壱
『守宮』
戦乱で死んだ武士の霊が、守宮という小人の妖怪となって井戸の周りに住み着くというもの。
越前国湯尾(現・福井県南条郡南越前町)でのこと。
塵外という僧が湯尾の城跡の庵で書見をしていたところ、身長四から五寸(約十二から十五センチ)の小人が現れて話しかけてきた。
塵外は僧だけあって驚くことなく書見を続いていると、その小人は塵外の無礼を責め、その声に応じて何人もの小人が現れて襲いかかってきた。
さすがに塵外はたまらずに逃げ出した。
塵外が村人にこの話をすると、かつて戦で城が落ちた際、死んだ武士の魂が古井戸に住み着いたということだった。
塵外はその場所に行ってみると、話の通り無数のヤモリ(守宮)がいた。塵外が経文を唱えて弔うと、たちまち守宮は滅び去った。
災いは消えたものの、塵外は守宮を憐れに思い、その亡骸を村人たちとともに丁重に葬ったという。
読みは「いもり」だが、実際には両生類のイモリではなく爬虫類のヤモリの怪異を描いたものである。
また本来は守宮=ヤモリであったが、その見た目の曖昧さから、イモリとも読まれている。
高層マンションの一室で、カーテンは閉められておらず、女性は特になにも気にせず、浴室からリビングへと、バスローブを羽織った状態で現れた。
部屋は三五階にあり、誰も見ていないと思ったその女性は、化粧台の上に備え付けられているドライヤーの熱風で濡れた髪を乾かし、整えながら冷風で形を決めていく。
これからある男性と合う約束をしており、女性は通話アプリである『Rine』で、その男性と連絡を取り合っていた。
女性の名前は嵜本彩奈。二八歳の若手実業家であった。
スマホの時間を確認すると夜の七時を過ぎている。
それを見るや、嵜本は慌てた表情でドライヤーのスイッチを消すと、バスローブを脱ぎ、赤の下着を着けてから、スーツに着替える。
そして部屋の電気を消すと、そのまま部屋の鍵を閉めて出かけていった。
…………向かいの貸しビルの一室から、嵜本の部屋を睨むかのように覗き込む目があった。
それから二時間後のことであった。
すでに夜も更けていたが、周囲には野次馬が集まってその現場を見ていた。
「さてと、状況はどうなんだい?」
立入禁止のテープを潜りながら、大宮は警備をしている警官に訊ねる。
「殺されたのは嵜本彩奈。『ヴィエルジェ』という化粧や下着デザインの運営している最近話題の若手実業家です」
そう大宮に声をかけたのは、飯塚カスミという女性警官であった。
飯塚はキッとした眼差しで大宮に近付く。
「お聞きになられたことはありますか? 警部補」
「いや、僕の母親が化粧会社を運営していたから知っているとは思ったのだろうけど、僕もそうだが、妻と娘もあまり化粧に興味がないらしくてね。あまり聞いたことがないよ」
大宮は苦笑いを浮かべる。
「だけど、どうして彼女はこんなところで倒れていたんだろうか」
そう言いながら、大宮は嵜本彩奈の遺体を凝視する。
遺体は、スーツと髪が乱れており、明らかに争った形跡がある。
だが……――
「なぜ、死んでいるのかという顔ですね」
そう声をかけたのは鑑識課に勤務している菅田月こと月光菩薩であった。
彼女は上司である薬師如来扮する湖西の後を任され、大宮たちの刑事課の面々のサポートを任されている。
「死因はなにかわかりますか? 月さん」
「それはこっちが聞きたいわ。見たところ絞殺というわけでも、ナイフによる屠殺という線も見当たらない」
その報告を聞いて、大宮は首をかしげる。
「絞殺は首を絞められることですから、僕も遺体を見ればすぐに気付くでしょうけど、どうして屠殺の線もないと云えるんですか?」
「――屠殺ならスーツに刺された痕とその時の血がカッターシャツに付いているはずでしょ? だけどその痕がなかった。まぁ鑑識課の仕事は現場に遺留品がないかを探すことだけど――ちょっとこっちに来て」
言うやいなや、月は大宮を自分の方へと呼び出す。
そして、自分を不審に見ている飯塚を警戒しながら、
「あまり使ってはいけないのだけど神眼で遺体の内部まで見たのよ。死後二時間前後くらい経っているのだけど……」
月は懐からビニール袋を取り出す。そこにはレシートが入っていた。
「大宮くん、今何時?」
「えっと、夜の十時ですけど」
大宮は腕時計を一瞥する。彼の言う通り、時計の針は夜十時をすこし回っていた。
「じゃぁ、被害者が殺されたのは?」
「逆算して夜の七時から九時でしょうか?」
ここで八時と断言しなかったのは、実際に殺された時間とは限らないからだ。死亡推定時刻はあくまで『推定』であって『確定』ではない。
「それじゃぁそれを踏まえて――このレシートを確認して。被害者の財布から出てきたものよ」
大宮は渡されたレシートを見るや、ギョッとする。
「ちょ、ちょっと待ってください月さん。これってどういうことですか?」
「ええ。死亡推定時刻を考えると有り得ないのよ。今、岡崎くんと新しく配属された彼女にお願いして、そのお店で確認を取ってきてもらってる」
大宮はもう一度レシートを見る。そして不可解なものを見るようにそのレシートを凝視した。
「しかし、もしこれが被害者自身が購入したものだとしたら、彼女はいったいいつ殺されたんでしょうか?」
大宮の言葉に月はわからないとしか言えなかった。
レジカウンターで印刷されたレシートには買い物をした時間が記入される。
その時間には『二一時三四分』と記されており、嵜本彩奈の死後二時間では咬み合わないのである。少なくても二時間以上前のものでなければ辻褄が合わない。
「他に、被害者以外の指紋が発見されてはいないんですか?」
「それはまだ鑑識の途中だからなんとも――」
月は言葉を止め、道の先を見やった。
「大宮警部補、来ていらっしゃったんですね」
やってきた岡崎の横に一人の三十代前半の女性がいた。
その女性警官は現場に大宮が来ているのを見るや、彼にちいさく頭を下げ、大宮と月に近付く。
「月さん、被害者が食事をした店で確認をしたところ、たしかに嵜本彩奈が入ったのを店員が見ていますし、確認も取れました」
「そうかい。だけどそれじゃぁいったいいつ殺されたんだ?」
大宮が考えに更けると、
「それから、私が以前に補導したことがあった少年たちが、その近くで遊んでいましたので被害者のことを聴きましたところ、男性と一緒にお店に入っていったとのことです。出る時も一緒だったようです」
と女性警官が続けて報告をする。
「その男性が何者なのかというのは聞けなかったのかい?」
「残念ながら、殺害された嵜本彩奈はテレビにも出ているので知名度はあったようです。しかし一緒にいたという男性のほうは帽子を深くかぶり、マスクをしていたようなので」
「わからないということか」
大宮は頭を抱えながらつぶやく。それが聞こえた女性警官は「はい」と答えた。
「ちょっとあなた、どうしてそんなことをまったく関係のない子どもに聞くのかしら?」
飯塚が眉をしかめながら、女性警官に詰め寄る。
「目撃証言というのはなにも店の店員に聞くだけではありません。被害者が店の出入りのさいに妙なことがなかったかを近くにいた人に聞くのもまた目撃証言の確認だと思いますが」
女性警官はさぞ当たり前のように言い返す。
「それに彼らは夜二十時頃から二二時あたりまでお店の近くにある公園で屯していましたから、レシートに書かれている時間と合いますよ」
「もし彼らの中に犯人がいたらどうするのかしら?」
「それは大丈夫です」
「また随分自信有りけね」
「私は彼らを信じてますから」
それを聞くや、飯塚は明らかに不満気なためいきを漏らした。
「まったく、あなたって、たしか前は生安の少年犯罪課に勤務していたのよね?」
「ええ、そうですが」
「なら、少年たちの裏の顔も知ってるんじゃないの? 彼らが被害者を殺したという可能性だって――」
「やめないか」
飯塚の言葉を大宮が静止した。
「まだ検視の途中で、死因が確定しているわけじゃない。それに少年たちが嵜本彩奈を見た証言で、彼女が男性と一緒にその店に入ったというのがわかったんだ」
「それも嘘ではないでしょうか?」
「私は、少年たちが嘘を言って特をするとは思えませんが?」
女性警官はそう言うと、月の方へと歩み去っていった。
それを飯塚は怪訝な表情で女性警官を凝視する。
「飯塚くん、君が言いたいことはわかる。しかしだからといって僕も彼らが嘘の証言をして特をするとは思えない」
「随分彼女の肩を持つんですね。まだ刑事課に配属されて日は浅いというのに」
「持つわけじゃないよ。ただ……人を疑い信じるという点では君よりははるかに経験が多いだろうからね」
それを聞くや、飯塚はどういうことだろうかと首をかしげ、たずねる。
「僕は彼女を、それこそ小学生のころから|知っているからね」
大宮はそう言うと、嵜本の遺体へと足を向けた。
「それでやっぱり死因はわからないんですか? 月さん」
「ええ。まったく……」
月は大宮を一瞥すると、女性警官の方を見なおした。
「不思議に思ったんですけど……わからないなら確認すればいいんじゃないですか?」
「いや、いくらなんでもここで確認するわけにはいかないでしょ?」
月があきれた表情を見せる。
その瞬間、女性警官は嵜本のスーツを開けさせるように脱がした。
「ちょ、ちょっと? 何をしてるんだい!」
それを見ていた大宮たちが女性警官を制止する。
その時、開けた嵜本の衣服に、細い、一ミリのちいさな穴が胸元に空いていることに気付く。
そしてその周りにじわりと血の痕が付いている。
「これって、屠殺の痕? だけど出血がほとんどない」
「……もしかしてだけど――大宮警部補と岡崎巡査長は少し後ろを向いてくれませんか?」
女性警官にそう言われ、大宮と岡崎は首をかしげた。
「遺体の確認をしないといけないのは俺たちも一緒だ。どうして見ちゃいけないんだ?」
そう岡崎が言った時、女性警官からただならぬ殺気を感じ、大宮と岡崎は喉を鳴らす。
「いくら警察とはいえ、ましてや遺体だとしても、女性の恥ずかしいところを男性に見せられるわけないですよね?」
「ひゃっ、ひゃい」
その凄まじい殺気に、大宮と岡崎は肩を窄め、サッとうしろへと振り返った。
女性警官はそれを確認すると、嵜本のカッターシャツを脱がした。
そして、穴があった胸元を擦ると、膨よかな乳房からは想像できないある一線上に硬いものを見つけた。
「月さん、金属探知機みたいなものってないんですか?」
そう訊かれ、月は女性警官が触れていた部分に触れるや、
「なにが入っているかは解剖をしないと無理だろうし、どうかしたの」
と聞き返した。
「もしこれが死因だとしても、どうして生き続けて――まさか……また僵屍が……?」
女性警官はふと昔あったことを思い出し、それを月にたずねた。
「それはないとは言い切れないわね。いくらあの事件が終わったとはいえ」
月の言葉を聞くと、女性警官は嵜本の額を見る。特になにか跡があるということはない。
「菅田巡査長……、いったいどういうことですか? あの事件というのは?」
痺れを切らした飯塚がそう月と女性警官にたずねる。
「あなたに関係がある事件ではないわ」
そう言うと、女性警官は脱がしていた嵜本の服を整える。
「警部補、遺体の胸元に針のようなものが入っている痕跡があります。おそらく胸に刺されていたことから屠殺ではなく毒殺ではないかと思います」
「毒殺? だけどその痕跡が身体のどこにもないわよ?」
飯塚は詰め寄るように女性警官に言う。
「針の先に遅効性の毒を塗り込めば、被害者が死んだ時間と生きていた時間がズレていることにもつながります」
「でも死亡推定時刻と咬み合わないわよ。それにいつ針は入れられたの? そんなのすぐに気付くはずでしょ?」
「それが気付かない場合があるんですよ。モスキート針というのは聞いたことがありますよね?」
そう聞き返され、飯塚はちいさくうなずいてみせる。
「蚊の針ほどの細さしかない医療用の針。もしそれを被害者が眠っている時に刺したとすれば、被害者は蚊に刺された程度にしか思わないわ」
「ですが、それでも死亡推定時刻とお店で買物をした時間が……」
飯塚の言葉に耳を傾けながら、女性警官は嵜本の衣服を調べ直す。
「あれ……?」
ふとあるものがないことに疑問を抱いた。
「月さん、被害者はスマホとか持っていなかったんですね?」
「たしかに云われてみれば見つかっていないわね」
「スマホか……」
大宮は嵜本の遺体に服が着せられているのを確認すると、女性警官の方を振り向き、そうつぶやいた。
「たしか先日起きた事件ではスマホが初期化された状態で見つかっていますね」
「あぁ、だけど今日はもう遅いし、明日から嵜本の近辺調査だ。それから彼女のスマホの捜索もしないとな」
大宮がそう言うと、大宮班の面々はちいさくうなずいた。
嵜本の遺体が運ばれている中、女性警官は嵜本の遺体があった場所を見下ろしていた。
「なにか気になることがあるのかい?」
「ふと思い出したことがあって、たしか嵜本には双子の妹がいたはずです」
大宮はそれを聞いて、ほぅと感心する。
「それなら聞いたことがあるぜ。だけどその妹は海外に勤務しているはずだ。それに昨日イベントがあってそれに出席していたってこっちに来る前、テレビで云ってたのを聞いてる」
岡崎が付け加えるように説明する。
「それって本人たち以外は気付くんでしょうか?」
「気付く? どういうことだい?」
女性警官の言葉に、大宮と岡崎は怪訝な表情を浮かべてしまう。
「岡崎さんが言ったのはあくまで昨日の話ですよね? もし今日その妹がこちらに来ているということになっていれば――あのレシートも説明ができる」
「…………ちょっと待て、まさかとは思うけど、あの時間店で買物をしたのはその妹だったという可能性もあるということか?」
女性警官はそうかもしれないとうなずいてみせる。
「そもそもあの遺体だって――本物の嵜本彩奈だったのかという証拠もまだありませんし」
「衣服から被害者の財布が発見されている。そこには免許証が入っていたから彼女であることは――」
岡崎は言葉を止める。
「それじゃぁ、葉月ちゃんはあの遺体が今はまだどちらとも取れると思っているのかい?」
そう訊かれ、女性警官――黒川葉月はハッキリとうなずいた。
ということで、第一話で皐月と毘羯羅の会話に出ていた「あの子」というのは葉月のことです。




