第八章:リボンの試練
その日、施設内はいつもよりざわついていた。
外部から視察団が来て、職員も利用者も落ち着かない様子だ。
澪も、午前中から落ち着きなく廊下を行き来していた。
午後、惇也は中庭で澪を見つけた。
だが、その手首には――白いリボンが巻かれていた。
「澪……どうしたの?」
近づいても、澪は視線を合わせない。
ぬいぐるみを強く抱きしめ、足を小刻みに揺らしている。
顔はやや赤く、呼吸が浅い。
惇也は、昨日の“ルール”を思い出した。
布が巻かれているときは――「やめてほしい」か「今は嫌」。
「……何かあった?」
澪は返事をしない。
視察団の誰かが、澪のぬいぐるみを無造作に触ったことを、惇也は職員から小耳に挟んでいた。
おそらく、それが原因だ。
「大丈夫だよ。もう、誰も触らないから」
そう言っても、澪はリボンを外そうとしない。
惇也はしゃがみ込み、目線を合わせた。
そして、彼女の手首に軽く指を置き――ゆっくりと布をなぞった。
「これは澪のルールだから。俺は絶対、破らない」
澪はその言葉に、ほんの少しだけまぶたを開いた。
だが、リボンはまだ残っている。
惇也はそれ以上何もせず、その場を離れた。
夜、食堂での夕食時。
澪がトレーを持って席につくと、その手首にはもうリボンはなかった。
彼女は惇也の前に座り、無言でぬいぐるみを差し出した。
それは、彼女なりの「もう大丈夫」の合図だった。
惇也は微笑み、ぬいぐるみの頭を軽く撫でた。
言葉を介さない信頼――だがその繊細さゆえ、壊れやすいことも彼は知っていた。




