第158話 故郷の味
「むぅ、むむむ……!」
眉間に皺を寄せ、一つ一つ手に取るリィル。
その表情は真剣そのもの。少しでもいいものをという思いがこちらに伝わって来るかのようだった。
「り、リィルちゃん? そんなに悩まなくても……」
「同感だ。ここにある野菜ならどれを使っても上手くいく。俺が保証する」
誇張ではなく、本当に。
あっても精々、虫が入り込んでいるくらい。そのくらいならどうにでもなる。
こぼした一言のおかげか店主の機嫌はいいものの、いつまでも居座るわけにはいかないだろう。
「いいからちょっと静かにして。もうちょっとで決まるから」
「さっきも同じこと言ってなかったっけ……」
「今度こそもうちょっとなの!」
昨日はそこまででもなかった筈なのだが。
既にこの店で足を止めてから三〇分以上経過してしまっている。
周りの買い物客の顔ぶれも何度変わったか分からなかった。
このままの調子ではいつ陽が沈んでしまってもおかしくはない。何せまだ一店目だ。
できるだけ隅に避けていたが、それでも厳しい。
さすがに占領し続けるのも申し訳なくなって、アイシャと二歩後ろへ下がる。
その顔には戸惑いにも似た疑問が浮かんでいた。
「リィルちゃん、どうしちゃったんだろうね? この前の料理が作りたいなんて言ってたけど……」
「……それに関してはもう、俺に責任があるとしか」
「へ?」
思えばあれが原因になってしまったのだろう。正直、他に考えられない。
てっきりなんの気なしに聞いたものだとばかり。
嘘をついたわけではない。ないのだが、こうなると分かっていれば別の答えを用意しておいただろう。
「昨日のことは一通り話しただろう? ……で、途中でいきなり聞かれたんだ。好きな料理はないか、と」
「…………それって、もしかして」
「もしかしなくてもその通りだ。正直、選択肢を誤った気がしなくもない」
それこそ、カシュルのパイとか。
さすがにバスフェーに合わせて販売されたあれやこれを選ぼうとは思わない。
以前のバスフェーで振舞われたメニューは期間限定のもの。
そのために用意した食材すら少なくないと聞いている。とんだ大盤振る舞いだ。
(しかし、ユッカも上手く逃げたな……)
さすが幼馴染というべきか。リィルの反応は読めていたのだろう。
ひょっとすると、昨日の夜にでもそれを決定づける何かがあったのかもしれない。
『じゃ、じゃあわたし待ってますね! キリハさんたちが戻ってくるまで! マユと話したいこともありますし!』
依頼は午後に受けようと思うと言った途端にこれだ。知っていたとしか思えない。
いっそ理由でもつけて来てもらった方がよかったかもしれない。リィルへの制止役として。
何も言わずに送り出すとはやってくれる。
もっと早く気付くべきだった。先日の疲労も残っていないのにあんなことを言い出す違和感に。
「じゃ、じゃあもしかして、ユッカちゃんがマユちゃんとお話しするって言ったのって……」
「本音は別のところにあるだろうな。間違いなく」
「ユッカちゃん……」
「言っても仕方がない。今回はユッカの直感が正しかっただけの話だ」
少なくともマユはユッカと話し合う予定なんて立てていなかった。
ユッカがああ言った時、小首を傾げていたのだ。
少なくともあの時のマユにとって想定外だったのは間違いない。
「――で、――ですけど――」
「ああそれならね――」
少なくとも俺なら止める。代わりに買いに行っていたかもしれない。
値切る目的以外であそこまで熱心に話し込む客などそういないだろう。
「リィルちゃん、やっぱり……」
「さすがに申し訳ないな、ここまでしてもらうとなると。……大量に作ったところで今夜の食卓に並ぶことになりそうだが」
「あれだけで食べるって料理じゃなかったもんね。もしかして……そのためだったり?」
さすがに弁当の完全再現を企んでいるなら止める。意地でも止める。
何より、あの時は皆で和気あいあいと食べていた。それも理由の一つだった。
できる事なら俺の思い過ごしであってほしい。
夕食にもう一品、ということならいっそマユやユッカも誘って――と、言いたいところだが、まずはアイナさんの了承を得ないことにはどうにもならない。
(……皆で住める家、か)
マユに何度か聞かされた。
資金的な問題こそあるが、あながち悪い話でもない。
「そういえば、あんまり聞いたことなかったよね? 好きな食べ物とか、そういうこと」
「それは仕方ない。こっちに来たばかりの頃はそもそもどういうものがあるか分からなかった。だから……聞かれても答えられなかっただろうな」
それにあの頃は、生活を安定させる方法を考えていた。
加えて、使えなくなっていた一部の魔法についても。
あの頃聞かれたとしても、今のような答えを返せたかどうかすら怪しい。
アイシャが興味を持ってくれるような話をできたかどうか。
「やっぱりキリハの故郷にしかないものもあるんだ?」
「ああ、おそらく。古今東西の食材を集めて検証すれば似た調味料くらいは作れるかもしれないが……少なくとも、俺にできる事ではないだろうな」
この前の、きんぴらに近い何かのようにはいかない。
今まさにこうしてこの世界で生活しているのだから、こちらの世界の食文化に沿うのが筋。
それに、世界中を探せばどこかに似たようなものくらいあるだろう。きっと。執着するようなものでもない。
「な、なんで? 料理だってできるんだし、試してみれば……」
「ないない。俺にできるのは精々ほんの少しの魔法とこの剣で戦うこと、それにちょっとした家事くらいだ。そういうのは専門家に任せるに限る」
「ほんの少し…………?」
「訂正、多少の魔法」
それでもアイシャは納得していないようだったが、そんな議論で時間を潰すのももったいない。
「でも、いつか食べたくなったりするかもしれないよ? いつ帰れるか分からないって……」
「何、その時はその時だ。どうにでもなるだろう、きっと」
楽観的。大雑把。
そんな風に思われても仕方がない。
少なくとも帰ることだけは絶対にあり得ない。あってはならない。
全く異なる世界だから、という建前で押し切っているのだから。
魔法に関わる争いもなく、大きな脅威にさらされているわけでもない。
何より、俺が戻れば余計な期待を抱かせてしまう。
「それに、こっちの生活はかなり気に入っている。リィルにも似たような心配をされたことはあるが……皆もいるんだ。寂しさを感じたことはまずない」
勿論、イリアも。……夜中に何度干渉してきたことか。
あいつのおかげとしかいいようがないことも多い。
それだけは否定しようのない、したくない事実だった。
「……ありがと、キリハ」
「いやいや、こちらこそ」
だが決して、あいつだけではない。
俺は今、この場所に俺はいる。皆と一緒に。
「…………いいけど、さすがにそろそろ答えてくれる? さっきからずっと聞いてるんだけど」
真剣に考えてくれているリィルにも悪いだろう。
……少しばかり、機嫌を悪くさせてしまったが。




