漆
……翌日のことだ。
「いったいいつになったら発表できるんですか?」
と、刑事部にある大宮班に声をかけてきたのは、総務課に努めている萩本という男性警官であった。
萩本は嵜本彩奈殺害事件について、マスコミからいつ発表されるのかを聞かれて、程々参っていると愚痴をこぼしている。
「こ、こちらも発表はしたいのですが、なにせ被害者は一卵性双生児で死ぬ直線の映像や写真を見ても、妹である嵜本文香と似ているところがありますから。もしかしたら逆だという可能性だって否定ができないんですよ」
と詰め寄られている葉月は、萩本に苦笑を見せた。
「それだったら日本にいるのは姉の彩奈で間違いはないでしょう?」
「いやそれがですね。実はそうとは言えないんだよ」
萩本を見ながら、大宮が言った。
「どういうことですか?」
萩本が首をかしげる。葉月も仕草こそなかったが、同様に困惑した表情で大宮を見た。
「あぁ、岡崎と黒川巡査長が嵜本彩奈の部屋を調べていた時に見つかったパスポートを調べると、一年前……つまり被害者が事故に遭ったと思われる時、妹は日本でイベントに出ていたそうなんだ」
「それじゃぁ、その時に入れ替わった?」
葉月がそう言うや、大宮は「可能性としてだけどね」と言った。
「それでちょっと遺体を否定できるかもしれない事故を調べたら……」
「二〇三二年八月二四日に、NYでバスによる交通事故が起きています。日本では詳しい報道はされていなかったようですが、バスの乗客に嵜本文香がいたそうです」
と口を開いたのは飯塚であった。
「だけど事故に巻き込まれていたのなら、嵜本文香が所属している芸能事務所だって黙っていないんじゃ? たしかアメリカはこっちと違って裁判に使うお金が安いから、よく提訴するって聞いたことが……」
葉月は自分でそう言うや、その言葉に違和感を覚える。
「そうだ……もしこれが正解だとしたら、あの探偵がなんで嵜本彩奈の部屋を見ていたのか理由になる」
葉月はゾッとした表情を浮かべ、考えにふける。
「ど、どうかしたのかい? 黒川巡査長」
「警部補、もう一度嵜本彩奈の部屋を調べていいでしょうか?」
「それは別に構わないけど、なにか気になることでもあったのかい?」
「あれだけ調べたのに、いったいなにを調べるというの」
飯塚があきれた表情を見せる。葉月はそれに気付いてはいたが、なにも言わず、大宮に視線を向けた。
「よし。岡崎と一緒に、もう一度嵜本彩奈の部屋を……葉月ちゃんが納得するまで調べてくれ」
そう命じられ、葉月はうなずいてみせた。
「それから飯塚巡査長」
大宮に声をかけられ、飯塚は怪訝な表情を見せた。
「なんでしょうか?」
「――なぜ、キミは去年起きたNYの交通事故の中から、それを言い当てたんだい? 僕は去年と言ったまでで詳しい日にちまでは言っていないはずだけど」
「簡単です。嵜本彩奈が事故に遭ったとされる日を調べれば、もしかしたら会社が妹が遭っていたといえばそうなりますし、逆も考えられます」
飯塚がそう説明すると、大宮はしぶしぶながらも納得をした。
「わかった。キミはその事故についてもう少し詳しく調べてくれ」
「了解しました」
そう言って頭を下げる飯塚の表情に翳りがあった。
「それで、いったいなにを調べるんだい? 昨日もあれだけ調べたっていうのに」
嵜本彩奈の部屋のドアを前に、岡崎は皐月を一瞥する。
「昨夜、コンビニでアルバイトをしている桜野雅という少年が倉庫に商品を持って行く直前に言っていたことは覚えてますか?」
「えっと、たしか最初から違っていたってやつだっけか?」
そう言い返され、葉月はうなずいてみせる。
「双子が被害者だった場合、その遺体が双子の片方だというのは、推理小説でない以上間違ってはいけない。なにせ推理小説というのは事件の全貌を解明までに提示しないとフェアにはならないから」
「それはそうだろうけど。これは推理小説ではないんだ」
「はい。だから最初から違っていたんです」
葉月の言葉に、岡崎は怪訝な表情を見せる。
「それはどういうことだい?」
「四月二十日午後十時より二時間前。午後八時前後のアリバイが嵜本彩奈にも、嵜本文香にもないということになるんです」
「いや、ちょっと待ってくれ? 嵜本彩奈が男性――この前会った探偵と会っていたというのは、料亭の店員にも、お店の前でたむろしていた少年たちにも聞いているんだ。間違ってはいないだろ?」
「だけど、双子は見間違えるほどに似ていれば、それをお店の人が私たちの写真を見て、違うと判断することはできませんよね?」
岡崎は葉月の表情を見るや、喉を鳴らした。
葉月は青ざめた表情で岡崎を見ていたのだ。自分の考えを否定してほしいといった表情だった。
双子の特徴が見間違えるほどであればあるほど、第三者の見解にズレが生じる。
これは人間が、如何にして記憶が曖昧なのかということだ。
大きな特徴をより鮮明に覚えるため、細かな部分までは覚えきれないことがある。
今回の事件において、嵜本彩奈と嵜本文香の違いは、ごくわずかの、目元の泣きぼくろだけだ。
発見された遺体は化粧が施されている。それは犯人が警察を困惑させるという理由があった。だからこそ、双子の場合はどちらにも取れるのだ。
これが警察がいまだに被害者の判別ができないという理由だった。
「黒川巡査長はなにを考えているんだい?」
「笑わないでくださいよ。さすがにこれは自分でもバカバカしいと思ってるんですから」
「笑わないよ。君たち姉妹にはイヤというほど、それを否定されてきたからね」
岡崎は苦笑を見せる。葉月はそれを見て、一緒に来たのが岡崎でよかったと思った。
「妹と入れ替わった嵜本彩奈が去年NYで起きた交通事故に巻き込まれて死んでいて、嵜本文香がその両方を演じている」
葉月が口を開くや、岡崎は怪訝な表情を見せた。
「そ、それはたしかに笑えないね。というかムリだろ? 妹が姉を演じるなんて」
「だけど、これなら事故が起きてからのヴィエルジェが発表した下着のデザインが、まるで違う人間が描いているようだっていうのも納得がいくんですよ。私のお姉ちゃんがファッションデザイナーだって知ってますよね?」
そう聞かれ、岡崎はうなずいてみせる。
「それに双子の判別がたったひとつだけで、しかも偽ることが容易なものだから」
「それじゃぁ、交通事故の時点で最初から違っていたということか?」
岡崎がそう言葉にする。
「だけどこれは私が思っていることで決定的なものがない――……っ?」
葉月は部屋のドアを開き、部屋の中を覗くや言葉を失う。
「そうだね。それを否定してくれる証拠品が見つかっていない以上はどうすることも」
岡崎は葉月を一瞥した。その葉月は目を見開き、驚いた表情を見せている。
「どうかしたのかい?」
「岡崎さん、私たちが調べた時って、壁を調べましたっけ?」
「いや、まぁ調べる必要はなかったんじゃないかな?」
「それじゃぁ、隠すこともできますよね?」
葉月は部屋に上がり、居間の壁に目をやる。その廉隅にちいさく糊が剥がれた部分がある。
「なにかを隠していたということだろうか?」
岡崎の言葉を耳にしながら、葉月はその剥がれた部分に指をやり、ゆっくりとそこを剥がした。
「…………っ!」
そして晒された部分を見るや、二人は絶句した。
壁紙によって隠されていたのは、目を背けたくなるほどの赤いシミだった。
「まさか……血?」
慄く岡崎を後目に、葉月はスーツのポケットからスマホを取り出し、月に連絡を入れた。
それから十分ほどして、月たち鑑識と科捜研がやってくる。
「一応簡略的に説明するけど、このシミは間違いなく人間の血ね」
月はそのシミの一片を血液反応を調べる機械に入れるや、その一片が化学反応を起こした。
「ただだいぶ昔にできたものみたいね。ザッと見繕って十年くらい前のものじゃないかしら」
「十年前……? ですが、このマンションが建設されたのは去年でしたよ?」
「まさか……」
葉月は窓の方を一瞥した。
そこから見えた貸しビルの窓が一瞬だけ光ったのを見て、葉月は例の探偵がまだいるのだなと勘付く。
「…………」
葉月はだんまりを決め込むように部屋を後にしようとする。
「は、葉月ちゃんっ! ちょっと待ってくれ」
その後を岡崎が慌てた表情で追いかけた。
葉月と岡崎は、嵜本彩奈の部屋と向かい合っていた貸しビルの部屋の前へと訪れる。
「人の気配はしないみたいだね」
「おそらく、タイマー式のカメラを使って盗撮していたんじゃないでしょうか?」
葉月はドアノブに手を掛けたが、鍵がかけられており、中を調べることができない。
「さすがに俺たちが調べると思って鍵を閉めたんだな」
「それだったら、このビルを管理している人に鍵を借りることはできるんじゃないですか?」
葉月の提案に、岡崎も賛成すると、二人は一階へとエレベーターで降るや、一階隅にある管理人室へと入っていく。
「すみません、警視庁のものですが、すこしよろしいでしょうか?」
岡崎が小窓から部屋の中に声をかけると、出てきたのは六十路を超えた小太りの男性が出てきた。
「警察の人ですか? どうかしたんですかな?」
「いや、すこし事件で調べていることがありましてね。このビルの三五階にある貸し部屋を見せてほしいんですよ」
「あぁ、わかりました」
そういうや、管理人はマスターキーを持って、葉月たちのいる廊下に姿を表した。
「しかし、なんでそこを? あそこは別に誰も借りていないんですがね」
管理人が首をかしげるように言った。
「――えっ?」
葉月は管理人の言葉に驚懼し、管理人のほうを振り返った。
「あ、あの……その部屋で探偵みたいな人が向かいの部屋を監視していたと思うのですが?」
「ははは……このビルができたのは十年前で、わたしがここの管理人になったのは五年になりますけど、それまでそんなことをする人間はいませんでしたし、そもそもあなた達が言っている部屋に人がいるというのもありませんでしたよ」
管理人が笑いながら説明する中、葉月たちは狐につままれたように呆然としていた。
その後、葉月たちが改めてマンションの賃貸状況を調べるや、そのマンションには、たしかに嵜本彩奈名義で借り手がいたのだが、去年の八月から今まで、誰一人その部屋を利用したという目撃証言がなかった。
「なんとも奇妙な事件ですね」
その日の晩、瑠璃たち母娘の様子を見に来た葉月が、今回の事件について、簡略的に説明していた。
「総務課には嵜本彩奈の遺体として発表したけど、まぁ鼻で笑われるだろうね」
「どういうこと?」
葉月の言葉に、秋玲が首をかしげる。
「白ねぇ、葉月ねぇが話している事件は結局どちらにも取れるし、その嵜本彩奈はNYで事故に遭っているだよ? それに今でもヴィエルジェも、妹が所属している所属事務所も警察にはなにも言ってこないんだから」
「というよりは、そもそもいなかったと思ってもいいかもしれませんね」
瑠璃がそう言うや、葉月もそうかもしれないとうなずいた。
「どちらもいなかったということ?」
「そう考えると、事件が起きた翌日に被害者が経営していたその会社がなにもしなかったというのも納得がいくんですよ」
「そうか。元々いない人を捜索するなんてことしないものね」
「だけど……なんか冷たいね?」
秋玲は憂いのある表情でつぶやく。
「それから、警視庁を出る時に月さんから聞いた話なんだけど、その部屋の壁にあった血液は十年前のもので間違いはないって」
「だけど、それが見つかった部屋ってそれより後に建てられたものなんでしょ?」
聖子がそう葉月に聞き返すや、葉月は苛立ちにも似た表情で頭を抱える。
「…………葉月、まさかとは思いますが、その事件の被害者と今回の被害者に共通するものがあったのではないんですか?」
瑠璃が険しい目で葉月を見遣る。
「はい。十年前の事件で、あのマンションがあった場所で事件が起きていたみたいで、その事件の被害者が――嵜本彩奈と嵜本文香の両親だったんです」
その言葉を聞くや、瑠璃たちは喉を鳴らした。
「その事件が起きたのは、今から十年前の八月で、その当時双子は既に自立していて家を出た後のようです。家には両親しかいなかったんですが、事件当日の晩、家に入った強盗が両親を殺害し、金品を盗んだ事件が起きているんです。その後家を建て壊し、その後にマンションが建っているそうなんです」
その時はすでに警察官となっていた葉月であったが、そのことを知らなかったのは、彼女がまだ少年事件課に勤務しはじめたばかりだったためであり、また強盗殺人事件は捜査一課と捜査三課の担当事件であるため、管轄外で詳しくは知らされていなかった。
瑠璃はなにかを思い浮かべるかのように首をかしげた。
「だけど、その探偵はいったいなにを調査しようとしていたのかな?」
「なにを調査しようとしたのか……こっちも探偵の身元がわからない以上なにも手を出すことができないんだよね」
聖子と会話をしていた葉月は、さきほどから首をかしげている瑠璃に視線を向けた。
「どうかしたんですか? 瑠璃さん」
「もしかしたらですけど、その探偵が調べようとしていたのは、守宮ではないでしょうか?」
「守宮? 守宮って、よく家の壁にひっついてるトカゲみたいなやつのこと?」
秋玲がそうたずねると、瑠璃は「それはヤモリですが、本来は『守宮』と書いて『ヤモリ』と読むんですよ」と説明した。
「それで、なんでイモリって読むの?」
「その妖怪『守宮』というのは、戦乱で死んだ武士の霊が、守宮という小人の妖怪となって井戸の周りに住み着いた怪奇で、当時はヤモリとイモリの見た目の曖昧さから、同じように見られていたんですよ。ですから、守宮はヤモリの怪異として描かれているんです」
「だけどお母さん、今回の事件と何の関係が?」
聖子が怪訝な表情で母親を見遣る。
「伝記による守宮は戦乱で亡くなった武士たちの怨念が小人となったということになっていますから」
「壁にあった血はそれによるもの? 事件が風化するのを恐れたその嵜本彩奈の両親がやったってことかな?」
「それに五年前というと、嵜本彩奈が坂本曜生のところでウグイス嬢をしていた時期と重なりますよね?」
「たしかにそうですけど……今回の事件では坂本曜生が関わっていたという証拠もないですし、こちらも調べられないんですよ」
「他の事件と数珠つなぎみたいな形で取り調べられないの?」
聖子がそうたずねると、葉月はためいきをつくように、
「坂本曜生がなにかしたのならだけど、この前の選挙も結局お咎め無しだったんだよね」
「あの駅前でやってた選挙運動であ~だこ~だ言ってた団体も、どう見たって坂本曜生が選挙で有利になるように仕向けたサクラだったのに?」
「サクラって……結局その人たちにはお金を払っていなかったみたいだから。選挙法では実際にお金が動かない以上は取り調べができないんだよ」
葉月はそう説明しながら、瑠璃を一瞥する。
「十年前に起きた事件について調べ直す必要があるかもしれませんが、嵜本彩奈と嵜本文香についても調べ直す必要がありますね」
瑠璃の言葉を聞きながら、葉月は妙な、首を締められているような不快な気持ちになっていた。




