第18回 巡察報告
張裔と譙周は、本来なら更に南部の巡察もと考えたが、二つの郡を見たことにより、学問改革の方向性がはっきり見えたことから、成都に戻ることにした。
二人は早々に報告書を作成し、杜瓊と尹黙に提出をした。
報告書を見て杜瓊が言う。
「なるほど……。私塾から郡学へ、郡学から太学へと道を啓くということか……。そうすると、郡学の充実が課題になると思うが、その点はどうだ?」
張裔が答える。
「はい。郡学は規模も小さく、師も一人であったのが実情ですが、儒学の基礎教育の場とすることに問題はないと判断しました。郡学で基礎を学び、太学で更に広く深く学ぶ、これが理想であると考えます」
尹黙が言う。
「なるほど……。確かに学問の裾野は広がりそうですね」
譙周が答える。
「はい。私塾の学生も、郡学の学生も、もっと色々学びたい、この国の役に立ちたい、という熱い気持ちを持っておりました。その願い、国として、何とか叶えてあげたく思います」
杜瓊が言う。
「二人の報告書の内容はよくわかった。私の方で、上奏文は早々に起草するようにする。一刻も早く丞相に許可を頂くことにする」
「それほどお急ぎになるということは、やはり北伐の……」
「そういうことだ。丞相の軍部との接触も増えていると聞く。しかし、北伐も国家事業なら、我々の学問改革もまた、国家事業だ。重要性は変わらん。この仕事に、誇りを持ち、成し遂げなければならない」
「わかりました。この譙周にできることがあれば、何でもお命じください」
杜瓊は二人の報告書をもとに、学問の裾野を広げるためには、私塾から郡学へ、郡学から太学へと言った道を明確に啓き、継続的な運営を行う必要があることを上奏したのである。
諸葛亮は、この上奏文にすぐに許諾を与え、杜瓊に推薦制度の確立と即実施を命じたのである。
こうして、学問改革はまた一歩前進した。
そして、とうとう、この時がやって来たのである。




