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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第二章 荒ぶる神の試練
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第八夜 和魂

 鴫野しぎの率いるゲネシス・キメラ部隊が撤退した後、素盞雄すさのお神社の境内には、嘘のような静寂が戻っていた。

 破壊された石畳、焦げた木々の匂い、そして空気中に漂う微かなオゾンの香りだけが、先ほどまでの激闘を物語っている。


 俺は、拝殿の前へと歩みを進めた。

 一歩踏み出すたびに、脇腹の痛みが走る。けれど、不思議と足取りは軽かった。


 拝殿の前に立ち、静かに目を閉じる。

 以前ここに来た時は、ただ力の暴走に怯え、訳も分からず逃げ出しただけだった。

 自分の中に眠る、得体の知れない破壊衝動。それが怖くて、見ないふりをしていた。


 (……でも、もう逃げない)


 俺は深く息を吸い込み、柏手かしわでを打った。

 パン、パン、と乾いた音が、夜の境内に響き渡る。


 『須佐之男命スサノオノミコト』。

 荒ぶる神。破壊の神。

 そして、ヤマタノオロチを倒し、奇稲田姫クシナダヒメを守った英雄神。


 俺の中で暴れていた黒い奔流。あれは、この神様の『荒魂あらみたま』だったんだ。

 破壊し、荒れ狂う力。

 でも、それだけじゃないはずだ。


「……俺は、怖がっていただけでした」


 誰に聞かせるでもなく、俺は言葉を紡いだ。


「自分の力が、誰かを傷つけるのが怖かった。だから拒絶した。でも、それは間違いだった」


 脳裏に浮かぶのは、必死に俺を止めてくれた葵の姿。

 そして、俺のために道を切り拓いてくれた煉の姿。

 遠くから俺を導いてくれた茉奈の声。


 守りたいものがいるから、強くなれる。

 壊すためじゃない。守るために、この力を使うんだ。


「俺は、受け入れます。あなたの荒々しさも、強さも、全部」


 祈りを込めて、深く頭を下げる。


「だから……力を貸してください。みんなを守るための、本当の強さを」


 その瞬間だった。


 パキンッ。


 俺の体の奥底、魂の深い場所で、何かが割れるような音が響いた。

 それは、硬い殻が破れる音のようでもあり、氷が解ける音のようでもあった。


 直後、体の中を巡っていた荒々しい熱が、すうっと静まっていくのを感じた。

 消えたわけではない。

 激流のようだった力が、深く、静かな大河の流れへと変わったのだ。

 重厚で、底知れない力。けれど、今の俺にはそれが心地よかった。


 これが、『和魂にぎみたま』――。

 荒ぶる神が持つ、もう一つの側面。平和と恵みをもたらす力。


 俺はゆっくりと目を開けた。

 視界が、以前よりもクリアに見える。

 月明かりに照らされた境内が、どこか神々しく感じられた。


「……終わりましたか?」


 背後から声がして振り返ると、煉が少し離れた場所で待っていた。

 特殊警棒をホルスターに収め、少し照れくさそうに頬を掻いている。


「ああ。待たせたな」

「いえ。……いい顔……してますね」


 煉がニカっと笑う。

 その笑顔を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。


「お前のおかげだよ。煉が来てくれなかったら、俺はまた自分を見失ってた」

「よしてくださいよ。僕はただ、浜田さんに言われた通り、道を切り拓いただけです」


 煉は謙遜するが、その瞳には確かな自信と誇りが宿っていた。

 もう、以前のような焦りや迷いは見当たらない。

 彼もまた、この戦いの中で何かを掴んだのだろう。


「早く帰りましょう、尊さん。みんな待ってます」

「ああ、そうだな」


 俺たちは並んで歩き出した。

 肩が触れ合う距離。

 言葉はなくても、互いに背中を預けられる信頼が、そこにはあった。


 ◇


 事務所のドアを開けた瞬間、温かい空気と、カレーのいい匂いが鼻をくすぐった。


「尊! 煉くん!」


 ドタドタという足音と共に、茉奈が飛び出してきた。

 その目は真っ赤に腫れていて、俺の顔を見るなり、また涙を溢れさせた。


「ばか……っ! もう心配させないでよぉ……!」


 茉奈が俺の胸に飛び込んでくる。

 その勢いにたたらを踏みそうになったが、俺はしっかりと彼女を受け止めた。


「ごめん、茉奈。……ただいま」

「うぅ……おかえりぃ……」


 茉奈の温もりが、冷え切った体に染み渡る。

 ああ、帰ってきたんだな。

 ここが、俺の帰る場所なんだ。


「尊にーちゃん! 煉!」


 葵もソファから飛び降りて駆け寄ってくる。

 煉が「おっと」と葵を受け止め、高い高いをするように持ち上げた。


「ただいま、葵。」

「ずっとモニターで応援してたよ!」


 奥の談話室では、浜田さんが満足げにコーヒーカップを掲げていた。


「よくやった。二人とも、無事で何よりだ」

「浜田さん……勝手なことして、すみませんでした」


 俺と煉が頭を下げると、浜田さんは「結果オーライだ」と笑い飛ばした。


「それに、いいチームワークだったぞ。八咫も褒めてた」

『はい お二人の連携は見事でした。特に煉さんの雷撃による電子機器への干渉は、計算外の効果を発揮しました』


 天井のスピーカーから八咫の声が響き、煉が「へへっ」と鼻の下を擦る。


 一通り再会の喜びを分かち合った後、俺は詩織さんの前に座らされた。

 彼女は真剣な表情で、俺の体に手をかざし、何かを探るように目を閉じている。


「……ふむ」


 しばらくして、詩織さんが目を開けた。


「どうですか、詩織さん」


 俺が尋ねると、彼女は扇子で口元を隠し、少し難しい顔をした。


「悪くはない。荒ぶる気配はなりを潜め、確かに『和魂』の欠片を受け入れたようじゃ。じゃが……」

「じゃが?」

「まだ、不完全じゃな」


 詩織さんの言葉に、場の空気が少し張り詰める。


「不完全、って……どういうことですか?」

「器と中身が、まだ馴染みきっておらんのじゃ。今の尊は、例えるなら水と油を無理やり同じ瓶に入れたような状態。静かにしていれば混ざり合っているように見えるが、強い衝撃――例えば、今日のような激しい戦闘や、強い感情の揺れがあれば、また分離して暴走する危険がある」


 俺は自分の手を見つめた。

 確かに、力は静まった。でも、完全に自分のものになったという感覚とは、少し違う気もしていた。

 借り物の力を、必死に抑え込んでいるような……そんな危うさが残っている。


「じゃあ、どうすれば……」

 茉奈が不安そうに尋ねる。


 詩織さんは、パンと扇子を閉じて、俺を真っ直ぐに見据えた。


「本家に行くしかないの」

「本家?」

「うむ。須佐之男命の総本山。……京都、八坂神社じゃ」


 京都。

 その言葉に、全員が息を呑んだ。


「そこで、荒魂と和魂を完全に統合し、真の神使として覚醒する必要がある。それに……」


 詩織さんは、意味深な笑みを浮かべた。


「京都には、古い因縁も眠っておるからの。おぬしが真に力を手に入れるための鍵が、そこにあるはずじゃ」


 浜田さんが、モニターに日本地図を映し出した。

 関東から、関西へ。

 赤いラインが、西へと伸びていく。


「帝国の監視網は、関東を中心に強化されている。西へ抜けるのは容易じゃないぞ」


 浜田さんの言葉に、俺は拳を握りしめた。

 簡単じゃないことはわかっている。

 でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。


「行きます。京都へ」


 俺は迷わず答えた。


「この力を完全に制御するためなら。俺は、どこへだって行きます」


 俺の決意を聞いて、浜田さんはニヤリと笑った。


「いい返事だ。なら、善は急げだ。準備にかかるぞ」

「はい!」


 煉も、茉奈も、葵も、みんな力強く頷いた。


 窓の外、東の空が白み始めている。

 長い夜が明け、新しい朝が来ようとしていた。


 俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。

 次は京都。

 古の都で、どんな試練が待ち受けているのか。


 俺は、仲間たちの顔を見渡し、静かに闘志を燃やした。

 もう、一人じゃない。

 この絆がある限り、俺たちはどこまでも進んでいける。


 新たな旅立ちの予感を胸に、俺たちは西の空を見上げた。


 

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