王女は魔法を使いたい
翌日。
私はいつものように魔法塔へ来ていた。
白亜の塔は今日も空へ向かって伸びている。
初めて見た時ほどではないけれど、それでも見るたびにわくわくする。
私は軽い足取りで階段を上った。
後ろから重たい足音が続く。
もちろんフォレストである。
「帰っていいか?」
「駄目よ」
「まだ何もしてないぞ」
「だからよ」
フォレストが深いため息を吐いた。
いつものことなので気にしない。
⸻
研究室の扉の前に立つ。
私は躊躇なく扉を開けた。
「おはよう!」
「帰れ」
即答だった。
挨拶より早い。
「おはようくらい返してくれてもいいと思うのだけれど」
「帰れ」
「わかったわ。『帰れ』がアッシュの挨拶なのね」
アッシュは無言でこちらを睨んだ。
違うらしい。
私は勝手に研究室へ入る。
フォレストも慣れた様子でついてきた。
机の上には大量の紙が散乱していた。
設計図。
計算式。
魔法陣。
見ただけで頭が痛くなりそうなものばかりだ。
その中央には見覚えのある魔道具が置かれていた。
「翻訳機!」
私は思わず駆け寄った。
アッシュが本から顔を上げる。
「まだ完成してない」
「でも進んでいるのでしょう?」
私は魔道具を覗き込む。
アッシュは小さく頷いた。
「進んではいるが完成はしていない」
私は目を輝かせた。
私が思いつきで口にしただけの案を、アッシュが本気で研究しているのだ。
アッシュは眉をひそめる。
「思ったより面倒だった」
「難しいの?」
「当たり前だ」
即答だった。
「言葉は国ごとに違う」
アッシュは紙を一枚取り上げる。
「文法も違う」
さらにもう一枚。
「発音も違う」
そして三枚目。
「意味も微妙に違う」
私は素直に感心した。
確かに簡単ではなさそうだ。
「でも面白そう」
「面白い」
アッシュも頷いた。
その瞬間。
私は少しだけ嬉しくなった。
⸻
「そうだ」
私は思い出したように言った。
「新しい案があるの」
アッシュが嫌そうな顔をした。
「ろくでもないな」
失礼である。
⸻
「一つ目」
私は指を立てる。
「料理を温かいまま保存する箱!」
アッシュの手が止まった。
「ほう」
お。
反応が良い。
「食堂とかで使えると思うの」
「なるほど」
メモを書き始めた。
採用らしい。
⸻
「二つ目」
さらに指を立てる。
「会話を勝手に文字にする魔道具!」
アッシュが少し考える。
「議事録用か」
「そう!本をそのまま書き写す魔道具はあったけど、会話を文字にする魔道具はなかったはずよ。」
フォレストが頷く。
「それは便利だな」
珍しく賛同された。
⸻
「三つ目!」
私は胸を張った。
「朝起こしてくれる魔道具!」
研究室が静まり返る。
アッシュが無言になる。
フォレストも無言になる。
「何よ」
「お前用だろ」
フォレストが言った。
「そうよ」
「却下」
アッシュが即答した。
「なんで!?」
「無駄」
ひどい。
⸻
しばらくして、
私は窓の外へ視線を向けた。
遠くで魔術師たちが訓練をしている。
火が灯る。
風が舞う。
光が走る。
綺麗だった。
そして少し羨ましい。
「ねえ」
私はアッシュを見る。
「何」
「私も魔法を使いたいわ」
アッシュの手が止まった。
「無理」
即答だった。
「そこを何とか」
「無理」
「何とか」
「無理」
三連続だった。
ひどい。
⸻
私は腕を組む。
そしてふと思い出した。
「でも変じゃない?」
アッシュがこちらを見る。
「何が」
「髪色や目の色を変える魔法薬は存在しているでしょう?」
アッシュが黙った。
私は続ける。
「つまり魔力がない人でも魔法の効果を利用できているわけよね?」
フォレストが嫌な顔をした。
どうやら嫌な予感がするらしい。
「だったら」
私は身を乗り出す。
「どうにかすれば魔力がない人でも魔法を使えるんじゃないかしら」
研究室が静まり返った。
やがて、
アッシュが口を開く。
「理論上はもちろん可能だ」
私は目を輝かせた。
「本当!?」
「だが」
その声は少し低かった。
先ほどまでの研究者の顔ではない。
魔術師の顔だった。
「魔法は便利なだけの力じゃない」
私は黙る。
「火を出せる」
「うん」
「人も燃やせる」
私は言葉を失った。
「風を起こせる」
「うん」
「人も殺せる」
研究室の空気が少し重くなる。
「だから魔術師は学ぶ」
アッシュは淡々と続けた。
「制御する方法を」
「危険性を」
「責任を」
私は静かに聞いていた。
「それを知らない有象無象が簡単に魔法を使えるようになればどうなると思う」
答えられなかった。
「事故が起きる」
アッシュは言う。
「悪用もされる」
私は少し考えた。そして頷く。
「確かに」
便利だから広めればいい。
そんな単純な話ではないらしい。
しばらく沈黙が続いた。
アッシュがぽつりと呟く。
「だが」
私は顔を上げた。
「魔力を持たない者向けの補助魔道具なら研究価値はある。人を害しないようあまり強い魔法は使えないようにするがな」
私はぱっと表情を明るくした。
「本当!?」
「うるさい」
即答だった。
けれど、アッシュの机の端には新しい紙が置かれていた。
そこには小さく。
『魔力を持たない者向け補助魔道具』
と書かれている。
私は思わず笑った。
「ありがとう、アッシュ」
アッシュは本を開く。
「帰れ」
いつもの言葉だった。
でもいつもより優しく聞こえた気がした。
王子登場まで後2話^ ^
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