表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/171

季節がめぐる中で 75

 車を降りて墓地の敷地に踏み入れたところで、嵯峨は待っていた管理職員から花と水の入った桶を受け取って歩き始めた。

 秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。楓とかなめはそんな嵯峨の後ろを静かについて行く。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に頭をたれた。

 そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨楓の母である。

「おい、久しぶりだな」 

 そう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。

「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」 

 そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。楓は何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。

 第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や民族主義者のテロの標的とされた。楓の祖父、西園寺重基さいおんじ しげもとは毒舌で知られた政治家であり、引退後のその言動は当時の世情の逆鱗に触れるものばかりだった。

 そんな彼を狙ったテロに巻き込まれて、楓の母エリーゼは23歳で生涯を閉じた。

 泣きじゃくる姉が胸に顔をうずめるのを見ながら母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しく楓の眼に涙が浮かんだ。

「失礼ですが……」 

 木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たことも楓には自然に感じられた。

「高倉さん。お久しぶりですねえ」 

 帯に手を伸ばして禁煙パイプを口にくわえる嵯峨。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉は楓から見ても嵯峨の扱いに慣れていると見て取れた。そして楓は高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。

 高倉貞文大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆准将の懐刀と呼ばれた男。脱走で知られる同盟国遼南の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持。そしてアフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織の特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男。

 同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。

「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」 

 そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。

「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」 

「ご意見なんてできる立場じゃないですよ、俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」 

 そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家醍醐、嵯峨両家が支持する西園寺基義のその政策に高倉も賛同していた。

 だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることもじじつだった。

「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」 

 嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。

「バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局(こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく)。これだけ言えばわかるんじゃないですかねえ」 

 そう言うと嵯峨は空に向けて煙を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。

「それならうちの吉田に資料はそろえさせますから。それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」 

 明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけの楓とかなめにもすぐにわかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ