第9話 人間界のご飯
―――狩との闘いで重傷を負った曙は医療班によって担架で運ばれる。
「まさか狼の獣人が人間界へ向かうとは……」
「追いかけますか?」
「いや……今、我々が動いたらそれこそ狐里が壊滅する可能性がある」
「しかし……」
「それに奴も重傷だ。すぐに人間界が危うい状況になることはない」
十六夜が夜空を見上げると、満月が見える。
「兵士も負傷していて戦力が足りない。人間界は古に一任するしかないな……」
一方、狩は体から血を流しながら夜道を歩いていた。
「はぁ……はぁ……」
体に負った傷を庇いながら、トボトボ歩く。
(人間界には着いたが……ここはどこだ……?)
とにかく体を休めなくては……
足を一歩進めた瞬間、意識が途絶えてバタリと倒れた。
どれぐらい眠っただろうか。目を開けると、家の照明が見えた。
(ここは……)
起き上がると、ベッドで眠っていた。いつ振りだろう……
実家を出てからベッドで眠ったことがない。
負傷したところには包帯が巻かれており、痛みも和らいでいた。
(誰かが助けたのか?俺を……)
ガチャッとドアが開くと、茶髪でボブヘアの女性がお盆にご飯を乗せてやって来た。
「あっ!目が覚めたのですね。よかった~」
彼女がホッと安堵する。
「あんた……人間か……?」
「……?そうですけど」
「なんで俺を助けた。化物だと思わないのか?」
「化物……?可愛らしい人だな~とは思いましたけど」
「はぁ?」
可愛らしい?俺が?この人間は何を言っている。
「それ被り物ですか?かっこいいですね」
「被り物……」
どうやら俺のことを獣人と思っていないようだ。
「ククク……なら好都合だ」
「えっ?」
ベッドから降りると、女性を見る。
「ちょっと!ひどい怪我ですから安静にした方が……」
「いいか。よく聞け。俺は人間じゃなくて獣人だ」
「獣……人……?」
「そうだ。お前ら人間からしたら化物と呼べる存在だ」
狩が両手の爪を尖らせる。
「さて……痛い目を見たくなければ大人しく食い物を寄こせ」
「……?ご飯なら用意していますよ?」
「あ?」
お盆の方を見ると、大きく両目を開く。
「……なんだこれは」
「余りものですけど豚肉の生姜焼きと白米、あと中華スープです」
「肉……」
料理をじっと見つめる。
「美味いのか?これ?」
「お口に合えばですけどね。私は美味しいと思ってますよ?」
「……食っていいのか?」
「もちろん。あなたのために作りましたから」
俺のために……?この女は何がしたい……まさか毒を……
「……?食べないのですか?」
「毒は入ってないだろうな」
「失礼な!賞味期限は守ってます!」
女性が両頬を膨らませて怒る。
賞味期限……?この女は何を言っている。
だが美味そうな匂いはする。食ってみたい。それに久しぶりの肉……
「この二つの棒はなんだ」
「お箸ですけど……」
「……お箸?」
「これでご飯を掴んで食べるんですよ」
「手で食わないのか?」
「汚れちゃうじゃないですか。お箸がないならスプーンやフォークで食べますし」
……知らない言葉ばかり出てくる。人間界は食べ方だけでこんなに違うのか。
「とりあえずもらうぞ」
手で豚肉の生姜焼きを掴んで口に入れる。
「えっ⁉ちょっと!」
もぐもぐ口を動かすと、衝撃を受けたかのように大きく両目を開く。
「なんだこれは!めちゃくちゃ美味いじゃないか!」
「そんなに大きい声を出さなくても……普通の料理ですから」
「普通だと⁉人間はこんなに美味いご飯がたくさんあるのか⁉」
「豚肉の料理ならたくさんありますけど……」
「牛は⁉牛の料理は⁉」
「ありますけど……」
「食いたい!牛の肉を寄こせ!」
「えぇ⁉今冷蔵庫にないですよ!」
「なんでないんだ!」
「別に何食べるかは私の自由でしょ!」
「……それもそうだな。悪かった」
大人しくなると、再び豚肉の生姜焼きを口に入れる。
「えっと……よく分からないですけど、とりあえず人間じゃないんですね?」
「そうだ」
「どうして傷だらけだったのですか?」
「人間界に行きたいって言ったら怒られた」
「そうですか……なぜ人間界へ行こうと?」
「……退屈だったんだよ。獣人の世界が」
昔から狼の獣人というだけで距離を置かれる。
特に草食の獣人からは危惧されていて、誰も近づかない。
肉食という特性上、普段の食事はつまらない。
美味いものがたくさん食べられるのはどこだろうか?
そこでたどり着いたのが麦から聞いた人間界だった。
「……ごちそうさま」
いつの間にか食器が綺麗になっていた。食べ終わるのが早い。
「全部美味かった。ありがとう」
「……!それはよかったです」
女性がニッコリと微笑む。
「これからどうするんですか?」
「……何も決めてないな。行くことだけを考えてたから」
「なら一緒に住みます?ここに」
「は?」
女性の一言に、狩はポカンとなる。
「だって外に出たら皆怖がるかもしれないじゃないですか!」
「安心しろ。人間に化けることもできるから」
「じゃあどうやってご飯食べるんですか?」
「どうやってって……」
「あなたは自分で作れないし、買えもしないんじゃないですか?」
「……買うってなんだ?」
「ほら!何も分かってないじゃないですか!」
女性がギャーギャー言う。
「良いですか?食べ物を買うにはお金がいるのです」
「じゃあそのお金……?ってやつはどうやったら手に入るんだ?」
「人は一生懸命働いて、その対価としてお金をもらうんです。もらったお金で人は美味しいものを食べたり、おしゃれな服を買ったりするんです」
「対価……」
父ちゃんも家にいない時が多かったけど、あれは働いてたからなのか?
「じゃあお金がなかったら……食えないのか?」
「当然です」
「じゃあ俺はどうすればいいんだよ!美味いものを食いに来ただけなのに!」
「だから一緒に住みますか?って聞いたんです」
「……どういうことだ?」
「私は一人暮らしです。朝から晩まで仕事してて、家事をするのはいつも家に帰ってから。休む時間がありません。そこで、あなたに家事をやってほしいのです」
「家事って……なんだ?」
「洗濯とか、掃除とか。これを私がいない間にやってほしいのです」
「なんでだよ!俺はそんなことをするためにここに来たわけじゃ……」
「もちろん引き受けてくれるならお金を払います。これで美味しいものを食べに行ける。悪くない話でしょ?」
「……確かに」
彼女の言うことも一理ある。お金がもらえるならやるしかないのかもしれない。
「わかった。その家事ってやつ引き受ける」
「やった!交渉成立!」
彼女は嬉しそうな顔をする。
「そういえば名前言ってませんでしたね。私は野田美月です」
「……狩だ」
「これからよろしくお願いします。狩さん」
美月がニッコリ微笑むと、狩はため息を吐く。
(でもだるいな……適当にやってお金だけもらうか)
その心を見抜いたように、美月が諭す。
「ないと思いますけど、ちゃんとやってくれなかったらお金は払いませんし、やり直してもらいますからね」
「……クソ」




