぁお願いします」
雅は、ストレッチャーに乗せられて運ばれていく小池とともに、店を後にすると、救急車に乗って近くの病院へと緊急搬送されることとなった。
それと擦れ違うかたちというわけではないが、大宮と皐月、湊の家族を乗せた車は、事故現場の近くまで走っていた。
事故が起きたことで道路規制がされており、パトカーのランプが遠く見えているのを大宮と皐月は気付く。
「えっと、この場合は交通事故だから、交通課の担当になるのかな?」
湊は首をかしげながらつぶやく。大宮は車を路端に停めようとしたが、これではさらに渋滞の理由になってしまうため、近くの駐車場に停めた。
「ちょっと見てくるよ。湊、うしろから傘を取ってくれ」
大宮にそう言われ、湊はトランクにある紳士用の大きな傘を取ると、それを大宮に渡した。
「ありがとう。それじゃぁ行ってくるよ」
大宮は車を降りると、事故現場へと向かった。
「遊火、後で詳しいこと聞きたいから、パパさんと一緒に行ってくれない?」
そう言われ、遊火はすこしばかり嫌そうな表情を母娘に見せた。
「どうかしたの?」
「いや、外すごい雨なんですよ? こんなに激しい雨なのに外に出たら水で消化されて消えますよ? 私、火の妖怪ですよ?」
「うん、ようするに行きたくないわけだ」
湊は笑みを浮かべる。だが、その笑みが心から心配してのことではないことに、遊火はすぐ気付いた。
「遊火ぃ、私がちいさい時に稲妻神社で聖子おばちゃんと一緒におばあちゃんが買ってくれたビニールプールで遊んでた時に、遊火が水にかぶったことあったんだけど、ぜんぜん大丈夫だったよねぇ?」
そう言うと、湊はニンマリとした口角を上げる。
「…………んぎゅぅ、わかりましたよ」
遊火は恭順の意を唱えるや、トボトボと窓から飛び出し、大宮のほうへと姿を消した。
大宮が事故現場に訪れると、遺体はすでに救急車で運ばれ、現場では警察による道路規制が行われていた。
「すみません、警視庁福嗣署に所属している大宮と申しますが、すこしよろしいですか?」
大宮は身分証明として、警察手帳を道路整備していた警官に見せた。
「こ、これは大宮警部補どの、ご苦労さまです。しかしなぜ警部補がこちらに? まだ殺人だと連絡はしていませんが?」
応対する警官が驚いた表情で大宮を見遣る。
「まだ殺人として? では殺人という線もあるということですか?」
大宮がそう聞き返した時だった。
「いえ、それがどうも交通事故というわけではないようなんです。状況や被害者を轢いてしまった車の運転手に事情聴取をして、この事故が故意によるものだと判断してから連絡をしようと思っておりました」
うしろから初老の男性が大宮に声をかける。
「あぁ、群岡警部補」
大宮はその初老の男性に向かって頭を下げる。その男は群岡という交通捜査課班長であった。
「しかし、殺人の線もあるというのは?」
「ええ、運転手が供述しているんですが、どうも走っていた時に突然被害者が背中を道路に向けたまま飛び出してきたと」
「たしかに、それはおかしいですね」
「それから現場に傘が出てきたんです」
「……傘、ですか?」
そう聞き返され、群岡はうなずいてみせた。
「婦人向けのようですね。しかしこれだけ雨が降っているとなれば、犯人は逃げるとき邪魔になる傘を捨て去るを得なかったということでしょうな」
「その傘の持ち手に指紋は?」
「それはまだ調べている最中です」
「そうですか、それから被害者の名前はわかりますか?」
「遺体の近くに朽葉高校の指定鞄がありました。その中に生徒証明証も入ってまして、千羽昌平、十六歳。高校二年生のようです」
「わかりました。まだ事故の可能性もありますし、もし殺人という可能性がありましたら謹んでご協力いたします」
「そうですか。いやいや大宮さんのところは優秀らしいですからな。頼りにしておりますよ」
「ですが、こちらも今事件を抱えていますので、あまり協力ができないかもしれませんし、他の班に回るかもしれませんが」
「別にそれでも構いません。やはり餅は餅屋にというじゃないですか」
群岡にそう言われ、大宮は「わかりました」と頭を下げるや、その場を後にした。
「い、いいんですか班長、そこまであの人に話して」
話を聞いていた交通課の警官が、群岡にそうたずねる。
「バッキャロウッ! 人が事故か殺人かで死んでるんだ。もしこれが殺人だとしたら、大宮くんが班長をしている強行犯捜査係に委託捜査しないといけなくなる。だが、彼は可能性があったらと言ったな。つまり、まだどちらにも取れないということだ」
「ど、どういうことですか? 運転手は被害者が背中を道路に向けて飛び出した。となれば、誰かが押したと思うのが筋じゃないですか?」
目を大きくさせながら、戸惑うように部下は聞き返した。
「おいおめぇ、こっちに来るまでのあいだ、道路に速度規制張られていたのを知っているよな? どうしてかわかるか?」
「…………っ! スピードが出たさい、ブレーキをかけた時にかかる地面との摩擦が弱くなってしまい、本来停まるはずの線以上に車が出てしまう」
「そういうことだ。つまり運転手が車のスピードを出していたかどうかだが、被害者が飛び出してきたのを確認している。そしてブレーキを掛けたが間に合わず――」
群岡はそれ以上言わなかった。
運転手の目線から言えば、突然歩道から人が飛び出し、慌ててブレーキを掛けたが間に合わず人を轢いてしまっている。
普通の道路ならば、ギリギリ間に合っていたかもしれない。
だが、雨で濡れた道路はそれ以上に滑るため、思った場所に停まらず轢いてしまう。
これは自動ブレーキが搭載されている車においても、地面との摩擦で起きてしまう現象だった。
「あの傘の所有者を判別させろ。おそらくそいつがなにか知っているかもしれねぇ」




