第7回 太学
太学は、蜀漢の最高学府である。
そこで学んでいるのは、約七〇人ほどであり、年齢は一〇代後半から二〇代前半の者たちであった。
他国と比べても、一番小規模である。大国である曹魏は一〇〇〇人ほど、孫呉は二〇〇人ほどが学んでいるという。
この時点で、優秀な学生を世に送り出せる確率が同じだとすれば、当然にその母数の違いでその答えは明白であり、それが国力の格差に直結していると考えることもできる。
例えば、一割の学生が優秀な人材となるならば、曹魏は一〇〇人、孫呉は二〇人、蜀漢に至っては僅か七人、ということになるのだ。
だからといって、ただ単に人数を増やせばいいわけではなく、学生を教導する博士やそれを支える助教の質を高め、なおかつ、学ぶべきことも広げていく必要がある。
現状、蜀漢では五経、中でも礼記と尚書を中心にした講義を行っている。一方、曹魏においては、五経に加えて、実践的な政治学の講義も行われているという。
質、量ともに曹魏に劣る蜀漢の太学学制度をこれからどうしていくべきなのか、それが学問行政の改革における最重要課題といえるであろう。
そして、譙周はまず自分の目で太学を見てみたいと希望し、それを張裔が受け入れて、本日、太学の視察に行くことになった。譙周は道すがら、本日の太学視察について、尹黙が案内してくれることを伝えた。張裔が言う。
「典学校尉自らが案内をしてくれるのであれば、それが一番確実であろう。しかし、どうしてそういう話に?」
「はい。実は昨晩、尹黙殿と一献交えまして。その際に、今日の事を伝えたら、自ら案内してくれる、ということになりました」
「なるほど。お二人は官舎が隣でありましたな。差し支えなければ、次の機会は、私の事もお誘いくだされ」
「わかりました。必ず、お声掛けをいたします」
そうこうしているうちに、太学に着いた。
外で、尹黙は待っていた。そして言う。
「張裔殿、譙周殿、よくぞいらっしゃいました。さあ、中へどうぞ」
二人は拝礼し、中へと入った。
最初に案内されたのは、講堂であった。
ここで、講義が行われている。今はまさに講義の真最中である。数名の学生は、こちらを振り返ったが、すぐに前を見て集中しだした。
教壇に立つ師の言うことに耳を傾け、必要な部分は懸命に書き取りしている姿を見て、譙周は学生たちに感心をして言った。
「すごい集中力ですね。これが太学の講義なのですね」
「ええ。皆、真面目にそして真剣に学問に取り組んでおります。自らが、蜀漢の命運を担う、と言う気概を見せる者も中にはいます」
「それは素晴らしいことですな。しかし、これからの時代も、果たして五経中心だけでいいのか、と言うのは考える必要がありますな」
「張裔殿のご意見、ごもっともです。曹魏の始祖である曹操などは、自ら孫子の兵法に注釈をつけて、将軍たちに配布したと聞いています」
「諸子の学問にも真剣に向き合うべき時かもしれませんな。あくまで、儒学が全ての基礎であることを前提とはしますが」
「諸子の学問は広範で、それぞれがそれぞれの思想を唱えているので、それを理解するのは中々難しいと、以前私は思ったことがあります」
「譙周殿。まさに、その通りなのです。諸子百家と言われるくらいですから、全ての思想はばらばらなのです。ただ、その中でも、兵学、法学に関しては、我が国として真剣に取り組むべき時かもしれません」
「兵学と法学。まさに、実務における最重要なところですな。もし、これを太学で教えることができれば、有用な人材の輩出が大いに期待できますな」
「張裔殿、譙周殿。私は、これを太学改革の最初の一手と考えております。まずは、私の方で意見をまとめて杜瓊殿に提出したいと考えておりますが、ご協力、頂けますでしょうか?」
張裔と譙周は大きく頷いた。
次に案内されたのは、博士や助教に割り当てられている執務室である。どの部屋にも多くの書物が積まれ、教える側は教える側で大変な努力をしているのが垣間見えた。
そして、資料室。ここには学生たちが自由に閲覧することのできる書物が豊富に取り揃えられていた。
そして最後に学生の官舎や食堂に案内をされ、本日の視察は終了となった。張裔が言う。
「譙周殿。初めて見た太学はどうであったかな?」
「はい。正直申し上げれば、思いの外、小さい、と感じてしまいました。以前洛陽から来た商人に曹魏の太学について聞いた時があるのですが、その話ではかなり大きい施設を想像していましたので」
尹黙が言う。
「なるほど。確かに、曹魏に規模ではかないません。しかし、我々は我々で、まずできるところから、改革を進めましょう」
「尹黙殿の言う通り。まずは、明日からでも、杜瓊殿に提出する意見書などの作成を行いましょうぞ」
「そうですね。尹黙殿、この太学のどこか、一室借りられるところはありますでしょうか?」
「ええ。では、私の居室で行いましょう。広さは問題ありませんので。それでは明日、お待ちしております」
張裔と譙周は拝礼して立ち去った。
張裔が言う。
「譙周殿。初日から、充実した一日となったのでは?」
「はい。まさか、いきなり、こういう改革と言った大きな話になるとは思っていませんでしたので、驚きました。私は正直申し上げれば、諸子百家の学問には全く精通しておりません。その辺りで、お役に立てるかどうかが不安です」
「私も精通しているわけではないが、兵学、法学の代表的な書物には、一通り目を通した。何も知らないという、譙周殿の感覚で、これは学んだほうが良い、というものを太学の教科に入れるというのもいいかもしれませんな」
「なるほど。いずれにしても、明日からよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。共に頑張りましょうぞ」
こうして、張裔と譙周は別れた。
そして明日より、太学改革の一歩を踏み出すのである。




