参
「はぁ…………」
と、大宮はためいきをつきながら、福嗣駅のホールへとやってきていた。
「大宮警部補、どうかしましたか?」
その様子を、部下である葉月がキョトンとした表情でたずねる。
「いやね、今朝、湊に電車とか駅で起きた事件において、僕の立場を説明していたんだ」
駅構内を担当する警察隊。いわゆる鉄道警察隊は主にスリや痴漢、車内暴力などを取り締まるため、人身事故などは他の担当している部所が担当するのだが、その当時の状況見聞などは鉄道警察隊と協力して捜査をおこなっている。
「まぁ私たちみたいに強行犯を担当する強行犯捜査係は、それこそ殺人が起きない以上は呼ばれませんからね。でも機捜の話では被害者が線路に落ちたことすら誰も気付かなかったみたいですよ」
葉月がそう説明すると、大宮は首をかしげた。
「誰も気付かなかった? いくら夕方のラッシュで人が多いとはいえ、人が線路に落ちようとしていたんだ。気付かないわけがないよ。一人くらいはいたんじゃないかい?」
「いえ、それがまったく、その事故が起きた時間、午後六時頃は夕方の帰宅ラッシュだったので目撃証言も多いとは思ったのですが、まったく誰一人、人が落ちたことに気付いた人はいなかったんですよ。気付いた時は線路上に轢死体があったそうですから」
初動をしていた警官の一人が、そう大宮に報せる。
「それから電車の運転手からの証言ですが、まるでいきなり現れたと言っていたんです」
「それはホームから人が線路に落ちるタイミングを考えれば……あっ!」
大宮はまさかと言った表情で、報せに来た警官と葉月を見る。
「そのまさかです。被害者は電車が停まる線のところから轢かれていたということになります」
警官の言葉に、大宮と葉月は眉をしかめた。
よっぱらいや視覚障害を持った人が誤って線路に落ちれば、それに気付いた人が警報ベルを鳴らしたり、監視カメラで観ていた駅員がそれに気付けば、監視室からその駅に到着する、しいては落ちた線路を走っている電車に連絡が行く。
踏切でなにかしらトラブル(遮断棒が落ちる時に踏切内で人が転んだり、自転車のタイヤが隙間に食われたりなど)があれば、それに気付いた人が警報ベルを鳴らして、往来する列車の運転手に連絡が行く。そのため、ある程度の距離をもってセンサーを設置されている。
よく踏切近くに駅がある場合、踏切の遮断時間がながいと言われているが、これは他に走る列車(この場合はそこに停まらない快速など)が往来する場合を考えて、あえて長くしている。
悪戯で遮断棒が折り曲げられていたのだが、(その時の遮断棒は竹製のものだった)それが車両に刺さったまま走行していたことを、数駅走った後に気付いたという事件が実際に起きている。
もしこれが脱線するほどのことでないにしろ、結果的には列車往来危険罪として処罰される。
今回の事件において、被害者が突然現れたとなれば、自殺とも取れるのだが、なにせ田舎町とはいえ夕方ラッシュ時は学生や周辺の会社に勤務している会社員などでごった返している中で起きた人身事故であるため、場合によっては、被害者が背中を押されたことによる他殺事件とも考えられる。
「しかし、なにもこんな人が多い時間で自殺なんてしなくてもいいんですがね」
岡崎と駅周辺をうかがいに行っていた飯塚が、愚痴るようにつぶやく。
「飯塚巡査長、場を弁えてくれませんか? 目の前で人が死ぬなんてこと、本当ならあってはいけないんですよ。中には今回の事件がキッカケでトラウマになった人だっているんですから」
葉月は蔑視するように飯塚を睨んだ。
「あぁそうね。まぁ私は人の死体なんてよく見ていたから、顔がぐちゃぐちゃになったり、四肢が引き千切られている轢死体なんてよく見てるけど、実際普通の人はそんなこと一生にあるかないかでしょうからね」
葉月の忠告を、飯塚はさぞ気にしていない表情で言い返す。
「飯塚刑事……それで被害者の身元は判別できたのかい?」
「ええ。まぁ――身元を証明できるものはありませんでしたけど」
飯塚の言葉に、葉月は首をかしげる。
「岡崎さん、どういうことですか?」
「あぁ、鉄道警察隊の人たちの話では、遺体はなにも持っていなかったんだ」
「なにも持っていなかったのに、どうして被害者の身元が? あの遺体は私も見ましたが、顔の皮が裂かれていて、身元がわかるとは思えませんが」
「あぁ、だけど……その被害者のご家族が偶然、その時間駅のホームにいたんだよ」
岡崎はうしろの、立入禁止を示すテープの外側に視線を向ける。
そこには福嗣高校の制服を着た男女の一組の姿があった。――松阪と乃川である。
「あの二人が?」
「あぁ、どうやら被害者は女の子の父親だったようだ。名前は乃川光彦、四三歳で福嗣町の企業ビルに勤務していて、帰りの時間が偶然娘と重なったらしいな」
葉月は岡崎からの報せを耳にすると、その松阪たちのところへと近寄った。
「キミたち、すこしいいかな?」
葉月が声をかけると、松阪と乃川は怯えた表情で葉月を見る。
「えっと、被害者のお父さんは女の子のほうだって聞いたから」
葉月は松阪と乃川を交互に見渡すと、「あ、私の父です」と、乃川が手を挙げた。
「えっと名前を教えてくれるかな? あと隣にいる彼氏くんの名前もね」
「えっと乃川咲楽と言います。福嗣高校二年三組です」
「松阪耀司って言います。同じく福嗣高校二年四組です」
二人の自己紹介を聞いた葉月は、すこしばかり自分の中で気になったことを二人から訊くことにした。
「おなじ学校だけど、帰りが一緒だったのは待ち合わせとかしていたの?」
「いえ、俺……いや僕と彼女はおなじ野球部に所属してまして、僕は二年レギュラーを目指していて、彼女はそのマネージャーをしているんです」
「別に私が警官だからって、かしこまらなくてもいいよ。彼女って可愛いけど、おなじ部活をやってると、他の人から結構妬まれたりするんじゃない?」
「いや、彼女とは中学から付き合っていて、その時もマネージャーだったんです。だから結構周りに識られていて、あんまりそれを言われたことはないですね。それに彼女は俺だけじゃなくて他の部員のことにも気配りができてますし」
「それじゃぁ、二人は部活が終わって、そのまま駅に来たの?」
「いえ、実は耀くんのお母さんとお父さん、仕事で帰りがいつも遅いんです。小母さんがよく作り溜めしている料理があるんですけど、今日は朝から忙しくて、それを作る余裕がなかったみたいで、代わりに私が晩御飯を作ることにしたんですよ」
葉月は、そう説明している乃川が手に持っている買い物袋を一瞥した。
「さっき、あの妙に胡散臭い女性刑事にも見られたと思うけど、もう一度その買い物袋を小母さんにも見せてくれるかな?」
そう言われ、乃川は手に持った買い物袋を葉月に渡した。
中身を確認すると、ハンバーグを作るという前途の言葉どおり、材料である、牛と豚の合挽肉、玉ねぎ一個、ナツメグ、付け合わせのニンジン三本と、パン粉が入っている。
「ありゃ? 卵とかは?」
「あぁ、うちの近所に養鶏場があって、そこでよく卵をもらったりしてるんですよ。昔からの付き合いだし、帰りに寄ろうかなって」
「なるほど。ありがとうね」
葉月は買い物袋を乃川に返す。
「それじゃぁ、ここからが本題なんだけど、事件当時あなたたち二人は被害者を見ているの?」
「…………っ」
松阪と乃川が急に黙りこんでしまったため、葉月は怪訝な表情を浮かべる。
「た、たしかに見ました。というより私たちのうしろに並んでいたんです。父だというのは雰囲気で分かりましたし、間違えるはずがないんです」
乃川はそう言うと、自分のスマホを弄るや、その画面を葉月に見せる。
そこにはメール画面が表示されており、『さくらの顔が見えたので一緒に帰ろう』という内容だった。
「さすがに偶然だったし、耀くんとは小学生のころからの付き合い……あ、いえ、これは友達としてで、恋人になったのは高校に上がるくらいの時でして」
あたふたとする乃川のいじらしさに、葉月は思わず苦笑する。
「いいよ。話を続けて」
「えっとですね、それでメールで『お父さんは一人で帰って』って返したんです。もちろん一緒に帰ってもいいんですけど」
「なんだ、あの時見てたメールって、そんな内容だったのか。俺は別に気にしないぜ。小父さんと一緒に帰っても」
松阪が肩を上げる仕草を見せる。
「そ、そうだけど……、さすがに高校生にもなって父親と、それも彼氏が一緒なのに帰るっていうのは」
乃川が照れ隠しをするかのように愚痴をこぼす。
「ねぇ、お父さんは乃川さんたちのうしろに並んでいたんだよね? キミたちはちゃんとドアが正面に来る場所で並んでいたってことだよね?」
「え、ええ。だから――おかしいんです」
乃川は恐ろしいものを見たように、青褪めた表情を見せる。
「キミたちがちゃんと列に並んでいたとなれば、そのうしろに並んでいた乃川さんのお父さんがいなくなることを彼女が気付かなかったということはないと思う。そうなると、お父さんは気付かれないように列から出ていた。だけどこれにもおかしな点がある」
「どういうことだい?」
葉月の隣に来た大宮が、そう葉月に声をかける。
「列車が駅のホームに来るなら、並んでいる人の視線は線路のほうに向けられます。そして被害者は列車が来た時にホームから飛び降りているということは、彼女たちじゃなくても誰かが被害者を見ているということになるんです。そうじゃなくても、黄色い線の外側に立っていれば、誰でも危険だって思いますよね?」
「まぁ、たしかにそうだが、報告では突然――そういうことか」
大宮はアッと声を上げる。
「ええ。被害者が乃川さんの父親だとしたら、彼女が父親が離れたことに気付かないとは思えない。つまりあの遺体はお父さんじゃないってことにもなり得るんです」
「えっ? でもあの時、死体を見てしまったんですが、父がよく着ているコートだったんです。たしかヴィエルジェの紳士用だったと思います。父がよく愛用していたものですし、背格好だって父でしたから」
「ヴィ、ヴィエルジェだって?」
乃川の言葉に、大宮と葉月はギョッとする。
「……ねぇ、乃川さん、もしかしてだけど――お父さんと連絡は取れてる?」
「――えっ?」
「僕たちが鉄道警察隊に聞いたところによると、身元がわかるようなものを被害者は所有していなかったんだ。つまり携帯も持っていないということになる」
「それじゃ、あの遺体は父じゃないと?」
「可能性としてはだけどね」
「でも、さっきからもしかしてと思って連絡を取ろうとしているんですが」
「いっこうに捕まらないということだね」
大宮がそうたずねると、乃川は震えながらうなずいた。
「列車の運行もそろそろ再開するみたいだし、彼女たちはこのまま私が一緒に連れて帰ります」
「あ、あの……別にそこまでしなくても」
「あぁ、被害者遺族になにかあったらいけないし、松阪くん、キミの両親は帰りが遅いって言っていたよね?」
「えっ? はい、そうですけど」
松阪が首をかしげる。
「そうなると、家ではキミたち二人しかいないってことになるよね?」
「……って、別にそんなことしませんよ。そうじゃなくても今日の部活で疲れてるし、宿題も提出しないといけないんですから」
葉月がなにを言いたいのかがわかるや、松阪と乃川は慌てた表情で否定する。
「別にキミたちが真剣に付き合っているならとやかく言わないけどね。さすがに学問優先の学生が、なんの覚悟もなしにそういうことしてるのは、小母さんはあまり観心しないかな」
葉月は笑みを浮かべる。だがその表情に松阪と乃川は言い返せなかった。
「あ、あの……なんでそんなことを?」
「うーん、まぁ私もいちおうは女だからさ、乃川さんの雰囲気とか、二人が付き合っている期間を考えると、そういうことがあってもまぁ、おかしくないかなって思っただけだよ」
葉月の言葉に、乃川は「はぁ」と腑抜けた表情を浮かべてしまう。
「ほら、電車も来たみたいだし、家の近くまでだから」
そう言われ、松阪と乃川は仕方ないと言った表情で、葉月と一緒に帰ることに決めた。
「そういうことですので、大宮警部補、彼女たちを家に届けてから署に戻りますね」
「了解。岡崎たちにもそう伝えておくよ」
大宮の了解を得ると、葉月は松阪とともに、列車に乗って直毘駅のある囘町まで向かい、二人を無事に松阪の家まで送り届けた。
「うーん」
それからしばらくして、時刻は午後十時をすこし回った頃、大宮は自宅のリビングで項垂れたように、テーブルに座っていた。
「『遺体の身元がわからない……と?』」
遊火を通じて、大宮の正面に座っている皐月がそう訊ねる。
「あぁ、今月さんたちがDNA鑑定で身元を調べてる。それに被害者の家族と思われる女子高生の証言から、被害者は一緒に並んでいたらしいんだが」
「気付いたら轢死体になって発見されていた……?」
遊火が首をかしげる。
「それに、今回も被害者は連絡手段となるものを持っていないんだよ」
「『轢死体で身体の損傷が激しいとなれば、身元がわかるものがないと警察は不便ですからね。だけど、そうなると遺族も連絡ができないわけですから、なにかあったんじゃないかって思うんじゃ?』」
「いや、それがそういう報告を受けていないんだ。それに……」
「『それ以外になにかあったんですか? 今朝、湊に偶然とはいえ駅で起きた事件での忠治さんの立場を説明した矢先でしたからね』」
遊火を通じて聞いた、皐月の問いかけに対して、
「それは偶然だとしか言えないけどね。ほら、僕のチームに岡崎の他には葉月ちゃんと……飯塚カスミという巡査長がいるだろ? その飯塚カスミ巡査長の言葉がどうもひっかかっていてね」
と、大宮は返答した。
「『彼女がどうかしたんですか?』」
「飯塚巡査長が今回の事件を自殺と考えているんだけど、その時に自殺だったにしろ他殺だったにしろ、目の前で人が死ぬなんてことがあったら、それを見ていた人にトラウマを与えることだってあるって葉月ちゃんが注意してね」
「『あぁ、あの子もなんだかんだで、私と同じくらい結構事件に巻き込まれてますからね。忠治さんたちが頻繁に死体の写真を見せに来ていたから、遺体の損傷に対しては耐性がついちゃったというかなんというか』」
「僕も葉月ちゃんの言葉には同意するんだけど、その時に飯塚巡査長は人の死体なんてよく見ていたって云っていたんだよ」
「刑事部にいるんですから、特に間違ってはいないのでは?」
遊火がそうたずねたが、大宮はそれを否定するように首を振った。
「飯塚巡査長が刑事部に所属するようになったのは二年前の話だ。その間に殺人事件があったにしても、殺人事件でない以上、基本的に交通事故は交通部の交通捜査課が担当することになっている」
それを聞くや、遊火と、彼女を通じて聞いていた皐月は怪訝な表情を見せる。
「えっと、今回の事件もその交通捜査課が捜査担当になるんじゃ?」
「いや、他殺の可能性も否定はできないから、共同で捜査することになりそうだ」
「『……その飯塚巡査長の言葉に違和感があったということですか?』」
遊火を通じて聞いた皐月の問いかけに、大宮はうなずいてみせた。
「彼女は刑事部に異動する前まで地域指導課に所属していた……いくら警察でも、軽犯罪を取り締まる地域指導課の警官が死体を頻繁に見るなんてことはあまりないんだよ」




