聖女アリアの奇跡
前世の記憶を思い出してから三日が経った。
結論から言うと。
私は混乱していた。
とても。
ものすごく。
かなり。
混乱していた。
なぜなら私は王女だからだ。
ティアーナ王国第一王女。
ティアーナ・フォン・エレノーラ。
五歳。
王城に住み、侍女に世話をされ、毎日勉強をしている。
一方で、私は櫻井美央奈でもあった。
日本という国で生まれ育ち。
学校へ通い、幼馴染の晴とゲームセンターへ行き
交通事故で死んだ。
どちらも私だ。
どちらも本物だ。
だからこそ頭が追いつかない。
朝起きるたびに天蓋付きのベッドが見える。
鏡を見れば、金色の髪とエメラルドの瞳が映る。
その度に思うのだ。
本当に転生なんてしたのだろうか、と。
分からない。
何も分からない。
分からないのだけれど。
一つだけ確かなことがある。
私だけではないということだ。
「エレ」
聞き慣れた声に顔を上げる。
王城の庭園。
色とりどりの花が咲き誇る一角に建てられた東屋の中で、私はフォレストと向かい合って座っていた。
春の柔らかな風が吹き抜ける。
花の香りがほんのりと漂い、遠くでは噴水の水音が聞こえていた。
平和だ。
信じられないくらい平和である。
三日前に死んだ記憶を思い出した人間が話をするには、あまりにも平和すぎた。
「何かしら」
「大事な話がある」
フォレストは珍しく真面目な顔をしていた。
いや、元々真面目な人間ではある。
けれど今日は違う。
どこか覚悟を決めたような顔だった。
「何?」
「怒るなよ」
「内容によるわ」
「多分怒る」
「じゃあ嫌な予感しかしないじゃない」
私はため息を吐きながら紅茶を口に運んだ。
花を模した白いカップから立ち上る湯気が鼻先をくすぐる。
フォレストは数秒黙り込み、
そして覚悟を決めたように口を開いた。
「この世界、ゲームかもしれない」
私は紅茶を吹きそうになった。
「は?」
「だから」
「聞こえているわ」
聞こえているから困っているのだ。
ゲーム?
何を言っているのだろう、この幼馴染は。
頭でも打ったのかしら?
いや、打ったわ。たった三日前に。
私のせいだけれど。
「説明して」
「前世で姉ちゃんたちがよくやってたゲームがあったんだ」
「うん」
「タイトルは『聖女アリアの奇跡』」
「すごい名前ね」
「俺もそう思う」
フォレストは遠い目をした。
どうやら昔からそう思っていたらしい。
「で?」
「そのゲームの舞台が、たぶんここなんだ」
私は眉をひそめた。
「根拠は?」
「国の名前」
「うん」
「王女の名前」
「うん」
「婚約者の設定」
「うん?」
フォレストがこちらを指差した。
「お前」
嫌な予感がした。
今までの話の流れからして、ろくな内容ではない。
「何かしら」
「悪役令嬢だ」
私は沈黙した。
フォレストも沈黙した。
春風が吹く。
鳥が鳴く。
東屋の外では庭師が花壇の手入れをしている。
平和だった。
恐ろしいほどに平和だった。
だからこそ腹が立つ。
「嫌ね」
第一声はそれだった。
「だろうな」
「もっと他になかったのかしら」
「俺に言うな」
「主人公とか」
「違う」
「聖女とか」
「違う」
「王妃とか」
「違う」
「全部違うのね」
「ああ」
フォレストは頷いた。
そして容赦なく告げる。
「お前は主人公をいじめる」
「却下」
「まだ最後まで聞け」
「聞く必要があるのかしら」
あるらしい。
フォレストは説明を続けた。
主人公の名前はアリア。
平民の少女。
この世界で最も心の清らかな人間に宿る聖女の力を授かる。
そして王子またその他の攻略対象者たちと恋に落ちる。
一方の私は、その主人公に嫉妬し、嫌がらせを繰り返し、最後には破滅するらしい。
「却下ね」
私は即答した。
「だろうな」
「まず平民をいじめる理由が分からないわ」
「ゲームだからな」
「それに」
私は首を傾げた。
「聖女になったなら素直にお祝いするでしょう?」
フォレストは頭を抱えた。
「俺もそう思う」
「でしょう?」
「だから困ってる」
意味が分からない。困ることだろうか。
私は少し考える。
そして一つの結論に辿り着いた。
「つまり」
「おう」
「悪役にならなければいいのよね?」
フォレストは天井を見上げた。
「そんな簡単にいくかなあ……」
「いくわよ」
「なんで断言できるんだ」
私は少しだけ笑った。
「だって私は私だもの」
前世があっても、王女になっても、悪役令嬢だと言われても。
私は私だ。
平民をいじめたいとも思わないし、
誰かの幸せを壊したいとも思わない。
未来が決まっていると言われたところで、それを受け入れるつもりもなかった。
ただ、それだけの話だ。
フォレストはしばらく黙っていた。
やがて小さくため息をつく。
「まあ、お前ならそう言うと思った」
「でしょう?」
「でしょうじゃない」
私は笑った。
フォレストも呆れたように笑う。
その時だった。
ふと、あることが気になった。
「そういえば」
「なんだ」
「婚約者って誰なの?」
フォレストの表情が微妙に引きつった。
「隣国の第一王子」
私は顔をしかめた。
「嫌ね」
「まだ会ってもいないだろ」
「だって王子様よ?」
「お前も王女だろ」
「それとこれとは別よ」
私は断言した。
だって王子様なんて面倒そうだ。
礼儀作法とか。
堅苦しそうだし。
自由もなさそうだし。
きっと好きにはなれない。
そんな私を見て、フォレストはなぜか同情するような目を向けてきた。
「頑張れ」
「他人事ね」
「他人事だからな」
私は少しだけ頬を膨らませた。
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