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少女が目を覚ますと、見慣れない天井があった。
普段であれば、目が覚めた時に見えるのはベッドの天蓋だ。
侍女が起こしに来るが、寝顔を覗き込むような無礼があれば打ち首とは言わないまでも相応の罰はある。
なので、起こしに来た侍女はカーテンを開けて部屋に朝日を取り込み、少女の穏やかな起床を促して声を掛けるのみである。
その声もやはり怒鳴るような声ではない。
そんなことをすれば、それこそ不敬罪に問われかねない。
しかし、声が小さすぎても職務怠慢として叱責を受けるのだから、理不尽にも思えるだろう。
では、そんな理不尽が許される少女の正体は?
もちろん貴族の令嬢という可能性はあるだろう。
身分が中途半端に高い貴族の中には、やはり自尊心が異様に高い者も多い。
その子息令嬢に至っては、幼い頃からそんな自尊心の塊のような親を見て育つのだから、召使いが少しでも粗相をすれば即刻、過剰な罰を与えようとすることが想像できる。
そのせいで没落していく未来も容易に想像できるが。
とりあえず、貴族の令嬢という可能性についてはここまでにしておこう。
次に考えられる可能性…と言っても、貴族でなければ後は自然と決まるだろう。
そう、王族…つまり王女だ。
後宮に住まう妃や、王子の妃の候補という可能性も無くはない。
前者については王次第であるので一概には否定できない。
年老いた王が孫を可愛がるように王妃として迎えることもあるかもしれないし、若き王の好みで妻として迎えられたかもしれない。
ともあれ事実として王女であるというのが答えであるので、今は深く考えないでおこう。
ちなみにであるが、後者については実は簡単に否と答えられる。
未来の妃の候補とはいえ、まだ王族ではない者が勝手に王城に使える者に罰を与えることは難しい。
余程のことがなければ、そんなことをすればその少女の方が危うい立場になるだろう。
さて、少女が王女であるという答えが明かされたわけであるが、その少女は今、見慣れぬ天井に困惑していた。
まず高さが圧倒的に違う。
王城内でも今見ているほどの天井高の場所はなかったはずだ。
王の権威を示すためにも他の部屋に比べ圧倒的に広く豪奢な謁見の間でさえも、今見ている天井に比べれば低いだろう。
(ここは…城の中ではありませんね。でも、どこかで見たような…?)
見慣れぬ天井ではあったものの、少女にとってどこか既視感を覚える天井であった。
そこで少女は体を起こして周囲に目を向け、そして気づいた。
(…ああ、ここは教会でしたのね。そういえば幼少のみぎりに父上に連れてきていただいたことがありましたか)
少女が横になっていたのは教会の長椅子の一つであり、体を起こして見えた信仰の対象の女神の像とその後光を示すような鮮やかなステンドグラスは見間違えようがなく、王都アルヴィスにある教会のそれであった。
その様は見る者すべて、老若男女関係なく神聖さを感じさせ、同時に恋をしたかと思ってしまうほどに魅了する。
少女はその女神の像を見て、祈りを捧げた。
その時、ふと正面から誰かが近づいてくるのを感じた。
先ほど確認した限りでは誰も見当たらなかったのにも関わらずだ。
少女の前方…つまり女神の像のある方向には女神の像とステンドグラスの間以外に隠れることのできそうな場所はなく、その隙間から出てきたのだとしたら少女に近づいてきた速度が異常であった。
具体的な数字で表すと、隙間から少女が気配を感じている場所までの距離は10mほど離れており、隙間から飛び出して移動してくるのにかかった時間は2秒程度である。
単純に10mを2秒で移動するというのも実は中々に難しい。
それに加えて隙間から出てくる時間も含めて2秒ほどということであれば、無理と言えるだろう。
少女が目を開けてその姿を確認すると…
「…え? 女神…様?」
少女が祈りを捧げていた女神の像とそっくりの女性が立っていた。
そして女性は少女の呟きに頷いて答えた。
「ああ…ああ! お会いできて光栄です」
少女は歓喜に打ち震えた様子でそう言った。
頬を赤く染め恋をしているような、熱に浮かされているような、そんな表情で。
女性はそんな少女の様子に慈母のような、優しげな表情を見せていた。
しかし、一転して悲しそうにも苦しそうにも見える表情を浮かべて言った。
「私はこれから貴女にとても残酷な真実を告げ、それ踏まえた上での選択を迫らなければなりません」
少女は突如変化した女性の表情を見て、それまでの惚けた様子から気を引き締め、その言葉を聞いていた。
そして自分のために憂いてくれていることを知り、嬉しくも申し訳ない気持ちになった。
また同時に、残酷な真実と選択について思いを巡らせていた。
おそらく並々ならぬ内容であろうことはわかるが、それが一体なんであるか思い至れなかった。
「女神様、それがたとえどんなに残酷なものであろうと受け入れてみせます。それが私に課された試練であり、避けて通れぬものならば、否という選択はありません」
少女は覚悟を決めた表情でそう言った。
もともと否という選択肢を女性が与えていなかったというのは触れないほうがいいのだろう。
ともあれ、少女のその様子を見て、女性は頷き口を開いた。
「ではまず貴女に真実を告げます。貴女は……首を切られ、死を迎えました」
少女はその言葉に困惑した。
実際に今、面と向かって話しているというのに、首を切られて死んだというのはどういうことなのか。
残酷な真実というよりも、面白くもない冗談を言われた気持ちだった。
もし言った者が女神と思しき女性でなければ、白い目を向けて相手にもしなかっただろう。
「め、女神様。しかし、私は今こうしてここに、確かに居ります。それなのに死んだとは、一体どういうことなのでしょうか?」
「ここは…死後の世界、とでも言いましょうか。そういう場所なのです。私が姿を見せることができているのが、何よりの証拠たり得るかと思います」
「そ、それは……し、しかし、いきなり死んだと言われましても、私には受け入れることができません」
「気持ちはわかります。……辛いことになりますが、目を閉じて、貴女がここで目を覚ます前までのことを思い出してください。思い出そうとすれば、あとは自然とその時の記憶が蘇ってきます」
「……わかりました」
少女は死んだという事実を受け入れたくないという気持ちもあって否定しようとしたが、女神様が嘘をつくはずがないということで無理矢理納得し、指示に従った。
そしてその時の記憶が呼び覚まされた。
侵入者の知らせに慌ただしくなる城内。
戦闘音と兵士たちが命を散らしていく声。
宮廷魔導師たちのものであろう魔力の高まりと、その魔法がもたらした衝撃の余波である振動。
侵入者が排除されたのか、静まり返る城内。
部屋の扉がノックもなしに開かれる音。
入ってきた血に塗れた少年。
感情がこもっていないように思える笑顔でこちらに寄ってくる少年。
その後ろから現れ、少年に斬りかかる近衛と思われる兵士。
振り向きながら無造作に剣を振るう少年。
宙を舞う兵の首。
部屋を汚す兵の血。
何事もなかったかのように、また笑顔でこちらによる少年。
抵抗しようにも恐怖で力が籠らない体。
その力の入らない体を片腕に抱える少年。
ついでとばかりに切り飛ばした兵の首を持ってどこかへ向かう少年。
近づく父上の居室。
廊下に転がる近衛たちの亡骸。
破壊された入り口と戦闘のあとが広がる父上の居室。
父上の近くに転がる炭化した人の骸の破片。
見たこともないくらいに緊張に強張った父上の表情。
放り投げられる兵の首。
少年に問い詰められる父上。
床に下される力の入らない体。
父上に歩み寄る少年。
無造作に振られた剣。
胴と離れる父上の首。
溢れる涙。
怒りを素に少年に敵意を向ける。
それに無表情と平坦な声を返す少年。
再びすくむ体。
笑顔に戻り、こちらに歩いてくる少年。
振り上げられた剣。
少年の口から発せられた死の宣告とともに振り下ろされる剣が首元に迫る。
それが少女が思い出した死んだ時の記憶だった。
「……そう、ですか。私は死んでしまったのですね。父上も…あの少年の手によって…!」
思い出したかのように怒りをあらわにする少女。
この場に少年がいないからこその行動であるのだろう。
女性は"残酷な真実"などと言った割に、少女のその様子を気にする風もなく続ける。
「死を受け入れてもらえたかと思います」
少女はその声を聞いて怒気を抑え、女性に意識を戻した。
「はい。……女神様、一つだけお願いがございます」
少女は真剣な眼差しで女性を見た。
その瞳の中には暗い色があった。
「お願い…ですか?」
「はい。あの者に…私と父様を殺した、あの少年に復讐をしたいのです。他の者の手によってでも、天の裁きによるものでもなく、直接この手で」
「…それは、生まれ変わってその者に復讐がしたいということでしょうか?」
「はい。その為なら…この手であの者を殺すことができるのであれば、どんなに短い人生でも構いません。…その為の力が手に入るのなら人外にだってなりましょう。いえ、むしろ人外でなければあの者を殺すことなど出来はしないのでしょう」
少年への復讐の気持ちが高まり、徐々に正気を失い始める少女。
そんな少女に、女性は悲しそうな表情を向けた。
「……復讐は悲しいものです。復讐は新たな復讐の物種となり、それがまた新たな復讐を産む。貴女のように死を悼む者が多い者であれば、連鎖は玉突きのようなものではなく、木の根のように加速度的に広がるでしょう。…そして、その果てにあるものは滅亡です」
「それでも…私はそれでもあの者を許すことはできません。それに、あの者が生きる限り、人という種の滅亡は約束されたようなものです。それを食い止める為にも、私はあの者を殺さねばなりません」
女性の諭すような言葉にも、少女は否定で応えた。
先ほどまで女神として崇めていたことを忘れているのではないかと思うほどに、少女の口調ははっきりとしており、そして隠しきれない怒気が混ざっていた。
そんな少女に対して、女性は続けて諭すように語りかけた。
「…私は復讐を果たす為だけの生を与えるような、悲しいことはしたくないのです。もし貴女がどうしてもその者に復讐を望むのであれば、それは生きる目的ではなく通過点としてください。復讐の為だけに生き、そして死ぬ。どうかそのような生を歩まないでください」
女性の言葉を聞いて、少女は俯いた。
女性のいる場所からはその表情を見ることはできなかったが、少女は何かを堪えるように見えた。
しばらくして少女はゆっくりと顔を上げた。
「……わかりました。しかし、私にはこれ以上の目的が見出せません」
「であれば、復讐を果たした後、愛に生きてください。」
少女が理解してくれたことを喜ぶかのような、安堵の表情を浮かべた女性がそう言った。
「愛…とは、好きな殿方を見つけ子を孕めということでしょうか?」
女性の言葉に一瞬呆け、しかし少女は自分なりの解釈を女性に確認した。
「そうです。そしてその愛を世界中に伝えてください。それが約束できるのであれば、貴女の望んだ力と貴女の復讐を許しましょう」
女性は少女の言葉を肯定し、真剣な表情で条件を飲むのであれば少女の復習を認めると告げた。
少女もまた、真剣な面持ちでそれを聞き、
「……わかりました。そうすることで望みが叶うのであれば、愛に生きることを誓います」
と、女性に誓いを立てた。
それを聞いた女性は頷くと、少女の前に現れた時と同じような優しげな表情を浮かべて言った。
「では、貴女に新たなる生を与える為の儀式に入ります」
「ありがとうございます」
少女は平伏しながら礼を言った。
心から感謝した無意識のうちの行動であり、また少女の人生で初めての経験のことだった。
女性は少女のそんな様子に触れず、続けた。
「貴女の言ったように、貴女の手で復讐という目的を果たすのであれば魔物に身を落とすか、魔族という人の形をした新たなる種にして唯一の存在として生まれるしかないでしょう。それでも貴女は生まれ変わることを望みますか?」
「はい」
少女は顔を上げ女性の目を見て、迷うことなく言った。
「…では、どちらとしての生を選びますか?」
女性のその言葉に、少女は少し悩み、そして答えた。
「愛に生きるという約束の為にも、私は魔族として生まれ、人と共に生きます」
「わかりました。……最後に、一言だけ貴女にお願いがあります」
「なんでしょうか?」
少し間があったこと、女性が優しげながらもまっすぐと少女を見ていたこと、そして何より"お願い"という言葉に、少女は少し戸惑いながら尋ねた。
「復讐は悲しみの連鎖であるということを絶対に忘れないでください」
女性のその言葉を聞いて、少女は目を閉じてゆっくりと頷いてから女性の目をまっすぐ見て
「はい」
と短く、しかししっかりと答えた。
女性は少女に頷き返して、儀式を続けた。
今回、術式に働きかける"想像"は、少女のものではなく女性のものである。
女性が先に述べた通り、魔族はこれから生まれることになる唯一の種であるので少女には想像に難いというのが一つ。
もう一つ、少女が気付いていない…いや、少女が気付けないものに、『少女が件の少年に勝てる』という想像ができないという理由がある。
それは少女が少年の力をよく知らないという最も肝心な問題点と、実は少女が少年に対して憎しみだけでなく恐れを抱いてしまっているという問題点がある。
前者は言われれば気づけるであろうが、後者に関しては少女は言われても否定するだろう。
それくらいに僅かな恐れである。
しかし、その僅かな恐れが"想像"の妨げになる。
そのため、女性の想像する魔族という存在を術式に読ませた。
そして儀式も終盤に差し掛かり、女性は少女にそれを告げる。
「もう少しで儀式は終わり、あとはここから旅立ち、新たな生を歩むだけとなります」
(……女神様、ありがとうございます)
少女は女性の言葉に応えてではなく、これまでのやり取りと機会を与えてくれたことに感謝した。
復讐に生きようとしていた自分のことを思って、悲しい生き方をしないようにと優しく道を示してくれたことに。
そして、その感謝の気持ちを口にすることなく少女は光に包まれて消えていった。
少女を中心に展開されていた魔法陣も、少女が消えると収縮して消えた。
残された女性は優しげな表情を崩し、目を閉じて溜息を吐きたそうな様子でひとりごちる。
「あ〜あ、柄にもなく復讐がどうとか言わされちゃった。復讐が復讐を呼ぶ? そんなことが起きないように皆殺しにするんだろう。その為に力を手に入れるんだろう。それに、復讐は悲しい…だって? 復讐の為に生きる力を得る人間だって居るのに何を言ってるんだよ。復讐を果たさなければ悲しみが生まれないわけでもないだろうしね」
そして目を開けると、少女が居た場所に侮蔑にも似た視線を向けて言った。
「何より一番滑稽だったのは、こう言わせた彼女がその言葉を否定してるところだろうね。自作自演もいいところだよ。寒気が走るね」




