伍
「大宮警部補……っ!」
慌てた様子で、葉月と一緒に行動をしていた岡崎が、ともに大宮のところへとやってきたのは、ちょうど大宮が妻である皐月から稲妻神社に行っているという連絡を『Rine』で受け取っていた時だった。
「どうかしたのかい?」
「嵜本彩奈……もしくは嵜本文香が住んでいるマンションの部屋を調べましたところ、向かいの貸しビルから妙な視線を感じまして――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
葉月がそう説明するが、途中で大宮が止めた。
「マスコミかなにかか?」
「あ、いや……直接本人に聞いてみましたところ、どうやら探偵みたいです」
「――探偵? いったいなぜそんなところに?」
首をかしげるように大宮は葉月たちを見なおした。
「それはやはり、警察と同様に探偵業にも守秘義務がありますので、詳しくはわかりませんでしたが、嵜本彩奈と関係していることは間違いないですね」
岡崎はそれを言うと、葉月を一瞥した。
「それから事件当日、嵜本彩奈と一緒にいたとされる男性でしたが、ためしに当時公園で遊んでいた少年たちに確認を取ってみたら」
「その探偵と一致していた……ということか」
大宮の言葉に、葉月はハッキリとうなずいた。
「――しかし、どういうことだ?」
「……なにがですか?」
「いや、その探偵は嵜本彩奈を監視していたのだろ? それならどうしてその本人に会っていたのかということだ。探偵なら身分を知られないのは最低限だと思うのだけど」
大宮は怪訝な表情で葉月たちを見遣る。
「葉月ちゃんの推測どおり、妹が姉を調べているということか」
「もしくはその逆だという可能性だってありますけどね」
「……君たちが外回りをしていた時だけど、ネットでヴィエルジェのことを調べたら、かなり経営的に危ないらしいね。四期連続で左肩上がりのようだ」
それを聞いて、葉月は怪訝な表情を浮かべた。
「ヴィエルジェは安定して売上を出していると聞いてはいましたが」
「うん。それでどういうことかを調べたら、社長である嵜本彩奈が一年くらい前、事故に遭っていたようなんだ。かなりの重症だったみたいだよ。手術のかいあって一命は取り留めたようだ」
「事故……ですか?」
葉月は、発見された時に見た遺体を思い出す。
「…………はて? そんな痕、どこにもありませんでしたけど」
「ということは、あの時発見されたのは妹の方だったということか」
「そう考えるだろうなと思って、妹である嵜本文香のほうも調べてみたら――」
大宮がその先を言おうとした時だった。
「まさか同じ時期に事故に遭って――なんて……」
葉月と岡崎は怪訝な表情で大宮を見つめる。
「ああ、そのまさかだ。嵜本文香の公式サイトでは姉の事故と同じ時期に長い休暇を取っていることになっている」
「よく双子は神経が繋がっているというけど……」
葉月は納得のいかない表情で小首をかしげた。
「でもそういうのって、ただの言い伝えだと思ってましたけどね」
葉月の表情を見ながら、大宮と岡崎はげっそりとした表情をする。
「あれ? 私なんか妙なことを言いましたか?」
「いや、俺たちは葉月ちゃんを小学生の頃から知ってるし、人じゃないものが視えてるってのは知ってるけどさ、だからそういう、双子の神経が繋がっているとかをただの言い伝えと云われたら違和感があってね」
「あぁ、私もそうですけど、皐月お姉ちゃんも目に見えているものはそんなに怖くないんですよ。ただこういう見えないものはどうも苦手というか、納得がいかないので」
それを聞いて、大宮は納得した。
結婚する前から、皐月が見えないものが苦手というのは知ってはいたのだが、妹も同じだったのだなと思ったのだ。
「まぁ、嵜本文香のほうは一ヶ月くらいの休暇だったから、姉の入院期間の三ヶ月と比べたらあまり気にすることじゃないかもしれないね」
「ですが、経営に関して表向きは安定しているのに、実際は左肩上がりなんですね」
「そうなんだよね。まるで人が変わったみたいに新作デザインの商品も片っ端に出しているんだよ」
「私はデザインよりカップが合うかですけどね。同じDカップでも、トップとアンダーが合っていないと着けた時に違和感がありますから」
「まぁ、よく魅せるというのはよくあることだけど、もしこれを違う人間がやっていたと考えると辻が通る。いくら似通った双子だとしても、思考までは違うだろうからね」
「そりゃぁまぁ……双子とはいえ結局は違う人間――」
葉月は言葉を止め、考えにふける。
「警部補、先日の、水槌杏子の事件で発見されたブラジャーの写真ってまだ残ってます?」
「鑑識課の資料室に行けばあるとは思うけど」
それを聞くや、葉月はその場を立ち去っていく。
「は、葉月ちゃん。……岡崎、一緒に行ってやってくれないか」
「ないか……じゃなくて、行ってくれじゃないか? お前は俺たちのリーダーだ。リーダーの命令は喜んで聞いてやるぜ」
「そうだったな。それじゃぁ一緒に行ってくれ」
そう上司に命令されるや、岡崎はクククと笑い、葉月の後を追った。
葉月は鑑識課にある資料室へと入ると、月と水槌杏子の遺品であるブラジャーを調べていた。
そのブラジャーは外に放り捨てられていたこともあり、ところどころが土埃で汚れている。
それを後からやってきた岡崎も、葉月と月のうしろから覗き込むように見ていた。
「それでなにを調べるつもりかしら?」
「月さん、水槌杏子のスリーサイズってわかります?」
「えっと、たしか身長が一五四で、上から八三・五七・八九だったわね」
「そ、そこまで調べたんですか?」
「と言っても、発見されたブラジャーに記されているカップとアンダーからの推測だけどね」
月は苦笑を見せながら説明する。
「ブラジャーにはD(65)って書いてありましたね」
「Dはカップだってのはわかるけど、カッコの数字はなんなんだい?」
「アンダーサイズのことです。たとえば水槌杏子のスリーサイズで、バストが一センチ大きくなったり、ウエストが細くなると、アンダーサイズが変わって、推定カップ数が変わるんです。それで同じデザインの商品でも、カップとアンダーの違うものが何着が作られるんですよ」
「つまり同じDでもアンダーの違いで違和感があるっていうことね」
岡崎の問いかけに葉月はうなずいてみせた。
その時、月は少しばかり怪訝な表情を見せる。
「どうかしたんですか?」
「いや、殺された嵜本彩奈が着けていたブラジャーだけど、どうもおかしいところがあったのよ」
「おかしいところ?」
「汚れていなかったのよ。葉月ちゃんの推測どおり、胸には極細の針が入れられていたことによる毒殺だというのはわかったし、その痕と思われる血がカッターシャツからも見つかっている。にもかかわらずブラジャーの縁にはその痕がなかったの」
「血液反応もなかったんですか?」
岡崎の問いかけに、月はうなずいてみせた。
「ブラジャーは胸を覆うタイプだったし、胸の谷間近くに針が入れられていた」
「でも極細の針なら血が出ないんじゃないですか?」
「それじゃぁ、カッターシャツの血痕はどう説明できる?」
「たしかに、屠殺の痕があった――」
岡崎はふと違和感を覚える。
「屠殺の痕があったのに、胸には極細の針が入れられていた以外はなかったんですよね?」
「……っ? ええ、そうだけど?」
「それって可笑しくないですか? まさか犯人は違う人間の服を着せたってわけじゃ――もしくは遺体を入れ替えた?」
「被害者が見分けが付けられないほどの双子だとしたら考えられるけど」
「被害者の死亡推定時刻は特定できたんですか?」
葉月にそう訊かれ、月はうなずいてみせるや、
「殺されたのは四月二十日の一九時半から二十時くらいってことになるわね」
と説明した。
「亡くなっているのは、被害者を目撃した少年たちの証言より以前になるんだな」
「ということはその時点ですでにもう一人は死んでいたということになりますね」
「ところで、警部補のお母さんに聞こうとしていたのはなんだったんだ?」
岡崎は葉月を一瞥するとそうたずねた。
「死んだことで皮膚になにかあるんじゃないかって。化粧って皮膚の張りが違うだけでも印象が変わるみたいですから」
そう話をしていると、部屋のドアが開き、葉月たちはそちらに目をやった。
「葉月ちゃんから訊かれたあの後、母さんに連絡して聞いてみたよ。死ぬことで細胞の動きがなくなり、皮膚が乾燥して化粧の乗りが悪くなるそうだ。ファンデーションで黒子を隠していたとしても、剥がれ落ちていた可能性もあるそうだよ」
資料室に入ってきた大宮がそう説明した。
「ということは、殺される前からされていたということですか?」
「そういうことになるね。それから飯塚巡査からの報告だけど、殺された嵜本彩奈の交友関係を調べたところ、妙なことがわかった。彼女は昔――五年ほど前に坂本曜生の選挙活動に参加していたそうだ」
「……参加ですか?」
「なんでもウグイス嬢をやっていたそうだよ」
「とはいっても、この前の選挙で坂本曜生は当選しているから、あまり表立った行動はできなくなってるんじゃないか?」
岡崎がそう言うと、「私はなんかあの公約が胡散臭いから票を入れませんでしたけどね」
と葉月は愚痴を零した。
「あまり誰に投票したというのを話すのはいかがなものかと思うが、僕も彼には入れる気になれなかったよ。おそらく皐月もそうだし、瑠璃さんたちもそうじゃないかな」
「なんか選挙活動のさいに言っていたことが、私には逆にそれを利用しているとしか思えなくて」
「普段から神仏と触れ合っているからこそ言えることね」
月にそう言われ、葉月はうなずいてみせた。
「結局人間の運命というのはその人の考えや行動における理でしかないわけだけど、私たち神仏は助言をするだけで手を貸すというわけじゃないわよ」
「あらためて坂本曜生について調べる必要があるかもしれないね。だけど今は嵜本彩奈の件が最優先だ。彼女と最後に会っていたのは、あの晩、一緒に店に入った探偵以外にいなかったわけだからね」
「もう一度少年たちに会ってみて詳しく聞いてみます」
葉月がそう言うと、大宮は片眉をしかめた。
「君が警察の人間だとわかっている以上、彼らが協力してくれるとは思えないのだけど」
大宮の言葉を、葉月は大丈夫だと綻んだ笑顔で返した。
「でもそれって、結局は相手との信頼関係におけるものじゃないかしら? 葉月ちゃんの場合は彼らに真っすぐ向き合っていたから、ここらへんのワルガキどもは警察とはいえ葉月ちゃんを信頼はしているようだし、葉月ちゃんもそれに応えようとしている。もちろん悪いことは悪いことだって言い聞かせているわけだからね」
月は葉月を見ながら言った。
「そういうところは、拓蔵さんに似ているのかもね」
「爺様の真似をしてるわけじゃないし、私は普段通りにやってるだけですけど」
と、葉月は納得のいかない表情を見せた。
「まぁ『信頼』というのは『信じて頼りにすること』だからね。葉月ちゃんの行動はまさにそうなんだと思うよ。警察は疑うことを優先にするけど、その疑いも疑わなければいけなくなるから」
「彼らが本当のことを言っても、こちらは疑わないといけないからな。だけど葉月ちゃんはその疑いを逆に信じることができる」
「三人とも、にせものって漢字で書くと気付くことってないかしら?」
月にそう訊かれ、大宮たちは頭の中で文字を思い浮かべた。
「『偽物』ですかね……あっ!」
月がなにを言いたかったのかがわかるや、大宮は声を上げた。
「人編に為って書きますね」
「『為』というのは自分に都合よく計らおうとする下心を持つことだから」
「言い換えれば、『情けは人のためならず』ということですね」
「助けるとその人のためにならないって意味だっけか?」
岡崎がそう言うや、
「ぜんぜん違うわよ。その人を助けたり親切にしていればいずれ自分に見返りが還ってくるというのが本来の意味。つまりは自分の利益になるってこと」
「よし。それじゃぁ岡崎と葉月ちゃんは嵜本彩奈と妹の文香について調べなおしてくれ。もうひとつ、その探偵がなにを調べていたのかもだ」
そう指示を受け、岡崎と葉月はともに『了解しました』とうなずいてみせた。
岡崎と葉月が資料室を後にするのを、月は目で追いながら、
「ところで忠治くん、すこし訊いていいかしら?」
と大宮に声をかけた。
「去年から配属されている飯塚カスミ巡査長についてだけど、なにか聞いたことはない?」
「飯塚巡査長についてですか? はて、僕のところに配属される前は地域課の地域指導課にいたようですよ」
大宮がそう応えるや、月は「そう」と言っただけで、外方を向いた。
その態度を疑問に持ちながらも、大宮はなにも聞かずに資料室を後にした。
その気配を背中に感じながら――。
「波夷羅……」
そう口にするや、月の背後に初老の男性が姿を表した。
彼は十二神将の一人である辰神の波夷羅であり、警視庁の刑事部長を任されている。
「彼が言っていたことですが、飯塚カスミが地域指導課にいたことは間違いありませんね。それがどうかしましたか?」
「妙な気がするのよね。坂本曜生がいる協心党ができたのも飯塚カスミが警察に入った次期と同じだったから」
それは偶然ではないかと波夷羅は考えていたのだが、月光菩薩の険しい目を見るや、
「了解しました。彼女の件はこちらが調べておきます」
波夷羅はそう口にし、その場から姿を消した。




