第132話 キリハの演技
「ユッカちゃん、大丈夫かな……?」
指示にあった通り、傷のある魔結晶をキリハが持ち込んでいた頃。
門の向こう、町の側の草原で採取に勤しんでいたアイシャの表情は不安が入り混じっていた。
森の中で魔物を探す案も上がったものの、結局採用されることなく今に至る。
「だからあいつが行ったんでしょ。気になるなら後であたし達も行って見る?」
「キリハさんには会えないと思う、ですよ?」
「別にそんなつもりじゃないわよ!?」
「うっかり、です」
リィルも、そんなことは全く考えもしていなかった。
ただ一足早く切り上げ、幼馴染の様子を見に行こうとしただけだったのだが、マユはからかうように笑う。
すっかり繰り返されたやり取りにはアイシャも苦笑いするばかりだった。
「ま、まあまあ……待てば普通に来るんだから。ね?」
「そーですよ。あいつに会いに行くって本末転倒でしょーが。入れ違いになるだけですよ」
「だから違うって言ってるでしょうが!」
「は?」
イルエも決してリィルに向かっていったわけではなかったのだが、リィルの中ではそういうものとして認識されてしまっていた。
呆気にとられたイルエだったが、誰も訂正はしない。
そうした反応が一層マユにからかう材料を与えてしまっていることにリィルはまだ気付けていなかった。
「なんか楽しそうだよなぁ……な、トーリャ」
「オレに、言うな。どうしろと」
「いや、キリハ戻ってこないかなってさ」
「まだに決まってる」
直接何かを言うわけではなく、しかしその空気に混ざるレアム。
結果としてレイスとトーリャは蚊帳の外に置かれてしまっていた。
どうしたものかと思っても、この状況は彼らもどうしようもない。
「でも知らなかったよ。わざわざあんなサクラみたいなことさせるなんてね。協会もそれだけ苦労してるってことかなぁ?」
「キリハに頼む理由が分かんねーですけどね」
話が舞い込んできたのは昨夜の事。
ユッカを選んだマユからの頼みでもあった。
イルエもレアムもアイシャから話を聞かされたのみ。
ルークやレナといった協会の職員へ提案した際にも快く受け入れられた――そんな事情までは把握していない。
しかしレイス達が混ざるのにはこれ以上ないくらいのタイミング。
「そりゃあれだよ。この前の。『ぁ、すみません……一つ聞きたいことがあるんですけど……』ってあれ」
「プッ!」
「や、止めろレイス……! く、くく、くくくくく……っ」
キリハの真似によって。その話題が持つリスクをレイス達はすっかり失念していた。
体験前、ユッカに慣れてもらうために行った予行演習の中。
何故かキリハは落ち着かない様子の少年を演じ始めたのだ。
普段とは違って内気な様子には当然、誰もが驚かされた。
そして、誰からともなく噴き出してしまう程に普段からはかけ離れた姿だった。
「あれ面白かったよなぁ……キリハっぽさ全然ないし。どこのお坊ちゃまだよって」
「違和感のなさも、なかなかだった」
「今のレイスとは比べ物になんねーくらいでしたね」
「そりゃキリハみたいなことできるわけないじゃんか」
あの場でリィルが思い出したのは、初めてキリハと会った時の事。
実際には効果のない代物を売りつけようとする男へ接するキリハは、ユッカの練習の時とはまた異なった方向性で普段の彼と異なっているように思えたのだ。
しかしそれも、今のリィルだからこそ分かること。
ましてあんな悩みを抱えているとは思いもしなかった。
「そ、そんなに変だった? 可愛かったよ?」
「それはそれでどうかと思う、です」
「別人って感じはしたけどね」
思い思いに印象を語る少女達。
良くも悪くも印象的だったその瞬間は、彼女達の脳裏にしっかりと焼き付いていた。
だからこそ、以前であればキリハの魔力に気付いたリィルも含め全員が、またしてもキリハの接近に気付く事ができなかった。
「そういうものが必要な機会もあったというだけだ。あのくらいのことは少し練習すればできるんじゃないか?」
まさに普段通りの――レイスが思わずわざとやっているのではないかと感じてしまう程に――様子のキリハが。
「き、キリハ……!?」
「そんなに驚くような事か? まるで幽霊が出たような顔じゃないか」
「まさか聞いてたりとか……」
「あの反応で聞こえていないわけがないだろう」
困ったように肩をすくめるキリハ。
その表情に怒りが見えなかったレイスは密かに胸をなでおろす。
キリハがその程度で怒りを感じる筈もないのだが、レイスの中の後ろめたさが彼の中から冷静さを奪う。
一度キリハに『次はレイスもやってみたらどうだ』と言われた事すら失念してしまっていた。
断固拒否したがゆえに、それ程はっきり記憶に残っていなかった。
「ゆ、ユッカちゃんのところは? もうちょっとかかるんじゃなかったのかよ?」
「一度みんなのところに戻ったらどうだ、と他でもないユッカに言われたんだ。マユの様子も気になったらしい」
「普通に楽しんでる、ですよ?」
「それは何より」
キリハのその言葉は、マユにとって意外なものだった。
先日のカウバでの件は勿論、それ以前から何度も活動を共にしている。
個人的な交流の深さも相まって、[イクスプロア]の一員のような気さえしていた。
それ程までに居心地のいいものだった。
管理役の安否は気になるものの、できる事なら、これから先も同じような毎日を続けられたらと思う程に。
「……まさかと思うけど、ユッカに気付かれたんじゃないでしょうね?」
「レナさんが言ったらしい。どうやら俺が壊れた魔結晶を持ち帰った時点で妙だと思われてしまっていたようだが」
「まあキリハ君、意図的に壊してたもんね。器用に」
「あんな風に手で壊せるのなんてこいつくらいでしょ」
「同感、です」
こんなやり取りにも、自然に混ざれるくらいには。
マユ達にとって、魔結晶とは非常に頑丈なもの。
故に、そのための技術を身に着けた人が丁寧に時間をかけて加工していくという認識しかなかった。
低級の魔物が踏みつけた程度では日々すら入らない程のものなのだ。
しかしそれを、桐葉は指先だけでいともたやすく破壊した。
いくらキリハが『コツさえ掴めばどうにでもなる』と言ったところで信じられる筈がなかったのだ。
キリハの信じがたい行動には、[イクスプロア]の誰もがつつあった。
そんな面々でさえ、あの演技以上に驚かされる程に異常な事態だった。
(……誰だ? 森の中から……)
キリハがキリハであって良かったと、何度目かも分からない感想をレイスが抱いていた頃。
キリハの意識は既に森の中へ向けられていた。
木々に隠れて見えないその場所を走る何者かの気配をキリハはその時確かに感じ取っていたのだ。
決して魔力の反応は大きくなく、敵意もない。
キリハの変容に気付いたアイシャとリィルも同様に茂みの奥へと視線を向ける。
そうして、飛び出してきたのは中年の男だった。
乱れた呼吸を整えるのも惜しいとばかりにキリハ達の元へ駆け寄る。
「お、おいあんたら! この辺りで大きな蛇を見なかったか!? 」
手荷物の一つさえ持っていないその男の姿に違和感を覚えたキリハ。
しかし、意図的に着けられたであろう傷の数々を見て疑いを一度捨てる。
「……蛇? 一体どうしたんですか。詳しく聞かせて――」
何より、感じていた。
「――《斬水》!」
森の奥から忍び寄る細く長い一つの気配を。




