第111話 追いかけるか否か
ある日、声をかけられたのがきっかけだった。
帰り道。
まるで偶然出くわしたように。
後に本人が明かした通り、あの接触は意図してのものだったのだろう。
波打つような魔力の動きを抑えるどころか、存在しないもの同然の状態を保たせていた。
一個人の技術としてみれば、俺を含めた誰もが完全な再現に至らなかったもの。
後にも先にもそんな記録は一切なかった。
人の目を、耳を、その他あらゆる感覚を欺く授かりもののようなイカサマを除けば。
だからその時は、魔戦の関係者だなんて思っても見なかった。
その可能性を浮かべることさえなかった。
当時上官が口にしたように、戦力増強のための人員配置だと信じて疑わなかった。
俺達の前に現れた本当の理由なんて、探ろうとすらしなかった。
「追いかけた方がいい……よね?」
突然走り出したキリハの姿はあっという間に消えてしまった。
まだ魔力の反応はアイシャ達から遠くない。
しかし、言葉にできない何かが彼女達に最初の一歩を踏み出すことを躊躇させた。
「きっと、彼にも色々あるのよ。今はそっとしておいてあげましょう。きっとすぐに戻って来る筈」
「まるで原因を知ってるみたい、です」
「知っているのに秘密にするなんて、そんな意地の悪いことはしないわよ。あなた達が相手なら猶更、ね」
「どうでしょうね……」
「あら、随分信頼されていないのね?」
エルナレイに半眼を向けるユッカ。
最初に送られてきた手紙の情報に間違いはなかった。
しかし、エルナレイが何かを隠していると直感していたのだ。
「聞いたんですからね。あのお爺さんと知り合いだって。それならもっと早くにこの町にいるって教えてくれてもよかったじゃないですか」
「バスフェーの準備があったでしょう? 年に一度だけのお祭を邪魔したくはなかったのよ」
早ければ迷宮を出た後にでもタイミングはあった。
手にした時点では、臨時で用意したような鞘さえなかったのだから。
しかしエルナレイが語った理由ももっともなものだった。
「それに、あの人のことだもの。あの時はまだ剣を手に入れたばかりだったでしょう? そんな時に教えても断られていたわよ。きっと。私が紹介したと知ったら猶更ね」
「エルナレイさんの名前を言ったら、聞いてくれた、ですよ?」
「あら、意外。前に私の知り合いが行った時は追い返されたと聞いたのだけれど」
「そんな理由もあったんですか。っていうか、絶対そのせいですよね。めんどくさい人ですね。ほんと」
「それに関しては全面的に同意ね」
そんな言葉と共にエルナレイは肩をすくめた。
かの老人の性格は少なからず知っている。
エルナレイが話をした知人も決して性格に難のある人物ではなかった。
しかしキリハとユッカは、ミーナ達が襲われそうになったところを助けていた。
それが決め手だったに違いない。エルナレイはそんな確信さえ抱いていた。
実際、その出来事が少なからず影響していたのは間違いない。
「でも、あの子がいたら止めてくれそう、です」
「ミーナもこの前帰ってきたんでしょ。その頃にはいなかったんじゃない? ……ですよね?」
「さあ、どうかしら? 分からないわね。私にも」
エルナレイは微笑んでいた。
頬をピクリとも動かさず、ユッカ達を見て微笑んでいた。
一家の来訪を知っていたのは誰の目にも明らかだったが、認めようとしないのも目に見えていた。
「イジワルせずに教えてほしい、です」
「意地悪なんて。それをしているのはむしろ……あなた達の方ではないかしら?」
「してませんけど!?」
「でも彼に伝えていないんでしょう? 何も」
「それは……まあ……」
キリハなら、もう一つのメッセージを一旦は伏せているに違いない。
そんなエルナレイの予想はユッカの反応で確信に変わった。
エルナレイの微かな表情の変化にアイシャ達は気付いていない。
アイシャ達の行動を実はある程度読んでいたことも。
「み、みんなで決めたんです。キリハにプレゼントしようって」
「だからと言って、手紙まで隠すのは感心しないわね」
「なんでそんなことまで知ってるんですか……」
「ふふ、企業秘密よ。あなた達にもいずれ分かるわ」
キリハが気付くかどうかは、エルナレイにとって賭けでもあった。
キリハの本当の出身地を知っているエルナレイ。
彼女はキリハがこの世界の固有名詞に疎いことを[イクスプロア]の面々と同等か、それ以上に理解していたのだ。
「ごめんなさい。今のは少し意地悪だったかもしれないわね。いいわ。あなた達に協力してあげる。キリハはきっと、犯人の事に気を取られているでしょうから」
「じゃ、じゃあ……まさかさっきのも――」
「それはないわね。彼の魔力に変化がないもの。……あっちは彼自身に解決してもらうしかない」
「え……?」
薄々ながら、事情は把握していた。
とはいえ、エルナレイが知る天条桐葉は彼の一部でしかない。
現在進行形で起こっている問題に関しては想像に頼るほかなかったのである。
「なんでもないわ。きっと彼の個人的な問題よ。むしろ好機と考えましょう。猶更キリハも他の事を考えている余裕なんてない筈だもの」
「……ですよね。やっぱりそうですよね」
「あ、あら?」
リィルの反応に戸惑うエルナレイ。
まさか落ち込むとは思っても見なかったのである。
小首を傾げるエルナレイの手をユッカが引く。
その頬は微かに膨らんでいた。
「空気読んでくださいよっ! こっち来てからただでさえあまりいっしょにいられなくて落ち込んでるんですから!」
「お、落ち込んでないわよ! 別に!」
その反応が全てを語っていた。
あえてそこには誰も触れない。
「どこ行ったんでしょうね。あの魔物。昨日の穴にいればいいんですけど」
「ちょっと?」
「さすがにないと思う、です。すぐに用意できる高さはあれが限界だった、ですから」
「マユ? 聞いてる? ねぇ」
「でも、石で叩いたらぐったりしちゃったんだよね? だったらそんなに遠くに行けなかったり……たとえば穴から抜け出すだけで疲れたりとか」
「アイシャまで!?」
まさかアイシャにまで無視されるとは思わず叫ぶリィル。
しかしそんなリィルにユッカは呆れのため息をつくばかりだった。
「うるさいですよリィル。せっかくみんな気にしないようにしてるんですからそのまま合わせてくれればいいんです」
「……気にしないように? もしかしてあたし、気を遣われた?」
「今更気づいたんですか?」
「そこまでされるようなこと、してないんだけど……?」
「そう思ってるのはリィルだけですよ」
言われてアイシャやマユを見るリィル。
頷く事こそなかったものの、ユッカの言葉を否定もしなかった。
「……いいじゃない。勝手に思っておけば。そんなことないってすぐ分かるわよ!」
リィルは羞恥に頬を赤くして叫ぶ。
その声は明らかに上擦っていた。
「ところで皆? さっきまで話していた今日の目的、忘れていたりなんてしないわよね?」
いつも以上に賑やかな雰囲気。
それを壊すのは不本意だったものの、さすがに声を上げずにはいられなかった。
「? なに言ってるんですか。話してたってついさっきのことなのに」
「今だって探してる、です」
「ええ、その言葉を聞いて安心したわ。だけど、それならもう少しだけ遠くにも目を向けましょうね?」
「……へ?」
諭すようなエルナレイに戸惑うアイシャ達。
そんな彼女達の耳にも、しっかり足音が聞こえていた。
「あの~……アイシャ……」
「た、多分……?」
「そんなところにいた、ですか」
三者三様。
視線の先には昨日、連携して罠に嵌めた魔物の姿。
マユ達を見て怒り狂うでもなく、静かに彼女達を見下ろしていた。
「…………なんでこんなところにいるんですかぁっ!!」
いつかと同じようなユッカの叫びが、森の中に木霊した。




