第八夜 和魂
鴫野率いるゲネシス・キメラ部隊が撤退した後、素盞雄神社の境内には、嘘のような静寂が戻っていた。
破壊された石畳、焦げた木々の匂い、そして空気中に漂う微かなオゾンの香りだけが、先ほどまでの激闘を物語っている。
俺は、拝殿の前へと歩みを進めた。
一歩踏み出すたびに、脇腹の痛みが走る。けれど、不思議と足取りは軽かった。
拝殿の前に立ち、静かに目を閉じる。
以前ここに来た時は、ただ力の暴走に怯え、訳も分からず逃げ出しただけだった。
自分の中に眠る、得体の知れない破壊衝動。それが怖くて、見ないふりをしていた。
(……でも、もう逃げない)
俺は深く息を吸い込み、柏手を打った。
パン、パン、と乾いた音が、夜の境内に響き渡る。
『須佐之男命』。
荒ぶる神。破壊の神。
そして、ヤマタノオロチを倒し、奇稲田姫を守った英雄神。
俺の中で暴れていた黒い奔流。あれは、この神様の『荒魂』だったんだ。
破壊し、荒れ狂う力。
でも、それだけじゃないはずだ。
「……俺は、怖がっていただけでした」
誰に聞かせるでもなく、俺は言葉を紡いだ。
「自分の力が、誰かを傷つけるのが怖かった。だから拒絶した。でも、それは間違いだった」
脳裏に浮かぶのは、必死に俺を止めてくれた葵の姿。
そして、俺のために道を切り拓いてくれた煉の姿。
遠くから俺を導いてくれた茉奈の声。
守りたいものがいるから、強くなれる。
壊すためじゃない。守るために、この力を使うんだ。
「俺は、受け入れます。あなたの荒々しさも、強さも、全部」
祈りを込めて、深く頭を下げる。
「だから……力を貸してください。みんなを守るための、本当の強さを」
その瞬間だった。
パキンッ。
俺の体の奥底、魂の深い場所で、何かが割れるような音が響いた。
それは、硬い殻が破れる音のようでもあり、氷が解ける音のようでもあった。
直後、体の中を巡っていた荒々しい熱が、すうっと静まっていくのを感じた。
消えたわけではない。
激流のようだった力が、深く、静かな大河の流れへと変わったのだ。
重厚で、底知れない力。けれど、今の俺にはそれが心地よかった。
これが、『和魂』――。
荒ぶる神が持つ、もう一つの側面。平和と恵みをもたらす力。
俺はゆっくりと目を開けた。
視界が、以前よりもクリアに見える。
月明かりに照らされた境内が、どこか神々しく感じられた。
「……終わりましたか?」
背後から声がして振り返ると、煉が少し離れた場所で待っていた。
特殊警棒をホルスターに収め、少し照れくさそうに頬を掻いている。
「ああ。待たせたな」
「いえ。……いい顔……してますね」
煉がニカっと笑う。
その笑顔を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。
「お前のおかげだよ。煉が来てくれなかったら、俺はまた自分を見失ってた」
「よしてくださいよ。僕はただ、浜田さんに言われた通り、道を切り拓いただけです」
煉は謙遜するが、その瞳には確かな自信と誇りが宿っていた。
もう、以前のような焦りや迷いは見当たらない。
彼もまた、この戦いの中で何かを掴んだのだろう。
「早く帰りましょう、尊さん。みんな待ってます」
「ああ、そうだな」
俺たちは並んで歩き出した。
肩が触れ合う距離。
言葉はなくても、互いに背中を預けられる信頼が、そこにはあった。
◇
事務所のドアを開けた瞬間、温かい空気と、カレーのいい匂いが鼻をくすぐった。
「尊! 煉くん!」
ドタドタという足音と共に、茉奈が飛び出してきた。
その目は真っ赤に腫れていて、俺の顔を見るなり、また涙を溢れさせた。
「ばか……っ! もう心配させないでよぉ……!」
茉奈が俺の胸に飛び込んでくる。
その勢いにたたらを踏みそうになったが、俺はしっかりと彼女を受け止めた。
「ごめん、茉奈。……ただいま」
「うぅ……おかえりぃ……」
茉奈の温もりが、冷え切った体に染み渡る。
ああ、帰ってきたんだな。
ここが、俺の帰る場所なんだ。
「尊にーちゃん! 煉!」
葵もソファから飛び降りて駆け寄ってくる。
煉が「おっと」と葵を受け止め、高い高いをするように持ち上げた。
「ただいま、葵。」
「ずっとモニターで応援してたよ!」
奥の談話室では、浜田さんが満足げにコーヒーカップを掲げていた。
「よくやった。二人とも、無事で何よりだ」
「浜田さん……勝手なことして、すみませんでした」
俺と煉が頭を下げると、浜田さんは「結果オーライだ」と笑い飛ばした。
「それに、いいチームワークだったぞ。八咫も褒めてた」
『はい お二人の連携は見事でした。特に煉さんの雷撃による電子機器への干渉は、計算外の効果を発揮しました』
天井のスピーカーから八咫の声が響き、煉が「へへっ」と鼻の下を擦る。
一通り再会の喜びを分かち合った後、俺は詩織さんの前に座らされた。
彼女は真剣な表情で、俺の体に手をかざし、何かを探るように目を閉じている。
「……ふむ」
しばらくして、詩織さんが目を開けた。
「どうですか、詩織さん」
俺が尋ねると、彼女は扇子で口元を隠し、少し難しい顔をした。
「悪くはない。荒ぶる気配はなりを潜め、確かに『和魂』の欠片を受け入れたようじゃ。じゃが……」
「じゃが?」
「まだ、不完全じゃな」
詩織さんの言葉に、場の空気が少し張り詰める。
「不完全、って……どういうことですか?」
「器と中身が、まだ馴染みきっておらんのじゃ。今の尊は、例えるなら水と油を無理やり同じ瓶に入れたような状態。静かにしていれば混ざり合っているように見えるが、強い衝撃――例えば、今日のような激しい戦闘や、強い感情の揺れがあれば、また分離して暴走する危険がある」
俺は自分の手を見つめた。
確かに、力は静まった。でも、完全に自分のものになったという感覚とは、少し違う気もしていた。
借り物の力を、必死に抑え込んでいるような……そんな危うさが残っている。
「じゃあ、どうすれば……」
茉奈が不安そうに尋ねる。
詩織さんは、パンと扇子を閉じて、俺を真っ直ぐに見据えた。
「本家に行くしかないの」
「本家?」
「うむ。須佐之男命の総本山。……京都、八坂神社じゃ」
京都。
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「そこで、荒魂と和魂を完全に統合し、真の神使として覚醒する必要がある。それに……」
詩織さんは、意味深な笑みを浮かべた。
「京都には、古い因縁も眠っておるからの。おぬしが真に力を手に入れるための鍵が、そこにあるはずじゃ」
浜田さんが、モニターに日本地図を映し出した。
関東から、関西へ。
赤いラインが、西へと伸びていく。
「帝国の監視網は、関東を中心に強化されている。西へ抜けるのは容易じゃないぞ」
浜田さんの言葉に、俺は拳を握りしめた。
簡単じゃないことはわかっている。
でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「行きます。京都へ」
俺は迷わず答えた。
「この力を完全に制御するためなら。俺は、どこへだって行きます」
俺の決意を聞いて、浜田さんはニヤリと笑った。
「いい返事だ。なら、善は急げだ。準備にかかるぞ」
「はい!」
煉も、茉奈も、葵も、みんな力強く頷いた。
窓の外、東の空が白み始めている。
長い夜が明け、新しい朝が来ようとしていた。
俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。
次は京都。
古の都で、どんな試練が待ち受けているのか。
俺は、仲間たちの顔を見渡し、静かに闘志を燃やした。
もう、一人じゃない。
この絆がある限り、俺たちはどこまでも進んでいける。
新たな旅立ちの予感を胸に、俺たちは西の空を見上げた。
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