9
少年から青年へと変わる頃。
その一人である岸田 玲は悩みを抱えていた。
それはここ最近のことではなく、数年間に渡って悩み続けているものである。
相談事を気軽にできるような親しい相手が居ないわけではないのだが、玲が悩んでいることはその相手のことなので相談できないでいるのだ。
そして解決しないまま過ごしてきた数年間という時間は、玲の心を徐々に蝕み、歪めた。
さて抽象的な話ばかりでなく、その詳しい内容に触れて行くとしよう。
まず、玲の悩みは2人の幼馴染についてである。
1人は三井 健人という少年で、もう1人は永崎 莉緒という少女だ。
健人と莉緒は玲が悩みを抱える少し前から付き合い始めた。
時期的に考えて、これが玲の悩みに関係あるというのは容易に推測できることと思う。
さらに踏み込んで、玲も莉緒のことが好きだったので2人が付き合うことを嬉しく思えず一緒にいることが辛い、と言った推測をするかもしれない。
もしくは、健人や莉緒と一緒にいるのは楽しいが2人の邪魔になっているのであれば自分から離れたほうがいいのではないか、しかしそれをわざわざ口にするのは2人に気を使わせてしまうだろうし無言で離れていくと2人のことが嫌いになったと誤解されてしまうかもしれない、と悶々としているのかもしれない、と。
しかしそれは違う。
玲は確かに莉緒のことが好きではあったが、莉緒が健人のことを好きだと気付いたときにはすんなりと諦めることができた。
勉強は平均を下回るくらいではあるが運動神経がよく、明るい人柄でクラスでも中心となっている健人に敵うはずがないと。
男子の間で密かに行われた彼女にしたい女子アンケートで1位になるような莉緒が玲に振り向くはずがないと。
なんで健人と莉緒と一緒に居るのか、と聞かれるような自分が2人の間に割って入ることなどできるわけがないと。
その話には、玲が邪推したような意味はなく、ただ純粋に2人との関係を尋ねられただけであるという事実があったのだが、玲がそれを知ることはなかった。
また客観的に見て、玲はどちらかといえばカッコイイと称される容姿であったし、勉強では学年でも上位10%に入る程であり運動神経も悪いわけではなかった。
これも玲の知らない話になるが、健人ではなく玲が好きだという女子も少なからずいた。
その少女らが告白したりすれば、もしかしたら玲の悩みを和らげることが、あるいは解消することもできたかもしれなかった。
しかし、少女らには玲と一緒にいる莉緒の存在が大きく、尻込みしていた。
そして結局、玲に告白する少女は現れなかった。
話が逸れたが、玲の悩みというのは何なのかというと『健人と莉緒が付き合っていることを玲に隠そうとしている』ことである。
一緒にいて気づかないほど玲は鈍感ではなかったし、2人は隠せているつもりでも2人が付き合っているという情報はどこからか玲に伝わるのは当然だっただろう。
もちろん健人と莉緒が付き合い始めて1週間と経たないうちに、その情報は玲にも伝わっていた。
そして玲はそれを自分から2人に聞いてみるのではなく、2人から話してくれるのを待とうと思った。
玲の予想ではもう1週間もすればきっと聞けるのではないかという見立てだった。
しかしその予想は外れ、聞くことがないまま現在に至る
しかも2人は未だに玲に隠している様子なのである。
玲の前ではいつもの幼馴染3人組といった様子を演じているのである。
時折、健人と莉緒が見つめあったり、玲にそれを指摘されてぎこちなくなったりと明らかに隠せていないのだが、それでも2人は誤魔化して玲に話そうとしなかった。
これには健人と莉緒の、自分たちが付き合ったことで玲を遠ざけたくない、今まで通り3人で居たいという思いがあった。
きっと玲なら話を聞いた後でも一緒にいてくれるという信頼もあったのだが、万が一のことを考えると不安で打ち明けられずにいた。
つまり、互いに相手のことを思って話さずにいたせいで起きた問題だった。
どちらが悪いのではなく、どちらも悪かったという話だ。
けれどそれは、それぞれの胸に秘められた思いと事情を知っている者から見た場合の話である。
当人たちにしてみれば大変もどかしかっただろう。
特に、相談することもできずその悩みを共有する相手もいなかった玲にとっては。
そしてその違いによって健人と莉緒の2人と玲の間に差を生じさせた。
1人で思い悩み、不安に苛まれていく玲。
玲のことを心配し悩み、しかし同じ気持ちを抱いている恋人がいることに少しだけ安心を得る健人と莉緒。
その差が更に玲の心を蝕んでいった。
自分はこんなに悩んでいるのに対して、2人は付き合っていることを未だに隠し続けている。
きっと2人はそうやって自分のことを除け者にしているんだろう。
きっと2人は自分のことを見下しているに違いない。
……いや、健人と莉緒がそんなことをするはずがない。
幼い頃から一緒に過ごしてきた2人に対する信頼が、玲を際で支えていた。
…それが唯一の支えであり、何かの拍子に一線を越えてしまう状態だった。
そんな玲の…玲たちに突然、転機が訪れた。
それは高校2年目の春だった。
玲がいつも通りの時間にいつものように登校すると、やはりいつものように教室にはまだ誰もいなかった。
玲は入学してから一度も二番目以降に教室に入ったことはなかった。
それはやはり健人と莉緒と一緒に登校する、もしくは偶然にでも会ってしまうのが嫌だったからというのもある。
しかし実はそれ以外に主目的があった。
これは健人と莉緒が付き合うのよりも前からのことなのだが、朝の静かな時間を教室で本を読んで過ごすというのが玲の日課だった。
健人と莉緒と一緒に登校していた頃も、健人と莉緒は部活の朝練に行き、玲は教室で読書というふうに分かれていた。
読む本は特に決まった分野ということはなく、現代文学作品や歴史物、ライトノベルや詩集といったものもあれば洋書も読んでいた。
本を読むことが好きであったり、好きな作品や著者がいるというわけではなく、朝の静かな教室で本を読むという行為を楽しんでいた。
ただ静かな場所で本を読むのであれば、図書室や校外に出て図書館に行ってもいいし、さらに言えば自宅で読めばいい。
玲にとって大切なのは"朝の静かな教室"という部分だった。
そしてその日課のために玲はいつも一番最初に登校していた。
ちなみに、高校1年目は健人と莉緒と玲は全員別のクラスだった。
それに玲は少し安堵してしまい、そんな自分に気付いて、仲良くしていたいと思うのに離れることができて安堵する矛盾に自己嫌悪した。
そこに追い打ちをかけるようにして、毎日のように健人と莉緒が昼食の誘いや一緒に下校しようと玲の教室にやってきた。
当然、クラスメイトには玲が健人と莉緒の知り合いであり親しい間柄であることが知られることになるわけだが、玲はその視線が中学の時の、2人と一緒にいることを咎めているようなモノに感じた。
これもまた玲の勘違いであった。
こと今回に至っては被害妄想のようなものであるが、それほどまでに玲は限界に近かった。
それから1年、その視線に耐えながら玲は過ごした。
そして高校2年目、運命の悪戯かはたまた神様の意地悪か、玲と健人と莉緒は全員同じクラスになった。
クラス分けが発表されてそれが分かった時、健人と莉緒は3人同じクラスになったことを喜んでいたが、玲は一緒に喜ぶフリだけでもしようとして引きつった笑顔になってしまった。
幸いにも2人がそれに気づくことはなかったが、笑顔が引きつったことを自覚した玲は1年前のそれよりも酷い自己嫌悪に至った。
その自己嫌悪を紛らわせたのは、日課である朝の読書だった。
朝の静かな、誰もいない教室という状況に心を落ち着かせ、ただ文字を目で追う。
それが何よりの安らぎになった。
その日の昼休みもいつものように健人と莉緒が昼食を一緒に食べようと誘った。
玲はそれに応じて、3人はいつものように弁当を持って屋上に向かった。
そこで事件は起こった。
昼休みも半ばにさしかかった頃だった。
突如、3人は光に包まれた。
玲も健人も莉緒も、座り込んだままでは不測の事態に対処できないと、慌てて立ち上がった。
周りの様子を見てみると、誰も騒いでいないどころか3人が急に立ち上がったことや光に包まれていることにすら気づいていないようだった。
そしてその最中で玲は目にした。
おそらくは無意識のうちに、健人と莉緒が手を固く繋いでいるのを。
その瞬間、玲の心はついに一線を越えてしまった。
また、それが引き金となったかのように光は輝きを増し、目の前が真っ白になった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
光が収まり健人が恐る恐る目を開けると、そこには1人の女性がいた。
そして女性は健人がこちらに気づくのを待っていたように口を開いた。
「はじめまして、三井 健人さん」
「…なんで俺の名前を?」
「それは、私が女神だからでしょうかね」
「女神?」
健人は自身を女神と称する女性を観察した。
身にまとっているのは、何故か触れるのが躊躇われる着物とどういうわけか女性の背後で宙に弧を描く羽衣。
着崩された襟元から覗く胸は豊満で、また裾の隙間から見える脚はシミひとつなく白く滑らかな様子であった。
そして顔は今まで健人が見たどんな女性よりも綺麗だった。
それだけで信じてもいいものかと迷ったが、健人はひとまず女性の言葉を信じることにした。
女性はそんな健人の無遠慮な視線に気を悪くした様子もなく、健人の様子を見て頷いた。
「信じてもらえたようで何よりです。では、貴方がここにいる理由をお話ししましょう」
「女神様、その前にひとつだけ聞きたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「莉緒と玲は…俺の幼馴染の2人は無事なんですか?」
「はい。お二人とも無事ですよ」
「…ありがとうございます」
女性のその言葉に、健人は安堵した。
一緒にいたはずの2人がいないこと、そして左手に感じていた温もりが消えていたことに健人は不安を覚えていたのだ。
「心配なさらずとも、このあとお二人に会えますよ」
「本当ですか!? 本当に2人に会えるんですか!?」
女性は健人の様子がおかしかったのか、口元に手を当ててくすくすと可愛らしく笑いながら言った。
それを聞いた健人は叫ぶように確認した。
「はい。ですからまずは落ち着いて、私の話を聞いてもらえますか?」
「あ、すみません…」
女性は幼い子供に話しかけるように言い、興奮していた自分に気付いた健人は謝罪した。
「では改めまして貴方がここにいる理由ですが、異世界に勇者として召喚されることになったからです」
「異世界に勇者…って、漫画とかみたいにですか?」
「はい。もちろん勇者に与えられる特殊な能力などもあります」
「どんな能力なんですか?」
「申し訳ないのですが、それは私にはわかりません。私が差し上げられるのはそのきっかけだけで、どのような能力になるのかは向こうの世界に召喚された時に、貴方の本質が能力となって付与されますので」
「なる…ほど」
原理はわからないがそういうことなのだろう、と健人は納得することにした。
「事後承諾に近い形になってしまいしたが、その力を持って世界を救っていただけませんか?」
「それって、魔王を倒す…とかそういう意味ですよね?」
「はい。…しかし、貴方がたにお願いしたいのはさらに恐ろしい存在となります」
「…魔王よりも、ですか?」
「はい」
女性は辛そうな表情で健人の確認を肯定した。
健人は女性のその様子を見て唾を飲んだ。
そもそも健人は魔王と戦うこと…いや、敵と戦うことが怖かった。
平和な世界からいきなり魔物などの危険な生物が存在する世界に転移して、命がけの戦いを生き抜き世界を救う。
そんな物語の主人公たちをカッコイイとは思ったが、同時に自分には無理だと思っていた。
日常の中で意見の食い違いで喧嘩することや不良に絡まれることはあった。
しかしそれは意思疎通のできない未知の敵と戦うことでもなければ、命の奪い合いでもなかった。
負ければ死に、行きたければ勝つしか…相手を殺すしかない。
そんな世界で生き抜く自信が健人にはなかった。
ここで断るという選択肢があればどれだけ良かったか。
健人も勉強はイマイチだがバカというわけではないので、女性の"事後承諾に近い形"という言葉から既に引き返すことはできないのだと察していた。
健人は目を閉じて深呼吸した。
(大丈夫、俺は一人じゃない。莉緒も玲も居るんだ。莉緒ならきっと俺や玲が挫けそうになった時に支えてくれる。玲ならきっと俺や莉緒が悩んだ時に道を示してくれる。…俺は玲の示した道を切り開くだけでいい)
自分に言い聞かせるように何度も心の中でつぶやき、覚悟を決めて目を開けた。
「わかりました。俺たちに世界を救うことができるかはわかりませんが、精一杯やってみます」
「ありがとうございます」
健人の言葉に女性は頭を下げて礼を言った。
そして顔を上げると、両手を重ねて上に向け、何事かをつぶやき始めた。
すると健人を中心に、円を主とした幾何学模様とところどころに散りばめられたおそらく何かしらの言語だろうと思われる記号で作られた、いわゆる魔法陣の様なものが現れた。
女性はそれを確認すると、重ねた両手をそのまま胸元まで移動させた。
それに呼応するかの様に魔法陣はだんだんと輝きを強めていった。
健人がこの場所に飛ばされた時に似た輝き方であったが、今回は視界が真っ白になる程までは至らなかった。
光り輝く魔法陣の外では、女性が両手のひらを健人の方に向けていた。
また、それまで半目で虚空を見ていた女性は健人のことを見ており、目が会うと微笑みかけてきた。
「貴方の旅に、幸あらんことを」
女性がそう言うと健人の体は光の粒子に分解されたように宙に消えていった。
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莉緒が目を開けると、そこには健人の時と同じ女性がいた。
「はじめまして、永崎 莉緒さん」
「え? あ、えっと、はじめまして」
莉緒は見知らぬ女性にいきなり名前を呼ばれたことに驚きつつも、挨拶を返した。
「まず、貴女がここにいる理由をお話しします」
「はい」
それから莉緒は健人と同じように、女性が女神であるということと異世界を救うために勇者として召喚されることを説明された。
「莉緒さん、どうか世界を救っていただけないでしょうか?」
「はい、それは構いません。…構わないのですが、三井 健人と岸田 玲の消息について何か知っていることはないでしょうか?」
「もちろん存じておりますよ」
「…2人は無事なんでしょうか?」
「無事ですよ。そしてお2人とも貴女と同じように、同じ世界に転移していただくことになっています」
「よかった…健人と玲も一緒なんですね」
莉緒は表面上は落ち着いて女性の話を聞いていたが、内心では2人のことが心配で、聞きたくて仕方がなかった。
そして転移した先の世界で1人で生きていくことを考えると怖くてたまらなかった。
一緒に光に包まれたから、2人も一緒なのかもしれない。
…でももしかしたら全員別の世界に行くことになるのかもしれない。
…いや、手をつないでいた健人がいないのだからきっと別々に決まっている。
…そもそも、やはり自分だけが異世界に行くことになるのだろう。
そんなことを考えていたのだ。
「安心していただけたようで何よりです」
「…もしかして、気付いてました?」
「ええ、これでも女神ですので」
女性の軽口に莉緒は笑った。
笑う余裕ができたと言い換えてもいい。
女性はというと、そんな莉緒の様子を見て微笑んでいた。
「では、向こうの世界に送りますね」
「はい」
莉緒がそう言うと、女性は健人の時と同様に儀式を行い、そして最後に
「貴女の旅に、幸あらんことを」
そう言った。
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玲が目を開けると、やはり2人の時と同じ女性がいた。
「はじめまして、岸田 玲さん」
玲は女性に言葉を返さず、ただジッと観察するように見つめた。
女性はそんな玲の様子にも、やはり気を悪くした様子もなく微笑んでいた。
「…それだけ?」
微笑む女性とそれを観察する玲という状態がしばらく続き、やがて玲が口を開いた。
女性はその声にようやく話を始めた。
「いえ、そんなことはありませんよ。これから貴方にお話しすること、そしてお願いしたいことがあります」
「そう。じゃあどうぞ」
玲の愛想のない様子を気にせず、女性は続ける。
「まず初めに、私は女神です。次に貴方がここにいる理由ですが、貴方は異世界に勇者として召喚されることになり、そのための準備としてここにお呼びしました」
「質問、いい?」
「はい、なんでしょう?」
「まず一つ。貴女が女神だという証拠は?」
「貴方をここにお呼びしたことが証拠…というのでは納得いただけないでしょうか?」
「それだと貴女がやったという証拠がない」
「そうですか…では、貴方の岸田 玲という名前を知っていたというのはどうでしょうか?」
「それも調べればわかることだし、証拠としては弱い」
「…となると、このまま私の話を一度全て聞いていただいてから判断していただくか……」
「…それか?」
「私の容姿で判断していただくか、ですね」
「そうだね、じゃあとりあえず話を聞かせてもらおうか」
「わかりました」
玲は女性の軽口に一切触れずに、話の続きを促した。
女性もそんな玲の態度をやはり気にすることなく頷いた。
「これから異世界に行っていただいて、そこで貴方にやっていただきたいことは世界を救うことです。具体的には敵と戦っていただき、それを討ち取っていただきます」
「敵っていうのは、人類の? それとも召喚した人物にとっての?」
「人類の…ということになりますが、私の立場から言わせていただきますと召喚した人物にとってのという方が正しいかもしれません」
「…つまりその敵も人間ってことね」
「そうなります」
「じゃあ勇者じゃなくて人殺しになれってことでしょ?」
「戦争で敵を殺すことが賞されるように、人類の敵を殺した者は人類を救った英雄と賞賛されるものです。そしてその役目を負った人物を勇者と称することは間違いではないのではないでしょうか?」
「そういった称号のようなものの話はどうでもいいんだよ。やることは結局人殺しだろう、ということを確認しているだけなんだから」
「そうですか…そうですね。向こうの世界の人々にとっては勇者であっても、実行する貴方がたにとっては人殺しでしかありませんね」
「……ん? "貴方がた"?」
「はい。岸田 玲さん、三井 健人さん、永崎 莉緒さんの3名です」
健人と莉緒の名前が女性の口から聞こえた瞬間、玲はピタリと動きを止めた。
(そう…だ、思い出した。……ははは、健人と莉緒も一緒。健人と莉緒が一緒。健人と莉緒は一緒。僕は1人。僕が1人。僕だけは1人。僕だけが1人。………もういいや)
玲はここに来る直前のことを思い出して、自分の中で何かが崩れるのを感じた。
そして焦点の定まらぬ目を女性に向け、不自然に首をかしげて問いかけた。
「女神様…だっけ? 異世界に召喚される物語の約束としては特殊な力が貰えたりするみたいだけど、僕も何かもらえるの?」
「はい。…ですが、どのような力かは私にもわかりません。貴方の本質が貴方の能力として授けられますので」
女性はそんな玲の様子にも動じず、微笑みを浮かべたまま答えた。
「僕の本質…ね。まぁいいや。僕が異世界に行った時、そこには健人と莉緒もいるんだよね?」
「はい。3人とも同時に、同じ場所に召喚されることになってますよ」
「そっかそっか。よかった。別々の場所とか言われたら探すのが面倒だったからね」
言葉だけならば仲間のことを普通に尋ねているように聞こえるが、実際の玲の様子はどこか狂気のようなものを孕んでいるように見えた。
「異世界を救うために仲間が犠牲になってしまうのもしょうがない…間違ってませんよね?」
玲は女性にそんなことを尋ねた。
「はい。送り出した私としては心苦しいことですが、強敵を前に力尽きてしまうということも少なくはありません。むしろ一切の犠牲を出さずに、という方が少ないでしょう」
女性は玲にそう答えた。
玲の質問の意図するところと微妙にずれた回答のように思えるが、女性は玲の言わんとしていることを理解した上で言っており、また玲も女性の言葉が暗に玲のやろうとしていることを容認していることを察していた。
しかし、あえて確認する。
「そうだよね。勇者が仲間だと思っていた人物が実は魔王の手先で、裏切られた勇者は背後から斬りかかられて死んでしまう。そんな可能性も十分にありえるよね?」
「そうですね、過去にもそのような事例が何度かありましたし、その可能性は少なからず存在すると言って良いでしょうね」
女性は玲の確認を肯定した。
「…うん。じゃあもう説明とか良いよ」
「そうですか」
玲の言葉にそう返事をして頷くと、女性は健人たちの時と同様の儀式を始めた。
「…最後に一つだけ聞きたいんだけどさ」
儀式も終盤にさしかかり女性が目を向けてきた時、玲が話しかけた。
「はい、なんでしょう?」
「君ってなんなの?」
玲の問いかけに女性は、
「女神ですよ」
そう答えた。
「…そう」
玲はその言葉を信じてはいなかったが、それ以上追求しなかった。
しても、きっと自分は女神であるという答えしか返ってこないとわかっていたから。
「では、私からも最後に一言」
玲の体が光の粒子に変わり始めた。
「道無き道を歩む貴方に祝福を」
女性が言い終えるのと玲が消えるのはほぼ同時だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
健人が次に目を開けると、そこは薄暗い場所だった。
足元に淡く輝く魔法陣と壁にある蝋燭に灯る火だけが光源のようだ。
目を凝らして見ると、魔法陣が描かれている場所…つまり健人が現在立っている場所はその周りよりも高くなっており、外側にはその台座を囲むようにしてフードを被った人影が並んでいた。
女神を名乗る女性から聞いていなければ何かの宗教団体に拉致されたとでも思ってしまいそうだった。
異世界から勇者を、という考えのもと儀式を行ってしまうのだからあながちハズレでもないのだが。
「えっと…」
健人はなんと話しかければ良いのか、誰に話しかければ良いのかわからず、周りの人影を見渡しながらそう言った。
言語が通じないということを考えなかったわけではないが、それは世界を救ってほしいと頼んだ女性の落ち度であるし、話しかけなければ始まらないと思ったのだ。
「あ…お、おお……おお! 勇者様が来てくださったぞ!」
健人のちょうど正面にいた人物がそう言った。
声からしておそらく老人だろう。
そしてその声を皮切りにして「おぉ…おお、おお、おお!」「勇者様!」「やっとこれで…」と所々から声が上がり始めた。
それを止めることなく老人がフードをとって、健人に話しかけてきた。
なお言葉が通じないということはなく、普通に"話す"ことができた。
「勇者様、遠い地よりお越しいただきありがとうございます。まずはお喚びした理由をお話ししたいのですが、ここでというのもなんですので、付いてきていただけますでしょうか?」
「あ、はい。……ところで、莉緒と玲はどこいるんですか?」
「リオ!? ゆ、勇者様はリオと名乗る者とお知り合いということでしょうか?」
健人が莉緒の名前を言った瞬間、それまで歓喜の声が満ちていた空間がしんと静まり返った。
健人に向かって話しかけていた老人も緊張した様子で尋ねてきた。
「は、はい。幼馴染の女の子なんですが……莉緒がどうかしたんですか?」
「女性、でしたか……」
いきなり空気が変わったことに驚きつつ、またもしかしたら莉緒の身に何かあったのかもしれないと不安に思いながら話すと、老人は安堵し、周囲の空気からも張り詰めた様子が消えた。
「あ、あの」
「ああ、勇者様、ご安心ください。その女性の方とは関係ないことですので。それと、もしかすると勇者様はお一人ではなく、そのリオという女性ともう一人のレイという方とご一緒に来ていただけたということでしょうか?」
健人には訳が分からず、再度莉緒の安否を確認しようとして老人の言葉に遮られ、逆に質問された。
「あ、はい。女神様からは3人一緒だと聞きました」
「なんと! では、もしかしたらそのお二方は別の儀式場にいらっしゃるやも知れません。多くの場所で儀式を行えばそれだけ成功確率が上がるかもしれない、ということで他にも数カ所で同時に儀式を行っておりますので」
「そうですか…。その、2人に会いに行くことってできませんか?」
「落ち着いてくだされ、勇者様。ご心配なさらずとも、勇者様にお越しいただいた際には決まってご案内する場所がございますので、そのお二方もそこにおいでになるはずですから」
「分かりました。えっと、じゃあ早速連れて行って貰っていいですか?」
「お任せ下され」
ちゃんと後で会えるから落ち着けと言われても、心配な様子を隠しきれずソワソワしている健人の様子に老人は微笑んでいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
莉緒が目を開くと、足元に淡く光る魔法陣と壁際のろうそくが光源で、魔法陣の周りの台座の外に魔法陣を囲む人影という健人と同じシチュエーションだった。
「ここは…地下?」
莉緒がそう呟くと、莉緒の正面にいた人物が顔を上げ、莉緒の存在に気づくと慌ててフードを外した。
その人物はおそらく莉緒と同じくらいの年頃と思われる少女であった。
「ゆ、勇者様…ですよね?」
「えっと…そうです、ね」
少女の問いかけに莉緒がそう答えると、薄暗い空間が歓喜の声に包まれた。
莉緒は世界を救うために異世界からやってきた勇者なのだからある程度は歓迎されることは予想していたのだが、実際にこの世界の人々の安堵にも似た喜びを目の当たりにすると、不安な気持ちになった。
それは、その期待に応えられるか自信がないからであった。
莉緒を囲む彼らが莉緒という勇者の来訪にそこまで喜んだのは、この世界における勇者という存在がそれほどまでに強力で信頼できるからに他ならない。
だからこそ少女の莉緒であっても勇者という称号一つで妄信的に救われることを確信したのだ。
「ああ、勇者様。私達の喚び声に応えていただきありがとうございます。…お名前を伺ってもよろしいでしょうか? あ、私の名前はエルリナと申します」
「あ、はい。私は永崎 莉緒です」
莉緒が名前を言った瞬間、空気が固まった。
それまで興奮した様子だったエルリナという少女も、呼吸が止まったようにピタリと動きを止めた。
「え、エルリナさん?」
「あ…あ、はい。ナガサキリオ様ですね。……ナガサキリオ様は"リオ"という方をご存知ではありませんか?」
莉緒の呼びかけに硬直が解けたエルリナが尋ねた。
「"りお"さん、ですか? 私と同じ名前ですね」
莉緒の何気ないその一言でその場に緊張が走った。
その変化に気づいた莉緒が、何か失言があったのだろうかと心配していると、エルリナが神妙な面持ちで話しかけてきた。
「リオさ……いえ、ナガサキリオ様。エルシャリア王国という国やアルヴィスという街の名前に聞き覚えはございませんか?」
「エルシャリア王国とアルヴィスですか? すみませんが全く知りません…」
「…では、ナガサキリオ様の出自やそれを証明できるものは何かございませんでしょうか?」
「私の出自を証明するもの……あ!」
莉緒が何かに気付いた様子で声を上げると、緊張が一気に高まった。
それには気付くことなく莉緒は話した。
「私の同郷の幼馴染が2人、一緒にこの世界に来ているはずです」
「同郷の方が…ですか?」
「はい! その2人も私と同じようにして勇者に選ばれたそうなのですが…」
「なる…ほど」
(もしこの方が、あのリオであったとしたら……。いえ、もしかしたら他の場所で勇者様の召喚に成功しているかもしれません。ならばこの方をあの場所に連れて行った方がいいですね。本物の勇者様であっても連れていく決まりですし、あのリオであってもそこで本物の勇者様に討ち取っていただけばいいのですから)
エルリナがそんなことを考えているとは知らずに、莉緒は何か知っていそうなエルリナに期待の目を向けていた。
「そのお2人の勇者様も、おそらくこれからご案内する場所においでになられるかと思います。他の場所でもここと同じように勇者様を迎えるための儀式を行っておりまして、私どもの呼びかけに応えてくださった勇者様をそこに必ずお連れする決まりなのです」
「そう…なんですか」
莉緒はエルリナの言葉を想像しようとして、ここと同じような儀式を複数の場所で行っているというのが上手く思い浮かばず、とりあえずそういうことなのだと納得することにした。
「其処で勇者様…がたをお喚びした理由などについてお話しいたしますので、ついてきてください」
「あ、はい」
「ああ、そういえば申し遅れましたが。私、勇者様の補佐役として同行するようにと申し付けられておりますので、よろしく御願いいたします」
「こちらこそよろし……え?」
「では、参りましょう」
反射的に挨拶を返そうとして、途中でエルリナの言葉の意味に気付いて困惑する莉緒の手を、意外に強い力で引いたエルリナはそのまま儀式場を後にした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
玲は目を開けて辺りを見渡すと、目の前にいたフードを被っている人物に話しかけた。
「ねぇ、他の2人はどこ?」
話しかけられた人物はいきなり話しかけられたことに対する驚きと、その人物が儀式の成功を意味する勇者であるということに対する喜びと、他の2人がどこかという意味が理解できない単語に対する困惑が混ざり、餌を求める魚のように口をパクパクさせるだけだった。
それを見た玲は他にまともに話ができそうな情報提供者がいないかと周りを見渡して、他の誰もが呆然としたようすで玲を見ているのが分かっただけだった。
玲が落胆したように溜息を吐くと、玲に話しかけられた人物が何とか落ち着きを取り戻して玲に話しかけた。
「ゆ、勇者様、申し訳ありません」
「え、僕は『謝って欲しい』じゃなくて、『他の2人はどこ』って言ったんだけど?」
「あ、ああ、はい。申し訳…ありませんが、勇者様の仰る"おふたり"と言うのが一体誰のことを指しているのかわからないのです」
「三井 健人と永崎 莉緒、僕と同じタイミングでこの世界に転移してきたはずの2人の勇者だよ」
「それは…本当でしょうか? 本当に勇者様を含め、3人もの勇者様がおいでになられたのでしょうか!?」
玲が健人と莉緒のことを勇者だと言うと、目の前の人物は興奮した様子で尋ねてきた。
それに対して、情報を与えたにも関わらず質問の答えが返ってこないこと、こちらが尋ねているのに質問を重ねてくることに徐々に苛立ちを募らせていた。
この部屋を出て行って勝手に探そうとしていたところを引き止められた上でのことだというのが拍車をかけていた。
「…ねぇ、僕の質問に答えてよ。2人はどこ?」
「あ、も、申し訳」
「だからさ、謝って欲しいんじゃなくて、2人がどこか教えて欲しいんだってば。…もういいや、勝手に探すから」
「お、お待ちください!」
頭をさげる相手を無視して部屋の出口に向かおうとした玲を、その人物は慌てて止めた。
玲はさらに不機嫌そうになってその人物を見た。
その視線には殺気が混じっているように感じられ、勇者という存在の持つ理不尽ともいえる力を知るこの世界の住人にとっては耐え難い恐怖だった。
実際、その視線を向けられたわけでもないのにその場にいた全員が目に見えてわかるほどに震えており、気絶するものや失禁するものまでいた。
果たしてその視線を向けられた人物はというと、自らの足に短剣を刺すことで気絶しないように堪えていた。
「ゆ、ゆゆ、ゆうしゃ…さ、ま」
「ん?」
「そ、そのおふふたかた…は」
必死に気を保ちながら何とか自分の推測を告げようとするが、体の震えや短剣による痛みをも超えて意識を奪おうとするプレッシャーに、上手く言葉を紡げないでいた。
玲はその様子を見て、何か情報を持っていてそれを話す気なのだろうと判断して、溜息と共に気を静めた。
プレッシャーから解放された人々は、足に短剣を刺した玲の目の前の人物を除いて皆崩れ落ちた。
「それで?」
「は、はい。おそらく勇者様の仰るお二方は、私が勇者様を案内する予定でした場所にいらっしゃるかと思います。ただ、もし勇者様の方が先にいらっしゃっていた場合は、そこでお待ちいただくことになるかと思われます」
「それは、絶対にそこに集められるってこと?」
「はい。そういう決まりですので」
「そう。じゃあ案内して」
足に短剣を突き刺している様子を見ていた…いや、現在も突き刺さったままであるのを見ているのにも関わらず、玲はその人物に案内をしろと言った。
その人物は周囲を見渡して、自分以外に意識のある人物がいないことを確認すると、短剣を引き抜き手早く応急処置を済ませると、痛みを堪えて立ち上がった。
応急処置をしたとはいえ、そんなことをすれば傷口からは血が止まらない。
しかしこれ以上、玲の機嫌を損ねるわけにはいかないという気持ちが力を振り絞らせた。
「では、ご案内いたします」
「うん、よろしく」
足から血を流し、その血で足跡を残しながら進む人物に従って、玲はその部屋を後にした。
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その部屋に最後にやってきたのは玲だった。
足に怪我を負い、その出血と玲からのプレッシャーによる疲労で意識が朦朧としている人物が案内役であったのだから、当然の結果だろう。
そしてその人物は案内を終えると同時に意識を失い、膝から崩れ落ちた。
玲はそんな人物に目もくれず、部屋のドアを開けた。
中では健人と莉緒と、そして見知らぬ少女が話していた。
まず健人が玲に気付き、声をかけてきた。
「お、玲。遅かったな」
それに続いて莉緒が玲の方を向き、最後に一緒にいる少女が玲に目を向けた。
「待ってたよ、玲」
「レイ様、ケント様とナガサキリオ様からお話はお伺いしました。私、皆様に同行させていただくことになります、エルリナと申します」
「エルリナさん、だから私のことは"莉緒"で良いってば」
「ナガサキリオ様、レイ様もいらしたのでその事情についてこれからお話いたします。それから私のことはエルリナと呼び捨てにしてください」
「えー…。私のことを"莉緒"って呼ぶならそうするよ」
玲に話しかけていたはずが、莉緒とエルリナが2人で話し始めてしまった。
「おい、玲。いつまでもそんなとこに立ってないで入ってこいよ」
入り口に立ったまま動かない玲に、健人が呼びかけた。
その声に応えるように玲は健人達の方に移動した。
「……え?」
健人達のすぐそばまで来た玲が、虚空から本と羽ペンを取り出して本に何かを書き込むと、健人の首が斜めにずれて落ちた。
健人は自分の身に何が起きたのか、そもそも何があったのかを理解できずに死んだ。
そしてそんな健人の骸を呆然と見つめる莉緒とエルリナを他所に、玲は続けて本に羽ペンで書き込んでいた。
その結果、莉緒の体が前後二つに分かれて倒れた。
不思議なことにその断面から中身が溢れることはなく、また血が床を汚すこともなかった。
まるで人体模型か何かであったとでもいうかのように。
それを見たエルリナはようやく事態を理解した。
健人と莉緒から聞いていた玲という人物と、現状を作り上げた人物が同一人物とは思えない。
しかし、健人と莉緒は確かにこの人物を、親しみを込めて玲と呼んだ。
では同一人物だとするのであれば何故こんなことをしたのか。
そもそも何をしたのか。
…いや、何をしたのかは分かっている。
勇者が持つという特殊な能力を使ったのだ。
さっきの本と羽ペンがそれなのだろう。
「あ、あ、あ…」
エルリアの頭の中では色々と言いたいことや考えが浮かんでくるのに、言葉にしようとすると口が動かなかった。
心は落ち着いていても、体の方が混乱から立ち直っていなかったのだ。
そんなエルリアを一瞥すると、玲は本と羽ペンを虚空に消して部屋を出て行った。
こうして、エルリアや部屋の前に倒れており出血多量で失血死しかけていた人物の証言、そして健人と莉緒の遺体をによって、のちに2人目の狂勇者として認定される岸田 玲は異世界へとやってきたのであった。




