雪の怒り
暫く歩みを進めていると、妖霧が出てきた。
「何ですの……この霧……」
公女は危険を察したのか、スラオシャの後ろにサッと隠れた。公女のことはスラオシャに任せておこう。
「異変か?」と俺はヨクルに尋ねる。ヨクルは「いえ、これは異形ですね」と冷静に分析した。
ヨクルの言った通り、紫色の霧の向こうから複数の異形が姿を現した。
「ひいっ! 異形ですわ! おぞましい……!」
公女が悲鳴を上げた。俺とスラオシャは剣を抜いて構えた。
俺達が異形へと立ち向かう直前、冷たい風が吹き抜け、思わず目を瞑った。目を開くと、ヨクルが異形達を斬り伏せていた。異形の体が空中に霧散する。
俺は目をぱちくりとさせた。
「早いな……?」
「異形の姿は公女様の目に毒ですからね」
ヨクルの気取っているような言葉に、ぽ、と公女は頬を赤らめた。
「貴方、なかなかやりますわね! わたくしの騎士にしてやってもよくってよ!」
「それは光栄なことです。しかし、遠慮させて頂きます。僕はこの森に骨を埋めると決めていますから」
「どうしてこの場所に固執するんですの? ここはただ寒くて、何処までも真っ白で、何の面白味もありませんわ。まあ、異形が出ることだけは刺激的かもしれませんけれど?」
その瞬間、森の気温が一気に下がった気がした。
「公女様、発言には気をつけた方がよろしいかと。森の雪達は全て聞いています」
「は? 突然、何ですの? 雪が話を聞いている訳ありませんわ。所詮、ただの雪ですもの」
「お静かに」
ヨクルは被り物の口元に人差し指を当てた。
「雪達が怒っている」
ざわり、と森が怪しげに鳴いた。
妖霧は更に濃くなり、再び異形が現れる。
「また異形が……」
「ティリルさんはお二人のそばへ」
俺は頷き、公女とスラオシャのそばに移動した。
ヨクルはランプのついた杖を積雪に差し、銀色のベルを手に持った。
「『我が愛しき雪達よ、我に力を分け与えたまえ。銀鐘のヨクルの名において命じる』──凍結せよ」
氷の針山が出現し、異形達の胴体を貫いた。
いつ見ても、ヨクルの魔術には圧倒される。
「魔術ですわ……! 貴方、魔術師なんですの!?」
公女は目を輝かせて、ヨクルに駆け寄った。
「ゲルセミお嬢様、危険です」
スラオシャは公女の後を追った。
俺は周囲を見回した。
「これだけ異形を倒したのに、まだ妖霧は晴れないのか……」
「来ますよ」
霧の向こうから再び異形が現れる。
「さあ、フロスティ辺境伯? さっきの魔術を奴らにもう一度見せつけてやるのですわ!」
公女は異形をビシリと指差した。
「魔術の乱発は身を滅ぼします。何度も使うものではありません」
「つまり、貴方が未熟ってことですの?」
「いえ、これは未熟と言うより、老化と言うべきですね」
「どちらでも構いませんわ、お・爺・様! 早く異形を倒しなさい! これは命令ですわ!」
スラオシャは公女を守ることに専念し、俺とヨクルは手分けをして異形を倒していく。しかし、一向に異形の出現が止まらない。
「おかしいぞ……いつもなら、とっくに妖霧は収まってるはずだ!」
俺は上がった息を整えながら言った。
「どうやら我々は雪達の怒りを買ってしまったようですね。こうなってしまっては、怒りが収まるまで耐える他ありません」
ヨクルは冷静に言った。
「ど、どうして雪が異形をけしかけるんですの!? 雪は異形を追い払うんでしょう!?」
公女が慌てたように叫んだ。
「雪に善悪はありませんよ。彼らの気分次第で、僕達はいくらでも遭難してしまう」
ヨクルは徐ろに銀色のベルを手に取った。
「もう一度、魔術を……」
俺はヨクルの鐘を見て、違和感を覚えた。磨き抜かれた銀色の鐘が鈍く光ったように見えたのだ。理由はわからないが、心がざわついた。
ヨクルがハッと顔を上げた。
「ティリルさん!」
ヨクルが俺に向かって叫ぶ。
ヨクルの鐘に気を取られ、後ろから異形が迫
っているのに気づかなかった。
剣が間に合わない──そのとき、手首を掴まれ、後ろに引っ張られた。え、と声が漏れた。
気づいた時には、俺を引っ張った反動で、ヨクルが異形の前に躍り出ていた。
「──ヨクル!」
異形の鉤爪がヨクルの頭を狙う。
剣では受け止めきれず、かぼちゃ頭に異形の鉤爪が突き刺さった。
ヨクルは剣を握り直し、異形に胴を横に斬り払った。
かぼちゃの被り物は割れた箇所から徐々にひび割れていき、ヨクルの顔があらわになった。
「ヨクル……顔が……!」
「……、……」
ヨクルは気まずそうに目を逸らした。
彼の肌はとても青白くて、この世のものとは思えないほどだった。大きな紫色の瞳は瞳孔がない──いや、瞳孔が開き切っているからそう見えているみたいだ。顔全体を見ると、少々あどけない印象を受ける。
「一度、体制を立て直さねば……」
ヨクルがよろよろと立ち上がった。
そのとき、地面が大きく縦に揺れた。何事かと地面を見ると、大きな穴がぽっかりと開いていた。俺の体は一瞬で宙に投げ出された。
大穴は俺とヨクル、公女とスラオシャ、そして、異形までも吸い込んだ。
「異界──」
公女の悲鳴が響き渡る中、ヨクルの冷静な声が聞こえた。




