第110話 背筋を撫でられ
「……そうだったの。そんなことが……」
協会へ戻るまでの道のりを引き返す間。
知っていることは包み隠さず全て明かした。
俺が言わなくても明日になれば分かることだ。
エルナレイさんとお爺さんの間に何もないのであれば話も変わっただろう。
しかしそれはあり得ない仮定の話。
そんなものを広げたところで意味はない。
一通り話し終えたところで丁度、飛び出した窓の前に辿り着く。
どうやら防犯魔法の類は仕掛けられていないらしい。
そこから侵入するのは簡単だった。
「ここね……さすがというか、平然としてるわね」
暗闇に包まれた広い空間。
きっちり等間隔に並んだベッドの上で老人は未だに眠り続けていた。
「私からもお礼を言わせて頂戴。ありがとう。キリハ」
「お礼を言うにはまだ早いですよ。目も覚めていないんですから」
「大丈夫。この人、年齢の割に頑丈だから」
昼に比べれば魔力は回復している。そこは素直に喜ぶべきだろう。
腕の立つ職人と聞いていたが、やはりお仕事の方はしばらくお休みにしていもらうほかない。
(今のは……?)
何かあれば別室のスタッフを呼ぶよう言われていた。
今まさに、その『何か』が起きた。
朝を迎えるまで開かれることはないだろうと思われていた老人の瞳がカッと見開かれたのだ。
「……ケッ。生意気な小娘が。こんなところに何の用だ」
「ほらね?」
「言ってる場合ですか」
ミーナの父親とは運悪く入れ違いになってしまったらしい。
……いや、考えようによっては『幸運にも』か。
とにかく今はお爺さんの体調だ。
今日はほとんど何も食べていない筈。
「偶然町にいたのを見かけまして。状況が状況ですし、エルナレイさんのお力も借りできるのなら俺も心強いですから」
「っていう筋書きか。え?」
「筋書き? 何のことかしら。警戒し過ぎよ?」
「惚けんじゃねぇよ。こっちは分かってんだ。お前がそこのボウズ共が来るように手を回したことくらい」
「ええ、紹介したわよ。価格設定が貴族向けのものでなく、腕のいい職人をね」
「ヘッ、そんなの他に幾らでも心当たりがいるだろうがよ。特級冒険者サマならな」
これは俺がどうにかする必要のないものだろうか。
そうだろう。そうに違いない。
そもそも俺に家族内の喧嘩の仲裁を頼まれても困る。
さすがに自分達でどうにかしてほしいところだが……
(ユッカ達には悪いが……背に腹は代えられないか)
廊下に面した柱。
その影から覗き込むような体勢のまま、少し手伝ってもらおう。
「お二人とも、そのくらいで。何もこんな時間に喧嘩しなくてもいいじゃないですか。見ている人は見ていますよ?」
「……そのようね」
親子喧嘩ならまだともかくこんな……なんて、そんなことを気にしても仕方がないか。
過去、エルナレイさんとお爺さんの間になにがあったのかなんて俺には分からない。
そんな状態では自然と言えることも限られる。
しかもこんな時間だ。
ユッカ達が言っていたような――ミーナに収めてもらうのも難しい。
ミーナが起きていればこんな、いつ爆発するかも分からないような板挟みにあうことなんてなかったろうに。
エルナレイさんももう少しでいいから惚けるような真似は止めてほしい。
「それはそうと、キリハ? 見られているのはむしろあなたの方ではないかしら?」
「俺が? まさか。いくらなんでもそんな事は――」
「「じー…………」」
……大ありだったらしい。
「先に教えておいてくれてもいいじゃないですかっ」
起きてもユッカはやはり頬を膨らませたままだった。
勿論リィルも。アイシャの説得もあまり届いていない。
「本当に知らなかったんだ。エルナレイさんがもうこの町に着いていたことも。正直、最初は不審者かと思ったくらいだ」
「キリハが言っている事は本当よ? 彼に会えたおかげでゆっくり休めたのも本当の事ではあるけれど、そこまで示し合わせられる筈がないじゃない」
「できそうな人たちだから言ってるんです」
「買い被り過ぎよ。さすがに私もテレパシーなんてできないわ」
右に同じく。
手紙に会った通り、もっと時間がかかるものだとばかり思っていた。
耳寄りな情報屋の知り合いがいるのか、虫の知らせか。
どちらにせよかなり無理をして間に合わせたのは間違いない。
あのお爺さんもそのくらいの事は分かっているだろうに、結局今朝も態度はほとんど変わらなかった。
「キリハさんはないんですか。そういう魔法」
「俺の力を過信し過ぎだ。《飛翼》や《駕籠》を除けば大半が攻撃魔法だろう?」
「……ほんとに?」
「ああ。本当だとも。どうしたんだリィル。そんな疑って」
「べ、別に? なんでもないけど?」
あるとしたら一方的に送り付けられているあれくらいのもの。
だがこの場においては全く関係のないものだ。
「楽しいのは分かるけれど、お喋りはそこまでよ。今は私達にできることから一つずつやっていきましょう。何があるか分からないわ」
場所は昨日潜った洞窟の近くの森の中。
まだ昼も遠い時間帯。
とはいえ、魔力強奪のアフターケアができる素材を探しに来たわけではない。
そんな都合よくその辺に生えているわけがない。
さすが協会とでも言うべきか、多少のストックは用意してあるらしい。
唯一の問題はお爺さんが冒険者として登録をしていないことだったのだが、それもすぐに片付いた。
というより、俺達が値段を聞くまでもなくエルナレイさんが支払いまで済ませてしまったのだ。
「でも、よかったのかな? ミーナちゃんのこと、町に残したままで……」
「外へ連れ出すわけにもいかない。何より、あのお爺さんの近くに無理に残ったところでな……」
「あ、やっぱり? なんか昨日よりもっと話しかけにくかったよね? 私の気のせいじゃなかったんだ……夜、なにかあったの?」
「あったんだろう。きっと。何年も前に」
「へ?」
「ただの推測だがな。忘れてくれて構わない。さ、それより今は目当てのものを見つけてしまおう」
「う、うん……」
昨日ユッカ達が遭遇し、戦ったという魔物。
正直魔物と呼んでいいのか怪しいところだが、便宜上そう呼ぶしかない。
マユが岩を叩きつけ気絶させるまでの経緯は聞いていてひたすら驚かされるばかりだった。
炎の魔法が通じない魔物はユッカでも追いきれない敏捷性を有していたのだという。
最終的にマユが用意したトラップに、普段のリィルからは想像もつかないような方法でのアシスト。
そこまでしてやっと落とし穴に嵌め、それでもなお倒せなかったという耐久性。
話を聞く限り炎の魔法に耐性があるのは分かるが、ユッカやマユの攻撃を避けた理由が分からない。
少なくとも穴に落とした後で何度も斬ったとユッカは言った。
炎の魔法同様、耐えられるのなら避けないという選択肢もあった筈。
しかし魔物は頑なに炎の魔法だけは受け止めた。
そんな姿を見せられて、炎の魔法以外の何かに弱いのではないかと考えるのは当然のこと。
実際、特定の何かに弱いのかもしれないが、ユッカ達がそこまでして満足にダメージを与えられないとなると相当だ。
かと言ってその炎の魔法で力を強めたわけでもない。
しかも基本的には攻撃を仕掛けようとすらしなかったという。
まったく、どこもかしこもおかしなことだらけ――
「――っ!?」
まるで、背筋をそっと撫でられたような。
(……今の、感覚)
間違いない。
あいつだ。絶対に。間違う筈がない。
(今ならまだ……っ!)
どこだ。どこにいる?
あいつに本気で隠れられてしまうと今の俺ではまず見つけられない。
ほんの少しでも力の残滓が感じられるうちに追わないと。
――その時、今度は背後から冷たい風が吹きつけた。
(そっちか……!)
氷のように冷たいひと吹き。明らかにソレだけは他と違っていた。
意図して作り出したとしか思えない涼風。
「ちょっと!? あんたどこに……!」
「すぐに戻る! リィル達はそのまま調査を頼む!」
「はぁ!?」
説明している時間はない。
いまこうしている間にも次第に力の波動が薄れていく。
意図的にそうしているのは明らかだった。
試すような、弄ぶような。
わざと悪戯めいた方法で手を出しただけで、最初から顔を見せるつもりなんてなかったのかもしれない。
「どこだ? 近くにいるんだろう? ……出てきてくれ!」
誰かに言われなくても分かっていた。
呼びかけたところで、素直に応じてくれるわけがないと。
イリアの話からしてまず間違いない。
しかも情けないことに、あいつの目的を未だに絞り切れない。
それでも、他に方法を思いつけなかった。
東西南北見回しても、空を見上げてもその姿はどこにもない。
それどころか小さな影すら見当たらない。
(くそ……っ)
細い糸のように微弱な力の破片も、とうとう完全に消え失せる。
どれだけ神経を研ぎ澄まそうと、残りが素ら感じ取ることができない。
そうしてとうとう、完全な静寂がその場を支配した。
やはり周りには誰もいない。
「……そこまで会いたくないのか。ヘレン……」




