第3章 鋼鉄の美学
午前四時二十分。
セリナは、右の銀花を掌に載せた。
銃は黙っていた。
もちろん、銃はいつだって黙っている。
それでも彼女には、ポリマー製の拳銃より、こちらのほうがよほど雄弁に思えた。
鋼鉄のスライド。過剰な装飾を必要としない、均整の取れた輪郭。木製グリップに刻まれた細かなチェッカリング。指先を滑らせれば、職人がどこに時間をかけたのかが分かる。
最新式の拳銃には、最新式の理由がある。
軽い。便利だ。拡張性が高い。暗闇でも扱いやすいように、レールに照準器やライトを取り付けられる。
結構なことだと思う。
セリナは、それを否定するほど愚かではなかった。
「でもね」
彼女は銀色のスライドに映った自分の顔を見た。
「あなたたちには、余計なものがないのよ」
一拍置いて、彼女は訂正した。
「……いえ。違うわね。余計なものがないんじゃない。必要なものだけで、美しくできているの」
返事はなかった。
彼女は満足そうに微笑んだ。
「そういうところが好きなのよ」
午前六時。
廃ホテルの宴会場に、男がひとり立っていた。
アレクセイ・ヴォルコフ。
三年前と変わらない顔だった。髪に白いものが増えたくらいだ。
「久しぶりだな、セリナ」
「そうね。死んだって聞いていたわ」
「死んだことになっていた」
「便利な身分ね」
セリナはコートの襟を直した。
ヴォルコフの右手には、旧式のマカロフ拳銃があった。
「それが君の答えか」
「何の話?」
「三年間、君が探していた答えだ」
「違うわ」
セリナは微笑んだ。
「今日は、あなたの顔を見に来たの」
「顔?」
「ええ。それから、あなたが嘘をつくとき、昔と同じ顔をするかどうか」
ヴォルコフは笑わなかった。
彼女の両手が、コートの下に消えた。
銀色の閃き。
二挺のブローニング・ハイパワーが、朝の薄闇に姿を現した。
クロームの表面に、割れた窓から差し込む光が走る。彫刻された薔薇と天使。金色の引き金。琥珀色の木製グリップ。
二挺でひとつの絵になる、あの奇妙な意匠。
ヴォルコフは、その銃を見つめた。
「まだ持っていたのか」
「あなたもマカロフを捨てていないじゃない」
「これは道具だ」
「そうでしょうね」
セリナは片方の銃をわずかに傾けた。
「でも、私のは違うの」
「何が違う?」
「美しいのよ」
その瞬間、銃声が宴会場を裂いた。
窓ガラスが砕け、シャンデリアが揺れた。
二人の影が、柱の両側へ消える。
銃声。
硝煙。
床に散るガラス片。
セリナは銀花を構え直した。銀色のスライドに、砕けた窓からの光が一瞬だけ映る。
撃つたびに、銃は反動を返す。
映画のように弾が尽きないわけではない。
十三発。
その数字は、彼女の頭の片隅にあった。
ヴォルコフのマカロフが沈黙した。
セリナの右手の銀花も、ほとんど同時に沈黙した。
一瞬、世界から音が消えた。
ヴォルコフが柱の陰から顔を出す。
セリナは左手の銀花を向けていた。
その銀色の表面に、翼のある天使が刻まれている。
「終わりよ、アレクセイ」
男はゆっくりと両手を上げた。
「撃てば、真実は永遠に分からなくなる」
「そういう台詞、もっと早く聞きたかったわ」
「君の部隊を殺したのは――」
「その話はもういい」
セリナは一歩近づいた。
「あなた、ひとつ間違えている」
「何をだ?」
「私は三年間、あなたを殺すために生きてきたんじゃない」
銃口は揺れなかった。
「あなたを殺して、何も終わらなかったら困るのよ」
ヴォルコフの表情が、初めて崩れた。
セリナは銀花を下ろさない。
「だから、答えて」
雨が、割れた窓から吹き込んできた。
「私の仲間を殺したのは、誰?」




