肆
「うっす、おはよう」
翌月曜(五月十四日)の朝のことである。
福嗣高校二年四組の教室に松阪が入ってくるや、「おう、松阪、この前は大変だったみたいだな」と渡山が彼に声をかけてきた。
「あっ? あぁまぁ、小父さんは無事だったみたいだけどな」
「無事? どういうことだ?」
渡山は怪訝な表情で松阪を見る。
「あぁ、ちょうど咲楽と夕食を食い終えた時、親父さんから連絡があってさ、その時に聞いたんだけど、咲楽と一緒に帰ろうって連絡があったのは確かなんだけど、そのあとすぐに携帯の電池が切れていたみたいでさ、小父さん会社の同僚に捕まってすこしばかり飲みに行ったんだ。家に帰ってきたのは夜の九時くらいでさ、その時咲楽がひぃひぃ泣いちゃって……」
「もう、そんな事まで言わなくてもいいよ」
と、松阪のうしろにいた乃川が頬をふくらませながら、松阪の脇腹を摘んだ。
「いてて、ごめんごめん」
「まぁ、小父さんが無事だったからいいじゃないか。最悪目の前に人が死ぬなんてことがあったら、いくら他人でもトラウマものだからなぁ」
「う、うん……そうだね。お父さんが生きていてよかったよ」
乃川はうつむくようにつぶやく。
「耀くん、それじゃぁまたあとでね」
そう言うと、乃川は自分の、二年三組に戻っていった。
「で、結局身元がわからない……と?」
鑑識課に呼ばれた大宮と葉月は、怪訝な表情で月からの報告を聞いていた。
「いや、一応身元がわかったといえるのだけど、どうもその女の子の証言に引っかかりがあってねぇ」
「自分の父親を見間違えるなんてこと、よほど顔が変わっていない以上は間違えないでしょうからね」
「乃川さんから連絡をもらって、彼女のお父さんが帰ってきていますから、あの遺体は違うということになりますけど」
葉月は月を一瞥する。
「いや……だから身元がわかったのだけど、わからないみたいな状況なのよ」
「えっと、だからどういうことなんですか?」
「一応、その乃川咲楽さんの父親である乃川光彦さんの髪の毛とか、DNA検出におけるサンプルをもらって検べてみたんだけどね」
「別人だったんですよね? そうじゃないと彼女の父親が帰ってくるというわけないですし」
「その真逆……一致しているのよ」
月の険しい表情を見て、彼女が嘘を言っているとは思わなかったが、
「えっ…………?」
と、大宮と葉月は、狐につままれたような表情で、月を見返した。
「さすがに、いくら私が薬師如来さまの従者である月光菩薩だとしても、こんなこと人間の世界でありえるとは想っていないわよ。同じ人間が生きていて、死んでいるんだから」
「乃川光彦が双子だった可能性は?」
大宮は葉月を一瞥する。
「乃川さんから帰りの際に色々と聞いてみましたけど、そのようなことは言っていませんでした」
「そうなると、あの遺体はいったい誰になるんだろうか」
大宮は腕を組みながら、項垂れるように頭を抱える。
「それで、差し出がましいことで申し訳ないんだけどね。その乃川光彦についてちょっと葉月ちゃんに調べてほしいことがあるのよ。最終的な判断はチームリーダーである忠治くんに決めてもらって欲しいけど」
「私に調べてほしいこと……ですか?」
葉月は自分を指さしながら月にたずねた。
「実はその乃川光彦という男性、私の夜叉に調べてもらったところ、別件で警察にしょっ引かれていたのよ」
「警察に? いったいなにをしたんですか?」
「まぁ、この事件に関しては先日裁判で逆転無罪になったみたいだけどね」
それを聞くや、大宮は、はてどこかで似たようなことを聞いたようなと、首をひねった。
「その事件は、三ヶ月前、満員電車の中で起きた痴漢……」
「もしかして、夢蔵はるかが担当したってテレビで言っていた?」
大宮が月の言葉を遮るようにたずねた。
「えっ? ええ、その時の被疑者であり被害者だったのが乃川光彦だったのよ」
「はて、夢蔵はるか?」
葉月は誰だろうかと首をかしげる。「……もしかして知らない?」
月にそう訊かれ、葉月は素直にうなずいた。
「今は一人暮らしですから、部屋に帰っても、担当している事件の整理とかしないといけなくて、気付いたら寝てますし、テレビを見る余裕もないですよ。たまに瑠璃さんたちの様子を見に稲妻神社に行くことはありますけど」
葉月が申し訳ない表情で大宮たちに話す。
「まぁ、なにか捜査に進展があるかもしれないから、岡崎と一緒に乃川光彦を調べてみてくれ」
上司に命令され、葉月は「了解しました」とうなずいてみせた。
その日の放課後のことである。
「おーい雅っ!」
教室を出て帰ろうとしていた雅を、渡山が呼び止める。
「なんだよ? これからバイトで早く帰らないといけないのに」
「あぁ、時間は取らねぇよ。ただちょっと付き合って欲しいんだ。ほら部活棟の二階奥にちょっとした部活動をしているの聞いたことないか? 占術を研究しているみたいなんだが、どうも男子に人気らしいんだよ」
「占いって、あまり信頼していないんだけどな」
「俺もそうだけどさ、まぁ男子が人気ってのに引っかからないか?」
「……わかった」
興味が無いとは言えなかった雅は、そのまま渡山と一緒に、その部活動が行われている教室に向かうことにした。
その教室の前には一年から三年の男子生徒が並んでおり、それを見るや、雅は思わず「部活は?」とツッコミを入れてしまう。
「あれ? 雅先輩?」
うしろから声が聞こえ、雅はそちらに振り向く。
そこにはトランペットの楽器ケースを抱えながら、階段を上ろうとしている湊の姿があった。
「あぁ、大宮さんか。今から部活か?」
「あ、いえ、早く移動しないといけない時があるから、楽器ケースを持って階段を駆け足で昇り降りしてるんですよ。そういう雅先輩がどうしてこんなところに? バイトじゃないんですか?」
「いや、俺はこいつの付き沿い」
そう言いながら、雅は隣にいる渡山を指さす。
「まぁ、あたしはあまり占いとか信じてないので……希望さんの場合は恐ろしいくらいに当たるから信頼はできるけど」
と湊は口にした。
「湊ぉ、早くしないと先輩に怒られるよ」
登り階段の踊場から、同じ部の女子生徒から声をかけられ、湊は雅たちに頭を下げると、階段を急いで駆け上がっていった。
「次の方どうぞ……」
それからしばらくして、ようやく雅と渡山の番になり、教室のドアが開いた。
「失礼します」
教室を覗くと、中は薄暗く、窓はカーテンで締め切られている。
その中心に机がひとつ、ぽつんと置かれているだけで、その机に一人の女子生徒が座っている。
その女子生徒は胸元を強調したシスターのような服装をしていた。シスターという聖職を思わせる服装から打って変わって、その未熟ながらも熟れた身体である。
それに伴って胸元が開けられてたデザインであり、そこから胸の谷間が除き見えていた。
――なるほど、男子に人気だっていうのはこういうことか。
雅はそれを見て、あきれた表情を浮かべながら教室を見渡すと、四隅に顔を隠した男子生徒が立っているのがわかった。
「若し、そこに殿方」
女子生徒がそうたずねるや、「俺かい?」と渡山が自分を指さしてたずねる。
「いえ、あなたではなく、隣の友人です。先ほど妙なものを見たような表情をしていましたが」
女子生徒は雅を指さしながら、そうたずねた。
「あぁ、ここが男子に人気があるっていうのは、要するにあなたの服装を見たいがために来ているんだなって思ってね」
「おい、この人の占いは結構あたるって評判なんだぜ?」
渡山が食いかかるように雅を糾弾する。
「あぁ、ごめんごめん。まぁ聞くだけね。それにこれからバイトだからあまり時間ないんだわ」
「わかりました。では手短に――」
そう言うや、女子生徒はテーブルの上に置かれている水晶球に手をかざした。
「それでは渡山櫂先輩、この水晶球をジッと見つめてください」
「あれ? 俺、自己紹介したっけか?」
「私くらいになれば人の名前を訊かずとも知ることはできるのです」
そういうものかねと、渡山は女子生徒と対面するように椅子に座った。
そして水晶球をジッと見つめ始めた。
「それではゆっくりと深呼吸をし、頭になにを聞きたいかを思い浮かべてください」
言われた通り、渡山は深呼吸をし、占って欲しいことを思い浮かべる。
その時、不意に雅の鼻をなにかが擽った。
「なるほど、彼女がほしい……と?」
「えっ? ええ……そうです。どうしてわかったんですか?」
女子生徒の言葉に、渡山は驚きを隠せず戸惑う。
「あなたの頭のなかを覗き見たのです。なるほど自分より年下がいいと」
「えっ、ええっとそうですね」
「では、この札を枕の横にでもおいてください。きっと素敵な出会いがあるでしょう。ですが占いの内容は他言無用でお願いします。もし人に言ってしまっては、その出会いも半減してしまうでしょう」
女子生徒は、胸の谷間から短冊を一枚取り出し、それを渡山に渡した。その時の動作に目を奪われていた渡山であったが、雅はその動作もなにか裏があるんじゃないかと、警戒した表情で女子生徒を見ていた。
「それでは次の方、こちらへ」
「別に占ってもらうことはないよ。それに……さっきから変な臭いがするんだけど、換気はちゃんとしといたほうがいいよ」
雅にそう指摘され、女子生徒と、その教室にいた何人かが怪訝な表情を浮かべる。
「はて、なんのことでしょうか?」
女子生徒は雅を見据える。
「催眠効果のある香煙といったところかな。相手の頭をボーっとさせて判断を鈍らせる。それに君の胸に注意が行くようにしてるのも目に見えてる」
「い、いったいなんのことを?」
女子生徒が戸惑った声をあげるや、雅は机の下を覗き込み、女子生徒のスカートをまくり上げた。
「――――きゃっ?」
その動作に驚いた女子生徒は、ちいさく悲鳴をあげる。
女子生徒の足元にはちいさな香炉があり、そこから紫煙がのぼっている。
「あぁ、あったあった。占い師より、アロマセラピストにでもなったほうがいいんじゃないか? においで人をリラックスさせるとかさ」
雅は香炉を手に取り、机の上に置くと、その香炉の火を揉み消した。
「あ、あなた……なんてことを?」
「言っとくけどさ、占いっていうのはあくまで助言であって、指示じゃないよな?」
「た、たしかにそうだけど……」
女子生徒はパチンッと指を鳴らした。
その合図に、四隅にいた男子生徒が雅を囲みはじめた。
「このことが他の人に知られたらいけないからね。あなたたち、この人を口がきけないよう……に――」
女子生徒は言葉を失う。
雅を囲っていた男子生徒たちが、一斉に身体を崩すように倒れたのである。
「えっと? あれ……?」
女子生徒は怯えた表情で雅を見遣る。
「あぁ、気にしなくてもいいよ。ちょっと電気を流して気絶させただけだからさ」
雅はそう言うと、女子生徒に近付く。
「あなたはこの教室に入ってから、香炉の煙を大量に吸っているわ。思考もままならないはず。それなのになんでなにも起きないの?」
「オレ、自分の体内の電気を操ることができてるんだけどさ、催眠効果って鼻とか口から入った煙が脳に作用するだろうと思って、それが脳に行かないように電気でショートさせてたんだわ」
有り得ないと女子生徒は思い、逃げるように立ち上がり、雅から逃げようとしたが、スカートの裾が思ったよりも長く、それに足を取られてしまい、派手に転倒した。
「あうぅ……」
「おい、大丈夫か」
雅が声をかけると、女子生徒は雅の方に身体をくねらせた時だった。
その時、女子生徒の足が雅の足を払ってしまい、それに反応できなかった雅は、女子生徒を覆いかぶさるように倒れてしまった。
「いててて……」
雅は頭を抱えながら、不意に柔らかい感触が手にあったことに気づく。
「と、ごめんな。痛かっただろ?」
雅は女子生徒から降りると、平然とした表情でそう言った。
「…………」
女子生徒は言葉を失い、ワナワナと肩を震わせる。雅に胸を触られたことにたいして驚いたというよりは、その態度に驚いたのだ。
「あ、あなた……人の胸に触っておいてなんとも思わないの?」
「故意に触ったことになんで驚く必要がある? そりゃぁ悪いとは思うけどさ」
その言葉に、女子生徒はさらに言葉を失った。
「く、屈辱だわ。本当だったら香炉なんて使わなくても、男なんていくらでも魅力して利用することができるのに」
「じゃぁ、そうすりゃぁいいんじゃないか?」
「それができれば苦労しないわよ。あぁもう、ママやお姉ちゃんみたいに簡単に男を魅了できれば苦労しないわ」
女子生徒がワンワンと泣き喚きはじめてしまい、さすがに雅も戸惑いを隠せないでいる。
「あのさぁ、さっきから男を魅了させるとか、いったいどういう? 君がやっているのは占いだろ?」
「占いなんてただの口実よ。私はスクブスとして……あっ!」
女子生徒は口を手で塞ぐ。
「スクブス? ってたしか男の夢に出てきて、みだらな夢を見せる――」
「み、みだら……へ、変なこと想像してないでしょうね? そういえばさっきから胸ばかり見ているけど、もしかして女性の胸に興味があるの? そうよねぇ、男は大きな胸が好きだものねぇ」
女子生徒はそう言うと、胸を持ち上げて強調するような仕草をする。
「いやいや、オレは別にそういうのに興味ないわけじゃないけど、もしかしたら小さいのが好きな人だっているわけで、男が全部巨乳好きってわけでもないだろ?」
「きょ、許容範囲が広すぎない?」
女子生徒はあきれた表情を浮かべる。
「きみが狭すぎるだけだって。まぁ、このことは別に他言しないから心配するな。そもそも占いに指図されるほど人生諦めてないから」
そう言うと、雅は教室を出て行き、教室には渡山と、倒れている男子生徒四人。そして女子生徒の姿だけが残った。
「な、なによ……あの人――」
女子生徒は怪訝な表情で雅が出て行った教室のドアを睨みつける。
――香炉はスクブスの特製品よ。どんな人間だって一発で私の言葉に惑わさせるはず。それなのになんであの人には効かなかったの。
女子生徒は、机の引き出しに隠していた紙切れを取り出し、ジッと見つめる。
そこには名前が記されており、今日占いをしていた男子生徒の名前が並べられている。渡山の下に雅の名前があった。
「二年四組……桜野雅か……」
女子生徒は、雅の名前をつぶやくや、ちいさく笑みを浮かべた。
「決めたわ。彼を魅了させて、私のお婿さんにしてみせる」




