第185話 選択の理由
「…………」
乗客の誰もが利用できる広間の一角。
座り心地の良いソファと、程よい高さの丸テーブル。
何時間にらめっこを続けても、きっと結果は変わらない。
そのくらいのことは頭で理解していた。
していたのだが、『もしかしたら何かあるのでは』という考えを捨てきれなかった。
(不自然なイラスト――いや、記号はない……上下左右を入れ替えても文字が一致するわけでもない……)
傍から見れば、ひょっとすると無駄な時間。
それでも後から見落としたことに気付くよりはずっといい。
紙の角をぴったり合わせた時、一致する文字があるのは一通につき一か所。
何度確かめてみてもその事実は変わらない。
俺が知る限り、リーテンガリアに上下左右を入れ替えたような文字も存在しない。
リーテンガリアではなく、他の地域で使われている文字と一致するのではないか。
一瞬そう思ったが、それも違った。
今この飛行船に乗っている中では誰よりも詳しいであろうサーシャさんが首を傾げていたのだから、可能性は非常に低い。
レティセニアを現す文字をそれぞれ横に倒しても、逆さにしてみても、それは同じだった。
それに、誰かさんがこっそり仕込んだ翻訳能力が機能していない。
その線は折れたと考えても問題はないだろう。
(それにしても、あの人は何故レティセニアまで……)
おそらく件の人物が想定しているであろう、マユの失踪場所。
そこからルーレイアはまるで別方向。
休みなく進めば徒歩でも辿り着ける場所ではあるが、候補地としては最下位。
どこもかしこも駄目だった時、最後の望みをかけて向かうような場所。
あの手紙を出した時点でレティセニアやその近くへ移動していたと仮定すると、どうも違和感がある。
俺達と同じように空から馬車以上の速度で移動していたとしても、最初からルーレイアを目指していなければならないわけで――
「……まだ起きてた、ですか? もう真っ暗、ですよ?」
まさに今そうであるように、何か目的があったと考えるべきだろう。
マユの捜索を一度断念しなければならない程の何かが。
個室から出て来たばかりのマユは、まるで眠気を感じていないようだった。
つい数分前、本格的な睡魔に襲われ部屋に戻ったサーシャさんとはある意味で対照的。
本来、こんな時間まで起きている方が問題なのだが。
「お互い様じゃないか。遅くまで起きているのは。サーシャさんも少し前まではここにいたんだがな。入れ違いか」
「二人とも、すっかり仲良し、です」
「まあ、それなりには。むしろ、最初の頃は警戒し過ぎだったな。ここへ来るまでに何度か話をしてみて確信した」
お姉さんに対する妄信めいたあれこれを脇に置けば。
それ以外に関して言えばむしろおかしな部分を見つける方が難しい。
戦闘は専門外というだけで、冒険者の平均から見て下にいるようにも見えなかった。
これまでの数々の発言も、考えようによってはちょっと熱が入り過ぎているだけと取れなくもない。
もしかしたら、探せば他にもいるかもしれない。探せば。多分。
今気になっているのはただ一つ。タイミングの良さだけ。
俺達が向かおうと考えていたまさにその時、偶然ルーレイアに向かうところだったなんて。
しかし冷静に考えれば考える程、俺達に必要以上に協力するメリットがない。
だからこそ余計に違和感がある。
「でも、あんまり仲がいいと、またやきもきしてそう、ですね」
「まさか。ないない。そんな雰囲気じゃないのは見ていれば分かるだろう?」
「そう思ってるのはキリハさんくらい、です。この前だって、二人とも楽しそう、でしたよ?」
いつの話をしているのだろう。
どこかこの世界とは別の世界でも観測できるのだろうか。
傍目から見てあのやり取りを楽しんでいると感じるのは正直、相当バイアスがかかっているとしか……
嫌とは言わない。
言わないが、ああいう調子だと待ったをかけられることが大半だった。少なくとも向こうにいた頃は。
「それに、キリハさんの周りにはいろんな人が集まって来る、ですから。あの時、競走した人だってそう、でした」
「別に俺に限った話では……いや、確かに。テッドの場合、仲がいいと言うようなものではなかったんだがな」
どこかの大会で出くわしたら、それはそれは派手な争いを繰り広げることになるだろう。
わざわざリベンジを予告してきたくらいだ。
今頃は山の中――ではないにせよ、どこかで鍛錬していそうな気がする。肉屋の仕事はいいのか。
二〇代後半と聞いた時にはさすがに驚かされたが。
本当にほとんど変わらないなんて。
「リットさん、とも、よく喋ってるみたい、ですし。アイシャさんは知ってる、ですか?」
「……だからこそできるだけ気を付けている、としか」
「ふふ、魔物には負けないキリハさんでも、勝てないみたい、ですね?」
「生憎、俺は戦闘が専門だ。ああいうのはどうしても」
「それでもなんとかしようとしてる、ですか」
「放置していい理由にはならないだろう?」
特にあの件に関しては。色々な意味で。
リットにも度々世話になっているからこそ、どちらに対しても罪悪感。
大元を引きずり出す事さえ出来ればこんなことには……今はいいか。
「ところでどうした? 今日は随分いろいろと突っ込んでくるじゃないか。……前振りなんてしなくても、聞かれた事にはちゃんと答える。勿論、答えられる範囲で」
マユの本題が最優先だ。
普段から冗談めかして何か言うことはあっても、ここまでとなると珍しい。
その原因も、状況を含め諸々を考えればすぐに見当はついた。
「……キリハさんは、ストラを、みなさんを選んだ、ですよね? [ラジア・ノスト]に、誘われた時」
今こうしている間にも、レティセニアは近付いている。
それは同時に、マユが決断をするときも近付いているということ。
迷っている、とでも言えばいいのだろうか。
その人に会った時、どうすればいいのか。
「それって、やっぱり約束があったから、ですか? アイシャさんとの、とか」
「勿論それもある。否定はしない。ただ、マユも気付いていると思うが――……」
「断らない方法だってあった筈、です」
頷くと、マユはやはりと言わんばかりの表情だった。
そこまで分かっているのなら必要以上に話を引き延ばす必要はない。
「やっぱり、キリハさんも分かってた、ですよね? だったらどうして、ですか?」
「さっき言ったのが理由の一つ。ただ、一番は……やっぱり、あの町に、あの場所に、心の底から『居たい』と思ったから、だろうな」
それこそいくらでもやりようはあっただろう。
そうしなかったのは、その方法を詰めようとしなかったのは、それ以外のなんでもない。
言ってしまえば、俺の我儘だ。
「なんて、[ラジア・ノスト]のやり方について行けるか分からないとか、なんとも情けない理由もあるから参考にしない方がいい」
「別に、参考なんて……」
「だったら訂正。あまり重く捉えない方がいい。……できることなら、俺はマユの本心を尊重したい。似た選択になるかどうかはただの結果だ。そこには何の関係もない」
「…………」
「さ、小難しい話はここまでだ。下手に焦るより、じっくり考えればいい。まだ時間には余裕があるんだから」
「……また聞いてもいい、ですか?」
「それは勿論。いくらでも」
俺との話が何か糸口になるなら嬉しい限り。
ただ、そう言うとマユは、何故か唐突にいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「それはそうと、ついていけないなんて嘘はよくない、です。普通にできる、ですよね?」
「いやいや、さすがに買い被り過ぎだ。単純な武力ならまだともかく」
「それだけでなんとかしそうだから言ってる、ですよ?」
「そんなことを言っているとまたサーシャさんに減点されるじゃないか」
「キリハさんにしか言わないから安心、です」
……まったく、とんでもない。見捨てるつもりか。




