幕間 アルベール・ヴァン・カナルド
カナルド帝国。
その日、アルベールは父である皇帝の執務室へ呼ばれていた。
「アルベール」
重厚な机の向こうで皇帝が口を開く。
「お前の婚約が決まった」
アルベールは静かに顔を上げた。
「お相手は?」
「ティアーナ王国第一王女、エレノーラ・フォン・ティアーナ王女だ」
アルベールは一度だけ頷いた。
「承知いたしました」
それだけだった。
王族の婚姻など珍しい話ではない。
国のため。
民のため。
王家のため。
第一王子である以上、政略結婚は当然の義務だった。
特別な感情などなかった。
⸻
アルベールは物心ついた頃から何でもできた。
魔法。
剣術。
学問。
礼儀作法。
努力しなくても結果が出た。
気付けば周囲より上にいた。
だから周囲の反応も変わった。
羨望。
嫉妬。
畏怖。
打算。
大人たちは擦り寄る。
我が娘を王妃に、王家との繋がりを。
そう願いながら。
令嬢たちも同じだった。
「素敵ですわ」
「流石アルベール殿下」
「お慕いしております」
そう言いながら見つめてくる瞳。
そこに映っているのはアルベール自身ではない。
第一王子という肩書きだ。
⸻
そしてもう一つ。
彼には歴代王族の中でも稀有な力があった。
魔法耐性。
ほんの一部の王族にのみ受け継がれる特殊な力。
約600年ぶりの継承者だ。
魔法による干渉を拒絶する力。
その中でもアルベールの耐性は異常だった。
魔法の種類によって多少の差はある。
それでも大半の魔法は彼には効かない。
攻撃魔法も。
拘束魔法も。
呪いも。
ほとんど意味をなさない。
幼い頃から周囲は彼を天才と呼んだ。
そして同時に恐れた。
⸻
いつからだろう。
感情が薄れていったのは。
毎日が退屈だった。
何をしても楽しくない。
何を見ても面白くない。
王子として笑う。
王子として褒める。
王子として振る舞う。
それが当たり前になった。
気付けば『麗しの貴公子』などと呼ばれていた。
正直どうでもよかった。
世界はずっと色褪せて見えていた。
婚約者が決まった時も同じだ。
どうせまた同じ。
そう思っていた。
⸻
そして婚約者に会うため、ティアーナ王国へ訪れた。
まだどこか幼さが残りながらも、凛としていてとても美しい少女だった。
白銀にも見える金髪。
エメラルドの瞳。
礼儀作法も完璧だった。
だが、今までの令嬢たちとはどこか違った。
アルベールは違和感を覚える。
その瞳には欲望がなかった。
王妃になりたい。
王子に気に入られたい。
そういった感情が見えない。
不思議な王女だった。
⸻
庭園を歩いた。
会話をした。
いや。
正確には会話になっていなかった。
「美しい庭園ですね」
「そうですわね」
「本日は良い天気です」
「そうですわね」
「花々も見頃です」
「そうですわね」
アルベールは少し考えた。
聞いているのだろうか。
⸻
答えはすぐに分かった。
聞いていない。
彼女は別のことを考えていた。
からあげだった。
何かの料理らしく、この世にまだ自分が知らないものがあるのかと思った。
婚約者との初対面より料理。
自分は料理に負けたのだ。
⸻
だから、少しだけ意地悪をした。
「城下を案内していただけませんか」
困るだろうと思った。
実際困っていた。
騎士へ押し付けようとしていた。
その様子が面白かった。
面白い。
そんな感情を抱いたのは久しぶりだった。
⸻
そして城下町。そこでさらに驚かされる。
民たちが笑っていた。
エレノーラを見て。
王女を見て。
自然に。
嬉しそうに。
子供たちは手を振る。
商人たちも笑顔で頭を下げる。
恐れている様子はない。
媚びてもいない。
ただ慕っていた。
⸻
アルベールは少し羨ましいと思った。
自分が城下へ出れば違う。
民はまず跪く。
王子を見る。
畏れる。
距離を取る。
それが当たり前だった。
だがエレノーラの周囲には温かさがあった。
⸻
その後も彼女は忙しかった。
屋台を見る。
足を止める。
玩具を見る。
足を止める。
大道芸を見る。
足を止める。
終始楽しそうだった。
婚約者との会話より屋台。
婚約者との時間より焼き菓子。
普通なら気分を害してもおかしくない。
だが不思議と嫌ではなかった。
むしろ面白かった。
輪投げもそうだ。
何度投げても外す。
本人は真剣だった。
周囲の子供たちまで応援し始めていた。
そしてアルベールが景品を取った。
白い犬のぬいぐるみ。
渡した時。
「ありがとうございます。」
彼女は本当に嬉しそうだった。
ただ景品のぬいぐるみを渡しただけ。
ただそれだけ。
でも彼女のその笑顔が妙に印象に残った。
⸻
そして、気づけば自分も自然に笑っていた。
無意識だった。
気付いた時には笑っていた。
そんなことは久しぶりだった。
エレノーラが目を瞬く。
ほんの少し驚いた顔。
彼女の驚いた顔を見ると初めていたずらが成功したような気持ちになった。
⸻
気付けば夕方。
帰っていく小さな背中を見送りながらアルベールは思う。
美しいからではない。
王女だからでもない。
婚約者だからでもない。
ただ、もっと知りたい。
そんな相手は初めてだった。
⸻
夕日に染まる空を見上げる。
色褪せていた世界が、
ほんの少しだけ、
色付いて見えた気がした。
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