第19回 北伐
諸葛亮が劉禅に「出師の表」を奉った。
先主との約束を果たす、北伐敢行の意思表示をするためのものである。
諸葛亮はすぐさま軍の編成に入った。
この北伐軍には、楊儀と馬謖も帯同をすることになった。
このことにより、太学での実学の講義は一時休講となった。
まさに、国運を懸けた戦いである。
現状動員できるであろう、ほぼ最大規模の六万の軍である。
当初、蜀漢優位にも見えたこの戦いであるが、結果、敗北をしてしまう。その最大の原因を作ったのが、太学で実学の師をつとめていた馬謖であった。
「街亭の戦い」において、馬謖は総帥である諸葛亮の作戦指示を無視し、独断で動いた結果、大敗を喫したのである。
諸葛亮は責任を明らかにするために、自ら右将軍への降格を申し出るとともに、軍法に照らし、自らの愛弟子とも言える馬謖を処断したのである。
国家の敗北と馬謖が処断されたことに、学問官僚四人は衝撃を受けた。
杜瓊が言う。
「今回の敗北で、この蜀漢は大きな打撃を被った。しかし、学問改革の流れを止めぬ様、我々は踏ん張らねばならぬ」
尹黙が言う。
「そうですね。北伐も学問改革も国家事業。それを我々が忘れるわけにはいきません。しかし、敗北の責任を明確にするためとはいえ、まさか馬謖殿ほどの優秀な人材が処断をされてしまうとは……」
張裔が言う。
「丞相も相当お悩みになったと思います。しかしこれが、兵学の教えでもある、信賞必罰です。実際、馬謖殿の失敗による被害を最小限に留めた王平殿は、敗戦したとはいえ、ご出世なされている」
譙周が言う。
「これが戦なのですね……。実学の師をつとめられ、あれほど学生から信奉されていた馬謖殿のほどのお方でも、敗北を喫する……」
「そう、これが戦の怖いところよ。だからといって、実学が不要なわけではない。今回は敵将の方が、その実学の実力が上回っていたに過ぎぬ。何といっても、百戦錬磨、冷静沈着で名を馳せる張郃が相手であったのだからな……」
「しかし、今後、兵学の師をどなたにお願いするべきか、決めなければなりませんね」
「そうですな……。ここで、我々が立ち止まるわけにはいきませぬからな。学生たちも、この事実は既に知っているのですから、今後の講義の事は気にしているでしょうな」
「この様な時に、丞相にお願いしてもいいものなのでしょうか……」
「譙周殿、先ほども言ったが、我々の取り組みも国家事業。ここで、我々が遠慮をしてはならぬ。私は早速、丞相に馬謖殿の後任の手配をお願いしに行くつもりだ」
「我々もお供させてください……」
尹黙、張裔、譙周は杜瓊に拝礼した。
―数日後―
諸葛亮が時間を取れるとのことで、四人は丞相府に行った。
右将軍に降格したとはいえ、この国の采配を取れるのは諸葛亮のみであり、実質的な役割は引き続き、丞相であった。
諸葛亮が言う。
「馬謖の後任の話であるな」
四人は頷いた。諸葛亮は続ける。
「あなたたちが、敗戦したからと言って遠慮をせずにこうしてやってきてくれたことに礼を言う。北伐も学問改革もこの国には必要な事なのでな。そして、後任は既に考えている」
諸葛亮は少し間を取ってから言う。
「王平にお願いしようと思っている」
杜瓊が驚いた顔をして言う。
「王平殿でございますか?王平殿はこの度もご活躍され優秀な将軍であることは間違えないでしょうが、私の聞いたところによると、確か、字を読むことが出来ないと……」
尹黙以下三人も、驚きを隠さなかった。
諸葛亮が言う。
「確かに、王平は字を読むことは出来ない。しかし、彼は努力して、主だった兵書は全て暗唱が出来る。そして、本当の意味での兵学の活用が出来る漢であり、私は十分に太学の師としてのつとめを果たすことが出来ると考えている」
「それでは以後、王平殿に引き継いでいただくこと、承知をいたしました。貴重なお時間をいただき、まことにありがとうございました」
四人は拝礼して、退出した。
その帰り道、尹黙が言う。
「しかし、王平殿が後任とは驚きました」
張裔が言う。
「そうですな……。まさに、生きた兵学を授けてくれそうな期待がもてますな」
譙周が言う。
「馬謖殿とは全く違った講義になる可能性もありますね」
杜瓊が言う。
「王平殿は、実戦の場を何度も経験している叩き上げだ。これは、ただの学問ではない。実戦に基づいた講義を行うであろうよ。私は、楽しみでならぬは」
こうして、馬謖の後任は王平に決まったのである。




