捌
「結局、事件は一時的だがお宮入りになることが決まったよ」
マンションに帰宅した大宮が、妻である皐月に、遊火を通じてそう教えたのは、事件が発覚してから一週間経ってのことであった。
警察は決定的となる証拠を見つけることができず、また葉月と岡崎が出会ったという探偵についても詳細がわからなかったというのがお宮入りの理由である。
お宮入り……つまりは迷宮入りを言うのだが、一時的であるため、その事件に関係するものが後日見つかれば、ふたたび捜査することは可能であったが、それはいつのことになるのか大宮もわからない。
「『嵜本彩奈の会社はなにか言ってきましたか?』」
皐月は遊火を通じて大宮にたずねる。
「いや、それに関してこちらにはなにも言ってこなかったよ。おそらく亡くなったのは同姓同名だろうというわけだ」
皐月はそれを遊火に聞いてから、しばらくして……
「『昼のワイドショーでも言ってましたけど、嵜本文香は長期の休みに入ったそうですし、ヴィエルジェも新作発表をしたそうですけど、事件についてなにも行ってこなかったそうですよ』」
「そうか。――結局、あの遺体は誰だったんだろうか」
大宮はスーツの前ボタンを外しながら、テーブルの椅子に腰を下ろした。
その時、リビングのソファでくつろぎながら、VRゴーグルを通してVRMMOをやっていた湊が、大宮が帰ってきたことに気づき、一度VRゴーグルを休止状態にしてから、そのゴーグルを外すや、「おかえりパパさん」と視線を向けた。
「ただいま。人が帰ってきたのにも気付かないくらい夢中になっていたみたいだね?」
大宮は、ここは親として叱るべきだろうと思ったのだが、湊が特に悪いことをしていたというわけではなかったため、冠を曲げるようなことはしなかった。
「あははは、まぁこの前言ってた聖子おばちゃんの手伝いしてたんだよ。それに、ご飯前にはやめようって思ってたから」
娘にそう言われ、大宮は時計を見やった。時間は午後七時前を示している。
湊はVRゴーグルをいつもの、テレビ棚の横に置かれた箱の中にしまった。
VRゲームは自室でプレイできることも可能だが、ネットに接続する場合もあるため、子どもの安全面(変な勧誘や出会い系などがないように)を考えて、親が管理しやすいようにリビングのテレビでその映像が映せるようになっている。
本体が休止状態であるため、テレビの画面は真っ暗だった。
「それで、今日はどんな料理なんだい?」
大宮は横に立っている皐月を見上げながらたずねた。
「…………」
「『あさりとほうれんそうのクリーム煮とピーマンのポタージュ』らしいですよ。それからご飯は軽めのピラフにしているそうです」
「ママさんすごいんだよ。ホワイトソースとか小麦粉から作るんだから」
遊火は湊の言葉を皐月に言う。それを聞いた皐月は、遊火に口伝をお願いした。
「『慣れればそんなに難しくないよ』って言ってますから、今度湊さまも挑戦してみたらどうです? ミニグラタンとか」
「冗談、あたし手先器用じゃないから」
湊は戯けた表情で遊火に言い返した。
「湊さま、すこし夕食の準備を手伝ってほしいと皐月さまが言っていますけど」
「それくらいお安いご用。久しぶりにみんなで夕食が食べられる」
湊は弾むような声で台所へと入っていく。
それを目で追っていた大宮は、上着に入れていたスマホが震え鳴っていることに気づき、それを取った。
「もしもし? 岡崎か?」
「あぁ、家に帰ってくつろいでいるところ悪いんだが、すこし出られるか? 場所はいつもの店だ」
電話先の岡崎にそう言われ、大宮は台所に目をやった。
台所に立っている皐月と湊の楽しそうな雰囲気に、どう話そうか考えていた。
「忠治さま?」
その視線に気付いた遊火が大宮に声をかける。
「遊火ちゃん、皐月と湊にすこし出かけると行ってくれないか?」
「……お仕事ですか?」
「たぶんね。まぁ話がすんだらすぐに帰ってくるさ」
「わかりました。皐月さまたちには私から伝えておきますから」
「ありがとう。すぐに戻ってくるよ」
大宮は遊火に礼を言うと、席を立つや部屋を出て行った。
「『忠治さん、お仕事?』」
皐月に声をかけられ、遊火は応えるようにうなずいた。
「……仕事だから仕方ないけど、岡崎さんもすこしは空気呼んでほしいよね」
皐月の声は聞こえずとも、遊火と父親の会話は聞こえていたため、湊は不服そうに愚痴をこぼす。母親とは違って耳の良い湊は、父親が誰と会話をしていたのかが耳に入っていた。
「仕方ないですよ。警察官に休みなんてものがないのは、湊さま以上に皐月さまがわかっていますから」
遊火は皐月を一瞥する。
「別にあたしもわかってるんだけど」
と、湊は頬を膨らませるように遊火をにらんだ。
「湊さま、皐月さまと忠治さまが付き合いだしたのって今の湊さまくらいだったんですよ」
「知ってる。今でも稲妻神社に皆で集まる時はよく聞かされてるよ」
湊はクククと笑みを浮かべ、母親を一瞥した。
「結婚の経緯を聞いて、ママさんがパパさん一筋だったんだなぁって。普通そんなに歳がはなれてたり、彼氏が警察官でデートもよくドタキャンされていたら、あたしだったら別れるだろうなって思うのに。ママさん一途すぎるんだもの」
「まぁ、皐月さま自身そういうのに鈍いところがありましたからね。忠治さまが福岡のほうに勤務してるあいだも、よく高校で告白とかされていたそうですけど、やんわりと断っていましたから」
そう笑っている遊火の声だけは聞こえていたため、二人がどんな会話をしていたのかを断片的に察していた皐月だったが、特に表情に変化をみせることはなかった。
福嗣町の観光地として賑わっている浅葱橋を通りぬけた繁華街の中に、こぢんまりとした古い料亭がある。店の前には下からLEDライトで照らされた篝火が門構えとなっており、近辺の店とは違って神秘性な店構えだった。
その前に看板が立てられており『八重楽生礼』と記されている。
車を、その店の近くに設置されている駐車場に停めた大宮は、車から降りると、その店の引き戸を開けた。
「いらっしゃいませ」
とカウンターに立って酒のつまみを見繕っていた若女将の、雪のように澄んだ声が店内に響きわたる。
「おう、やっと来たか」
先に店に来ていた岡崎が、水割りの湯のみを掲げて、大宮に声をかけた。
「こっちは久しぶりに家族三人で夕食が食べられると思ったんだがな」
大宮は苦笑いを浮かべながら、岡崎の隣に坐った。
「皐月ちゃんのことですから、すぐに帰ってくると思って待ってるんじゃないですかね? 湊ちゃんはどうかと思いますけど」
そう言いながら、若女将――風花希望は、岡崎が注文した料理を二人の手前に出した。唐揚げである。
岡崎がその料理を箸でつまみ、口に持っていった。
「お、美味いな。ジューシーで柔らかい」
そう褒める岡崎にたいして、希望は少しばかり片眉をしかめる。
「どうかしたのかい?」
「いや、美味しいと言ってもらえるのは嬉しいですし、さすがに知り合いとはいえ、試作品の不味い料理を出すわけにはいきませんからね」
「なんか問題でもあるのか? もしかして結構お金を払わないと食えない高級鶏だったりして」
この肉の柔らかさに、油で揚げたとは思えないほどにさっぱりとした唐揚げを食べながら、岡崎は酒を飲んでいる。
「いや、それ近くの田んぼで捕まえてきたペイコオオワですよ?」
希望にそう言われた岡崎は、唖然とした表情で希望を見遣る。
「えっと、希望さん。それってなんだい?」
言葉の意味がわからなかった大宮も、首をかしげながら希望を見る。
「アイヌ語でペイコは牛。オオワは蛙のことをいいますから」
「つまりウシガエル……って、またまたぁ、いくらなんでも冗談すぎるぜ希望ちゃん。食感が鶏にしか思えないんだけど」
岡崎は苦笑を浮かべる。
「昔は鶏肉も貴重だったらしくて、ウシガエルを代用にしていたそうです。大丈夫ですよ、血液とか調べたら食用のやつでしたから」
希望は笑みを浮かべるように説明する。
「まぁ美味しいからいいか」
と岡崎はむりやり納得したように箸を進めていく。
「それで話っていうのはなんなんだ?」
大宮がそうたずねるや、岡崎は鞄から一枚の封筒を取り出した。
「仕事中パソコンで嵜本彩奈のことを調べている時に偶然ネットで見つけたやつなんだが――嵜本彩奈の名前でイングラムという投稿アプリで撮影された事故当時の写真だ」
「イングラムって昔からあるやつだろ? すぐに見つかるんじゃないのか?」
「もちろんそれは何枚も本人のフェイスブックとかにあったんだが、その写真だけは一回だけアップしたが、あまりに衝撃的でな。運営が削除したらしいんだが、やっぱりネットというのは一回でもアップしていたら誰かが保存して、それを拡散していたんだろうな」
大宮は封筒の中を見るや、ゾッとした。
そこには、今回の事件の被害者である嵜本彩奈が写されていたのだが、その顔はまるで、かの有名な無免許医師を思わせるような継ぎ接ぎだらけの顔が写されていた。
「それで詳しく調べたら、嵜本彩奈は当時遭った交通事故で顔を複雑骨折していたが、幸い九死に一生を得たんだ。だけど最初の手術でこのような状態だったため表に出ることができなかったそうだ」
「姉と入れ替わっていた文香の休みが一ヶ月だったのは、おそらく仕事内容を覚えてもらうための期間だったんだろうな。そして妹に入れ替わっていた姉の休みが三ヶ月だったのは、その手術をするために必要な期間だった」
大宮は写真を封筒に戻し、それを岡崎に返した。
「……はて、その写真はいったい誰が撮ったんだ?」
「っ? そりゃぁ本人だろ? 自撮りなんて難しい物じゃないしな。ただ、手術後の写真を撮るというのは男の俺でもちょっと抵抗があるがな」
岡崎はそう言うと、水割りを一口飲む。
「……妹が入れ替わっていたということだって、可能性として考えているだけなんだが――」
「警察は色々と疑問に思ったら、それをひとつひとつ潰していかないといけないから大変ですね」
希望は大宮の前にお茶が入った湯のみを差し出す。
「あぁ、今回の事件は遺体が誰なのかという疑問から始まっているからね……遺体が誰なのか?」
大宮はアッと声を上げた。
「そうか……あの遺体は妹で間違いはなかったんだ。なのに僕たちは姉と妹の両方が入れ替わっているという可能性に固執しすぎていて最初に気付くべきことに気付けなかったんだ」
「どういうことだ? 忠治」
「姉の嵜本彩奈は一年前の事故で顔を整形手術しなければいけないほどの怪我をしている。そうなるとどれだけ完璧に元の顔を再現できたとしても顔の印象はガラリと変わっていたはずだ。そうなると元々の双子の見分けとしていた泣きぼくろも、もしかしたら失っていた可能性だって否定ができない」
たしかにそうだがと岡崎はつぶやく。
「そして葉月ちゃんが気になっていたことだ。あの遺体は化粧をしていて、泣きぼくろが左目にあった。それが最初から答だったんだよ」
「だが肝心なことがわからないぞ? 被害者を殺したのは誰なのかということだ」
岡崎がそう聞き返す。大宮もそこまではまだわからなかった。




