第21章 消えた船荷
翌朝、セリナは目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
窓の外は曇っていた。
港から聞こえる音は、昨日と変わらない。船のエンジン。岸壁で働く人間の声。遠くで鳴る金属音。
彼女はベッドから起き上がり、机の上のノートを開いた。
一九三八年。
その数字の横に、昨日撮影した標柱の写真を貼り付けてある。
ベルリンの写真。木箱の紋章。港の標柱。
三つの画像を並べてみても、何かが明らかになるわけではなかった。
ただ、同じものが繰り返し現れている。
王冠と二頭の獅子。
セリナはノートを閉じた。
「証拠としては、弱すぎるわね」
そう呟いてから、スマートフォンを手に取った。
自宅に残してきた銀花のことが、頭をよぎった。
昨日の夜、帰ろうかと思った。
しかし、帰って何をするというのだろう。いつもどおり銃を手入れし、刻印を眺め、何も変わっていないことを確認する。それで、この謎が解けるわけではない。
セリナは管理人に連絡を取ることにした。
昨日渡した名刺の番号に電話をかける。
呼び出し音が四回鳴った。
応答はなかった。
もう一度かけた。
やはり、出なかった。
「忙しいのかしら」
彼女はスマートフォンをしまった。
午前十時を少し過ぎたころ、昨日の事務所へ向かった。
窓口には誰もいなかった。
入口の扉は閉まっていたが、鍵は掛かっていない。セリナが声をかけると、奥から別の男性が現れた。
昨日の管理人より若い。四十代くらいだろうか。
「昨日、こちらの方とお話ししたんですが」
セリナは管理人の特徴を伝えた。
男性は、少し困った顔をした。
「ああ……昨日の方ですね」
「今日はお休みですか?」
「いえ。実は、今朝から連絡が取れなくて」
セリナは黙っていた。
「昨日、何か話されましたか?」
「古い会社の資料について。見つかったら連絡すると言われました」
男性は彼女を見た。
「それだけですか?」
「ええ」
嘘ではなかった。
ただ、話していないことはあった。
自分が、なぜその資料を探しているのか。
そして、写真に写った二挺の銃が、どれほど気になっているのか。
「警察には連絡しましたか?」
「今、確認しているところです。本人がどこにいるのか、こちらでも分からないので」
セリナは事務所を出た。
海沿いの道を歩きながら、昨日の会話を思い返した。
管理人は、木箱の写真を見たとき、ほんの一瞬だけ反応した。
あれは、何だったのだろう。
知っていたのか。
思い出したのか。
それとも、単に古い写真に興味を持っただけなのか。
セリナには分からなかった。
港の近くに、小さな資料館があった。
建物は古いが、入口のガラス戸はきれいに磨かれている。展示室には、昔の港の写真や、船荷の記録、かつてこの町で使われていた道具などが並んでいた。
受付の女性に事情を話すと、彼女は奥から一冊の目録を持ってきた。
「その会社の名前でしたら、こちらに記録があります」
セリナは目録を覗き込んだ。
会社名の横に、いくつかの年代が記されている。
一九二七年。
一九三三年。
一九三八年。
そして、一九四〇年。
「この年に、何か特別な船荷があったんですか?」
受付の女性は首を傾げた。
「詳しい内容までは、こちらには残っていません。ただ、当時の入出港記録が一部、別の場所に保管されているはずです」
「見せていただけますか?」
「申し訳ありません。現在は整理中で、閲覧できるものが限られているんです」
セリナは少し考えた。
「一九三八年の記録だけでも?」
女性は目録をめくった。
「こちらに、記録番号がありますね」
彼女は紙片に番号を書き、セリナに渡した。
「これを管理している部署に問い合わせてみてください。資料が残っていれば、何か分かるかもしれません」
セリナは礼を言い、紙片をノートに挟んだ。
資料館を出ると、雨が降り始めていた。
彼女は軒下で足を止めた。
古い船荷の記録。
そこに銃の名前が記されている保証はない。箱の形や重さが分かったとしても、中身まで分かるとは限らない。
それでも、調べる価値はあった。
セリナは雨の中を歩き始めた。
駅へ向かう途中、スマートフォンが震えた。
知らない番号からのメッセージだった。
添付されていたのは、古い書類の写真だった。
黄ばんだ紙。かすれた文字。欄外に押された印章。
そして、中央に記された数字。
一九三八。
セリナは立ち止まった。
画像を拡大する。
判読できる文字は少なかった。
船名らしき記載。日付。荷主の欄。
その下に、品目が記されていた。
「機械部品」
セリナは眉を寄せた。
それだけだった。
銃とも、武器とも書かれていない。
しかし、書類の右端には、小さな紋章が押されていた。
王冠と二頭の獅子。
彼女はしばらく画面を見つめた。
次のメッセージが届いた。
『記録に残る名前を、信じすぎないことです』
セリナは返信しなかった。
続けて、もう一通。
『あなたが探しているものは、最初から銃として運ばれたとは限りません』
彼女は画面を消した。
雨音が強くなった。
機械部品。
それは何を意味しているのだろう。
銃を分解して運んだのか。部品と偽って別のものを運んだのか。それとも、単なる機械部品だったのか。
どれも、今の段階では可能性にすぎない。
セリナはスマートフォンをポケットにしまった。
そして、ふと思った。
この書類を送ってきた人物は、なぜ自分がこの港町にいることを知っているのだろう。
昨日、管理人に名刺を渡した。
資料館で記録を調べた。
それだけで、誰かが動き始めたのだろうか。
それとも、彼女がここへ来ること自体、最初から知られていたのか。
セリナは雨の向こうに目を向けた。
港の倉庫は、遠くから見ると、ただの古い建物にしか見えなかった。
その中に何があったのか。
誰が何を運んだのか。
誰が、それを忘れさせようとしたのか。
彼女には、まだ何も分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
誰かが、彼女に資料を見せようとしている。
そして同時に、資料を信じるなと忠告している。
セリナは小さく笑った。
「ずいぶん親切な人ね」
その声は、雨に消えた。
彼女は駅へ向かった。
帰ったら、銀花を確かめよう。
そう思った。
その理由を、彼女は深く考えなかった。




