幕間 マリー・ローゼン
マリー・ローゼンは、エレノーラ第一王女付きの侍女である。
今年十八歳。
エレノーラとは十歳離れていた。
母もまた王妃付き筆頭侍女を務めており、幼い頃から何度も言われてきた。
「あなたも将来はエレノーラ王女殿下をお支えするのですよ」
王女のために生きる。
それは王族に仕える家系の家に生まれたマリーにとって、ごく当たり前のことだった。
だから初めてエレノーラと会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
エレノーラ三歳。
マリー十三歳。
将来侍女になる予定だったマリーを見たエレノーラは、満面の笑みで言った。
「マリー! お友達になろう!」
思わず固まった。
友達?
侍女ではなく?
何を言っているのだろう、この王女様は。
そう思った。
だがエレノーラは大真面目だった。
そしてその日から、マリーの慌ただしい日々が始まったのである。
忘れられない出来事は数え切れないほどある。
その中でも特に有名なのが洗濯事件だ。
ある日、エレノーラは遊んでいる最中にマリーの服を何着も汚してしまった。
誰も気にしていなかった。
子供なのだから仕方ない。
だがエレノーラだけは納得しなかった。
「申し訳ないから私が洗うわ」
そう言い張ったのである。
もちろん止めた。
侍女達も執事達も総出で止めた。
だが聞かなかった。
最終的に遠巻きに見守ることになった。
そしてしばらく後、なぜかエレノーラが泥まみれになっていた。
理由は今でもわからない。
本人も説明できなかった。
だが不思議なことに洗濯物だけは綺麗になっていた。
その事件以来、王城の使用人達の間には一つの暗黙の了解が生まれた。
『エレノーラ王女殿下が手伝うと言い出したら絶対にやらせるな』
である。
善意なのはわかっている。
むしろ善意しかない。
だからこそ厄介なのだ。
婚約が決まった今でも、それは変わらない。
エレノーラは相変わらず城下へ通い、人々と交流している。
もちろん公務は完璧にこなした上でだ。
国王陛下も王妃様も許可している。
最初は護衛達も反対していたが、今では諦め半分、信頼半分で見送るようになった。
そして帰ってくるたびに必ずお土産を抱えている。
国王陛下に。
王妃様に。
騎士達に。
侍女達に。
執事達に。
果ては門番にまで。
なぜか誰一人として忘れない。
だから皆、エレノーラを愛していた。
気付けば城の環境まで変わっていた。
ある日突然。
「労働基準法に違反しているわ。」
などと言い出したのだ。
何を言っているのか誰もわからなかった。
だが結果として、週休二日制が導入された。
有給休暇なるものができた。
お給金も上がった。
さらには賞与――ボーナス制度まで導入された。
今では王城勤めは国内屈指の人気職である。
募集を出せばすぐに埋まる。
離職率も驚くほど低い。
王城で働く者の大半が、心のどこかで理解していた。
この環境を作ったのはエレノーラだと。
そんなエレノーラにも、ついに婚約者ができた。
アルベール・ヴァン・カナルド第一王子。
政略結婚。
王女である以上避けられない。
理解はしている。
頭ではわかっている。
だが感情は別だった。
三歳の頃から見てきたのだ。
手のかかる王女様だった。
いつも周囲を振り回した。
心配ばかりさせた。
だが誰よりも優しかった。
誰よりも人を大切にしていた。
だから幸せになってほしいと思う。
心から。
だからこそ、マリーはアルベールを見定めるつもりだった。
本当にエレノーラを大切にしてくれるのか。
厳しく見極めるつもりだった。
――だが。
先ほど見てしまった。
アルベールの本当の笑顔を。
あれは政略結婚の相手へ向ける顔ではない。
自然で。
優しくて。
どこか幸せそうで。
エレノーラを見つめるその瞳には、確かな好意があった。
だからわかった。
あぁ。
心配しなくても大丈夫だ。
エレノーラはきっと愛される。
近い将来、誰よりも大切にされる。
そう確信できた。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
――同時に。
今後間違いなくエレノーラに振り回されるであろうアルベールに、少しだけ同情した。
きっと殿下はまだ知らない。
善意で行動した結果、なぜか大騒動になることがあると。
本人は悪くない。
むしろ善人だ。
だがなぜかそうなる。
不思議なくらいそうなる。
マリーはそっと胸の前で手を組んだ。
どうか頑張ってくださいませ、アルベール王子殿下
心の中で祈る。
もっとも、その願いが叶うことはないだろうと、マリーは薄々気付いていた。
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