第164話 あの笑顔を
楽しい楽しい食事を終え、どこの町も寝静まった頃。
「楽しそうで何よりですね」
「そんな顔で言われても素直に受け取れないんだが?」
待ち構えていたのは、どことなく冷めた表情のイリアだった。
空に浮かび上がるように現れた誘い文句。
俺以外、どれほど特異な能力を持っていようと目にすることのできない秘密のメッセージ。
従うまま向かった先はルーラの町。全くと言っていいほど知り合いのいない町だった。
「冗談ですよ。この程度の不平不満を伝えるためだけにわざわざ呼び出す筈がないでしょう?」
「ああ、そうしてくれ。次からは是非ともそうしてくれ」
「違うと言っているでしょう」
数年前とはいえ、実際に何度もやられた身。
今更『心外だ』と言わんばかりのポーズをとられたところでどの口が言うか、としか返しようがない。
しかも直接姿を見せる回数が減ったのも、自重によるものではない。
全く別の手段を講じた結果でしかなかった。
「あっても精々、あなたの夢見がとても愉快なことになるくらいでしょうね」
「何が精々だ。無駄づ怪め」
それ見たことか。
久方ぶりに見たイリアのいい笑顔には警戒心が募る一方。
いくら俺相手の制約が緩いにしてもだ。
眠りながらひたすら単独公演を延々と頭に叩き込まれる身にもなってほしい。
「それで? わざわざルーラまで移動したんだ。何か理由くらいあるんだろう?」
「当然です。あの町ではいつあなたの知り合いに遭遇するか分かりませんから」
「何もそこまで警戒する必要なんてないだろうに……」
そもそも、現状アイシャ達の前に姿を晒して大きな問題になるようなことがない。
人知を超えた力の大部分に制約をかけた上で現界しているのだから。
その本来の力も、俺が言いふらさなければいいだけの事。
本人的にどうしても納得ができないというのだからどうしようもない。
理由は決してヘレンに関わるものだけではないだろう。具体的には、個人的なもの。
原因となった出来事を思えば何も言えない。
「今あれらの前に姿を現す必要などないでしょう。物事には順序というものがありますから」
「まあ……確かに片付けるべき問題が山積みなのは間違いない、か」
しかも、現在進行形で増え続けているようなものを。
あの新種の魔物は特にそう。下手に魔結晶を破壊しても絶対終わらない。そんな確信めいたものがあった。
しかもストラへ引き寄せられた原因が先日の触手だというのだか洒落にならない。
より正確には触手が暴れ、かつ俺が迎撃したことで大気中に餌が豊富になってしまったのが原因。
クネイシーの肥大化も、元を辿ればそこに行きつくのではないかとオーキスさんは推測していた。
やはり、姿を見せることなく仕留めたのもあの人だったらしい。
俺の力が分かっていればあそこまでする必要はなかったかもしれない、なんて言葉と共に語ってくれた。
「さすがと言うほかありませんね。この短い間にあぁも連続して異常事態に巻き込まれるなんて」
「誰かさんと出会った頃からだろう。何を今更」
「心外ですね。あの出逢いを魔物の発生ごときと同じ扱いなんて」
「誰もそこまでは言ってない」
あんな経験をして忘れられるやつがいるのなら是非一度お目にかかってみたいものだ。
それまで師匠のトレーニングを受けるばかりだった日々が大きく変わるきっかけでもあった。
……まさか、あれほど常識が欠如しているとは思いもしなかったが。
「冗談ですよ。追われたあの夜はお互い本当に余裕も何もありませんでしたから。あなたがその後の事まで含めている筈もありません」
「またそうやって人の頭の中を除いたように的確に……」
「力がなくとも分かりますよ。分からない筈がありません。それとも……あなたは違うと言うんですか? 桐葉」
「……誰も言ってないだろう、そんなこと」
ご満悦なイリアは、言葉を返さず微笑んでいた。
まるで――いや、実際に何もかもを見透かされている。
俺が今、イリアの言葉に安堵していることも、何もかも。
これまで一度も聞いてこなかったわけではなかった。
むしろその逆。一時期は、自分でもしつこいと思うくらいに確認した事さえあった。
その時のイリアの答えも、今と根っこの部分は変わっていない。
そうであってほしいとこれまで願っていたからこそ、その答えにはただただ安堵するばかりだった。
かといって、『今に始まったことでもない』なんて流せるわけがない。
「夜に二人きり、というには少々味気ない場所ですが……この静けさを思えば悪いものでもありませんね。あなたの心臓の鼓動まで聞こえてきそうです」
「何様の目線で評価をしたらそんな言葉が出てくるんだろうな?」
「女神様に決まっているでしょう?」
……言うと思った。そんなことだろうと思った。
余計な事を聞くんじゃなかった。こいつの答えなんて目に見えていたのに。
「お前みたいな神がいてたまるか、まったく……」
「あら、お約束を律儀に守らなくてもいいんですよ?」
「だったらそんな愉快に笑いながら言うんじゃない」
説得力も何もあったものじゃない。
何もそこまで面白がることはないだろう。
ひとしきりくすくすと笑っていたイリアだったが、ふと、何かを思い出したように静まる。
少しずつ距離を詰めてきたのもきっと気のせいではないだろう。理由にも心当たりはあった。
「……本当に、あなたの心臓の鼓動まで聞こえてきそうですね」
「そんなに耳を澄ましたところで速まるわけがない。……変えるものか、簡単に」
あの頃の記憶が完璧に残っているわけではない。
意識もおぼろげで、覚えていない事の方が多いくらいだった。
だがそれでも、脳裏に深く刻まれたものはある。
忘れようとしても絶対に忘れられない程のものが。
「……身体は、ちゃんと大切にしてくださいね?」
「言われなくても」
「言っても足りない、の間違いでしょう。あなたの場合」
「失敬な」
それに、この世界に来て知った物だってある。
「ただ、まあ……あの笑顔が見られなくなると思うと、辛いものもある」
「それだけですか? 本当に?」
「言わせるな、恥ずかしい」
そうやって、全てを見透かしたイリアに意味深な笑顔を浮かべさせると分かっているから言いたくないのに。
「今の言葉、しっかりと記憶しましたよ? ……絶対、ですからね?」
「ふ、そこまで言うなら神にでも誓ってみようか?」
「では今ここでやってもらいましょうか。……さあ、どうぞ?」
「こんな短いスパンで二度も言わせるな、あんなこと」
あんな風に食卓を囲めたのも、こんなやりとりができるのも、結局イリアが手を尽くしてくれたおかげなのだろう。




