弐
大宮が稲妻神社を訪ねに来たのは、午後七時をすこし回った頃であった。
「夜分失礼します」
そう言いながら、大宮は居間の障子戸を開ける。
「こんばんわ忠治くん、……っと、葉月と岡崎くんも一緒でしたか?」
瑠璃は、大宮のうしろにいる葉月と岡崎に視線を向けた。
「こんばんわ瑠璃さん。それにみなさん」
「座れる場所あるかなぁ」
秋玲はそう言いながら、うしろを振り替える。そこには湊の濡れていた教科書やノート、靴が置かれている。いちおう乾いてはいるのだが、ほとんどが生乾きだった。
「あぁ、そのままでいいよ。それよりすこし聞きたいことがあるんです。ちょっとテレビを貸してもらえますか?」
そう訊かれ、瑠璃は食事を済ませ、テレビを見ていた聖子と湊を一瞥する。二人はうなずいてみせるや、その場からすこし離れた。
岡崎は「ありがとう」と頭を下げると、持ってきていたタブレットのHDMI出力にコードを繋げ、テレビのHDMI入力に繋げる。
テレビの画面をHDMI画面にかえると、十インチタブレットの画面がテレビに表示された。
「それじゃぁ、これが二日前に見つかった、今俺たちが担当している事件で発見された遺体の写真です」
そう言いながら、岡崎はテレビ画面にその写真を表示させた。
そこには緑色の網があり、それに覆いかぶさったかたちで左胸が焼かれている男性の遺体が横たわっている。
「被害者の名前は宗方冬馬二十歳。職業はT大学に通う大学生です。遺体が発見されたのはその大学の電子実験室。死因はショック死で死亡推定時刻は十五時半から十六時のあいだ。その近くに五十万ボルトほどの高圧電流を発生する機械があって、それが誤作動してしまい亡くなったのだと思います」
「その機械はどこにあったんですか?」
「金網の外にありましたね」
「そうですか。それじゃぁその事件は事故じゃないですね。ほかになにかこれ以外に情報はないんですか?」
瑠璃は一言をそう言うや、お茶で喉を潤す。
「って、それだけ? お母さん、もう少しあるんじゃないの? どうやって被害者を中に入れたのかとか、ドアノブに指紋がなかったのかとか」
あまりにあっけない瑠璃の言葉に、聖子は唖然とする。
「殺人を犯そうとしている人間が、計画性もなしにそんなところで犯行を実行しませんし、ドアノブほどすぐに指紋を検出されるところを見落としているとしたら、警察の目は節穴ですよ? 五十万ボルトほどの強い電力でも、金網の外にあるのなら、その近くにいた被害者になんの影響も与えませんよ」
瑠璃がそう説明するが、皐月以外の全員が目を点にする。
「……あなたたち、学校でなにを習ってきたんですか? 電気は目の前に流れやすいものがあれば、それに流れる性質があるんですよ。つまりこの場合は人間ではなく、金網に電力が吸い込まるんです」
「それじゃぁ、高電圧に当てられたさいのショック死じゃないってこと?」
「そもそも、そんな危ないものをゴム手袋もなしにあつかいませんし、細心の注意を払っているはずです。犯人がそのゴム手袋をハメたままドアノブを触っても指紋は出ないでしょう。岡崎くん、遺体は胸を焼かれているようですが」
「ええ、その胸元を検視したところ、千枚通しで貫かれたものだと思います。遺体が発見された実験室の床に捨ててありました」
それを聞いて、湊は「あれっ?」と怪訝な表情を見せた。
「でも岡崎さん、犯人はそれを使って相手を殺害したのなら、死因はショック死じゃなくて、心臓を貫かれたことになるんじゃ?」
「そこがわからないんだよ。葉月ちゃん説明してくれるかい?」
そう言われ、葉月は自分のバッグからタブレットを取り出し、説明を始めた。
「普通に、ここまでの話を聞いていれば、死因は高圧電流を発生する装置による事故死ではなく、千枚通しで心臓を刺されたことによる出血多量によるショック死だと思うし、私たち警察も最初はそう判断していたのよ。だけど、その問題の千枚通しの先端が、ほんの一ミリの深さにしか血が付着していなかったの。血液反応でもそれ以上の深さに血の付着はされていなかった。そしてなにより心臓にそのような穴などの負傷がなかったことから、体内に電力が大量に流れたことによる心臓停止……ショック死ということになったの」
葉月の説明を聞くや、「ほんの一ミリって、それってちょっと皮を貫いただけで、心臓なんて届いてもいないじゃないの」
と、聖子は葉月に聞き返した。
「司法解剖の結果わかったことなんだけどね、傷はそれ以外になにもなかった。だからちょっと難航しているんだ」
「その千枚通しになにか仕掛けがあったとか?」
「それが千枚通しを調べたところ、そういった細工はされていなかったし、電気を通さないプラスチック製だったの」
「それではその千枚通しはフェイクと考えてもいいですね。他の方法で殺害したと考えたほうがいいかもしれません」
大宮たちが会話をしている中、秋玲と聖子の妖姉妹の声以外は聞こえていない皐月だったが、それを知っている秋玲と聖子がところどころ、噛み砕いて説明していた。
「白蔵主、岡崎さんに遺体で隠れていた金網の部分も写真で見れないかって聞いてくれない?」
皐月に口伝をお願いされ、秋玲はそのことを岡崎にたずねると、それを聞いて、岡崎はタブレットの画面をスライドさせる。
テレビに映っているタブレットの画面は、先ほどとおなじ場面だが、違うところがあるとすれば遺体がない。
そして遺体に隠されていた緑色の金網が、不自然に切れ目を作っている。絶縁コーティングが剥がれていることはそれを見ていた大宮と葉月、岡崎以外の全員がすぐにわかった。
皐月と湊はジッとその画面を凝視する。
「忠治さん、この部分なにか途切れた跡があったんじゃないんですか?」
皐月の言葉を口伝するように、聖子がそれをたずねた。
「途切れた部分か……いや、そのような跡はなかったよ」
大宮の言葉を秋玲が皐月に伝える。
「だけど、これが絶縁コーティングされているものだとしたら、電気はそれに通らず、人に通っていたということになりますね」
「ただ、それだと人が倒れている状態でもなるのかな? もしかすると犯人に千枚通しの先端を向けられて、それが偶然胸をかすって驚いた被害者が倒れた時に、それこそ偶然金網にぶつかったはずみで機械が作動して……」
湊はそう言いながら、次第に自分でも無理があるなと思い、口篭ってしまう。
「あぁ、つまりここまではわかっているけど、犯人がどうやって被害者をショック死にさせたのかがわからないわけですね」
瑠璃にそう訊かれ、大宮と葉月、岡崎の三人は応えるようにうなずいた。
「ならこうしましょう。まず被害者に恨み、もしくはそれに相当する関係を持っていて、被害者の死亡推定時刻前後に殺害現場周辺、もしくはその部屋を出入りしていて怪しいとされる人間をすくなくても三人リストアップすること。二つ目はその金網に電力が通ることの確認をすること。コーディングされたものが剥がれているということは金網に絶縁コーティングがされていたと思って間違いないでしょう。それが剥がれているということは、なにかそれに不自然な切れ込みがあったと思って間違いはないと思います。三つ目にこれは月光菩薩にお願いしてほしいことなのですが、被害者の胸におかしな部分がなかったか。この三つを調べてくれませんか?」
大宮たちは瑠璃の言葉を、ひとつひとつメモしていく。
「わかりました。それじゃぁできるだけ早く調べてきます」
岡崎はテレビにつなげていたコードなどを片付けると、葉月とともに神社をあとにしようとした時だった。
「…………」
「あ、葉月さんちょっと待って、皐月さんが夜食にって」
秋玲は皐月の言葉を聞いて、先ほどもらった『銀チョコ』をふたつ、葉月と岡崎に渡した。
「皐月お姉ちゃんにありがとうって伝えてくれるかな?」
そう葉月は秋玲と聖子、ずっと皆の話をおとなしく聞いていた遊火にお願いしたが、皐月はそれを聞かずとも、葉月の嬉しそうな表情を見て、彼女がなにを言っているのかなんとなくわかるや、応えるように笑を浮かべ返していた。
それからしばらくして、午後八時ごろのことである。雨は相変わらず激しく降り続いていた。大宮家族が乗り込んだ軽の乗用車は、速度制限された道路をゆっくりと走っている。
「…………っ♪」
そんな鬱蒼とした空気を裂くかのように、口を窄めながら、湊はトランペットを持つように手を作り、その音に合わせて、人差し指、中指、薬指を動かしていく。
湊はこうやって、暇な時や、周囲が鬱蒼としている時はこうやってイメージトレーニングを兼ねて演奏をしている。
それこそ、トランペットに初めて触れた小学生のころからの、一種の癖でもあった。
「それってなんの曲だい?」
「えっと、チック・コリアの『スペイン』って曲。今度の定例会の時に一年生だけで演奏するんだよ」
大宮はそれを聞くと、ちょうど信号待ちだったため、wifi機能がついたカーナビで曲のタイトルを検索し、その曲をダウンロードして車内に流し始めた。
「いい曲ですね、皐月さま」
助手席に座っている皐月に、後部座席から座椅子の隙間から顔をのぞかせるように遊火がそうたずねた。
その皐月は目をつむり、その音に浸るような穏やかな表情を浮かべている。
大宮は、そんな皐月を怪訝な表情で見つめた。
「どうかしましたか? 忠治さま」
「いや、こうやって音楽を聞くことはできるみたいだけど、やはり人の声は聞こえないみたいだね。歌手の曲を聞いても、伴奏しか聞こえないようだし」
「でも、この前の定例会で演奏した時、ママさん良かったって褒めてくれたし、あたしからしたら誰ひとり欠けることなく聞いてくれるから嬉しいよ」
運転席の座席に腕を乗せながら、湊は顔を覗かせる。
「あはは、ほら危ないからちゃんと座りなさい」
そう注意をした時だった。
ふと、大宮と湊は助手席に視線を向けると、助手席に座っている皐月が目を険しくさせ、警戒するように周囲を見渡した。
「どうかしたの? ママさん」
「…………」
皐月の声を聞いた遊火は、怪訝な表情を見せる。
「忠治さま、ここから左に曲がったところで救急車とパトカーの音が聞こえたみたいです」
「えっと、ちょっと待って? 雨が強いからそんな音……」
湊が驚懼すると同時に、遠くから、雨音とは違うふたつのサイレンが聞こえ始めた。
「えっと、ウサギかなにか?」
あまりにも感度の良い皐月の聴覚に、健常者である湊と大宮は思わず驚いた表情で皐月を見やった。
「…………」
「忠治さま、一度見に行ってみましょう。たとえ管轄外だとしても、行くのと行かないのでは、後味が悪いほうは選びませんし」
遊火がそうたずねると、大宮はちいさくうなずいてみせた。
どうせ警官である以上は、なにか事件があったかもしれないという、本職の悩ましい種でもあったのだが。
車は角を左に曲がる。二重のサイレンが鳴り響く薄闇へと。




