第127話 贈り物
「お姉さん達、すごかったね!」
アイシャとマユに完成したそれを渡した帰り道。
その瞬間を振り替えるミーナは興奮を抑えきれない様子で祖父へと語っていた。
魔道具を襲った滝のような激流。
アイシャの魔法で動きを止めた一瞬に、マユがコアを貫いたのだ。
「……まあ、肝の据わった嬢ちゃん達だったのはあるかもな。あんなの見てたらそりゃあ驚くだろうよ」
「? 何が?」
「こっちの話だ。前に話を聞いた時に、な」
しかし決して今日が初めてと言うわけではなかった。
八面体の魔道具を相手取ったという話を聞いた時点で、老店主も薄々ながらに感じていた。
「お兄さん、なんて言うんだろうね?」
「さぁな。けど、喜ぶだろうさ。あれだけ気持ちの篭ったもんなら」
最終的な仕上げの作業を行ったのは老店主本人。
しかし、迷宮の剣に合わさるように作られた鞘を作り上げたのは、彼だけではなかった。
藍色の鞘に巻き付けられた細く頑丈な灰色の布地。
それを作ったのは他でもないアイシャ達だった。
藍色の鞘に加えられたささやかなアクセント。
それを作ったのは、彼を想う少女達だったのだ。
「ほ、ほら。次は? 痒いところくらいあるでしょ? 痛くなんてしないから」
「あ、ああ……なら、もう少し上の辺りを……」
……一体どこで、何を間違えてしまったというのだろうか。俺は。
右半身を包み込む柔らかな感触。
緊張感が感覚を研ぎ澄まし、借りた部屋のベッドの触感をいつになくはっきりと脳に伝えていた。
「う、動かないでよ? くすぐったいんだから。あんただって耳の中まで頑丈なわけじゃないでしょ」
「俺の身体のことなんて心配しなくても。それより、重くはないか? さっきからこの体勢のままだが……」
「そう言ってまた器用に頭浮かせるつもりじゃないでしょうね? やめなさいよ。逆に危ないんだから」
それを言われては反論のしようがない。
今のは完全に失言だった。おかげでまたリィルの左手に力が入ってしまう。
俺の頭を自身の膝に押し付けるように力が込められる。
(……本当に、どうしてこんなことに……)
最初の『あーん』でさえ目と耳を疑った。
しかし両目を擦っても現実は変わらず、一語一句変わることのなかった誘い文句に聞き間違いの線も潰された。
そこまではまだいい。よくはないが、この状況に比べればまだ幾分気は楽だった。
精々、多少の羞恥を味わうくらいのもの。
リィルの味わった恥ずかしさと比べられる筈もないが、それでもと思っていた。
そんな風に思ってしまったのが、おそらく間違いの始まりだった。
未だにリィルはメイド服のまま。
何故か赤子をあやすようにリィルはそっと撫でてくる。
最早、この状況を『恥ずかしい』程度の言葉で言い表すことはできなかった。
意識はそのまま、しかしできる限り他人事のように。
「なにやってるんですか、リィル……キリハさん思いっきり困ってるじゃないですか……」
ユッカに助けを求めようにも、ユッカはユッカでこの状況に置き去りにされたまま。
頬が引き攣っているように見えたのもきっと気のせいではないだろう。
何をするつもりなのか、あの時点で聞いておくべきだった。
そう後悔したところで後の祭り。この状況は変えられない。
騒ぎに紛れて姿を消したエルナレイさんへの文句すらほとんど纏まらない。
部屋に酒類は置かれていない。
それどころか、リィルを酔わせてしまいそうなものは何ひとつとしてない。
耳まで赤い顔も、全て本人の感情によるもの。
身体の震えを抑える代わりに唇が小刻みに波打っている。
「ところで、リィル? これだけしてもらったんだ。そろそろ何か俺にもお返しをさせてくれないか。飛ぶ前に言っただろう? 行先を考えておいてくれないか、と――」
「だ、だから今ここにいるんでしょ。あんた言ったじゃない。楽しみにしてるって」
自ら脱出経路を潰してしまった、ような。
こんな状況で宿から出ていないなどと言ったところで納得してくれる筈がない。
……あとで今日のことを思い出して、叫ぶようなことにならなければいいが……
(それに、何より……)
部屋に近付く二つの気配。
まさか部屋の中でこんな光景が待ち構えているなんてアイシャ達は思いもしないだろう。
部屋を訪れた誰かに見られるなんて、リィルも思っていないだろう。
これ以上騒ぎが大きくなる前に何とか手を打たなければ。
そう思って動こうにも、今日のリィルには不思議なくらいに響かない。
「な、なに? もしかしてあんた照れてるの? い、意外ね。あんたがこんなことで照れるなんて」
「リィルが言いますか。それ。耳まで赤いですよ?」
「じっとしなさいってば。怪我したらそれこそ馬鹿馬鹿しいじゃない」
「いや、別に動いているつもりは全く……それとユッカ。今のリィルにそれは――」
「無視ですかそうですか。……入っていいですよ。アイシャ、マユ」
「ぁ、うん……ぅん!?」
……遅かった。
アイシャとマユが、抱えた包みを手放さなかったのは誰にとっても幸運だった。
帰って早々こんな光景を見せられて、俺ならとりあえず自分の頭を疑うだろう。
買い物カバンくらいなら普通に手放していたかもしれない。
「り、リィルちゃん? これって、どういう……?」
「ごめん、ちょっと待ってて。もう少しで終わるから。……ありがと、行って来てくれて」
「う、ううん。そうしようって言ったのは私だし……えっと、ユッカちゃん? これって……」
「見たままですよ。キリハさんもすっかり壊れちゃったのでもうどうにもなりませんよ。これ」
「こ、壊れてはないと思うよ……?」
「引き剥がすに引き剥がせない、とか、そんな感じに見える、です」
……マユの理解が逆に心苦しくて仕方ない。
確かにその気になればおそらく引き剥がせる。引き剥がせるのだが……負傷のリスクを脇に置いても、さすがにできなかった。
まさかここまで優柔不断とは自分でも思わなかった。みっともない。
……今日のリィルに、普段のような説得は通じそうにないが。
「いい加減にしてくださいよリィル。そんなことしてたら渡すものも渡せないじゃないですか。わたしたちでやっちゃいますよ?」
「そんなことしないよ? しないけど、ちょっとだけこっちに来てほしいなー、なんて……」
「……確かに、続きは後でやればいいわね」
リィルに掃除してもらったばかりの左耳が聞き間違いを起こすわけがない。
つまり、実際にそういう発言がリィルの口から。
(……まさか変なもの盛ってないだろうな、あいつ……)
ないだろう。いくらなんでもそれはないだろう。
この前眠らされたのも、あくまで相手が俺だったからでしかない。
しかし思わずそんな突飛な可能性を疑ってしまうくらいには、リィルに『冷静』の二文字を感じられなかった。
「まだやるつもり、ですか?」
「当たり前じゃない。まだ左耳しか終わってないんだから」
「リィルがゆっくりゆっくりやってるからですよ。アイシャとマユが戻る前に終わらせるとか言ってたのに」
「い、いいでしょ別に!」
そこでやっと、頭から左手が離される。
緊張度合いで言えば魔物を相手にした時の比ではない。
あの八面体の魔道具の攻撃を避ける方がはるかに気楽だった。
(……気を付けよう。心配をかけないためにも)
ないと思いたいが、また同じような状況に陥ることがあったとしたら。
避けられるのなら避けるに越した事はない。
「でも早かったわね? ほんとさすがって感じ」
「そうですけど。そうですけどそれはそれとしてリィルがゆっくりやってたのもほんとのことですからね? アイシャもなにか言ってくださいよ。さっきのだって……」
「あ、あははは……リィルちゃんが考えてくれたんだし……最後の条件はたまたま上手くいっただけなの。ね?」
「でも完璧、でした」
確かお爺さんは課すつもりはないと言っていたような。
いや、アイシャからの提案か。それなら納得。
「詳しい話は後で聞かせてよね。それより今は渡さないと」
「一番遅かったのリィルですからね? 抜け駆けとかしないでくださいよ?」
「しないわよ!」
「ま、まあまあ……せーの、でいくからね?」
なんて、そんな事はこの際些細な問題だろう。
「……せーのっ」
鞘に撒きつけられた細い灰色の上に刻まれた、小さな飾り。
どんな衝撃にも耐えられるよう老店主の手でしっかり結びつけられたそれは、俺の背中から差し込む光を反射し輝いているようにも見える。
「「「「――いつもありがとうっ!」」」」
そう。世界でただ一つだけの贈り物を思えば、何もかもが些細な問題だった。




