第176話 危険な妨害
「………………ここはこの世の地獄かな?」
肩と肩で、荷車と荷車でぶつかり合いながら走り続けるキリハ達。
他の参加者達も、同様にルールの中で潰し合いを続けていた。
そんな様を安全圏から試合を眺める住人達は熱狂し、歓声を上げる。
この町に辿り着いた当初、レアムが抱いた『ストラみたいに穏やかな町』という印象は、遠くに聳える山の更に向こうへと飛び去って行った。
希望した観客には、車両からの観戦が提供された。
中には脱落した参加者も混じっている。しかも、脱落した参加者の中には逆に客車を引く者までいた。
石畳を車輪が叩き、不規則な振動がレアム達を揺らす。
一同は客車の上で、苛烈さを増す試合を追い続けた。
「走ってるやつらにとっちゃ天国でしょーよ。あいつらの顔だって見たでしょーが」
「そういう問題じゃ、ない」
キリハはまたしても曲がり角で隣を走る選手とぶつかり合う。
つい昨日まで御者の乱暴な運転を不安視していた姿はそこになかった。ほとんど同類である。
アイシャもリィルも、欠けるべき言葉を見つけられないまま呆然と眺めていた。
「っていうかさ、キリハのやつなんであんなノリノリなんだよ。……な、あれって本当にキリハなんだよな?」
「キリハなら先に行ったんじゃないの? マユちゃんといっしょに」
「あの子が一緒なら道に迷うこともないわよね」
レイスの問いに答えるその表情は、レイスやトーリャが一度も見たことのない虚ろなもの。
まさに今も[イクスプロア]の面々の先で二位争いを続けているのだが、彼女達の瞳にキリハの姿が映ることはない。
正確には映っているが、それをキリハと認識しようとしなかった。
「先頭はマユ選手! 後続を突き放す勢いで走り続けています! やはり最初の牽制が効いたか!? 二位集団の熾烈な争いを上手く逃れました!」
マユはキリハより先を走っていた。
二位集団から大きく離れ、キリハ達が次の通りに差し掛かった頃、その姿は先の角へ消えていく。
キリハの暴れぶりに困惑していたレイスも、それどころではなくなってしまった。
「………………あり?」
「話しかけてもむだですよ。アイシャもリィルもおかしくなっちゃってますから」
「現実が受け止められなかったんじゃないかな。まあ仕方ないよね。あんなものを見せられたら。あはは」
「笑ってる場合かよ!?」
キリハを取り囲む集団は減るどころか増える一方だった。
最初、五人によって作り上げられた包囲網。
しかし既に、空いていた逆側にも他の参加者によって埋められている。
道の幅が狭くなるようであれば、決まって最初の五人に道を譲っていた。
キリハもその隙を突こうとしない。あくまでも最初の男との勝負に重きを置き続けている。
「キリハ選手、テッド選手の激しい当たりにやはり動じない! むしろぶつかる! ぶつかりに行ってます!」
どれだけぶつかろうと、両者がバランスを崩すことはない。
町中の凹凸に揺れる台車をものともせず、二人は熾烈な争いを続けていた。
レイス達こそキリハと長く渡り合えるテッドという人物に驚いていたが、他の観客はその逆。
対格差をものともしないキリハに驚愕していた。
「いやいや、もう笑うしかないよ? なんとなくキリハ君の狙いは読めるけど、あんな真っ向勝負を仕掛けるなんて思わなかったし」
「いつも通りっちゃいつも通りでしょーが。いつもなら避けてるとこを避けねーだけで」
「いやそれメチャクチャ重要だろ!?」
「オレもてっきり、いつものようにかわすと思ってた」
結果的にマユは首位を独走し、キリハ達の激突を恐れ後ろの集団も追い抜こうとしなかった。
そしてそれこそがキリハの狙いだろうとレアムは考えていた。
事実、参加者たちの意識は良くも悪くもキリハに集まっている。いつ挟み撃ちにされてもおかしくない状況だった。
「ぶつかる! またぶつかる!! 更にぶつかる!! これほど激しい争いがこれまでにあったでしょうか? 私も興奮が抑えられません! いけ、そこだーっ!!」
更に、司会が煽る。
しかしキリハ達はリズムを乱す事無く、町中の観客を沸かせるように激しいタックルの応酬を繰り広げる。
「んー……なんか気の毒だね? 他の参加者」
「……キリハへの妨害が、結果的に他の参加者にまで影響してる」
「そりゃあんな狭い道ばっか走ってたらそうもなるでしょーよ。……ほら、そろそろ大通りに出るみてーですよ?」
状況に変化の兆しが現れたのは、スタート地点から通算して一〇個目の曲がり角。
町一番の大通りを頑なに避けていたコースが、いよいよその場所に差し掛かろうとしていた。
その先には協会の支部もある。当然ながら、警備隊が止めることはない。
「被害額がどれくらいになるか見ものだねぇ」
「いや、そこまではしないだろ……多分」
「趣旨から、外れてる」
「大丈夫ですよ。キリハさんそういうの得意ですから」
観戦に戻ったユッカは既にアイシャ達の説得を諦めていた。
何を言っても聞く耳衣を持とうとしないのである。アイシャにとってもリィルにとっても、それほど衝撃的な出来事だった。
一方でユッカも、レースが終わった後の事は一切考えないようにしていた。
何が起こるか、特にリィルとの付き合いが長いユッカでさえ予想できなかったのだ。
「さあ! マユ選手がやや苦戦しながら通り抜けようとしているこの大通り! 団子状態の選手達にとってはますます厳しい道のりとなるでしょう! この争いを制すのは一体誰なのか!?」
そして、ついに曲がった。
キリハ達の前に立ちふさがるのは大人を押し潰せるほどに巨大な岩と、負けず劣らずの大きさの木箱。
路上に無作為に置かれたそれらは、この場所には存在しない筈のもの。
このレースのためだけに、予選の間に設置されたものだった。
「有志の皆さんによって大量の障害物が置かれた最初の山場! ここではキリハ選手を取り囲むこともできません! 参加者はどう出るのか!?」
中には荷車一台が辛うじて通れる程度の隙間しかない場所もあった。
激突を続けていたキリハ達も、とうとう散り散りになる。
鋭角に曲がり、障害物に沿い、時には旋回しながら走り続ける選手達。
それは決して二位争いを続けて居た面々だけではなかった。
「後方からクブラー選手! 速い速い! 更にその後をスロゥ選手とガッド選手が続きます! 反対からはナイト選手も前に! 前に出ます! 勝負に出たか!?」
鬱憤を募らせていた選手達も絶好の好機とばかりに前に出る。
「ガッド選手、クブラー選手にぶつかり……あぁーっ! やられてしまいました! 車輪が壊れてしまいました! ガッド選手失格! 失格です!」
更に前に出た選手たちが争いを繰り広げる。
「あっ……!?」
しかしながら、それだけでは終わらなかった。
「あーっとこれは! これは危ない! 障害物を投げています! それどころか……ガッド選手の重りです! いつの間に回収したんでしょう!?」
追い越した選手が、キリハ達目掛け、手近なものを投げつけた。
挙句、他の参加者の荷車の重りまで投げつけた。
「「――知ったことか!!」」
しかし、その程度でキリハ達が止まることはなかった。
「しかしテッド選手とキリハ選手! これを蹴り返す! 更に他の木箱にぶつけてそれも跳ね返す! しかし速度は落ちない! さすがとしか言いようがありません!」
怪我人はない。
キリハもテッドも、投げつけた本人にぶつけ返すだけの技術を持ちながら、そうしなかった。
「汚ねー真似してんじゃねーですよーっ!」
「今のどう見ても反則ですよ反則! 卑怯者ーっ!」
とはいえ、熱狂していた観客にとっても看過できないことに変わりはない。
イルエやユッカだけでなく、他の観客からもブーイングが巻き起こる。
「イルエちゃんもユッカちゃんも落ち着いて。お願いだから落ち着いて。完全にノリがあっちの人と同じだよ?」
「「だって木箱を!」」
「うんうん、確かにその通りなんだけどね? 怒りたくなる気持ちも分かるけどね? もうちょっとでいいから落ち着こう? はい、吸ってー……吐いてー……」
幸い、小道から顔を覗かせ観戦するレアム達の元へ破片が飛ぶ事はなかった。
しかし危険な行為であることに変わりはない。
「先程のクブラー選手達の妨害には観客席からも非難の嵐! 置かれた障害物以外にまで手を出してしまったのがやはりまずかったか!?」
選手の妨げにならないようコースを走る審判達。
足を止めることなく協議を続ける彼らが問題視したのは、やはり先程の妨害行為。
「審判による審議も行われているようです! とりあえず選手の皆さんはそのまま走り続けちゃってください! 置いて行かれちゃいますよー!?」
司会の言葉がなくとも、誰も足を止めていなかった。
キリハやテッドは勿論、新たな二位集団が形成されていく。
「えー……なになに……? ふむふむ、ははぁ……なるほどなるほど?」
果たして、審判のジャッジは。
「――続行! 続行です! 負傷者がいない事を理由に続行の判断が下されました! 失格はなし! 結果的にテッド選手とキリハ選手に救われたーっ!」
既にクブラーは二位争いから脱落しつつあった。
とはいえ、当然ながら、審判のジャッジに納得できない者もいる。
「ちっ……ちょっとでも当たってりゃあいつら落とせたのに。キリハなら上手いことできたでしょーが」
「キリハさん、キリハさん! 次が来たら手で! 手で壊しましょう!」
ユッカやイルエがまさにそれだった。
「こっわぁ……イルエもユッカちゃんも怖っ……」
「怒り心頭、って感じだねぇ」




