第186話 あと少し
『えー、この度はご利用、誠にありがとうございました。間もなく目的地となります。皆様、御忘れ物の無いようご注意くだせぇ』
愉快、極楽の空の旅は思いのほかあっという間だった。
本来であればまず見ることの出来ない景色の数々。
雲に手が届きそうなほど高くから眺めた緑豊かな異世界は、息を呑む程の絶景だった。
それこそ、いつまでも眺めていられそうな気がするほどに。
きっと帰りにはそんな悠長なことも言えるようになっているだろう。そう思いたい。
(……いよいよ、か)
当然、まだレティセニアまでの道のりは残っている。
しかし着いた。とうとう、ルーレイアまでやって来た。そう思うだけでも何かが込み上げてくるのを感じる。
行けばきっと、己の中でくすぶり続ける違和感を解消してくれる何かがある。
それがどういう形になるかは分からないが、その確信だけはあった。
この巨大な飛行船の着陸のように穏やかなものになるのか、それとも。
『――大変お疲れ様でございやした。またのご利用、お待ちしておりますぜ』
やはり念を入れて、この町で可能限りの準備を整えておいた方がいい。
観光都市のレティセニアよりは、そういう部分に力を入れてくれていると助かるのだが。
あとは、可能な限り情報収集も正確に。
リーテンガリアからは見えない部分も、ここなら見えて来る筈だ。
「んっ、ん~……!」
「やっとつきましたぁ~……っ!」
今はもう一つ、地面に足がついている感覚を取り戻す必要もありそうだが。
窮屈とは正反対に位置する設備の数々。
ふかふかのベッドまで満喫した上で求めるなんて贅沢なことこの上ないが、浮かれた気持ちのまま危険地帯に繰り出すよりはいいだろう。
少し慎重に構えるくらいで丁度いい。
ここから先はサーシャさんの助けも借りられな――
「サーシャ様ー。[ラジア・ノスト]のサーシャ・ロクアニク・ソーアリッジ様はいらっしゃいますかー?」
……これはまたなんてタイミングの悪い。
まさにこれからナターシャさんに会いに行こうとしているところだというのに。
居場所を知っているということは[ラジア・ノスト]の関係者だろう。
身内のことならある程度把握しているのでは?
(非常事態ではないと思うが……)
もしそうだったら、放置していくのもそれはそれで罪悪感。
予定を変える事ができないから、猶更。
「――なんですって!?」
だが、表情を見てすぐに分かった。声を聞いて分からない筈がなかった。
これは放っておいても大丈夫だ。むしろ積極的に放っておきたい。
「……皆さん、大変です。緊急事態です」
「き、緊急事態? サーシャさん、それってどういう……?」
「待った、アイシャ。それを聞いては――」
「――姉様からの緊急の呼び出しです!」
「「「あぁ…………」」」
一歩遅かった。
アイシャが聞き返すより前に止めておくべきだった。
俺が間に合っていれば、少なくともこんな諦めきったような目に変わることはなかったのに。
見事なまでにシンクロすることもなかっただろう。もう少し方向性が違っていれば、また別の感想も持てたというのに。
呼び出しも何も、最初からそういう予定だった筈。
ナターシャさんも連絡は受けていたと思う。
それでも、遅れていることを心配して手紙を送った。それが今渡された。
仕舞いに、サーシャさんが妙な解釈を挟んで受け取った。どうせこんなところだろう。
最後の最後で全てが台無しだ。
「そういうわけですから、皆さん。私はこれで。無事再開できるよう、微力ながら応援しています」
それでも、全てを見失っているわけではないらしい。
そういうところは本当に手慣れているというか、なんというか。
どんな状況だろうと――というには大げさかもしれない――こういう調子なんだろう。
「(……あなたがしっかりするんですよ? 頼りにされているんですから)」
「(勿論です。サーシャさんもお気を付けて)」
「(あなたはとにかく皆さんの心配だけしていればいいんですよ。……でも、悪い気はしませんね)」
わざわざ顔を近づけてきて、あおんなことを言うくらいの余裕は残しているようだから。
しかし、そんな風に感じたのもほんの一瞬。
「待っていてくださいね、姉様ぁ――っ!」
次の瞬間にはもう、走り出していた。
敬愛する姉の元へと、全速力で向かっていった。
「あ、あんなに早く走れるんだ……」
「まさに電光石火、って感じ? もう見えないし。いくらなんでも速過ぎない?」
「本当にどんなことでもやりかねないな、あの人……」
こんなところで有言実行する姿を見せられても。
誰もそんなことは疑っていないというのに。……関係ないか。
あれでこそサーシャさん、と言うべきだろう。元気なことだ。
……ナターシャさんがいなくてほっとした、なんて口が裂けても言えるわけがない。
それこそ挽回不可能なレベルの減点を食らっていただろう。
どうでもいいとはいえ、サーシャさんに必要以上に悪印象を持たれるのはあまりよろしくない。
俺個人の問題では済まないかもしれないのだから。
「いいじゃない。元からそういう約束だったんだから。ここまで連れてきてもらったんだし、あたし達も早く行きましょ?」
ほんの少し前までそよ風だった筈の嵐は、怒涛の勢いで去っていった。
いつまでも思い出してはいられない。
ここは一つ、落ち着き払っているリィルを見習わせてもらうことに――
「リィルさん、安心してるのが隠せてない、です」
「やっと着いたからってことにしてやれですよ、マユ。リィルはあれで誤魔化してるつもりでしょーから」
「確かにそっちの方がよさそう、です」
「これっぽっちもよくないわよ!」
……見習わせてもらうことにしようと思ったが、ひとまず保留。
あれは駄目だ。さすがに駄目だ。
……満足するまでそっとしておこう。決して関わりたくないわけではない。
「やばっ……! 聞こえてやがったですか。マユ!」
「逃げるが勝ち、です」
マユもイルエも何故そこで煽る。そしてなぜ逃げる。
リィルだけかと思えば、お前達もか。
「リィルも子供ですね。いつも口うるさくしてるのに、自分が一番楽しそうにしてるじゃないですか」
「ま、まあまあ……ここまで来ることなんてなかなかないし、ね? リィルちゃんもちょっと浮かれちゃったんだよ、きっと」
……そういうことなら、こちらも先に用事を済ませておくとしようか。
「ま、待ちなさ……っ! 待ちなさいってば!」
「どーしたですか? もう疲れた顔してるじゃねーですか」
「体力ならマユ達の方が上、です」
全体的に話しにくさのある人はいない。
町並みに特徴的な部分が見られないのは、これまでの街とどことなく似通っているからだろう。
勿論、ちゃんと探せば見つかる筈。
「…………ちょっと?」
「た、多分……?」
しかし今は後回し。
それこそ、時間のある時にでも探せばいい。
「だ、大丈夫だよ! きっと三人とも、少ししたら落ち着くと思うし……」
「それ、わたしの目を見てちゃんと言えますか? アイシャ」
「うっ……」
一人ではやはり心許ない。
観光案内所のようなものはさすがにないだろう。少なくともストラで見た覚えはない。
「ほんとしょうがないですね、あの三人。ね、キリハさ――……キリハさん?」
「あれ? い、いない……? キリハー?」
アイシャ達と協会まで行ったところで、今度はリィル達を置き去りにしてしまう。
「はいはーい。興味本位で近くのお店を見に行って、そのまま道に迷ったに一票」
「呑気な、ことを……」
「――なるほど、なるほど。そういうことでしたか。貴重なお時間、ありがとうございます。お店の方にも是非お邪魔させてくださいね」
まずはやはり近場から。この手に限る。
話しやすい人が多いおかげで助かる。
年齢問わず、レティセニアの事情には詳しいようだった。
「わーお、やるねぇ。早速ナンパなんて」
「いやあれどう見ても違うだろ!?」
「情報収集をしているようにしか、見えない」
「分かってる分かってる。アイシャちゃんも、ただの冗談だから気にしないで――」
「キリハ……? どうして……?」
「……知らないっと」
「ここで投げ出すなよお前!?」
……何か騒がしい、ような?




