第10回 杜瓊
杜瓊は今回、諸葛亮が任命した学問官僚四人の中でも、別格の人物である。杜瓊自身、三人には自分が年長であるから統括を任されたに過ぎない、と謙遜していたが、ここに至るまでに積み上げてきたものは、他の三人と大きく異なる。
何といっても、劉璋に仕え、その後劉備に仕えて今に至るのであり、それなりの官歴を歩んできた。
諸葛亮が杜瓊に期待しているのは、全体の統括と後進の本当の意味での育成であった。杜瓊にはいい意味での厳しさがある。自分に厳しいのはもちろんだが、他人に対してもその厳しさを発揮する。その厳しさをも、後進の三人に伝えてもらいたい、というのが諸葛亮の願いである。
杜瓊の居室は、尹黙の真上の二階に設けられている。
今日はそこで、尹黙を中心に、三人が杜瓊と論議をすることになる。
杜瓊は三人を待った。
すると、ほどなくして、声が聞こえてきた。
「杜瓊殿。尹黙以下、三名、只今参りました」
「お入りくだされ」
三人が杜瓊の居室に入って来た。杜瓊が言う。
「尹黙殿より、お三方で太学の改革草案を作ったと聞いている。早速、披露して頂きたい」
「この書状にまとめて参りました」
尹黙は書状を杜瓊に手渡した。杜瓊は受け取ったものの、その書状を脇に置いて言う。
「こうして皆が集まったのだ。書状を読むだけでは味気ない。個々人の言葉で聞かせてくれまいか」
三人に少しばかり緊張が漂った。その中、まず、尹黙が言う。
「わかりました。まず、私たちで考えたのは、この蜀漢の人材をどうやって育成していくかと言うことです。その基本は儒教に置きながらも、この時代の動きに合わせて、兵学や法学、政治学も学生に教えるべき、と言う結論に達しました」
張裔が続く。
「具体的には、兵学として、孫呉の兵法、司馬法、尉繚子、法学に関しましては、荀子、韓非子、更に政治学の書として管子を取り入れるべき、と考えました」
譙周も続く。
「その上で、これらの学問を太学で教える人材を登用する必要があり、そのご意見を伺いたく、本日はまかり越しました次第でございます」
杜瓊は三人の言葉を、目を瞑りながら聞いていた。
そして、何かを考えている様子で、しばらく沈黙の時が流れた。杜瓊はゆっくりと目を開けて言う。
「三人の意見はよくわかった。確かにこの蜀漢が生き残っていく上で、実務に即した学問を教授し、人材の育成を図ることは有意義な事であろう。しかし、儒学の基礎も出来ていない段階において、果たしてそれらの学問を授けることに意味はあるのであろうか。私には、芯の無い人材ばかりが育つような気がしてならないのだが」
三人は押し黙った。
杜瓊のいうことも最もだと考えたからだ。
三人とも、学問の根底は儒学にあることは承知している。
それが、杜瓊の言う「芯」であることも理解できる。
芯がしっかりしていない状態で、兵学だの法学だの政治学だのを教えても、それを活用できる人材にならないのでは、と言うのが杜瓊の意見であり、それは、三人の改革に現段階では「反対」と言うことであろう。
尹黙が言う。
「杜瓊殿のおっしゃる通りではあると思います。それでは、儒学の習得を十分に出来たと認定できた者のみに、兵学や法学、政治学を授けるのは如何でしょうか」
「ふむ……。芯がある人間にのみ、教えるということか」
「はい。そして、兵学と法学、政治学を収めた者は、官位で優遇する人事とすれば、学生たちもやる気になり、この蜀漢の人材の底上げにつながると思います」
ここで張裔が言う。
「私は、お三方と違い、学問、こと儒学に全てを捧げてきたと言える経歴ではございません。それ故、兵学や法学、政治学も、自分なりにではありますが、多少は学び、その学問は民政という実務において、役に立っております」
「ほう、民政にも兵学が役に立つと?」
「いえ、民政に直接というわけではなく、自分を律するために兵学の教えは役に立っております」
「具体的に聞かせていただけるかな?」
「はい。兵学は突き詰めれば、組織の上に立つ人間がどういう考えに基づいて行動するべきか、ということを著していると思います。民から見れば、私は上に立つ者といえますので、兵学の教えに基づき、自分を律してきたつもりです」
「なるほど……。兵学を、自らを律するに用いるか……。それは、見事な活用方法であるな。皆がそういう考えになるのであれば、兵学を学ぶことにも意味があるというものだな」
「はい。私如きが気付くこと、優秀な学生たちはすぐにその重要性を理解すると思います」
「なるほど。譙周殿の意見はどうかな?」
「はい。私は兵学や法学、政治学は避けてきましたが、尹黙殿や張裔殿の話を聞いて、その重要性を理解し始めている段階です。許されるなら、学生たちと共に学びたいくらいでございます」
「ははは。譙周殿にはもうこの太学で兵学や法学、政治学の講義が行われる未来が見えているのかな?」
「そう言う訳ではございませんが、勧学従事として兵学、法学、政治学の奨励をする以上、自分は興味が無い、と知らないふりは出来ません。今日から、まずは書に当たろうかと考えております」
ひとしきり話を聞いた杜瓊が言う。
「皆の気持ちはよく分かった。この太学に、兵学と法学、政治学を追加して指導していくことを、まずは改革案として丞相に提案しようではないか」
三人は笑顔になった。
こうして杜瓊を納得させることに成功し、太学改革の草案を、いよいよ諸葛亮に上奏することになるのである。




