漆
福嗣駅の改札口の頭上に、ちいさなモニターが設置されており、その画面には『淡舞線直毘駅行一八時二四分発』と表記されている。
「…………っ」
その画面を、大宮は不安げな表情で見つめながら、ある人物を待っていた。
「しかし、そんなことは可能なのだろうか……」
「今、こちらが持っているカードを照らしても、彼の推理はなにも否定ができませんね。駅のホームと入口の防犯カメラで調べましたが、人が多くて、こちらとしてはその人物を見つけることができませんでしたし、なによりその人物以外の利用者全員が線路上の遺体や騒動で意識がそちらに向いてしまっている。そうなると犯人はその人の波を泳いで逃げればいいわけですから」
一緒に来ていた葉月が、そう口をはさむ。
「福嗣町は、私が幼いころから田舎町とは言われていますし、今もそれは変わらないのですが、どうも企業にしてみるとどういうわけかいい環境らしくて、十五年前から頻繁に新ビルが建っては、その会社が繁栄しているらしいですし、そこに務める会社員で駅の利用者は年々増えているそうです」
「……ははは、なにが原因なのかはまぁ気付かないほうがいいかなぁ。彼女の本来の力を考えるとね」
葉月の言葉に、大宮は苦笑を浮かべるしかなかった。
その原因となったものに、大宮と葉月は心当たりがあったからだ。
「しかし雅くんの推考はすこし無理があるとも言えますね。いや一人を除外いてはそれを知らなかったといえるでしょうけど」
岡崎は改札を潜っていく乗客を、目で、それこそ右往左往するように追っていく。
「うむ、その考えが解答だったとしても、これは正気の沙汰ではないことはたしかだ。そもそも最初からおかしいことだったのかもしれないな。娘の目の前で父親が自殺したこと自体が――」
「だけど、彼女がそれを知らなかったと言われてしまっては、彼の考えを否定されることは間違いないですし、こちらも彼を殺した犯人を見つけられていない以上、これはある意味賭けですよ」
岡崎同様、行き交う乗客を目で追いかけていた葉月は、険しい表情で一点を見つめなおした。
「――――いました……」
葉月の言葉を合図に、大宮たち三人は、外から駅のホールに入ろうとしている松阪と乃川咲楽に近寄った。
「キミたち、すこしいいかな?」
葉月は過去の経験から、松阪と乃川をできるだけ刺激しないように、柔らかい声色で声をかけた。
「あ、この前の刑事さんだ。こんにちわ」
そう頭を下げる松阪とは対照的に、隣にいる咲楽はそれを避けるように視線を逸らした。
もちろん、それに気付かなければ、刑事部になどいられるはずもなく、葉月は当然のこと、大宮と岡崎も咲楽の仕草を見逃すことはない。
「えっとね、すこし詳しく聞きたいことがあって、事件があったあの日、君たちのうしろに誰かいたんじゃないかな?」
「誰かって、私のお父さんがいたって、あの時説明しましたよね?」
咲楽が信じられないと言った口調で、葉月に詰め寄る。
「うん、乃川さんの証言は信じたいよ。でもね、警察はあの時の様子を防犯カメラで見ているの。あなた達が並んでいた様子も見つけることはできた」
葉月の言葉に、咲楽は小さく笑みを浮かべる。
「それなら……」
「でもね、あなたたちのうしろに並んでいたのは、本当にお父さんだったの?」
「――……えっ?」
咲楽は唖然とした表情を見せる。
「詳しくは説明しなかったけど、あの時帽子を被っていたのなら、頭上からしか映っていない防犯カメラでは、顔までは判別できなかった。それに……松阪くん、キミはあの時、自分のうしろに乃川さんのお父さんがいたことには気付いていたの?」
「き……」
松阪は言葉を淀ませる。
「き、気付いてましたよ? 嫌だなぁ刑事さん、俺だってこいつとは長い付き合いで、家族同士の付き合いもあるんだ。いくら今は他人でも知り合いの顔を間違えるなんてことはないよ」
葉月はその言葉を聞くや、ちいさく笑みを浮かべた。
その時の表情に、咲楽はちいさく笑みを浮かべる。葉月の目の奥から覗き見える漆黒の闇に、なにもかもか、たったひとつの失言だけですべてが見透かされたような気がしてならなかった。
「松阪くん、キミは事件が遭った当日、私が事件当時のことを聞いた時、キミは乃川さんのお父さんが並んでいたことを、本当に気付いていなかったんじゃないの?」
「あ、あれから思い出したんですよ。あの時たしかにおば――小父さんがいたんです」
松阪はアッと口を手で塞ぐ。
「そうか……妙に、私たちですら見つけられなかったのに、事件があった晩に乃川さんのお父さんが帰ってきたという法螺を吹いたのは、あの遺体が父親だと先に証明し、死んだはずの人間が帰ってきたみたいな証言をしたのね」
「け、刑事さんなにを言ってるんですか? ちょっと頭がオカシイですよ? あの時たしかに父は愛用しているコートを着用して、身を投げ出したんです」
咲楽の言葉を聞いて、葉月は険しい表情を見せた。
「乃川さん、私たち警察は、乃川光彦さんが線路に落ちるところを誰も気付かなかった。つまり誰も見ていなかったという証言を得ているのよ。それはつまりあなたたちも含まれている。それなのにどうして身を投げだしたなんていえるのかしら?」
「で、ですから……」
乃川は震えた表情を浮かべ、葉月を怯えた表情で見据える。
葉月はその表情に、彼女は父親を殺したくなかったのだろうと思った。
「あ、あのさぁ刑事さん、さっきから咲楽を責めているみたいに見えるんだけど、小父さんは自分から列車に轢かれて自殺したんだ。こいつが殺したってわけじゃないだろ? 偶然だったんだ。偶然……俺たちが帰る時間に小父さんが列車に轢かれた。それでいいじゃないか。警察だって自殺ってことにすれば、他の事件の調査ができるんじゃないか? ただひとつの事件にそこまで固執することないんじゃないか?」
松阪は、咲楽を自分のうしろへと引っ込めるや、葉月にそう詰め寄った。
「そうね。これがただ列車に轢かれた自殺として処理できるなら、そもそも私たちみたいな強行犯捜査係が呼ばれることなんてなかった。だけど呼ばれたということはこれは他殺だと考えてもいいんじゃないかと思うわ。それにね松阪くん、警察を侮らないでくれる? ひとつの事件に固執したっていいのよ。その事件を解決しないと死ねないなんて刑事を、私は何人も見てきているから」
葉月はそれこそ、二人の嘘を食らうような目で言い返した。
「それにね、誰から見ても今回の事件が自殺だったとしても、それに気付いていて、なおかつそれを止めようとすらしなかったのなら、それはね、殺人と大差ないのよ」
そう言いながら、葉月はゆっくりとうしろへと下がった。
「済まないね。すこしキミの……乃川咲楽さんのことを調べさせてもらった。そこでキミは餌になっていたようだね。痴漢行為をする男を捕まえて、その男性からお金を巻き上げて脅迫するという。その被害者をキミがやっていたんだ」
大宮はゆっくりと咲楽を見遣る。咲楽の視線は外方を向いており、目が泳いでいる。
「ちょ、ちょと待ってくれよ、いったいなんの話だ? こいつが餌だって? 痴漢ってのは偶然じゃないのか?」
松阪が大宮に食って掛かる。
「たしかに普通なら偶然でも片付けられる。だけどね松阪くん、彼女のお父さんは訴えてきた女子高生とは真逆のドアにいたんだ。それなのに、なぜ彼が痴漢行為で捕まったのか……それは、乃川さんが痴漢に遭っていたことを、被害者である女子高生が見ていた。そして乃川光彦が電車に出た瞬間、彼を捕まえ痴漢だと云えばいい。彼は痴漢をしたという事実は間違っていないが、彼を捕まえた女子高生が、自分が被害者だと云えば、みなそう思ってしまう」
「だけど、あなたはただ遊びのつもりだった。自分の父親だと知っていても、餌に釣られた大きな魚を逃してはならないと思い我慢した。だけど乃川光彦は、自分の子どもだと気付いていても、痴漢行為をやめようとしなかった」
葉月の言葉を聞くや、松阪は咲楽を、それこそ恐ろしいものを見る目で見つめる。
「おい、好い加減にしろよ? どうしてそんなことがわかるんだよ?」
「あなたは自分の父親が痴漢で捕まり、その裁判で有罪になったとしても、出所するまでの期間はせいぜい短い。なら無罪放免で開放されたあとに起きてもおかしくないと恐れていたのは、父親からの報復だった。裁判の判決が下ったのは五月十一日。その翌日に自殺するとなれば、世間はやはり痴漢の罪に苛まれて自殺したという見解になる。あなたとお母さんが見ていたとしても、世間は乃川光彦は自殺したという印象しか残らないわ…………」
「あ、あなたに、なにが……痴漢に遭ったことないくせに、どうしてそんなわかったような目で喋ってるのよ?」
今度は咲楽が葉月を詰め寄るようにたずね返した。
髪を乱し、それこそ般若の面を被ったように憤怒の表情で葉月を睨みつけるが、葉月はそれすら恐ろしくないと言った淡々とした表情を見せている。
「あいにくこれまで痴漢に遭ったことはないわ。私、高校を卒業するまでずっとこの町で暮らしていたし、福嗣高校は目と鼻の先みたいなものだったからね。だけど、私はあなたみたいに犯罪を犯している少年少女をいっぱい見てきた。あなたみたいに痴漢を捏ち上げて小金を得ようとしている子たちもいっぱい見てきたわ」
「そ、それならわかるんじゃないですか? 痴漢は卑劣な行為ですよ? 被害者もそれが知られたくなくて黙りこんでしまう。それこそ犯人の思う壺じゃないですか?」
「……たしかに痴漢は立派な犯罪よ。だけどね、痴漢はあくまで軽犯罪。それを脅迫してお金を取ろうとしている脅迫罪のほうが罪は重いのよ。それこそ人を殺しかねない、いいえその家族を一生痴漢をした人間の家族というレッテルを貼ることになるの。あなたはゲームかなにかをするような感覚でやっていたんだろうけど」
咲楽は、目の前にいる葉月を、それこそ獰猛な獣に食われる小動物のように震えた表情を見せた。
……その時、車の音が聞こえ、咲楽はパッと踵を返し、その場から逃げ出す。「お、おいっ!」
岡崎が咲楽の後を追いかけ、その場には大宮と葉月、松阪が残された。
岡崎が駅を出ると、駐車場前に一台の車が停まっており、後座席のドアが開けられている。
その車に咲楽が乗り込もうとしていた。
「ま、待てっ!」
岡崎が叫ぶと同時に、車のドアは閉められ、逃げるように発進しようとした時だった。
プスンという、なにかが途切れた音が聞こえ、車の中にいた咲楽と……運転をしているその母親はギョッとした表情を浮かべる。
「ま、ママはやくっ! 早くしないと」
「わ、わかってるわ。だけど……エンジンがかからない?」
慌てた表情で母親はエンジンをかけ直したが、エンジンがかかる気配も、音もしなくなったことに、恐ろしいものを見たように顔を青褪めさせた。
「っと、さすがにここまでやって逃げようっていうのは無理な話じゃないッスか」
車の正面から声が聞こえ、車の中の母娘はギョッとする。
そこには険しい表情を見せている雅と、紗姫の姿があった。
「お、桜野……くん?」
「く、くそっ! なんでよっ! なんでかからないのよぉっ!」
咲楽の母親が必死の表情で、エンジンを掛けようと躍起になっていたが、
「いくらエンジンをかけてもムリッスよ。ちょっとエンジンの電気回路をショートさせたんで、安全装置が作動してエンジンがかからないようにしてるッスから」
と雅が説明する。
「そ、そんなこと……咲楽っ! あなただけでも逃げなさいっ!」
「それは無理な相談だな」
追いついた岡崎が車のドアごしでそう告げる。
「もう逃げることはできないぞっ! おとなしく捕まってくれ。そうすれば――」
「はっ? なにを言っているの。夫は自殺した。それで十分じゃない。それに私は娘を迎えに来た。その行為は間違っていないわ」
咲楽の母親は笑みを浮かべる。
「なぁ小母さん、こんな言葉知ってるか? 『親の背を見て子は育つ』ってやつ」
雅がそうたずねるや、咲楽の母親は歪んだ笑みを浮かべた。
「知ってるわそれくらい。これでもよい母親として貫き通してきたからね。この子がなにをやってきたのか知っているのなら、遠くまで逃してやるのが……」
咲楽の母親が言葉を終えるより前に、雅は握りしめた拳で、誰もいない助手席の車窓を叩き割ろうとした。
だが、分厚い窓ガラスはヒビが入っただけで、全体が割れたというわけではない。
しかし、狂気に満ちた咲楽の母親を黙らせるには、十分すぎるほどの効果があった。
「好い加減にしろよ。子どもの悪いところを認めて、それを正してやるのも親の役目じゃないのか? あんたはそれを知っていて、乃川光彦さんがやったことも全部なかったことにして、その場から逃げようとしてるだけじゃねぇか? それも、あろうことかその人を見殺しにして、娘に痴漢に遭ったことと父親を殺してしまったという罪悪感を一生植え付けさせて……、それが母親のやる行為かよっ?」
雅はもう一発、拳を窓ガラスに放った。ガラスには二重のヒビと血で汚れていく。
「み、雅くんやめないかっ!」
その行為に居た堪れなくなり、岡崎が雅の行為をうしろから羽交い絞めするように制止した。
「乃川さん、あなたが今回の事件を計画したんですね」
「…………」
「だんまりか……、いや当然の行動だろうな。しかし雅くん、キミはどこで気付いた。というかなぜ今回のことを知っている?」
「事件自体はクラスで松阪が話していましたし、それに昨日の放課後、皐月さんたちから偶然聞いたんスよ。あ、皐月さんたちはべつに悪くないッスからね。ほんと偶然なんスから」
雅が必死になって弁解する。
「いや分かっているよ。俺も皐月ちゃんのことは知っているからな。彼女が考えなしに、事件のことを人に言うほどバカじゃないのは知っているしね」
岡崎は苦笑を浮かべつつも、雅を見据えた。
「あれ? 岡崎さん? それに雅先輩」
聞き覚えのある声が聞こえ、雅と紗姫、岡崎の三人はそちらに視線を向けた。
そこには制服姿の湊が、不思議なものをみたように首をかしげて、雅たちを見ていた。
「っと、岡崎さんだっけ? 一応後は頼んだ。さすがに目の前で同級生が捕まるのは見てられないだろ? 大宮さんのことはこっちにまかせてさ」
雅にそう耳打ちされ、岡崎は「……わかった」とうなずいた。
それを確認すると、雅と紗姫はその場から離れるように、湊のところへと足を向けた。
「よう、大宮さん、今帰りか?」
ちいさく手を挙げながら、雅はちいさく笑みを浮かべる。
「えっ? あ、はい。部活が終わって稲妻神社に寄っていたんです」
「稲妻神社って、瑠璃さんのところか?」
「はい。雅先輩も瑠璃さんのこと知っていたんですね」
「まぁ、ちょっと色々あってな」
湊は、ふと雅の横にいる紗姫に視線を向けた。
「ところで雅先輩、隣にいる女の子は?」
雅に訊いている湊の目には敵意で満ちていた。
「あら? 私の名前は夢蔵紗姫。あなたと同じ一年生よ」
「はぁ、それにしても無駄に大きい……」
そう言いながら、湊は視線を紗姫の胸元に向けた。
「あら? そんなに珍しい? そうよね、こんなに綺麗な半球体なんて滅多にお目にかかれないものねぇ?」
「はぁっ? 胸が大きいと頭が幼いってよく言うけど本当なのかしらね? なんでそんなことで自慢気に喋れるわけ? これくらいが日本人女子高生として十分なんですけど?」
カチンときた湊が、張り合うように胸を張った。
「これでもDはあるんですからね」
「ふふん、そんなのいくらでも言えるわ。どう見たって、あなた身長は一五八で、上から八三、五八で……」
紗姫は言葉を止めた。それくらいのサイズならDカップになるからである。
「ふふん、間違ってないわよねぇ?」
勝ち誇った表情を浮かべながら、湊は鼻で笑う。
「ば、バカな……、どう見てもCにしか見えないのに、私の審美眼が間違っているというの?」
二人のしょうもない張り合いを横で見ていた雅と遊火は、ただただあきれた表情を浮かべるしかなかった。
「あのさぁ、遊火だっけ? キミの主って普段からあんななのか?」
「あ、いえ、私の本来の主は皐月さまですが、まぁ、本来は湊さまも結構負けず嫌いなところがありますからね……って、えっ?」
雅に聞かれた遊火は、素直にそう返答をした時、雅が自分のことが見えていることに気付き驚いた。
「あ、そうだ。ちょっとそこの日本人形みたいな子っ! あんたもなんか言いなさいよっ! どう見てもあんたの奏者は胸のサイズ偽ってるわよ」
紗姫に指を刺され、遊火は彼女も自分が見えていることに、二重で驚く。
「ふぇぁっ? そ、それはないかと思いますけど」
「そんなわけないでしょ? 遊火、あんた火の玉が集まってその姿になってるんでしょ? だったらおっぱいのところに火の玉を集めて、この乳袋より大きくして見返しなさい」
「ふぁぁふぅっ? ちょ、ちょっとなに言ってるんですか?」
湊と紗姫の口喧嘩の、それこそ飛び火を食らった遊火は思わず、
「……そんなのしませんよ。というか、胸が大きかろうと小さかろうと、そんなの見た目の問題であって、その人をからかったりすることじゃないですよね? というか、公の、大衆の面前で、そういうアホらしくてつまんないケンカをしないでくれませんかねぇっ!」
と怒り狂った表情で言い返した。
「ご、ごめんなさい」
そのあまりの迫力に、湊と紗姫は思わず縮こまるように謝った。




