第126話 最後の条件
「どうかした、ですか?」
リィルの絶叫が宿を揺らした頃。
門を潜ったマユは、半歩先を行くアイシャの様子に引っ掛かりを覚えていた。
束ねた髪の先を何度も指で弄び、気付いては止め、気付いては止め――その繰り返し。
その上何度も後ろを――宿があるであろう方へと振り向いている。
その原因を想像するのはマユにとって実に簡単なことだった。
「あははは……ユッカちゃん自信満々だったけど、やっぱり気になっちゃって。大丈夫だよね?」
「大丈夫だと思う、ですけど、賑やかなことになってそう、です」
「に、賑やか?」
思わずアイシャは聞き返す。
アイシャが出かける前、ユッカはそれと正反対のことを、『静かな方がいいですよね』と言っていた。
賑やかな空気もキリハは嫌わないだろう。
むしろこれまでの姿を見たアイシャには、そういう場を好んでいるようにも見えた。
打ち解けるまでの期間も決して短いものではない。
不意打ちを仕掛けたことに関してはアイシャ自身未だに納得していないものの、リットとの交流を止めようとまでは思えなくなっていた。
しかしそれはあくまで平時の話。
急上昇と急降下、更にはアイシャが息をのむ程の破壊砲を放ったキリハを休ませるには、あまり適しているようには思えなかったのだ。
「リィルさんが照れて叫んだり、とか」
「……なんか、具体的だね?」
「そんな気がした、ので」
言われた通りの光景を、アイシャも思い浮かべる。
思わず目をそらしたくなる程、ありありとその様が浮かんでしまった。
ユッカは宣言通り、リィルにあのメイド服を着させたに違いない。
そう思えば猶更、アイシャにはリィルの羞恥の表情がいともたやすく思い浮かんでしまったのである。
実際それは正解だった。
アイシャがそわそわしながら後ろを振り向いたまさにその瞬間にも、リィルの叫びがキリハの耳に木霊している。
最初の絶叫を聞いたエルナレイが施した、防音効果の高い結界の中で。何度も。
役割分担が間違っていたのではないかという今更過ぎる不安にアイシャがかられそうになった時。
彼女達よりさらに先を歩く老店主は困った表情を浮かべながら振り返った。
「本当にいいのか。嬢ちゃん達。あれだけ色々やってもらったんだ。そのまま持って帰ってもらいてぇくらいなんだけどよ」
「大丈夫です。ここまで来たら最後までやろうって決めましたから。ね? マユちゃん」
「達成すればいいだけ、ですから」
既に頼んだ品は完成していた。
昨日の件も踏まえ、老店主は最初完成したそれをそのまま渡すつもりでいたのだ。
そこに待ったをかけたのは他でもないアイシャとマユだった。
店を訪れたアイシャ達は老店主が完成したそれを手に取る寸前、最後の条件について訊ねた。
最後の条件を取り下げるなど、老店主にとっては本来ありえない事だった。
一連の事件への感謝とお詫び。老店主なりの気遣いでもあった。
しかしながら、老店主の中に断られた事に対する不満のようなものは老店主の中に全くなかったのである。
当然、不安はあった。
今老店主の前にいるのはたった二人。
キリハは勿論、ユッカやリィルの姿すらない。
老店主もまさか最後の条件をアイシャ達の側から持ち出すとは思いもよらず、このまま持って行くよう何度も説得した。
しかしアイシャもマユも頑なに折れず、今に至る。
「大きく出たじゃねぇか。四人揃ってんならまだしもなぁ……」
「その、ちょっと事情があって……でも、大丈夫です。そのためにちゃんと色々考えてきましたから」
「……いいんだな?」
アイシャとマユは全く同時に頷き合った。
これ以上確認を繰り返してもきっと答えは変わらない。
さすがの老店主もそう思わずにはいられなかった。
使われるのは、老店主が受け継いだとある魔道具。
立方体の積み木を組み合わせて作られた人型のそれは、手のひらに収まるほどの大きさしかない。
魔道具の胸部、一つだけ混ざった青色の結晶体に触れられるまで本来の姿を現すことはない。
砕けるように散った人型はたちまち光の粒子となって集約し、ミーナの頭程もあるひし形を幾つも作り上げる。
やがて頂点同士が結びつき、現れたのもやはり人型だった。
胸部に当たる位置にはやはり、青色の結晶が光り輝いている。
「嬢ちゃん達にはこいつの相手をしてもらう。狙いはここ。青いのが見えるだろ。ここにある程度負荷をかけるとまたさっきの姿に戻るようになってんだ。……あとは分かんだろ?」
決して一撃である必要はない。
剥き出しのコアに攻撃を当て、待機状態へ戻すだけ。
接地する部分が指先ほどしかないにもかかわらず直立する人形との戦いこそが最後の条件だった。
「腕力は大したことないけど気を付けな。油断して足元掬われても責任取れねぇからな」
「……足元……」
「心配しなくてもあたしが手当てしますからね! ……本当はこんな危ないことして欲しくないんですけど」
「この前の青い石に比べたら大したことない、ですから」
「ま、まだ早いよ? 始めてもないからね?」
実際にはそんなことは起こらないと思っていても、アイシャは止められずにはいられない。
あの後、アイシャ達はキリハから八面体の魔道具が守護していたものに着いて断片的ながら話を聞いていた。
あえて言葉にするのであれば、そんな大切な場所と同じほどのものを持ち出すとは思えなかったのである。
攻撃力。連射性。捕捉能力。
どれをとっても並の冒険者を上回りかねないような代物を試験に持ち出されてはアイシャ達もどうしようもない。
密かにエルナレイから聞かされた、『低級の冒険者にも作ったことがある』という話とも矛盾するように思えたのだ。
キリハのような例外ではなかったという補足を聞けば、猶更。
「心配すんな。あの魔道具ほどじゃねぇよ」
「やっぱり、です」
「そういうことじゃなくて……うぅ」
「マユの防御は鉄壁、です。だからへっちゃら、ですよ?」
「分かってるよ。分かってるんだけど……」
決して油断はできない。
キリハと出会い、結果として幾つもの事件に立ち会ったアイシャの感覚は以前と比べ者にならない程に研ぎ澄まされていた。
その自覚はまだアイシャにはない。
しかし、言いようのない緊張感にアイシャは覚えがあったのだ。
「どうする? やっぱり止めるか? 怖気付いたって別に文句は言わねぇよ」
「や、やります。やらせてください。……えっと、始めてもいいですか?」
「そりゃ構わねぇけどよ……」
「……じゃあ」
「了解、です」
アイシャもマユも、得物を構える。
標的から視線がそらされることは一瞬たりともない。
(……ちょっとだけ待っててね、キリハ)
両手で握った杖の先端。
人型の魔道具を中心に辺りは煙に覆われる。
「きゃっ!? け、煙……!?」
「目くらましだな。離れるんじゃないぞ。ミーナ」
「う、うん……」
アイシャもマユも巻き込む程の煙。
それを見た老店主は感心しつつも、新たな不安を抱えていた。
(確かにあの魔道具にゃよく効くけどよ……やっぱり嬢ちゃん達にも的が見えなくなっちまってるな。そんなに勢いよく攻撃するようなモンじゃないんだが)
何より、アイシャ達からも魔道具の所在が分からない。
移動する姿は見ていた筈。
「――《水流》!」
そんな老店主の予想を裏切ったのはアイシャの矢のような水だった。
「ほう……」
しかし、それを放ったアイシャの表情は晴れない。
(ダメ、当たってない……! 避けられた? やっぱり青いところじゃないと……っ!)
既に次の手を打つべく魔力を高める。
「マユちゃん!」
「いつでも大丈夫、です」
答えを聞く前から既に魔法の準備は整っていた。
(さっきよりもっと、もっと多く……!)
あとはそれを、形にするのみ。
「――水よ、空より注ぎ押し潰せ!」
滝のように降り注ぐ水流は、瞬く間に魔道具から身動きの自由を奪ってみせたのだった。




