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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第二章 荒ぶる神の試練
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第七夜 交錯

 夜の帳が下りた荒川区、素盞雄すさのお神社周辺。

 かつての下町の喧騒は鳴りを潜め、今は不気味な静寂だけが支配していた。


 俺は、闇に溶け込むようにして、神社の裏手にある雑木林を疾走していた。

 足音は立てない。呼吸も極限まで抑える。

 感覚を研ぎ澄ませば、周囲の空気の流れすら肌で感じ取れるようだった。


 《尊、前方30メートルに熱源反応。歩哨が二人いるわ。右側の死角を抜けて》


 脳内に直接響く茉奈の声。

 彼女の『広域視覚リンク』が、俺に神の視点を与えてくれている。

 俺は指示通りにコースを変え、木々の影を縫うようにして歩哨の背後をすり抜けた。


 (……ありがとう、茉奈)


 心の中で礼を言うと、すぐに意識を切り替える。

 目の前には、無粋なフェンスで囲まれた神社の境内が見えていた。

 そこには、帝国の特殊部隊『ゲネシス・キメラ』が設営した仮設ラボと、おびただしい数の武装兵が展開している。


 俺の心臓が、早鐘を打つ。

 恐怖ではない。これは、武者震いだ。

 あの日、制御できずに暴走した力。今日は、それと向き合うためにここに来た。


 ◇


 仮設ラボの中、無機質なモニターの光に照らされた鴫野しぎのは、苛立ちを隠そうともせずに指先でデスクを叩いていた。


「……安定している、だと?」


 モニターに表示された神域のエネルギー値は、不気味なほど一定の数値を保っていた。

 以前観測されたような、爆発的なスパイクは一切見られない。


「はい。周辺住民の感情データにも、大きな変動はありません。恐怖による萎縮効果が浸透しすぎたのか、大きな感情の起伏でも数値に波が現れなくなりました」


 部下の報告に、鴫野は冷ややかな視線を向ける。


「恐怖に慣れた家畜か。つまらん」


 彼は科学者であり、軍人だ。

 彼が求めているのは、神域という未知のエネルギー源を制御し、兵器として運用するためのデータだ。

 そのためには、神域を活性化させるトリガーが必要だった。


「ならば、揺さぶるまでだ」


 鴫野は冷酷に言い放つと、顎で檻の方をしゃくった。

 そこには、午前中に捕獲された動画配信者の若者たちが、猿ぐつわを噛まされ、怯えた目で震えていた。


「被験体を境内に引きずり出せ。神域の中心で、少しばかり派手な『解体ショー』を行う」

「はっ……しかし、境内への突入は最終手段かと」

「構わん。人間の絶望と死が、神域にどのような影響を与えるか。そのデータが取れれば、代わりはいくらでもいる。科学に犠牲はつきものだ」


 鴫野の言葉には、一片の慈悲もなかった。

 彼にとって人間とは、ただのタンパク質の塊であり、データの源に過ぎないのだ。


 ◇


 境内に引きずり出された若者たちが、必死に命乞いをする声が聞こえた気がした。

 猿ぐつわ越しの、くぐもった悲鳴。

 兵士の一人が、無造作にナイフを抜き放つ。


 その光景が、茉奈のリンクを通じて俺の脳裏に飛び込んできた。


 (――ふざけるな!)


 理性が弾け飛ぶ音がした。

 俺は隠密行動を捨て、地面を蹴った。

 爆発的な加速。

 フェンスを飛び越え、境内に着地すると同時に、俺は右手を突き出した。



 俺の手から放たれた衝撃波が、ナイフを振り上げた兵士を吹き飛ばす。

 兵士は受け身も取れずに石畳に叩きつけられ、動かなくなった。


「なっ……敵襲!?」

「どこから現れた!」


 周囲の兵士たちが慌てて銃を構えるが、俺は止まらない。

 若者たちの拘束を素手で引きちぎり、安全な茂みの方へと押しやる。


「走れ! 振り返るな!」


 彼らが逃げ出したのを確認する間もなく、銃声が轟いた。

 俺は即座に反応し、空間を歪めるようにして弾道を逸らす。

 スサノオの力。

 以前のような、怒りに任せた黒い奔流ではない。

 もっと鋭く、静かで、重い力。


 俺は兵士の懐に飛び込み、その腕を掴んで関節を極めた。

 ボキリ、と鈍い音がして、兵士が苦悶の声を上げる。

 俺はそのまま彼を盾にして、別の兵士からの射撃を防いだ。


 (殺さない……!)


 心の中で、強く念じる。

 こいつらは『ゲネシス・キメラ』。遺伝子操作された強化兵士だとしても、元は人間だ。

 もしかしたら、無理やり改造された被害者かもしれない。

 そう思うと、トドメを刺すことができなかった。


 武器を壊し、手足を狙い、戦闘不能にする。

 それだけに徹した。


 だが、その甘さが、戦況を徐々に悪化させていく。


「ターゲット確認。捕獲、または排除せよ!」


 ラボから増援が次々と現れる。

 重装甲のパワードスーツを着込んだ兵士たちが、包囲網を狭めてくる。


「くっ……!」


 数が多い。

 一人を無力化している間に、三人が襲い掛かってくる。

 殺す気でやれば、一瞬で片付くかもしれない。

 あの黒い雷を使えば、この場を一掃できるかもしれない。

 でも、それをすれば、俺は――


 迷いが生じた一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。

 背後から迫った重装甲兵のハンマーが、俺の脇腹を捉える。


「がはっ……!?」


 強烈な衝撃に、視界が明滅する。

 俺は石畳の上を転がり、受け身を取ろうとして失敗した。

 激痛が走り、息ができない。


 (しまっ……た……)


 顔を上げると、無数の銃口が俺に向けられていた。

 ラボの入り口には、冷ややかな目をした男――鴫野が立っているのが見えた。


「甘いな。その甘さが、貴様の命取りだ」


 鴫野が指を鳴らす。

 兵士たちが引き金に指をかけた、その時だった。


 ――ドォォォォォォンッ!!


 夜空を引き裂くような轟音と共に、蒼い閃光が地上へと降り注いだ。

 それは正確に、俺を取り囲んでいた重装甲兵たちに降り注いだ。


「ぐわぁぁぁっ!?」


 強烈な電撃が走り、兵士たちが吹き飛ぶ。

 舞い上がる砂煙。

 その中心に、一人の影が立っていた。


 バチバチと音を立てて放電する特殊警棒を構え、肩で息をする少年。


「……また、一人で背負い込んで……!」


 煉だった。

 彼は怒ったような、それでいて泣きそうな顔で俺を睨みつけ、叫んだ。


「僕もいるんです! 勝手に一人で終わろうとしないでください、尊さん!」


 その言葉が、痛む体に染み渡るように響いた。

 ああ、そうか。

 俺はまた、間違えていたのか。


 俺は痛みをこらえて、ゆっくりと立ち上がった。

 隣に並んだ煉が、力強い視線を向けてくる。


「道は、僕が切り拓きます。だから尊さんは……」

「あぁ。終わらせる」


 言葉はいらなかった。

 俺たちは同時に地面を蹴った。


 煉が駆ける。

 彼の放つ蒼い雷撃が、扇状に広がり、前方の敵部隊を麻痺させる。

 『道を切り拓く』力。

 彼の雷は破壊じゃない。俺の足を止めないための光だった。


 その切り開かれた道を、俺は疾走する。

 麻痺して動けない兵士たちの間をすり抜け、本丸である鴫野へと肉薄する。


「なっ……! 馬鹿な、たかが人間が……!」


 鴫野が驚愕に目を見開く。

 俺の体から溢れ出す力が、以前とは違う質のものに変わっていることに気づいたのだろう。

 怒りや憎しみではない。

 仲間を信じ、共に戦うことで生まれる、澄んだ力。


 俺は右手に力を収束させる。

 黒い波動が、球体となって凝縮される。


神威カムイ……!」


 俺は鴫野の足元の地面に向けて、その力を叩きつけた。

 空間が歪み、強烈な重力波が発生する。

 鴫野と、彼の護衛たちが、見えない巨人の手で押しつぶされたように地面に縫い付けられた。


「ぐぅっ……! こ、これは……!」


 鴫野が呻く。

 俺は彼を見下ろし、静かに告げた。


「人間は、データじゃない。心があるから、強くなれるんだ」


 煉が追いついてくる。

 周囲の敵は、彼の雷撃によってあらかた無力化されていた。


 鴫野は悔しげに歯噛みすると、懐から発煙筒のようなものを取り出した。


「チッ……残光め……不確定要素が多すぎる。撤退だ!」


 彼がそれを地面に叩きつけると、猛烈な白煙が巻き起こった。

 煙が立ち込める中、残存兵が最後の抵抗を試みる。

 その瞬間、鴫野の腕に仕込まれた自爆装置が起動音を響かせた。


「くっ……終わりだ、全てを巻き込む……!」


 死を覚悟したキメラ兵の意識が光る。

 尊は迷わず手を伸ばした。右手から黒い神威が広がり、空間を歪める。


 ――球体状に圧縮される重力場が、自爆の爆風を内側で潰した。

 爆発は腕のキメラ義手ごと押し潰され、轟音だけが残る。

 兵士たちは動けず、煙の中で息を潜めるしかなかった。


 地面に押し付けられた鴫野の目に、尊の姿が浮かんだ。

 瞳には痛みと怒りが宿るが、手は震えていない。


「……貴様は、敵まで守るのか」


 鴫野の声には、驚愕と苛立ちが入り混じっていた。


 尊はゆっくりと地面に膝をつき、傷ついた体を支えながら答えた。


「守るのは……お前じゃない。この場所だ」


 その言葉が、空気を震わせる。

 鴫野の顔にわずかな苛立ちと屈辱が浮かぶ。

 重力場は静かに消え、爆風は完全に封じられた。

 残されたのは、破壊された機材と、静かに息を潜める兵士たちだけ。



 静寂が境内を支配する中、尊はゆっくりと立ち上がった。

 隣で煉が駆け寄り、肩を貸す。


「……尊さん、大丈夫ですか?」


「ああ、助かったよ、煉。お前が来てくれなかったら、やばかった」


 互いに目を合わせ、短く頷く。

 空には月光が差し込み、荒川区の夜を柔らかく照らしていた。


 ――その背後、煙の向こうで地面に伏せた鴫野の瞳には、悔しさと不満が渦巻いていた。



 

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