伍
「あの、ちょっとよろしいですかぁ」
翌日の昼休み、二年四組の教室を、カッターシャツの生地を押し上げるほどに胸が隆起している女子生徒が覗きこんでいる。
「うぉ、可愛いな。ねぇきみ、どうかしたの?」
その女子生徒に気付いた二年四組の男子生徒が、彼女に声をかけた。
「あ、あの……桜野雅さんはいらっしゃいますでしょうか?」
「桜野……あぁ雅のことか。あいつだったら今先生の手伝いで教室にいないよ」
「そうですか。待っていれば戻ってきますかね?」
「どうかな。昼飯食べてすぐに行ったし、他にも手伝いに呼ばれてそうだから、昼休みに戻ってこないんじゃないか?」
そう言われ、女子生徒は首をかしげる。
「あの、どうしてそんなに? 断ればいいんじゃないんですか?」
「いやまぁ、雅がそういう困った人をほっとけない性格だからじゃないかな。まぁ放課後に校門で待っていたらどうだい? たしか今日はバイト休みだろうから」
「……わかりました」
女子生徒はうなずいてみせると、その場を後にした。
「あ、雅、ちょっといいか?」
先ほど、二年四組の教室に訪れていた女子生徒と擦れ違うかたちで、教室に戻ってきた雅に、クラスメイトが声をかけた。
「さっき一年の女の子がお前がいないかって聞きに来たんだけど」
「……一年? 名前は?」
「あぁ、そういえば聞いてなかったなぁ。まぁ放課後運が良かったら校門で会えるかもしれないって言っといたから」
クラスメイトは両手を合わせて雅に謝る。
「一年ねぇ……、なんか特徴的なことってわからないか? 一年だけじゃ抽象的すぎて」
「えっとかなり可愛かったぞ。それに胸がだいぶデカかった。あれは三桁近くいってるんじゃないか」
クラスメイトはクククと下衆な笑い声を浮かべる。
「お前自重しろな。だけど……あれ? どっかでそういう子に会った記憶が」
雅は首をかしげる。
「おい、雅。こっちに来て手伝ってくれ」
廊下の奥から教師の呼びかけが聞こえ、雅はクラスメイトに一言挨拶を交わすと、教師のほうへと駆けて行った。
「桜野先輩っ!」
放課後、校門を潜ろうとしていた雅を、一年の女子生徒が呼び止めた。昼休み二年四組を訪ねに来ていた女子生徒である。
「…………やっぱりか」
「やっぱりって、どうかしたんですか?」
女子生徒は小首をかしげ、雅を見つめる。
「いや、きみの容姿を聞いて、昨日の放課後、あの教室で会った子じゃないかなって思ったんだよ。部活は休みなのか」
「あぁ、あの部活ですか? この学校ってかならず部活にはいらないといけないじゃないですか。だからチョコチョコっと……はいいとして、それだったら桜野先輩はどうしてバイトなんてしてるんです? たしか余程の事情がない以上はバイトは禁止になっていると思うんですけど」
「あぁ、ちょっとな。校長や生徒指導の先生に許可はもらっているから心配しなくてもいいよ。今日はバイト休みだからのんびり帰れる」
「それでしたら、途中まで一緒に帰っていいですか?」
女子生徒はそう言うや、雅の腕を抱きしめる。
「別にいいけどさ……」
「あれ? もしかして胸の柔らかい感触に言葉も出ませんか?」
女子生徒はクスクスと笑みを浮かべる。
「いやそうじゃなくて、さっきからオレのこと桜野先輩って言ってるなぁと思って」
「はて? なにかおかしいですか?」
「桜野じゃなくて、桜野。人をたずねるなら名前くらい確認しておけ」
「そういえば、教室を訪ねに行った時に、クラスの人が一瞬首をかしげてましたけど、ややこしい名前ですね」
「ははは、それはオレも思うわ」
雅は含み笑いを浮かべる。
「それで、きみの名前は?」
「よくぞ聞いてくれました。私の名前は夢蔵紗姫。一年四組です」
女子生徒――夢蔵紗姫は、雅の腕から手を放すと、胸を強調するように自己紹介した。
「誕生日は十二月二四日のクリスマスイブ。身長は一五七センチで、スリーサイズは上から九三、五四……」
「いやいや、そこまで聞いてないから」
雅は彼女の可愛らしさと、それを裏切るかのように制服の胸元は風船が入っているんじゃないかと言えるほど隆起しているため、それだけでも男を魅了してるんじゃないかと思った。
「昨日、スクブスがなんとか言っていたけど、ああいうことしないといけないのか? たしかあれって、男の夢に出て精を食べるんだろ?」
「あぁ、やっぱりそういうみだらなことを想像してる。私はあんまりそういうことができないというか、恥ずかしいというか」
それであんな、催眠効果のある香煙を相手に吸わせて魅了していたんだなと雅は思った。
「それじゃぁ、オレを囲っていた男子生徒も?」
「催眠で私になにか危険なことがあったら、その人を半殺しにするくらいのことはするようにってしていたんだけど、それより前に桜野……あ、いや、桜野先輩が電気で気絶させるから」
「まぁ死なない程度だから気にするな」
雅がカカカと笑う。それを見て、紗姫は「はぁ」と呆けた表情を浮かべた。
雅と紗姫の二人が、福嗣高校を一緒に出てからしばらく歩いてた時だった。
「あれ? 雅くんじゃない。今帰り?」
声が聞こえ、雅はそちらに目をやる。
そこには買い物袋を手に持った皐月の姿があり、雅と隣にいる紗姫を見据えていた。
「……誰? この小母さん」
紗姫が警戒するように、皐月を睨みつける。
「小母さんって、まぁ十六歳の娘がいればそう呼ばれても……あれ?」
皐月はギョッとした表情で雅と紗姫を見なおした。
「えっと、雅くんもそうだけど、あなたも私の声が聞こえるの?」
「なに言ってるの? 頭おかしいんじゃ?」
紗姫が怪訝な表情で皐月を見る。
「お前なぁ、目上の人に失礼だろ? まぁオレも、この前コンビニで会った時にちょっと気にはなっていたけど」
雅が皐月を凝視しようとした時だった。
「ふーん、なるほどねぇ……最近妙に男どもが変な夢を見てるっていう報告を聞いてたけど、そういうことか」
雅たちの頭上から声が聞こえるや、雅と紗姫はギョッとした表情で空を見上げた。
そこには十二神将の一人である子神の毘羯羅が、あきれた表情で雅たちを見下ろしていた。
「毘羯羅、なんか用事?」
「いや用事ってわけじゃないけど、そこの小娘……」
毘羯羅は睨むように紗姫を見据える。
「な、なに? この女の子? 空飛んでる?」
紗姫は震えた表情で毘羯羅を見る。
「毘羯羅が視えてるってことは、雅くんとあなたはどうも人とは違うものが視えてるってことになるのかな?」
皐月がそうたずねると、雅と紗姫は首をかしげた。
「あぁ、まぁ……雅はねぇ――、それよりそこの小娘」
「小娘って、私は夢蔵紗姫。れっきとしたスクブスの血を持った誇り高き血族の娘。小娘なんて言われるほどちんちくりんじゃないわ」
「スクブスって外国の妖怪で、男を魅了する妖怪よね? そのわりには雅くん平然としているようだけど」
皐月からツッコまれ、紗姫はウグゥとたじろぐ。
「いや、オレもそれは思ったんスよ。なんで自分の力で男を魅了しないのかなって。昨日だって催眠効果のある香炉を使っていたみたいだし」
雅は怪訝な表情で紗姫を見据える。
「……もしかして、あんた――出来損ない?」
毘羯羅があきれた表情で紗姫を見るや、
「毘羯羅、そういうこと言わないの。もしかしたら事情があるかもしれないじゃない」
皐月が険しい表情で毘羯羅を叱る。
「……ぐずぅ、そりゃぁ私だって、あんな方法で男を魅了したって、ちっとも嬉しくなんてないわよ。結局人間ができることと大差ないから夢魔の一族でも出来損ないだって言われてもしようがないし。でもどうしてか男を魅了できないというより、そういうのにアレルギーがあるというか」
紗姫は顔を俯かせ、愚図るように言葉を発した。
「あぁもう、毘羯羅ァ」
皐月は、それこそ食いかかるように毘羯羅を睨んだ。
「わ、私のせい? スクブスなのにそんなことできないってのは致命傷に近いわよ? 日本でも似たような事ができる妖怪もいるし」
「スクブスは人の夢に現れて、エッチな夢を見せるんでしょ? 日本の妖怪にそんなのがいたっけかなぁ? 夢を食べるって言うなら獏で、悪夢を見せるのは反枕くらいだし」
皐月は首をかしげ、毘羯羅を見遣る。
「もしかして、仙狸じゃないッスか? なんかの本で神通力を持った猫が美男美女に化けて、人間の精気を食べるとかなんとか」
雅がそう説明するや、「正解」と毘羯羅は笑みを浮かべた。
「……はて? 仙狸って、仙人の狸って書くのよね? なんでそれが猫の話になるの?」
紗姫は首をかしげるようにつぶやく。
「元々、狸という文字は中国から伝来して、むこうでは山猫を意味していたの。だけど日本ではあまり山猫というより、猫自体が珍しい動物だったからね。だから里によく出ていたタヌキを当てていたみたいよ」
毘羯羅の言葉に皐月たちは、「へぇ~っ」と関心した。
「それはいいとして、毘羯羅、あんたさっき、最近男の人たちが変な夢を見てるって言っていたけど」
「あぁ、福嗣町を巡回している私の夜叉たちが人間たちの会話を耳にしてね、ここ数日のあいだ、みだらな夢を見たなんて野郎が多いらしいのよ。それでちょっと気になってココらへんでそういう力を持っている妖怪がいないかって思ってね」
毘羯羅はそう説明するや、紗姫を見据える。
「で、彼女はそのスクブスやインキュバスといった夢魔の力を持っている一族の人間だってのがわかって、帰りを尾行しようと思ったんだけど、様子を見る限り彼女の仕業じゃないのはたしかね。勘が外れるようじゃ私も歳かしら」
そう言いながら、毘羯羅は肩を落とすようにためいきをつく。
「いやいや、あんた腐っても神仏でしょうが、てか年取らないでしょ?」
皐月のツッコミに、毘羯羅は苦笑を浮かべた。
「まぁ、内容は人それぞれだから、ただの欲求不満の中で見た淫夢だろうとは思うけど、そんな頻繁に、しかも福嗣町周辺の人間が見てるっていうのは妙な話でしょ?」
「たしかに聞けば聞くほど妙な話ッスね」
「そうじゃなくても、昨日起きた福嗣駅での人身事故で、月光菩薩さまの夜叉から協力してくれって頼まれてるし」
毘羯羅はためいきをつくように肩を落とした。
「で、ちょっとその被害者である乃川光彦に関して面白いことがわかってね」
「乃川光彦……それって、私のお姉ちゃんが担当していた事件の被疑者だ」
紗姫が驚いた表情を浮かべる。
「だけど、たしかお姉ちゃんの話だと被害者である女子高生の狂言で、乃川光彦は誰かに陥れられたって聞いたけど」
「誰かに? それはわからないのか?」
雅がそうたずねるや、紗姫は首を横に振った。
「お姉ちゃんは検事だから、詳しいことは家族でも教えてもらえないの。守秘義務があるから」
「でも乃川光彦って人は無罪で釈放されたんだろ? 自殺するとは思えねぇけど」
雅は首をかしげ、毘羯羅を見据える。
「いくら冤罪とはいえ痴漢で捕まったという世間の見解は揺るがないし、世間の目を気にするなっていうのは無理な話だけど、だからって娘の前で死ぬなんてことしないでしょ」
それを聞いて、「娘って、乃川……もしかして乃川咲楽のことか?」
と、雅はぎょっとした表情で毘羯羅を見る。
「知ってるの?」
「知ってるっていうか、オレのクラスメイトの彼女なんですよ」
皐月の問いかけに、雅は答えた。
「毘羯羅、その事件、忠治さんたちも交通捜査課の人と調べているって言ってた――」
「あ、あの……その忠治って人は刑事さんなんですか? というかいくら恋人でも事件のことを話すのはどうかと思いますけど」
皐月の言葉を、紗姫が途中で止めるようにたずねる。
「あぁ、大丈夫大丈夫。この子、中学生くらいの頃から、そういうのに関わってるから。てか、忠治ってのはこの子の旦那さんだからね」
と、毘羯羅は皐月を指さしながら、クククと笑みを浮かべた。
「毘羯羅、まだ妖怪の仕業って決まったわけじゃないでしょ?」
皐月はジッと雅と紗姫を見据えた。
「それで雅くん、その乃川咲楽さんについてなにか妙な話は聞かないかな?」
「そうッスね。今朝聞いた話だと、乃川さんのお父さんは帰ってきたって、松阪が言っていたのを、教室で耳にしたッスね」
雅は頭をかくように、その時のことを説明する。
「毘羯羅、月さんは被害者のDNAを調べているのよね?」
「ええ。ただ轢き殺された死体と、遺族が提出した髪の毛のDNAが一致しているから、やはり遺体は――っ! ねぇ雅だっけ? あんた、その松阪って子の口から乃川光彦が生きているって聞いたのよね? それを第三者は知っているの?」
毘羯羅が一驚を喫したように、詰め寄った表情で雅にたずねた。
「……第三者?」
紗姫は、首をかしげるように毘羯羅を一瞥する。
「この場合、クラスにいた人間というわけじゃなくて、乃川光彦が生きていることを、その松阪って子と、娘の乃川咲楽の家族以外の人間が知っているかってことよ」
「いや、そこまでは知らないッスけど……」
雅は怪訝な表情で毘羯羅を見据える。
「……まさか、DNAのサンプルを提出したのは本人以外で、本人自身が警察署に来ていない?」
「雅の話を聞く限りだと、そうとも考えられるわね。警視庁にいる波夷羅やアニラの話だと、そのことを葉月と岡崎が調べているみたいだけどね」
「このことをあの子に言ったほうがいいかしら?」
「言わなくてもいいんじゃない。人間を隠すのにも限度があるし、乃川光彦が務めていた会社を調べれば来ていないってことで、あの子が不審に思ってより深くまで調べるだろうから」
毘羯羅はさぞ興味のない表情で、皐月に言葉を返した。
「いや、それはちょっとむずかしいんじゃないでしょうか?」
紗姫の言葉に、毘羯羅は片眉をしかめる。
「いくら冤罪でも、痴漢で捕まったという事実は変わりませんよね? そうなると、会社的には世間の目を気にして、その乃川光彦を馘首にしていてもおかしくはないと思いますよ」
「たしかに、あなたの言うとおりね」
皐月と毘羯羅は、紗姫の言葉に同意する。
「オレもそれには賛同するけど、てか夢蔵さん、最初と口調が変わってないか?」
と雅に指摘され、紗姫はちいさく口角を上げた。
「目上の人には最低限の敬愛をですよ。雅先輩。それから夢蔵じゃなくて、紗姫って呼んでください」




