第2回 勧学従事
譙家の庵の周りには、人だかりができた。
何故なら、「諸葛亮様より譙周に使者が来た」と言う話が、あっという間に広がったからである。
使者は、譙周に言う。
「譙周よ。丞相であり、益州牧の諸葛亮様がお前に官位を与えるということだ。この話は、お前の意思に関わらず、受けてもらうぞ」
ここで、兄の譙熙が言う。
「使者殿。私の愚弟に諸葛亮様が官位を与える、とは一体どの様な経緯があったのでしょうか?」
「そこまで私も詳しくは聞いていないが、譙周の勤勉で実直な性格というのが、諸葛亮様のお耳に入ったのであろう。今、諸葛亮様は益州の若い才能を見逃さず、集めようとしている。その一環であろう」
「なるほど……。それならば、この話、合点がいきます。愚弟と申しましたが、この譙周は勤勉さと実直さでは誰にも負けない、と兄の私が保証します」
譙周が言う。
「兄上、お待ちください。私が諸葛亮様のお招きを受けるなど、まだまだその域に達しているとは思えません。今回の話はお断りさせて頂くのがいいかと……」
「譙周。先ほど、使者殿が言った通り、この話を断るという選択肢は無いそうだ。つまり、諸葛亮様の命令であると受け止めよ」
「譙周。兄上の申す通りだ。この話は、受けてもらう。お前には、勧学従事という官位が与えられる」
「勧学従事……」
勧学従事とは、読んで字の如くであるが、学問の奨励や普及を行う。他には、学問における太学との連携や、太子の教育にまで関わるもので、人材を育成するために働くことを職務とする。
「わかりました……。私に何ができるかわかりませんが、勧学従事のお役目、この譙周、必死に果たそうと思います」
「うむ、それでよい。譙周、早速ではあるが、明日、私の馬車に同乗して成都に向かってもらう。急ではあるが、今から持っていく物などをまとめて、明朝、出発できるようにしておいてくれ」
「明日でございますか。わかりました……。仰せの通りにいたします」
諸葛亮の使者が帰った後、譙周は急いで荷造りを行った。兄の譙熙もそれを手伝った。譙熙は嬉しそうに言う。
「譙周よ。励んできた甲斐があったな。まさか、お前の事があの諸葛亮様のお耳にまで入るとは思わなかったぞ」
「兄上。一番驚いているのは私です。何故、諸葛亮様が私如きの存在を知っていたのでしょうか?」
「丞相であり、益州牧も兼ねられておるのだ。その耳目となる人間が、各地に配置されているのであろうな」
「なるほど……。しかし、私につとまりますでしょうか?」
「譙周。謙虚なのはお前の美点だと兄は思っている。しかし、あまりにも謙虚すぎると、これもまた、過ぎたるはなお、及ばざるが如しだ。自信を持て。お前には、それだけの力があるのだ」
「はい……。謙虚でいながらも自信を持って進むということですね。今のお言葉、胸に刻みます」
こうして、譙熙と譙周が成都行きの準備をしているところに、家人がやってきて言う。
「大変でございます。多くの者が、今回のお話についてお祝いしたいと、酒やら、食べ物やらを持ち寄って、押しかけてきております」
「そうか。では、今日は大宴会を催すとするか。譙周、お前は主役だ。上座に座っているとよい。準備は私と家人で行おう」
「そんな……。私も手伝います」
「何を言う。勧学従事殿にそんなことはさせられん。ひとまず、皆の事は庭の方に案内するように」
こうして、この夜は溢れんばかりの人で、譙周の勧学従事就任を祝う宴が行われた。譙周は、多くの者に酒を注がれ、その対応に追われた。
―明朝―
譙熙が言う。
「譙周よ。昨日はだいぶ飲まされたであろう、大丈夫か」
「はい。今日の事を考えていての緊張感が強く、酒に飲まれず、何とか持ちこたえることができました」
そこに、諸葛亮の使者が訪れた。そして言う。
「譙周よ、準備は万端であるか?」
「はい。こちらの荷物を載せさせていただきます」
「わかった、手伝おう」
荷物を載せながら、使者が言う。
「昨晩は、随分賑やかであったな」
「知っておられたのですか?」
「まあ、諸葛亮様からのお招きといえば、周りの者が祝うのは当たり前だからな。いつもの事だ」
「そうですか。今回、私のようにお招きを受けている方は多くいらっしゃるのですか?」
「いや。私の知る限り今回は譙周、お前だけだ」
「私だけ……。私など、本当にお役に立てるのか……」
「譙周、心配することは無い。お前も、優秀な人物として呼ばれているのだ。自信を持て」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「荷物はこれで、おしまいか。最後に兄上と、見送りの者たちに挨拶を済ますように」
「はい。少々お時間いただきます」
譙周は、見送りに来てくれた近隣の者たちに挨拶をした。
「昨夜は多くの方と楽しい時間を過ごさせていただきました。そして、これほどの方々に見送りに来ていただき、感極まる思いです。私がどの程度のお役目を果たせるかわかりませんが、この故郷の恥とならないように、尽力をいたします」
見送りの者たちは拍手をした。そして、譙熙に言う。
「兄上。これまで本当にお世話になりました。私の学問の師は、兄上でございます。兄上の名に傷を付けぬよう、この譙周、誠心誠意、仕事に励む所存です」
「うむ、それでいい。体にだけは気をつけよ。後は、自分を貫けば、何の問題もない」
「ありがとうございます。では、行って参ります」
譙周を見送る譙熙の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
こうして、譙周は世に出ることになったのである。




