↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/34

第25章 家族写真

父から連絡が来たのは、翌日の午後だった。


『明日の夕方、時間を取れる』


それだけだった。


場所も、用件も書かれていない。


セリナは返信した。


『わかった』


しばらくして、もう一通届いた。


『一人で来なさい』


セリナは画面を見つめた。


父は昔から、無駄な言葉を使わない人だった。だが、こんなふうに念を押すことは珍しい。


彼女はスマートフォンを伏せた。


机の上には、銀花が二挺並んでいる。


セリナはその前に座り、しばらく眺めた。


父に会う。


金花について尋ねる。


母についても。


それだけのことだ。


それなのに、まるで何かの境界線を越えるような気がした。


*


翌日、午後五時四十分。


待ち合わせ場所は、都内のホテルのラウンジだった。


父は約束の時刻より早く来ていた。


濃紺のスーツ。白いシャツ。控えめなネクタイ。髪には白いものが増えていたが、背筋は昔と変わらず伸びている。


セリナを見つけると、父は小さく手を上げた。


「久しぶりだな」


「この前、電話したでしょう」


「ああ」


父はそれ以上、言わなかった。


二人は向かい合って座った。


父はコーヒーを注文した。セリナは紅茶にした。


窓の外を車が流れていく。


しばらく、当たり障りのない話が続いた。


仕事はどうだ。


変わりないわ。


家はどうだ。


相変わらずよ。


母は元気か。


元気そうだったわ。


父はそこで、カップを置いた。


「母さんに会ったのか」


セリナは父を見た。


「どうして知ってるの?」


「お前が実家に行くことくらい、わかる」


「連絡したの?」


父は答えなかった。


セリナは紅茶を一口飲んだ。


「お父さん。金花のことを聞きたいの」


父の表情は変わらなかった。


「金花?」


「金色のブローニング・ハイパワーが二挺ある。王冠と二頭の獅子の刻印がある。昔、ベルリンから日本へ渡った可能性がある」


父は窓の外に目を向けた。


「よく調べたな」


その言葉に、セリナは息を止めた。


肯定だった。


少なくとも、否定ではなかった。


「持っているのね」


父は答えなかった。


「お父さん」


「持っていることと、所有していることは違う」


セリナは眉を寄せた。


「何それ」


「言葉どおりだ」


父は淡々と言った。


「物には来歴がある。誰かが手に入れ、誰かに渡し、また別の人間の手に移る。最後に手元にある人間が、最初からの所有者とは限らない」


「それで、今は誰のものなの?」


父は娘を見た。


「お前は、何が知りたいんだ」


セリナはすぐには答えられなかった。


金花の所在か。


母が人を殺していたという話の真偽か。


父がクーデターを画策しているという疑いか。


それとも、自分の家族がいつから、自分の知らない物語を生きていたのか。


「全部よ」


セリナは言った。


父は、ほんのわずかに目を伏せた。


「そうか」


*


「お母さんが金花を使っていたの?」


セリナは尋ねた。


父は、コーヒーを飲んだ。


「誰から聞いた」


「質問に答えて」


父はカップを置いた。


「お前の母さんは、昔から自分の判断で行動する人間だった」


「そういう話じゃない」


「わかっている」


父は静かに言った。


「だが、お前が聞きたいことと、私が話せることは同じではない」


セリナは父の目を見た。


そこに、嘘をついている人間特有の動揺はなかった。


もっと厄介なものがあった。


この男は、自分が何を話すべきか、何を話さないべきかを、すでに決めている。


「お父さんは、母さんが人を殺したことを知っていたの?」


父は長い沈黙のあと、言った。


「人は、自分の知らないところで、さまざまなことをする」


「答えになってない」


「そうだな」


父は否定しなかった。


セリナは、初めて父に腹が立った。


この人は昔からこうだった。


何かを隠すときも、相手を欺くときも、声を荒らげない。怒鳴らない。相手を威圧することさえしない。


ただ、話を終わらせる。


「お父さん」


セリナは言った。


「私、銀花を持っているの」


父は、初めてはっきりと娘を見た。


「知っている」


「……知ってたの?」


「お前が大切にしていることもな」


セリナは黙った。


父は続けた。


「よく手入れをしているそうだな」


「誰に聞いたの?」


「そんなことは重要ではない」


「私には重要よ」


父は、少しだけ困ったように笑った。


その表情は、セリナが幼いころに見た父の顔に似ていた。


「お前は、昔から変わらないな」


「お父さんもね」


二人は、しばらく見つめ合った。


そして父は、唐突に尋ねた。


「金花を見たいか」


セリナの指が止まった。


「……見られるの?」


「見るだけならな」


「どこにあるの?」


父は答えなかった。


代わりに、スーツの内ポケットから小さな封筒を取り出した。


テーブルの上に置く。


「これを持って帰れ」


セリナは封筒を見た。


「何?」


「お前が探しているものに関係がある」


「開けてもいい?」


「もちろんだ」


封筒の中には、古い写真が一枚入っていた。


白黒写真だった。


写っているのは、若いころの父と母。


二人は並んで立っていた。


父は軍服姿。母は白いワンピースを着ている。


母は笑っていた。


父は笑っていなかった。


その二人の間に、小さな木箱が置かれていた。


箱の蓋には、王冠と二頭の獅子。


セリナは写真を裏返した。


裏面には、父の字で短い一文が書かれていた。


「あの日、金花は二挺とも母さんの手に渡った」


セリナは顔を上げた。


「どういう意味?」


父は立ち上がった。


「今日は、ここまでだ」


「待って。お父さん!」


父は振り返った。


「セリナ」


その声は、いつもと同じだった。


「母さんを、あまり問い詰めるな」


「どうして?」


父はしばらく娘を見つめていた。


「お前が知っている母さんと、私が知っている母さんは、同じ人間だ。だが、同じ人間のすべてを知っている者はいない」


そう言って、父は背を向けた。


「気をつけて帰りなさい」


父はラウンジを出ていった。


セリナは追わなかった。


テーブルの上には、冷めた紅茶が残っていた。


*


夜。


自宅に戻ったセリナは、写真を机の上に置いた。


父と母。


木箱。


王冠と二頭の獅子。


そして、写真の裏に書かれた言葉。


「あの日、金花は二挺とも母さんの手に渡った」


父は金花を持っているのではなかったのか。


それとも、所有していることと、手元にあることは違うという、あの言葉の意味がここにあるのか。


セリナは写真を見つめた。


母が金花を使っていた。


父はそれを知っていた。


だが、父が何を望んでいるのかは、まだわからない。


スマートフォンが震えた。


見知らぬ番号からだった。


『お父上に会われましたね』


セリナは返信しなかった。


次のメッセージが届いた。


『あの人は、金花の所有者ではありません』


セリナは目を細めた。


さらに一通。


『金花を持つ者と、金花を所有する者は違う』


セリナはスマートフォンを置いた。


父と同じ言葉だった。


偶然だろうか。


それとも、父とこの人物は、どこかでつながっているのか。


彼女は写真を裏返した。


父の筆跡を、もう一度読む。


「あの日、金花は二挺とも母さんの手に渡った」


セリナは、ゆっくりと顔を上げた。


部屋の隅に置かれた鏡に、自分の姿が映っていた。


その向こうに、銀花が二挺並んでいる。


彼女は立ち上がり、銃のそばまで歩いた。


そして、静かに呟いた。


「……お母さんは、何をしたの?」


返事はなかった。


ただ、窓の外を走る車の光が、銀色の表面を一瞬だけ横切った。


まるで、遠い場所にある金花が、こちらを見ているようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。