第六章:身体が語ること
翌日、午前の陽が差し込む中庭。
澪は、また白い日傘の下でじっと座っていた。
その姿を見つけた惇也は、今日もそっと近づいた。まるで、壊れやすい彫刻に触れるような慎重さで。
「今日も、ここが気持ちいいのかな」
話しかけながら、彼は彼女の隣に車椅子を止めた。
澪は相変わらず何も言わなかったが、彼が来たことを明らかに“受け入れて”いた。視線の向き、身体の角度、手元の動き――それらが、彼女の答えだった。
「……手、見せてくれる?」
惇也は、ゆっくりと手を差し出した。
澪は一瞬だけ動きを止めた後、ぬいぐるみを胸元に引き寄せ、その小さな右手をそっと伸ばした。
惇也の指が、彼女の指先に触れる。
触れた瞬間、わずかに体温が伝わる。
そして、驚くほど柔らかな手の感触が、彼の手を包んだ。
(こんなに……細いんだな)
惇也は、澪の手のひらをそっと両手で包んだ。
彼女は逃げなかった。拒まなかった。
それどころか、ぬいぐるみを下ろし、空いた左手で、彼の指先をなぞった。
言葉にならない問い。言葉にならない答え。
それらが、手のひらの温度として交わされていた。
「澪……」
思わず、彼女の名前を口に出してしまった。
その声に、澪は小さく首を傾げる。
「……痛いの、好き?」
惇也はふいに、そう訊いてしまいそうになる自分に気づき、喉で言葉を止めた。
(なにを聞こうとしてる……俺は)
だが、そのときだった。澪が、指先で彼の手の甲を軽くつねった。
ほんの小さな圧力。だが、それは明らかな「能動的な行動」だった。
「……」
澪の目が、じっと彼を見ていた。
好奇心、反応、そして――実験。
(この子は、試してる……)
「少し痛いの、平気だよ。むしろ、好きかもしれない」
惇也は微笑みながら、あえて正直に言った。
澪はまた、彼の手の甲をつねった。さっきより、ほんの少しだけ強く。
そして、小さく、くすりと笑った。
その笑顔は、今までのどんな表情よりも人間らしく、生きていた。
その後も、澪は惇也の指や手のひらを、何度も優しく、時に鋭くつねったり、押したりした。
それは遊びのようでいて、どこか儀式めいたやりとりだった。
惇也は一切制止せず、むしろその一つひとつに「ありがとう」「それはちょっと痛いね」と、丁寧に応じた。
彼女の小さな暴力。それを惇也は、愛しさのように受け止めた。
その日、澪は初めて、自分から惇也の車椅子のひじ掛けに触れた。
そして、寄りかかるように彼の肩に額を預ける。
惇也は、動けなかった。
まるで、全身が凍ったようだった。
(この子は、俺のどこまでを受け入れるつもりなんだ……)
答えはわからない。
だが、その瞬間、惇也ははっきりと自覚した。
自分が、澪に恋をしていると。




